雨が降る日 1997年 11月
今日は雨が降っている。とても強く降っている。そうかと思えば急に止み、とても強い日差しが差し込む。もう降り止んだかな?と思うとまた強く降り出す。不思議なもので雲のある下でしか雨は降らない。とても近い距離しか離れていない隣街同士で雨が降っていたり、降っていなかったりする。地元の人間は(とりわけおじいちゃん世代は)雨の日は雲をじっと見て雨宿りするか、歩き出すか決める。若い人はそもそも雨に濡れることを気にしない。
11月になり初夏になった。朝夕は少し肌寒いが日中は半袖でもなんとかいける。1日の気温の変化が激しく地元民でも体調を崩しやすい。また季節の変わり目は突発的な強い雨が多く、着るものに困る。この街の人たちは登山系のハイテクな洋服を好むのもそんな理由がある。雨が降ると憂鬱になるのは世界共通であり、この国も例外ではなく、雨の多い日に自死の数が多くなる。人を憂鬱にさせ、孤独にする。
ケンヂはお金を貯めて買ったモスグリーンの防水ナイロンパーカを羽織り、真新しい白のナイキを履いて仕事場への道を歩いている。新しい衣服はどの少年の心も弾ませるのだろう、いつもより足取りが軽そうだ。朝は6時で、あたりは少しではあるが明るく、鳥は鳴き朝が来た知らせを告げている。肩にあるバッグにはジム用の運動着と、その後のお楽しみのサウナとスパで使う水着が入っている。毎日がルーティン化してきた。とても良いルーティンだった。朝は5時に起き、6時半に出社する。お昼は早ければ14時に、遅晩であれば16時半に終わる。それからジムに行って、疲れが強ければプールにも寄る。サウナとスパで筋肉の疲労をとる。たまに安い中華かケバブを食べて帰るが、ほとんどの場合は家で自炊する。寝る前に英語の勉強をする。明日、次の日に使いたい英語表現を調べ、予習しておくのだ。仕事場は給料は安いがその代わり私語が比較的ゆるされているので、英語の実践には問題ない。話し相手もネイティブスピーカーや非日本人も多いので事欠かない。英語の勉強が終わればそのあとは読書やラジオを聴きながら寝るだけだ。とても充実している。たまにフラットメイトのナオミさんとお話ししたりするが、基本的には一人でいる。仕事場の同僚たちから遊びや飲み会などのお誘いもあったりするが、ほぼ断っている。一度だけ出席したが、居心地が悪く、つまらなかった。僕ははっきり言って勉強していないワーホリの人は軽蔑していた。なるべく態度や表情に出さないようには努めていたが、若さのせいもあって完璧にできていたかどうかはわからない。いくら日本で10年働いて疲れて、ホリデーのためのワーホリであったとしても、僕には尊敬できなかったし、そんな人たちに時間を取られるのは本当に嫌だった。僕のそんな態度を見てケンさんは笑っていたように見える。
『少年は楽しいの?』
ある日ナオミさんがからかうように聞いてきた。もちろん冗談だが、関西人特有の人(他府県民)を馬鹿にしたような聞き方なので、たまに癪に障る。
『ハゲ親父の御機嫌取りよりは100倍楽しいですよ』
僕も攻撃的に返す。ハゲ親父とはナオミさんが務める日本料理店のオーナーのことだ。ワーホリ初期世代特有の武勇伝の多い人だ。店の名前が太陽という名前で、オーナーの禿頭が店名の由来だと都市伝説になっていた。
『仕事をしていない時間であのハゲ親父の名前を出さないの!』
ナオミさんも負けじと強く文句を言ってくる。ナオミさんはもう少しこの国に住みたいらしく、ハゲ親父の店から労働ビザを取得できるように頼んでいるみたいだった。もう少し英語の勉強をしておけば良かった。とても後悔している。せっかく英語圏に住んでいるのになにも得ていない。ナオミさんはいつかそう言っていた。とても良い選択ですね。僕は心からナオミさんにそう言った。
『2年のワークビザが取れたら1年はハゲの店で働きながら英語の勉強をきっちりする。そのあとは地方に出てパティシエとしてローカルの店でチャレンジしてみたい』
ナオミさんははっきりとそう言った。以前はあまり覇気をだすタイプではなく、もっと生活をエンジョイしたいと言っていたのに、随分と変わった。
『彼氏でもできたんですか?以前とは別人みたいですね』
本当に別人にしか見えなかったので、素直に聞いてみた。
『クソガキが生意気なこと言わないの!彼氏は絶賛募集中ですが、英語ネイティブで日本人以外を募集中です。日本の男はダメよ。本当にダメ。根が腐っている。わたしは日本を離れて本当に良かったと思っているわ。日本の男って全く人気ないのよね、この国では。今のわたしなら理由が理解できる気がする。』
『日本の男の僕の前でそんなこと言わないでください。』
笑いながらいうと
『あんたは別よ、死んだ魚の目をしているワーホリとは付き合わないし、毎日勉強しているのも知っている。ざ・ん・ね・んだけど私よりも少しだけ英語ができてたまに通訳してくれるので助かっているわ。わたしがあと10歳若ければ付き合ってあげてもいい。結婚は無理だけどね』
憎たらしく顔を歪めながら嫌味っぽく言ってくるので
『10ドル払ってくれるのなら抱かれてもいいですよ。まだ20歳ですからね。市場価値も高いはずです。』
ナオミさんは思いっきり肩パンを見舞ってくると、勉強すると言って部屋に帰って行った。おばさんの相手は大変だ。痛い肩をさすった。始末に追えない、そう思いながら僕も勉強のために部屋に帰った。今日職場で上手に言えなかった表現が二つある。これを攻略してから寝よう。
外は雨が降っていた。もう5日目の雨だ。洗濯物も乾かない。スーパーに行くのも大変だ。何をするにもやる気が起きてこない。こんな日はみんなどうしているんだろう。ふとカエルの親子のことを思い浮かべた。カエルの子供は親に雨が降ることを責めるのだろうか?きっと責めるのだろう、どうしてくれるんだ?と。
カエルでも親になったら大変なんだなと思った。
強い雨が新緑の葉を強く打っている音が聞こえる。雨はお互いにぶつかり、その都度つぶを大きくし、さらに強く地面を打つ。大きな音がする。雨の音は僕に安らぎを与える。カエルの親子のことを考えさせる。もっと一人になれ、もっと思考を高めろと問いているのだろうか。
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