呪いで記憶を失う前の私が、勇者様と犬猿の仲だったというのは本当なのだろうか
真っ暗な暗闇から急激に意識が浮上し、目を開けた。
目に入った大きな窓からは陽光が差し込み、爽やかな風がそよいでいる。寝ていたふかふかなベッドには、真っ白のレースのカバーが掛かっている。部屋の掃除は行き届き、調度品は品が良い。眠っていた私が大事にされていたことが分かる。
でも、視界も思考もはっきりしているのに、肝心なことが思い出せない。
(私は、誰なのだろうか――)
ドアが開き、私を目にしたお仕着せの服を着た女性が、私が起きているのを見て、目に涙を浮かべた。
「レオノーラ様! お目覚めになられたのですね」
間もなく、何人もの人たちが入ってきた。
まず、小太りで重厚な服を着た男性と、スタイルが良く、鮮やかなドレスを着こなした女性が、私に声を掛けた。
「レオノーラ、心配したぞ……!」
「目を覚ましてよかったわ」
その二人のすぐ後ろには堂々とした青年、そして、ほんの少し離れたところに、長い杖を持った少年、がっしりとした体格の男性、たおやかな女性、そして、少し居心地の悪そうな金色の髪に青い瞳の男性がいた。皆、私のことを心から案じてくれたらしく、私が意識を取り戻したことに安堵しているようだ。
そんな中、言い出すのは、少し勇気が要ったが、遅かれ早かれ知られることだ。ぎゅっと拳を握り、言った。
「……あの、すみません、どなたですか。というか、私は『レオノーラ』なのでしょうか」
私の言葉を聞いて、皆が目を瞬かせ、私をまじまじと見た。心配してくれているのは分かる。でも、理屈ではなく、怖い。
「嘘でしょ、レオノーラちゃん!」
一番前にいた重厚な服を着た男性が、一歩踏み込んできて、恐怖のあまり、するりとベッドから出て、一団の一番後ろにいた金髪の男性の後ろに隠れた。
「えっ……。あの……」
男性が困惑したみたいに私を振り返った。
男性は、私より頭一つ分以上大きく、しなやかな筋肉がついている。間違いなく力の差がある。簡単に私のことを捻り潰してしまえる。でも、この人は怖くない。この人以外は怖い。
誰か分からないとか、相手を困らせるとか、はしたないとか、理性では我慢すべきだと思うのに、我慢ができない。潤む目で見上げ、男性に請うように言った。
「傍にいさせてくれませんか……?」
「え」
私の行動に、皆が更に狼狽えた。
「どういうことだ?」
「ラウル、お前、何をしたの?」
「俺は何もしていない!」
私の目の前の男性は『ラウル』というらしい。
少しの間、皆がああでもないこうでもないと騒いだ後、杖を持った少年がやって来た。その間、私はずっと『ラウル』の袖を掴んでいた。そうすると、少しだけ不安感が減った。
杖を持った少年は魔導士らしく、私の目を覗き込んだ後、杖を私に向けた。すると、杖の一番上にある石が赤く光った。魔導士は頭を抱えて言った。
「これは、魔王に呪いに掛けられたね」
私の髪と同じ銀色で、偉そうな青年が、魔導士に聞いた。
「それは確かか?」
「うん。多分、『忘却の呪い』と『逆雛鳥の呪い』だ。『忘却の呪い』はこれまでの記憶を失い、『逆雛鳥の呪い』は意識を失う最後に見たものを、親のように慕うようになる」
『ラウル』は戸惑いつつも、心当たりがあったようだ。
「……確かに、魔王に引きずり込まれそうになっていたレオノーラ様を救い出した時、一瞬、レオノーラ様は俺と目が合ったような気がする」
状況が分かると、皆が思い思いに騒いだ。
私に対する気安い様子と髪の色から、私の家族と思しき三人が、ラウルに隠れた私に向かってやってきて、話しかけた。
「レオノーラちゃん、パパのこと、忘れちゃったの?」
「子供に対するみたいな呼び方はやめなさい。そして、魔王を最後に見るよりマシでしょう」
「でも、最後に見たのがラウルなのか……」
その後ろで、私と同じくらいの世代の一団が話した。
「ま、いつか記憶も戻るだろ。魔導士もいることだし」
「えー、僕?」
「頼りにしているわよ」
皆は気心が知れているみたいだ。悪い人たちでもない気がする。でも、怖い。自分のことが分からないだけでなく、得も知れぬ不安感に襲われ、目の前のラウルの袖をぎゅっと握り締める。
私の不安げな様子に気が付いた少年が声を掛けた。
「ああ、ごめん。『忘却の呪い』に掛かっているんだった。改めて、僕たちのことを紹介しないとね」
その一言をきっかけに、豪華な服を着た壮年の男性は、衝撃を受けていたらしいが、気を取り直した。
「私はエルウヤ王国の国王。そして、あなたの父だ」
目の前の男性が国王というのにも、自分自身が王女だということにも、びっくりした。声も出せないでいるうちに、国王陛下は紹介を続ける。
「そして、私の左隣の女性が王妃。私の妻で、あなたの母。右隣の男が、あなたの兄だ」
紹介された皆は、威厳があって、いかにも立派そうで、王族だと言われて納得する。でも、自分の家族だと紹介されてもピンとこない。
困っていると、国王陛下らの後ろにいた一団の中で、特に体格の良い男性が、大きな声を出した。
「よし、次は我々のことを紹介しようか!」
その元気の良さに、皆は慣れたみたいに苦笑した。体格の良い男性は、更に私を驚かせることを言った。
「貴女は、この国の第一王女殿下でいらっしゃる。しかし、聖女として、我々と共に魔王討伐を行ってくださった」
