1997年 仮題 1月末 空を飛ぶ
僕の腕の中で小さくなって寝ているリカさんを起こすまいと、そっと腕を抜く。短くなった髪を撫で、長かった昔と比べる。どちらもかわいい。不思議と短い方が大人に見えた。
時刻は朝の6時過ぎ、辺りはまだ暗く、気温も4度まで下がっていた。彼女の肩まで布団を掛け直し、シャワーを浴びる。昨日はリカさんが大阪から僕の地元に来てくれた、素敵な1日だった。今日の予定は昨日を超える1日にしたい。僕の地元の観光名所を訪れたり、グルメに絞って食べ歩きをすることも考えたのだが、どうしても特別な1日にしたかったので、サプライズを用意していた。気に入ってくれたらいいのになと体を洗いながら考えた。
ベッドの横で静かにストレッチをしながらリカさんが起きるのを待った。30分も経っただろうか、リカさんがモゾモゾし出した。僕がいた方向に腕を伸ばし、探している。いないと気づいたのだろう、いきなりガバッと起きて辺りを見回した。
『おはよう。』
僕は満面の笑顔で挨拶をした。
『ずるい、私が起きるまで腕まくらするって言ったじゃん。』
確かにそういう約束だった。すっかり忘れていた。
『ごめんね。』
寒いでしょう?とリカさんの後ろに陣取り、抱きしめた。リカさんの匂いがする。
『暖かいね。』
『先にシャワーを浴びました。』
『一緒に浴びたかった。』
残念ですね、夜のお楽しみに取っておきましょうと言ったら、彼女は僕の手を取り、僕をシャワー室まで連れて行った。問答無用らしい。
ホテルのバイキング式の朝食を食べに食堂まで出向いた。彼女はヨーグルトにいろいろな種類のフルーツを乗せ、オレンジジュースをグラスに取り、席に着いた。僕はスクランブルエッグとトーストとコーヒーを選んだ。
『今日はサプライズであるところに行きます。』
朝食を食べながら、僕は勿体ぶって具体的には言わない。
『なになに?どこに行くの?』
とても嬉しそうに返してくれる。リカさんといると本当に楽しい。
『それは後のお楽しみです、予定は11時です、10時にここを出ます。まだもう少しゆっくりできますね。』
『よっしゃ!それまでは怠惰を極める!!』
可愛い顔には似合わない言葉遣いで僕を笑わせる。本当は毎日のお仕事で疲れているだろうに、笑顔を絶やさないリカさんに感謝していると伝えた。
『ちょー期待しているからね。』
ハードルを上げ過ぎた自分を呪った。
リカさんを連れてきたのはパラグライダーのクラブだった。以前僕がお邪魔した、素敵な夫婦が所属しているクラブだ。月に一回、希望者に上級者と同伴で飛行する催しをやっているので、それに申し込んだのだ。
飛行時間は1分未満、費用は五千円ほどだった。一生に一度あるか無いかの体験を得られるし、なによりリカさんにあの夫婦を合わせたかった。きっと気に入ってくれると思った。
『じゃあ、ケンヂ君は僕と、リカさんは僕の奥さんとタンデムで。』
事前の打ち合わせ通りにペアを組んでもらい、丘の上まで出た。途中で、
『めちゃくちゃ美人さんの彼女だね?僕の奥さんと同じくらい美人だ。』
笑いながら冗談を言ってくる。僕は頷いて、お互い幸せもんですねと返した。
『奥さんが美人だということ以上の幸せを僕は知らない。』
彼が真顔で答えたので、今までの会話に冗談は入っていないのだと気づいた。
最初に飛んだのは僕だった。
『安全確認ヨシ!じゃあ行くぞ!駆けろ!』
風を受けながら坂を早足で駆けて降りる。伸び切ったワイヤーに体を後方に引っ張られると同時に体が浮いた。すぐに僕の体は風に乗り、文字通り飛んだ。
『飛んだ!!』
僕は叫んだ。僕は飛んでいる。下に見える人たちが点に見える。僕は見回した。大叡山を探した。あの日、大叡山の中腹で見たハンググライダーや、パラグライダーの姿を見たことによって、空を飛ぶことに憧れたのだ。
『僕は空を飛びたいです。』
そう何度も繰り返し、心の中で唱えた。それが今現実になっている。もう一度大叡山の方角を見た。あの日の僕が見えるかもしれない。
『見てるか?夢をひとつ叶えたぞ!きっと海外にも行ける!きっとそれは成功する!』
今度は胸の中で叫び、誓った。ぜったいにワーホリに行って、それを成功させると。
やがてゆっくりと左に旋回しながら僕たちは着地した。今回の飛行は40秒程度かな?とパートナーに言われた。僕に取っては数分にも感じられた。着地してからも胸がドキドキしている。
『とても素晴らしい体験でした。今日、ここに来れて本当に良かったです。』
僕がお礼を言うと、
『どういたしまして、それよりも彼女が飛ぶよ。しっかり見てあげてね。』
僕は頷き、丘を見上げた。リカさんが駆けている。よく見えないが嬉しそうだ。やがて僕の時と同じように、風を受け止め飛び上がる。どうやら僕の時以上に良い風であったみたいで、右に左に旋回飛行している。1分近い飛行の後に着地した。
『どうだった?』
僕の問いにサイコーとリカさんは叫んだ。
『こんなにも気持ちいいなんて!』
リカさんも僕以上に興奮している。
『次は夏にいらっしゃい、また違った気持ちよさがあるから。』
奥さんが次の機会までにもっと長く飛べれるように訓練しとくからと言ってくれた。
僕たちは興奮の冷めやらぬまま、ご夫婦やクラブの皆さんにお礼を言って帰った。
『僕の夢がひとつ叶った。ずっと空を飛びたかった。リカさん、僕のわがままに付き合ってくれてありがとう。』
リカさんが微笑み、頷いて続けた。
『次は私の番ね。決めた、ご両親に挨拶する。今日でもいいし、明日でもいい。いつでもいい、楽しみ!』
僕も楽しみです。帰路の車中で二人は興奮しっぱなしだった。
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作者
遠藤信彦




