1997年 1月末 両親への挨拶
『いきなりで悪いんだけど、彼女を紹介したいから夕食を一緒にできる?』
今日でもいいし、明日の夜でもいいんだけどと、僕はホテルの部屋から家に電話した。パラグライダーが終わって、興奮も冷めやらぬままだった。リカさんの気持ちが変わらない間に予定を組んでしまおうという、悪巧みも働いている。
リカさんがそばで聞いている。顔が赤くなっている。お化粧をしなおさなきゃ、シャワーも浴びなきゃと狼狽えている。母が電話の向こうで驚きを隠せずにいる。息子に彼女がいることさえも知らなかっただろう、それが家に連れてくるというのだ、びっくりしないわけがない。
『お口に合うかしら?』
母は少し悩んでから水炊きにするわと答えてくれた。鍋料理なら材料を良いのを揃えれば、あとはポン酢なり、ゴマだれなりをいくつか用意しとけば良いはずだと言った。
『で、どこの人なの?』
と、母が聞いてきた。地域によって味の好みが違うので、気にしているみたいだ。
『東京。』
『とうきょう?!!』
京都から東に行ったことのない、もちろん東京なんて行ったことのない息子が東京の彼女を連れてくると聞いて、母はしばらく無言になった。
『で、今夜がいい?明日の夜がいい?彼女は明後日には帰るんだよね。』
どこに?とは母は聞いてこなかったが、今夜作りますと言ってくれた。嬉しかった。
『決戦は今夜ですね。実家に来てもらえますか?』
僕は受話器を置いて、リカさんに向き合い、聞いてみた。
『恥ずかしい、どうしよう?』
リカさんが困った困ったと言いながら、部屋をあっちへ行ったり、こっちへ行ったりしている。それを見ながら僕は笑った。リカさんが動転しているのなんて初めて見た。とても愛おしく感じる。
『リカさんは完璧だと思っていました。あたふたする時もあるんですね。』
僕が意地悪に聞くと、右の鉄拳が飛んできた。
大きくない山の麓に1000年から続く神社がある。神様は辺りの集落を守ってくださっている。僕の実家はその神社の隣にある。大工だった祖父が建てたもので、巨人一族の末裔である父のために特別に拵えたものだ。二階建てで高い天井、鴨居、キッチンも高く作られている。
そんな実家の前でリカさんと手を繋ぎ立っている。とても嬉しい気持ちでリカさんを見ていると、リカさんも微笑んでくれた。
『ここがケンヂの家かぁ。』
リカさんが見上げる。僕は繋いでいた手を引っ張り、玄関を開けた。
『ようこそ、いらっしゃい。』
父と母が口々にそう言い、玄関まで迎えに出た。
『初めまして、橘リカです。』
リカさんのあまりの綺麗さに父は絶句し、母は腰を抜かして廊下に座り込んだ。両親ともしばらくの間声が出てこなかった。父の瞳孔は開き、口も半開きのままであった。
『ちょ、ちょっと!見惚れていないで、中に案内してね。』
僕は笑って母を起こすのを手伝った。父は気を取り直して台所までリカさんを案内したが、母は仏壇の間に直行し、ご先祖様に手を合わせ、短いお経を唱え始めた。
「全国でも有数の鳥の消費量を誇るのよ、海産物も有名だけど、庶民は鳥が好きなのよ。」
母は寄せ鍋を用意してくれた。鳥と魚と野菜、豆腐にうどん。いつも食べている物を食べてもらいたい、その方が人となりを見てもらえると、母らしい選択だった。ただ、今まで見たことのないサイズの蟹がダブルピースをしていたのは彼女なりの見栄なのか、おもてなしなのかは分からなかった。
『いただきます。』
リカさんはそう言って、お鍋に箸を付けてくれた。味が心配な両親が固唾を飲んで見守る。美味しいと彼女が言った時、ため息と共に二人とも食べ始めた。僕は一人、可笑しくてリカさんと両親を交互に見ていた。
『なんでまあ、ウチなんかの息子が良かったんだか・・・。』
母が自虐的にへりくだって、どうか息子をよろしくお願いしますと言ったので、僕も合わせてお願いしますと言うと、リカさんが笑ってくれた。父はいつも以上に無口だった。お人形さんみたいに綺麗なリカさんが本当はゼンマイで動いているんじゃないかと疑っているようにも見えた。
『ケンヂはもうすぐ海外に行っちゃうけど、それでもいいの?』
と母がリカさんに聞いた。ごもっともな質問で、僕も気持ちを聞いてみたかった。
『問題ありません。待ちます。私にはケンヂくんが必要なんです。』
と、リカさんははっきりと、毅然とした態度で答えた。それを聞いた母は箸を置き、仏間に戻って手を合わせた。父もそれに習い、正座してお仏壇の前で頭を下げた。
『面白いご両親ね。』
帰りの車の中でリカさんが笑いながらこちらを見ている。僕も頷いた。
『両親にあんな一面があるなんて思いもしませんでした。』
僕はびっくりしましたと伝えた。
『リカさんが綺麗すぎるんです。両親から見るとテレビの人にしか見えないかも。』
僕の方を見ながら微笑んでくれた。
『素敵なご両親ね。私の素性も家族関係もいっさい聞かなかった。』
きっとあなたのことを信用しているのね、と続けた。僕も頷いた。
『多分聞かないと思います、これからも。』
ただ、田舎の人なので、自分たちの情報はリカさんに伝えたがると思います。その辺は悪気がある訳じゃありません。気にしないでねと彼女の目を見た。
『問題ないわ。むしろ当たり前よ。』
リカさんはシフトレバーに置いた僕の手の上に自分の手を置いてくれた。
海からの潮風を感じられる道を選んでホテルまで帰る。冷たく引き締まった風に当たりたくて少しだけ窓を開ける。
『お祝いみたいなことがしたいね。』
ホテルから歩いて行けるところで乾杯しましょうと、僕は返事をする
『空も飛んだし、両親にも挨拶できたし。』
『二十歳になったしね。』
そうですねと僕は答えた。
僕はいつも以上にゆっくりと慎重に運転する。大事な人を乗せている。僕の大好きな人だ。彼女もそれを理解してくれている。ありがとうと言ってくれる。僕たちは上手くいっている。これからも大丈夫だ。ずっと。
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作者
遠藤信彦