またも目を丸くしている間に、男性は話を続けた。
「まず、私はガーランドと申します。我が家に伝わる格闘術を用い、魔族と戦いました。パーティーの最年長だったので、年の功が使える場面では少しはお役に立てたのではないかと思います」
「つまり、パーティーのリーダーだったってこと」
杖を持った少年が口を挟み、自分自身と、隣のたおやかな女性を紹介した。
「僕は、魔導士のノクラム。こっちが弓使いのクリスティ。そして、今、レオノーラ様が服を掴んでいらっしゃるのが――」
そこで、目の前にいる長身の青年がこちらを振り返った。
「ラウルと申します」
青い瞳がまっすぐにこちらを見て、ドキリとした。
ガーランド様が、もう少し詳しくラウル様のことを教えてくれた。
「聖剣使いで、街では『勇者』として通っている」
すらりと一見細身ながら、しなやかな筋肉がつき、よく鍛えられていることが分かる。更に、顔まで整っていて、こんな人が勇者として魔王と戦ってくれるなら、皆、安心しただろう。
頼もしく見えるのは、ラウル様だけではなく、ガーランド様もノクラム様もクリスティ様もだ。でも、私が魔王討伐に参加なんてことができたのだろうか。しかも、聖女としてなんて。
疑うわけではないが、腑に落ちていない私を見て、ノクラム様は肩を竦めて、話を変えた。
「ま、記憶がないんじゃ、ピンとこないよね。僕が解呪の方法を調べるとして、レオノーラ様は呪いを解く方法が分かるまでどうする?」
水を向けられ、ようやく自分のことに意識が向いた。
これまでの話を聞くと、私は魔王に呪いを掛けられ、全ての記憶を失い、意識を失う直前に見たものを慕う状態になっているみたいだ。
王族ということにびっくりしたが、家族は記憶がなくても、私を大事に思って、きっと私のことを心配してくれている。
家族に助けを求めるのがいいのだろうとは理解している。でも――
「あの、ラウル様……」
「え、あ、はい」
私に呼び掛けられ、ラウル様は戸惑いを隠せない様子だ。こんなことを言い出すのに、申し訳なく思う気持ちはあった。でも、この人の傍にいないとどうにかなってしまいそう――
頭一つ以上大きいラウル様を、ためらいながらも、勇気を出して、気持ちが伝わるように見上げる。声は震えていた。
「なるべく、お邪魔にならないようにいたします。傍にいさせていただけませんか……?」
「え……」
ラウル様は、私にますます戸惑ったみたいだった。することだってしたいことだって、色々あるだろう。記憶を失い、自分が何者なのかも分かっていない私の相手をするのは手間かもしれない。
「突然の不躾なお願いで申し訳ありません。でも、ラウル様の傍にいないと、どうしようもなく不安になるのです……」
周囲はしんと静まり返り、居た堪れない。でも、何とかこの人の傍にいたい。その一心で、ラウル様を見つめ続けた。もしも拒否されたらという不安で涙がこぼれそうになるが、それは必死で耐える。
沈黙を破ったのは、ノクラム様とクリスティ様だった。お二人は、笑いを必死に堪えているようだった。
「いいんじゃない。呪いを解く方法が分かるまで、ラウルが傍にいてあげれば」
「魔王退治も終わった今、勇者なんて無職でしょ」
仲間故の気安さからかもしれないが、人々を救った勇者相手への乱暴な言葉に驚いた。やはりラウル様は憮然とした。
「馬鹿言え。今、街に出なくてどうするんだ。一番モテる時期だぞ」
ラウル様の言葉に、ズキンと突き刺されるような痛みを感じた。
魔王を倒すという偉業を成し遂げられ、その報酬を求められるのは当然だ。それが、異性からの好意だというのなら、今が一番いい時なのだろうか。いや、それとも、恋人を求めていらっしゃるのだろうか。
「……それは、大事な時期に申し訳ございません」
本来なら『なら、結構です』と身を引くべきだと思う。でも、簡単にこの人の傍を離れることなど認められない。
記憶がなくても、自己中心的な自分に恥ずかしい気持ちながら、言葉を絞り出した。
私の言葉に、再び、場がしんとなった後、ノクラム様がケラケラと笑った。笑い過ぎたのか、目元に涙まで浮かんでいる。
「はは。レオノーラ様、本当に記憶をなくしているんだね」
「いつもなら、ラウルはレオノーラの扇子で叩かれているわよ」
笑いを堪えられない様子で、クリスティ様も追加した。
「扇子……? 叩く……?」
記憶をなくす前の私は、聖女だというのに、扇子でラウル様を叩くような人間だったのだろうか。思いもしない暴力的な自分の話を聞き、記憶が戻るのが少し怖くなった。
そっとラウル様を見つめた。ラウル様はあからさまに困惑していた。
身を引くこともできず、じっとラウル様の判断を待つ私を見て、私の兄という人がポツリと零したのが聞こえた。
「これは、本当に呪いだな……」
それまで、皆のやり取りを見守っていたガーランド様が、落ち着いた声で言った。
「ラウル、レオノーラ様の傍にいて差し上げろ。呪いに掛けられて可哀想だ。仲間だろう」
気が付くと、皆がじっとラウル様を見ていた。私の後押しをしてくれているようだった。図々しいと思いつつ、ラウル様に聞いた。
「お嫌でしょうか……?」
ラウル様は言葉に詰まった後、気まずそうに顔を反らしながら答えた。
「……嫌じゃない。いえ、嫌ではありません」
