黄金色の蓑虫
とある国の、とある小さな山の上に、とある老人が一人ぼっちで住んでいた。
老人は偏屈な学者で、自分の興味あるものには熱心だったが、興味の無いものには無関心。
おかげで生まれた家の家族に見放され、嫁を取ることも無く、天涯孤独だ。
それでも学者として成功し、隠居するまでに何冊も記した著書の読者からは尊敬されていた。
けれど愛想も無く、人付き合いも悪いので、必要以上に近づく者はいなかったのである。
山の上には月に一度、行商人がやって来た。
著書の印税で、それなりに裕福な老人は金払いが良い。
少々吹っ掛けても、山登りの駄賃だと躊躇なく払ってくれる。
老人からすれば、家族もない独り身。
いずれ自分の命が尽きた時に、せめて気付いて埋葬してくれる人間が必要だ。
そのための前払いと思っていた。
一応、遺言も書いてある。
夜寝るときには一番目立つテーブルの上に、その封筒を置いて眠るのだ。
その時が夜とは限らないので、玄関に置いた小ダンスの上の、目につきやすい場所にも置いてある。
内容はシンプル。
『儂が死んでいたら埋めてくれ。
埋めてくれたら、この家にあるものは全てお前にやろう。
家も使って構わん。
係累は無いが、万一何か言うものがあれば、この遺言が証になる』
行商人は欲はあるけれど弁えた男で、遺言書を盗み見ることはなかった。
そんなある日、家のすぐ横に立つ木に、一匹の蓑虫がぶら下がる。
この木の下には昼寝用の揺り椅子が置かれていて、老人のお気に入りの場所だった。
蓑虫は最初、いかにも蓑虫と言った、そこらにある枯れた葉や枝と同じ色をしていた。
ところが、日が経つにつれ、だんだんと色が薄くなり、さらに日が経つとだんだんと黄金色に輝き始めたのである。
それでも老人は、黄金色の蓑虫だなあと思っただけで、ゆらゆら揺れるその側で、毎日暢気に昼寝をしていた。
だが、黄金色の蓑虫に気付いた行商人は違う。
どうして、あの蓑虫はあんなに輝いているのだろう?
本当は蓑虫では無くて、金の塊なのではないか?
少し触ってみても罰が当たることはないだろう!
そうして手を伸ばしてみたところ、老人が初めて怒った。
「それは、そこにあるべきだ。触れてはいかん!」
「す、すみません!」
行商人も悪い人間ではない。
ついふらふらと、黄金色に誘われただけなのだ。
その場はそれで収まったが、次の月も、そのまた次の月も、行商人は黄金色に誘われ、同じことを繰り返す。
その度に老人は、同じように叱る。
けれども、行商人に怒りを覚えているわけでは無かった。
なぜなら、日を経るたびに蓑虫の黄金色は輝きを増している。
それは、行商人の目には誘うように見えるのだろうから。
老人は心を決めた。
「今まで、遠く険しい道を、毎月訪ねてくれて感謝する。
だが、今日限りで、もう来なくてもよい」
翌月のこと。そう言い渡されて、行商人は驚いた。
「でも、他に訪ねる者のない、こんな場所で、どうするんですか?」
「儂もこんなに年を取った。
食べる量も多くないし、山の恵みもある。なんとかなるだろう」
「黄金色に惹かれる私にお怒りなら、他の者を紹介しますが」
金払いのいい老人である。
若く元気な行商人なら、ひとりくらい見つかるだろう。
「いやいや、人間だれしもこの黄金色には勝てなかろう。
商売をする者は黄金の価値を、より深く知っている。
惹かれてしまうのは仕方のないことだ」
「ああ、本当に申し訳ないことを……」
「いいんだ。お前はなにも悪くない。
これまで長い事ありがとう。
餞別になんでも持って行きなさい」
「とんでもない。
これまでも過分にお支払いいただいていたのですから、もう十分です」
「そうか。では、達者でな」
「はい、失礼いたします」
そうして別れたものの、行商人の心の奥には老人への心配が常にある。
「また、怒られるかもしれないが」
三か月の後、とうとう我慢できなくなった行商人は、そっと山の上まで出かけた。
「これは……どういうことだ!?」
何年も通った、間違えるはずもない道の先。
あの山の上は、すっかり空き地になっていて、家も、蓑虫のぶら下がっていた木も、揺り椅子も、なにも無い。
もちろん、老人の影も形もない。
この辺で急な嵐でもあったなら、何か痕跡があるはず。
けれど、花も草も木の枝も、風にそよぐばかり。
ただなにも無く、静かに時が過ぎるばかり。
山から下り、家に帰った行商人は、妻にその話をした。
「偉い学者先生だから、仙人にでもおなりになったのだろう。
黄金色の蓑虫は、天の御遣いだったのかもしれないよ」
そう言われれば、妙に腑に落ちて、行商人はその夜、ぐっすりと眠った。