言質をいただいたのに、安堵と罪悪感が同時に襲ってきて、つまらない言い逃れが口から出た。
「た、たまに、顔を見せていただくだけでいいのです。街に行かれ、出会いを探されるのも、お邪魔いたしません!」
私が言い終わるのとほぼ同時にラウル様は咳き込んだ。そして、ノクラム様とクリスティ様が、私への優しさからだろう、明るく言った。
「レオノーラ様、そんなに申し訳なく思うことはないよ。今、貴女は呪いに掛かっていて、普段の貴女ではないんだ。ラウルに頼っていいんだよ。勿論、僕達にも」
「そうそう。それに、さっきはあんなこと言っていたけれど、ラウルは不特定多数の女性と遊ぶことなんて、とっくに卒業しているから。今は、誰か一人を一途に思うことにしているみたいよ」
お二人の言葉を、焦った様子でラウル様が遮った。
「おい。勝手なことを言うなよ……!」
ラウル様の様子を見るに、やはりノクラム様とクリスティ様は呪いに掛かった私への優しさで言っていることで、魔王を倒した今、ラウル様は心安らげる誰かを探す出会いの場に出たかったのだろう。
申し訳なく、無言で俯いてしまった私に、ラウル様は気付いた。そして、しまったというように頭を抱えてから、私に優しく向き合ってくださった。
「……いや、二人が言うことは本当です。レオノーラ様は気になさらないでください」
ラウル様にまで気遣われてしまって、苦しくも微笑みだけを返した。ラウル様は、罪悪感に耐えかねたみたいな呻き声を一瞬だけ漏らした後、憎々しげに言った。
「本当に、魔王の奴、なんて呪いを掛けているんだ」
私の母という人が切り出した。
「話はまとまったわね。あまり長くいると、レオノーラも負担でしょうし、一旦、部屋から去りましょうか」
その一言で、皆が扉に足を向けた。私の部屋を出る前に、それまで黙っていた私の兄という人が、ラウル様の肩を掴んだ。
「おい、調子に乗って、レオノーラに手を出すなよ」
それを見て、ノクラム様とクリスティ様がニヤニヤ笑って言った。
「わあ、生殺し」
「頑張れ、ラウル」
その後、色々と試したが、ラウル様以外の人を見ると、やはり不安感を覚えた。
なので、ノクラム様が解呪の方法を見つけるまで、私は空いている離宮に住み、その離宮にラウル様も常駐してくれることになった。
朝、目を覚ました。窓の方から物音がするので、見てみると、中庭で、騎士と共に訓練をしているラウル様がいた。
身支度を手早く済ませ、そわそわと中庭の入口に向かった。ほどなく、訓練を終えたラウル様と騎士が現れた。
私の姿を見て、騎士は一礼だけして去り、残ったラウル様が言った。
「おはようございます。レオノーラ様」
「おはようございます、ラウル様。朝早くから、精が出ますね」
ラウル様の姿を見るだけで、拠り所を得たような気持ちになり、自然と笑みが零れた。でも、ラウル様は何か言いたげにじっとこちらを見つめ返し、それで、数日前から言われ続けていることを思い出した。
「……ええと、いえ。精が出ますね、ラウル」
私がそう言うと、納得したようにラウルも笑顔を返してくれた。
記憶を失う前、私はラウルのことを『ラウル』と呼んでいたらしい。記憶がないので自覚もないが、私は王女であるので身分としても上であり、更に何でも、記憶を失う前の私はラウルとは犬猿の仲だったとのこと。
記憶が戻った後、私が『ラウル様』なんて呼んでいたことを知ると後悔するだろうと、ラウルから『ラウル』と呼ぶように強く勧められた。
でも、ラウルの性格が悪ければ、今の私に自分のことを『ラウル様』と呼ばせ続け、記憶が戻った後に嘲笑ってもいいはず。でも、そうしない誠実さがある。
そんなラウルと犬猿の仲だったという、記憶を失う前の私は、我が儘で傲慢な王女だったのではないだろうか……。記憶が戻るのが怖い……。
「どうかされましたか?」
私の表情が曇ったことに気が付き、ラウルが聞いた。『記憶をなくす前の私は、傲慢な性格でしたか?』と聞いたら、きっとラウルは否定してくれるだろうけれど、これ以上、気を遣わせたくなくて、話を変えることにした。
「い、いえ。ラウルは朝から立派ですね」
「はは。もう習慣になっています」
習慣になるまでどれだけの鍛錬を積んだのだろうかと、改めて尊敬の目でラウルを見たところ、ラウルは優しく言った。
「でも、レオノーラ様も時間を惜しんで経典を読み込まれ、魔族を倒す方法を探られていましたよ」
傲慢なだけではなく、努力するところもあったのかと、記憶を失う前の意外な自分の姿に目を瞬かせた。
その後、ラウルと私は一緒に朝食を取った。
陽光の中、出された食事は、一品一品、丁寧に作られたことが分かるものだった。
王女であるといっても記憶をなくして、その自覚もないので、申し訳なさを感じつつ、食事を口に運んでいると、ラウルの視線を感じた。
「何か……?」
「いえ。記憶はなくても、食べ方は同じなのだなと思いまして」
「まあ。そうですか?」
ラウルの中にいる記憶を失う前の私はどんなものなのだろうか。心配したが、ラウルは懐かしむような優しさで言った。
「ええ。背筋を伸ばして、丁寧に。食べ物と作った人間への感謝を込められていました」
その言葉は嘘には見えない。どうか記憶にないかつての自分が傲慢なだけの人間でなければいいと思う。
その後も、ラウルは離宮に滞在し続けてくれた。そして、この世界のこと、これまであったことを色々と改めて、教えてくれた。
五年前、魔王が復活し、それに魔族が呼応し、人間を襲うようになった。そこで立ち上がったのが、武術家のガーランド、魔導士のノクラム、精霊の加護を得た弓使いのクリスティ、聖女の私、そして聖剣使いのラウルだった。
ラウルは、代々聖剣が伝承される家に生まれていた。けれど、魔王を封印して二百年ほどが経ち、その価値を人々は忘れ、ラウルとその家族は、聖剣を守りながら、田舎でひっそりと暮らしていたらしい。聖剣の価値を一番に理解していたのは、皮肉にも、復活した魔王で、魔王は復活するなり、ラウルの家族を襲い、家族から庇われたラウルだけが唯一逃げ延びたという。
その話を聞いて、甘ったれた自分を恥じた。ラウルは、そんな過酷な環境の中、人々の為に立ち上がってくれて、無事に魔王を倒した。なのに、私ときたら、呪いに掛かったとはいう事情はあれども、記憶がなくても、優しくしてくれる家族がいるのに、ラウルに甘え、ラウルと人々の交流を妨げている。
すごく反省して、呪いが軽くなった気がするから、しばらく一人で大丈夫だと伝えた。大体、不安感なんて心の持ちようによるもので、周囲が許してくれるのに甘え、これまでラウルに頼り過ぎだったのだ。
そう強がってみたものの、ラウルを離宮の外に見送り、ラウルから離れたところで、この世界に一人だけになってしまったみたいな怖さを覚えた。でも、ラウル以外の誰かと会うのも怖い。結局、一人で部屋に籠って、不安感に耐えかねて泣いていると、ラウルが来てくれた。
申し訳なさと情けなさで顔を覆う私の前に、ラウルは跪き、そっと私の手を取った。
「弱いところを隠し、気丈に振る舞うところは、記憶を失う前のレオノーラ様と同じなのですね」
その声の優しさに、ラウルに向けて恐る恐る顔を上げると、ラウルは慈しむように私を見ていた。そして、言い聞かせるような穏やかさで言った。
「今、貴女の傍にいる以上、私にとって、大事なことはありません。安心して、私を傍に置いてください」
記憶を失ってから、十日が経った。
結局、騒動の後、強がってもラウルにも周囲にも迷惑を掛けるだけということが分かったので、思い切って、心のまま、ラウルに甘えることにした。
朝、起きたらラウルの鍛錬の姿を見て、その後、一緒に朝食を取り、昼まで記憶が戻らなかった場合に備え、これまでの冒険や国についてラウルから教わる。昼食を食べた後は、体が鈍らないように散歩をしながら、この世界のことを教えてもらう。散歩が終わったら、一緒にお茶をして、その後、ラウル様は鍛錬、私は読書をし、陽が沈めば夕食を共にする。
魔導士のノクラムは『逆雛鳥の呪い』と言っていたけれど、まさしくその通りで、私は雛鳥が親鳥を頼るようにラウルを頼り、この世界のことを覚えていった。そして、私の中では、ラウルに対して、信頼だけではない、ある想いも育っていった――
今日は魔導士のノクラムが来てくれることになっている。ノクラムは慣れた調子で、離宮に入って、ラウルと私の前にやって来た。
「やっほー、レオノーラ様、ラウル。お久し振り」
軽く挨拶をされただけなのに、ビクリと震えた私を見て、ノクラムは苦笑すると、杖を取り出し、私に向け、早速、用件に入った。
「じゃあ、診察するね」
ただ状況確認のためだけだと分かっているのに、ノクラムに杖を向けられ、目を覗き込まれ、恐怖心に襲われた。無意識のうちに、助けを求めるように、自然と手がラウルの方に向かい、ラウルの大きくて剣だこのできた手を握った。
子供みたいで情けないと思いながら、ノクラムは敢えてそのことには触れない優しさを見せてくれて、ラウルに至っては、顔まで反らして、私と目が合わない工夫までしてくれた。
ノクラムの診察を受けているので、じっくりは見られなかったけれど、ラウルの耳が何だか赤くなっている気がした。何かあったか後で聞こうかな、と思ったが、次に発せられた訝しげなノクラムの言葉に耳を奪われた。
「……レオノーラ様、呪いが解けかかっていない?」
「「え?」」
私に加え、ラウルまで驚いた。全くそんな兆候は見られないからだ。
でも、ノクラムは、私の呪いが解けかかっていることに確信を持っているみたいで、ブツブツと言いながら、考え込んだ。
「自覚はなしか……。レオノーラ様自身は記憶を失い、聖女としての力を発揮する方法も忘れている。自分で呪いを解いたわけではないはず。解呪される条件が仕込まれていた? だとしたら、それは何だろう?」
その後も、ラウルの手と繋ぎながら、ノクラムと話したが結論は出ず、ノクラムには、また近いうちに私を診に来てもらうということになった。
その後は、いつものように、一日をラウルと過ごした。夜になって、流石にこれ以上一緒にはいれないので、一人で自室に向かい、ベッドの中に入った。目を閉じて、今日一日を振り返ると、どうしても気持ちが溢れた。
――どうしよう。好き。
呪いに掛かって、ラウルに懐いているのは真実なんだろうけれど、記憶を失ってから目覚めたばかりのこの人の傍にいないと落ち着かないという気持ちだけじゃなくて、近くにいると胸が高鳴る。
だって、ラウルは記憶を失った私にも優しいし、この世界のことを丁寧に教えてくれるし、あと、体をよく鍛えていて格好いいし。呪いがなくても、こんな魅力的な人とずっといて、好きにならないこととかある?
記憶を失う前の私は、ラウルと魔王討伐に一緒に行っていたというけれど、あんな人当たりが良くて、優しいラウルと犬猿の仲だったって、どういうことなの……。絶対に、私の性格が悪かったに違いないわ。早く呪いが解けるのがいいのだとは思うけれど、記憶が戻るのが怖い……!
自分がどんな人間だったのか、知るのが怖い。勝手だけど、願わくは、明日も変わらない日になりますように――
祈るような気持ちと不安はありながらも、ぐっすりと深い眠りにつき、翌朝になって、目を覚ました。それと同時に、全て思い出した。
――自分が何者なのか、これまで誰と何があったのか、失っていた記憶を全て取り戻した。こんな唐突なことある?
急激にたくさんの記憶が戻ってきたことが、頭に重い負担を掛けているらしく、鈍くて激しい頭痛を感じる。痛む頭を押さえながら、取り戻した記憶を噛み締める。
全て皆が言った通りで、確かに、ラウルは魔王と戦ったパーティーの勇者で、私は聖女だった。そして、犬猿の仲だったのも本当。ラウルとは随分と喧嘩をした。
魔王が復活して、王女として神殿で魔を封じる方法を学んでいた私は、聖女として魔王討伐に参加することを名乗り出た。武術家であるガーランドや魔導士であるノクラムを仲間として得て、魔を封じながら国中を回り、聖剣使いであるラウルの噂を聞いた。
噂を頼りに、何とか会うことができたラウルは、聖剣使いであることは隠し、この国を彷徨っていた。軽薄に街で女性に声を掛けるくせに、「一人の方が気楽でいい」と私たちの仲間になることはなく、単独行動を続けていた。しかし、結局、ガーランド、ノクラム、私が魔族に襲われるピンチの際に、ラウルが駆けつけてくれ、それをきっかけに仲間になった。
後で、本当は聖剣使いであることで、魔族に家族を殺されていたから、大事なものを作らないようにしていたことを知った。
その後、精霊の加護を得た弓使いのクリスティも仲間に加わり、旅は厳しかったが、魔王を封印することに成功した。
旅の間中、ラウルは街行く人々に声を掛け、最初は、もっと旅を急ぎたいとヤキモキした。特に女性に声を掛けてばかりなのは軽薄に感じた。でも、ラウルがもたらした情報に何度も助けられたし、人々の声を聞き、街を駆け、魔物と戦う姿は、率直に言って、格好良く、旅が終わるころには、完全にラウルに惹かれるようになっていた。
でも、ラウルと出会った頃には、仲間になって欲しいとしつこく付きまとったし、仲間になったら仲間になったで、困っている人を放っておけないラウルと旅を急ぎたい私で、旅の方針を巡って、大いに対立した。その中で、嫌なことを言ってしまったのも取り消せない。
過酷な旅と戦いを経て、最終的にラウルとは仲間になれたと思うが、今更、ラウルが私を好きになることなんてないだろう。
いつかラウルに好きな人ができたとき、かつての仲間として、祝福を精一杯降らせて、幸せを祈るくらいの仲になれば十分だと思っていた――
ちゃんと弁えていたと言うのに、それを崩したのは、父である国王だった。
魔王討伐の旅から戻ってきて、王宮での国王への謁見の際、褒美に何を望むか聞かれ、ガーランドが故郷での修行場の開設、クリスティが森の保護、ノクラムが古文書を希望した。
そんな中、ラウルは褒美を固辞した。「本当に欲しいものは何もないの?」、「褒美も出さないなんて、私がケチだと思われちゃうんだけど……」と国王は困りきった後、ハッと閃いたみたいに言い出した。
「なら、レオノーラと結婚するとかどう?」
その瞬間、私の頭を過ったのは「国王の命令なら結婚できる」ということだった。でも、それは私の希望で、ラウルの希望ではない。即座に、自分の欲を打ち消すみたいに父を止めた。
「お父様、褒美に娘を嫁がせようだなんて、女性を何だとお思いですか。時代錯誤も甚だしいですわ」
ラウルにちらりと視線をやると、初めて見る戸惑いきった表情をしていて、それに耐えきれなくなり、退席した。
王宮の中庭までやって来て、揺れる気持ちに顔を手で覆った。
あのまま黙っていたら、ラウルと結婚できたのだろうか。自分では絶対に言い出せなかったから、お父様の思い付きに乗ってしまえば良かったかもしれない。
でも、そんなのラウルが望んでいることではない。口うるさい王女との婚約なんて、救国の英雄、いや、世界の英雄となったラウルを、この国に留めるための結婚でしかない。
「レオノーラ様、何かお困りですか?」
呼び掛けられて振り返ると、侍女がいた。気配がないので、驚いた。
「何でもありませんわ。飛び出して来てしまいましたが、戻らないといけませんわね」
取り乱して、みっともない姿を見せた。ラウルといえども、国王相手に素直に王女と結婚したくないとは言えないかもしれない。ラウルにはせめて良い仲間だったと思ってもらえるよう、毅然とした態度で私から断ろう。
王宮の広間に戻ろうとしたところで、侍女に力強く手首を掴まれた。
「いえ、戻る必要はありませんよ」
「え……?」
侍女の様子がおかしい。力強く掴まれた手からは黒くて長い爪が伸びているし、赤い目は怪しく光り、黒い髪は逆立っている。
魔王の残骸が侍女に憑りついたのだと理解し、瞬時に身を構え、詠唱を始めた。でも、侍女に憑りついた魔王の残骸の方が、動きが早く、口から低くて暗い声で呪文を発し、同時に、侍女の口から魔王の残骸である黒い靄が私を襲った。正面から呪いを食らい、油断した自分を悔やみながら、遠くなる意識の中、颯爽と剣を振り被るラウルの姿が見えた。
それが、記憶を失う前の最後の記憶――
ご丁寧に記憶を失っていた間の分も記憶はしっかりある。呪いが期限付きである理由も、呪いが解けた後に、呪いに掛かっていた時の記憶が残っている理由も、今なら理解できた。魔王は、言いなりにした私に人間を害させて、記憶が戻った私を絶望させるつもりだったのだろう。おのれ、許すまじ。
そうならなくて良かったけれど。助けてくれたラウルには感謝するばかりだけど。それはそうとて、記憶を失っていた間のラウルへの依存っぷりを思い返すと、羞恥に沈む。布団をひっかぶって、ずっとベッドで隠れていたい。でも、そろそろ部屋から出て行かないと不審に思われるだろう。
時計を見て、致し方なく、身支度を済ませ、部屋を出た。ひっそり、こっそり、一人で朝食を済ませようと思っていたのに、すぐに見つかった。
「おはようございます」
後ろから、聞き慣れた少し低い澄んだ声で挨拶をされ、ビクリと飛び上がりそうになるのを押さえ、振り返った。振り返った先にいたラウルの笑顔は、呪いは解けたはずなのに、キラキラして見えた。
羞恥にのたうち回る内心を抑え、ここ数日、ラウルに見せていたはずの信頼しきった甘えた笑顔を作って、挨拶を返す。
「おはよう、ラウル」
ラウルは少し迷った後、拗ねたみたいに言った。
「今日は鍛錬を見に来てくださらなかったのですね」
(か、可愛い……!!)
呪いは解けたはずなのに、どうしたってそう感じてしまう。だって、呪いが解ける前は、いつも口うるさいって私のことを迷惑そうに見るばかりだった。
高鳴る心臓を抑え、記憶を失っていたときみたいに、殊勝に身を引きながら言ってみた。
「い、いつもだと、お邪魔になるのかと思いまして」
これで会話は終わりのつもりだったのに、ラウルは私の手を握り、熱を持った瞳で私を見つめた。
「邪魔なんて、とんでもない。レオノーラ様の目に入るのであれば、無様な姿を晒すわけにはいかないと、鍛錬にも精が出ます」
その眼の熱さに、呪いに掛かった私への憐憫の情以上のものが籠っている気がして、怖気づいてしまう。手まで握られているし、いや、昨日、無断でラウルの手を握ったのは私なのだけど。一体、これはどういうことなのだろうか。ラウルまで、何かの呪いに掛かった……?
「あの、ラウルは、こんな感じでしたっけ……?」
「はい。そうですよ?」
爽やかに笑われ、戸惑いに、ただ目を瞬かせる。
呪いに掛かっていたときなら、雛鳥よろしく流されたかもしれないけれど、今は違う。記憶を失う前は、喧嘩をしてばかりだったし、昨日までだって、私が付きまとうのに、戸惑いを隠せていなかった。
何故、ラウルは私のことを愛おしくてたまらないみたいな目で見るのだろうか。まさか、私の記憶が戻ったことも、私がラウルを好きなことも知られ、からかわれている? いや、私のことを嫌っていたとしても、ラウルはそんな外道ではないだろう。
――ラウルの様子がおかしい。でも、ひとまず、作戦を練りたい。
昨日までの自分を思い出し、不安そうに上目づかいの体勢で、探りを入れた。
「今日のご予定は……?」
「今日も一日中、ずっと一緒にいますよ」
その答えは、昨日までなら飛び跳ねて喜ぶものだっただろうけれど、今日は頭を抱える。
何だかやたら甘い態度のラウルに右往左往しているうちに、一緒に朝食を取り、この世界のことをラウルから教わり、昼食を食べ、散歩をし、一緒にお茶をする時間になった。
侍女は中庭にティーセットを準備してくれた後、去り、中庭にはラウルと私の二人きりとなった。急に甘くなったラウルに対して、正直、心臓がもたない。ノクラムか誰かに助けを求めよう。
「あの、ラウル……」
「レオノーラ様、手を握ってもいいですか?」
決意したところで、ラウルが私より一歩早く、とんでもないことを言い出した。
「え?」
「嫌だったら言ってくださいね」
そう言うなり、私の手を握られた。心臓がドクンと大きく跳ねた。
「レオノーラ様の記憶が戻る前に、告白させてください」
「な、何をでしょうか……」
そして、ラウルは真摯な目で私に告げた。
「ずっと貴女のことが好きでした」
「へ……?」
これ以上ないほど動揺していると思っていたが、ラウルは衝撃発言を重ね、私の思考が止まった。
「貴方が記憶を失ってからではありません。記憶を戻る前から、ずっとお慕い申し上げておりました」
呆然としていたが、記憶を失う前の喧嘩ばかりだった日々が思い出され、無意識に零していた。
「そんな馬鹿な……」
「本当です」
ポツリと言った私の言葉を、ラウルは力強く否定すると、滔々と続けた。
「記憶を失う前、貴女と喧嘩が多かったのは事実です。出会ったばかりの頃は、困っている人々がいても騎士団に任せ、我々は旅を急ぐように主張する貴女を冷たいように感じていました。でも、それは心を痛め、罪を自ら背負う覚悟での決断であることだと、やがて理解するようになりました」
気持ちを分かってくれていたことの嬉さで目が潤み、うっかりと涙など零さないよう、口を結んでいる間に、ラウルは続ける。
「一線に立ち、一刻でも早く災禍を終わらせようとされる貴女の強さと美しさに惹かれるようになりましたが、旅を共にする仲間になったとはいえ、王女である貴女と平民である私では、身分が違い、想いを口にすることなど到底できませんでした」
じっと私の目を見つめ、真剣に想いを告げてくれるラウルに、嘘は見られない。
「私の気持ちを知った仲間には、応援してくれる人間もいたのですが、私は、大事なものができるのもそれを失うのも怖い臆病者でもありました。この想いはずっと隠し通すつもりでした。でも――」
ラウルが何を続けようとしているのか推測し、ハッと我に返った。
これ以上、言わせるのは良くない。私が記憶を失っていると思っているからこそ言える話だろう。記憶が戻っている私が聞く話ではない。
「待って、ラウル!!」
「いいえ、お聞きください」
ラウルは私の言葉を否定すると、私の手を握る力を強めた。痛くはないけれど、想いは十分に伝わるような力強さで、それに驚き、息を呑んでしまった。
私が言葉を続けられなくなった間に、ラウルが言葉を重ねる。
「でも、魔王に貴女が襲われ、貴女の存在が私の中でどれだけ大きいものであるか、改めて実感しました。更に、呪いに駆けられた貴女には申し訳ないことですが、私はこの数日で、貴女にまっすぐに信頼と愛情を寄せてもらえることの充足感を知りました」
これ以上は聞くべきではないと思いながら、手を強く握られているから、自分の耳を自分で塞ぐこともできない。
「私は変わることにしました。記憶を取り戻した貴女にも、今の貴女と同じだけの信頼と愛情を寄せてもらえるように努力したい」
真剣な告白に、ドギマギして心臓の音がうるさい。頬が熱を持ち、耳まで赤くなっているのが自分でもわかる。
私の動揺を見取って、ラウルは、そこで悪戯な笑顔を見せた。
「記憶を失う前の貴女には嫌われていたから、ちょっと道は厳しそうだけど。それでも、口説くから。覚悟しておいて」
――目の前のラウルの甘さに陥落した。
もう全部、今更だ。記憶が戻っていないことを伝えていないのに、話を最後まで聞いてはいけないなんていうのも、そもそも話の最初に告白されているし。そもそも私も好きだったし。素直にならない理由がない。
「口説く必要はありません。気持ちは伝わりました。そして、私もずっと好きでした」
気恥ずかしさから、ラウルに背を向けたいが、手を握られているのでそれもできず、自然と潤んでしまう瞳でラウルを見上げながら、告白した。
ラウルは私を見て「可愛い……」と小さく唸り、俯いてから、少し間を空けて、顔を上げて、記憶を失う前の私には見せたことがなかった好青年らしい笑顔を向けた。
「ありがとうございます。でも、返事は記憶が戻るのを待ちま――」
「だから、記憶なら戻りました!!」
驚くラウルの手を振り払うと、今度こそ背を向けた。
ここまで言えば、ラウルは全てを察しただろう。であれば、記憶を失う前のように、「そういう大事なことは早く言え!」、「聞かなかったのはラウルでしょう」といった応酬をすることになるのだろう。色気など皆無だが、全身に響く心臓の音を鎮めることができるだろうから、それでいい。
でも、期待を裏切り、ラウルは私を後ろから優しく抱き締めた。
「おかえり、レオノーラ」
ラウルの声は、私が記憶を失っていた間のように甘やかで、ますます狼狽してしまう。
「わ、私は記憶が戻ったのよ!」
「うん。その元気そうな声を聞くに、そうみたいだな」
「だ、だったら、何で平然としているのよ!!」
「あまり騒がないようにはしていたけれど、皆、心配していたし、レオノーラの記憶が戻って喜ばないことはないよ。俺も、記憶を失う前のレオノーラが戻ってきて嬉しい。
俺に懐いているレオノーラは可愛くて、その姿を見られないのは残念だけど、それはまた見せてもらえるように努力するよ」
ラウルが私に言い聞かせる様子は、幼子に何かを教えるときみたいな落ち着いていて、態度は、子犬にじゃれつかれているみたいに余裕がある。
一方の私は気恥ずかしさから、言葉がつっけんどんになってしまう。一人で慌てふためいている私が、間抜けみたいだ。何で、記憶を失っていたときみたいに素直になれないのか。
もどかしく感じていると、ラウルが照れ臭そうに続けた。
「それに、何というか、俺に好意を持っていて、その上でこの態度だと思うとそんなに悪くないね」
「貴方、呪いに掛けられていないのに、おかしくなったの?」
好きな相手の前で、こんな毒舌を披露したくないのに、ラウルに優しくされると面映ゆさから、可愛くないことばかり口から出る。でも、ラウルは全く気にしていないようだった。
「おかしくないよ。俺のことを意識して、これまでのようにいられない姿は可愛い」
「は、はぁ? そんなこと、あるわけないでしょう!」
「いや、知らないかもしれないけれど、世間では、貴女みたいな人のことを指す言葉もあって……」
旅をしているときに、酒屋で飲み客が女性の好みを話しているのを聞いたことがあり、ラウルが何を言おうとしているのかうっかり推測できてしまった。
「これまで人気がある理由が分からなかったんだけど、今のレオノーラを見ていると、その気持ちが分かる。確かに可愛いな」
「待ちなさい」
聞いたときは変な趣向だと思ったのに、まさか自分がそれに当てはまってしまうとは……。ラウルが何を言おうとしているのか推測はできて、面と向かって、そのことを指摘されるのは恥ずかしい。
「レオノーラは知らないかな。レオノーラみたいに好きな相手にツンツンとしてたまに甘えるという性格を指す言葉があって――」
「黙りなさい」
せめて口に出させないよう止めるが、浮かれた様子のラウルは止まらない。
「『ツンデレ』というんだけど――」
「やめて、やめて。やめなさいーーー!!」
その後、私の悲鳴を聞きつけた皆がやって来て、ラウルと共に、記憶が戻ったことを報告した。
皆が喜んでくれたけれど、笑みを絶やさないラウルと顔を赤らめる私を見て、お兄様は令嬢を虜にする美しい顔を歪めて、魔王の形相になった……。そういえば、お兄様は私に対して過保護なシスコンだったっけ……。
お兄様がラウルの胸倉を掴んだ。
「貴様、レオノーラに手を出したな」
「出していませんよ。両思いになっただけ」
ラウルの一言を聞いた皆が、すぐさま私に目を向け、恥ずかしさから力いっぱい言った。
「ラウル!!! 勝手に交際報告するのはマナー違反でしてよ」
「あ、ごめん」
注意したけれど、ラウルはデレデレとだらしなく笑い、全く堪えておらず、お兄様がギリギリと音を立てて歯軋りをした。
二人の様子を見て、ガーランドとクリスティが呆れたみたいに言った。
「ラウル、浮かれているなー……」
「これまで王太子殿下に散々圧力を掛けられていたからな……」
「そ、そうでしたの……?」
お兄様とラウルのやり取りも、ラウルと私の気持ちが旅の仲間にバレバレだったのも知らなかった。鈍感な自分が恥ずかしい。
お母様がキラキラとした乙女みたいな瞳を私に向けた。
「まあ、二重にめでたいわね。もしかして、呪いが解けたのも愛の力?」
「いえ、ただ呪いが時限式だっただけですわ……」
お父様が少し誇らしげにした。
「『付き合っちゃいなよ』って私が勧めたとおりになったな」
「え……。魔王を倒した褒美か、英雄になったラウルに首輪をつけるつもりで、ラウルに私との結婚を勧めたのでは……」
「違うよー。お似合いだけど二人共遠慮しているみたいだから、結婚許可を出して、後押しするつもりだっただけ」
お父様とお母様は顔を見合わせ、微笑んだ。
百歩譲って、ラウルに甘えまくったのは仕方ないとして、ラウルの気持ちにも知らず、周囲に自分の気持ちが知られているのも気付かず、挙句の果てには、呪いまで掛けられて……。自分が恥ずかし過ぎる……。
自分のこれまでのやらかしに、穴があったら入りたい気持ちで小さくなっている私に、ノクラムがクスクスと笑いながら声を掛けてくれた。
「まあまあ、ハッピーエンドならいいんじゃない。魔王にとっては、とんだ結末になったね」