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橋本ケンヂは飛ぶ  作者: 遠藤信彦
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戦慄

タクミが窓の向こう側からこっちを見ている。


ニッコリと笑っている。綺麗な並びの良い、白い歯を見せている。とても落ち着いた目をしていた。僕の全てを見透かしているような目をしていた。そして彼は笑っているだけで動こうとしなかった。


僕たちは窓越しに見つめあっていた。


僕の背中の悪寒は止まらない。冷たい汗が背中を伝って落ちた。右手は受話器を持ったまま硬直している。このまま警察に緊急連絡をとろうと何度も思ったが、体が動かない。蛇に睨まれたカエルのように僕には為す術がなかった。

目の前に犯罪を犯した人物がいる。警察から逃げている人物がいる。過去に僕を襲った人物だ。そう考えただけで恐怖で震えた。

『落ち着け、冷静になれ。』

何度か口に出して自分に言い聞かせる。でもダメだった。心臓がバクバクしてきた。ゆっくりと受話器から右手を離した。

タクミが頷いた。受話器を置いたのが嬉しかったのだろう。彼は一歩近づいた。それを見て僕は一歩下がった。後ろにあった椅子にぶつかりヨロめいた。窓越しのタクミは何かを悟ったような顔をしている。よく見ると右手に白いビニール袋を下げていた。このフラットの近くのスーパーのレジ袋だった。まさか食事を一緒にしようとか、今晩泊めてくれとか頼まれるはずはないと思い、そのレジ袋を注視する。もしあの袋の中身が武器だったらと思うと足がすくんできた。

『どうしよう?どうすればいい?』

大きめの声に出して自分を奮い立たせようとした。頭を働かせようとした。考える。考えろ。今このフラットには自分しかいない。他は皆、仕事か学校に出た。そして当分帰らないだろう。隣の棟は?考えてみたがわからない。誰もいない可能性が高い。もしタクミがガラス窓をぶち破り入ってきたら、助けを呼びに行く暇はない。戦うしかないのだ。幸いこのリビングはキッチンが併設されている。武器になるものは包丁とフライパンか?モップやホウキの方が牽制になるだろうか?

タクミがもう一歩前に近づいてきた。僕も一歩下がる。どうする?2階の部屋に逃げて鍵を掛けてもいいが、袋のネズミ状態になる。アイツの力ならドアの鍵をぶち壊すことができるかもしれない、このフラットのドアや壁の薄さは重々承知している。防御力はあまりない。僕はホウキを選択した。もともとある身長差に加えて、ホウキを加えたリーチの長さが有利になるだろう。あとは退路だ。どうする?前に出て戦い、隙を見て走って逃げる。それしかないか?


タクミがビニール袋を左手に持ち替え、右手を中に突っ込んだ。中から包丁を取り出し、そのパッケージを外している。ニヤリと笑ってこちらを見ている。一歩進んできた。覚悟のある目をしている。同封されていた軍手を嵌め、包丁を持ち直し、肩を回して準備運動をしている。

『ダメだ、やるしかないのか。』

絶望と諦めが僕を落ち着かせた。僕はホウキを捨てた。鉄製のフライパンに持ち直した。 頼りない、軽い木製のホウキより、重量のあるフライパンの方が、相手の包丁を叩き落とせるかもしれないし、攻撃力があるだろう。

準備運動が終わったタクミが両手を広げて大きく息を吸い込んだ。ゆっくりと吐いてから、進んできた。大きな窓を開けようとする。幸い鍵はかかっていたが、タクミは躊躇なく窓ガラスを割る。外から腕を回し、鍵を外そうとする。その時、


『フリーズ!』


警官が来た。大きく、屈強な体をした制服警官だった。右手にトンファーを持ち、ジリジリとタクミに近づいてくる。包丁を下ろせとタクミに命令した。僕は安堵の気持ちで椅子に崩れ落ちた。助かったと思った。

タクミが包丁を地面に落とし、僕を見て笑った。警官がタクミの手首に手錠をかけようと近づいた瞬間、タクミはジーンズの後ろにシャツで隠しておいたアイスピックを掴み、警官に突き刺した。突然のことに動けなくなった警官の腕を掴み、一本背負いで窓に向けてぶん投げた。

大きな音と共に窓枠を壊しながら警官が投げ込まれた。辺りにガラス片が散乱した。警官は肺を刺され、痙攣を起こしている。サングラスが外れたその目は一点を見つめて震えていた。

『こんにちわ、ケンヂくん。』

警官からアイスピックを抜き取り、僕と相対した。僕は椅子を彼との間に置き、フライパンを持ち、構えた。

『馬鹿な警官だね、俺のこと何も分かってない。柔道二段だぜ?俺。』

この人はダメだ。脳がバグっている。僕は死を覚悟した。

『俺はもう終わりだ。終身刑だ。島国のこの国じゃどこにも逃げようがない。』

少しだけ悲しそうな目をした。

『親に捨てられ、いじめられて育ち、友達もできなかったよ。』

アイスピックを握った右手をゆっくりと上げ、僕に向けた。

『恋人にも捨てられた。孤児だったからだ。』

一歩近づく。

『教えてくれよ。俺はなんのために生まれてきたんだ?』

僕は何も答えられなかった。職場は同じだったが、僕はこの人のことを何も知らない。ただただ顔を横に振ることしかできなかった。

『俺はもう既に二人始末している。この警官が逝ったら3人目だ。最低の人生だ。だからお前をヤっても別にどうということもない。何も変わらないよ。』

突然の殺人の告白に体が再び凍った。既に複数人を手に染めている。目の前にいるのは殺人鬼だった。


怖い。怖い。怖い。


体が極度に緊張し始めた。呼吸も浅くなる。どうする?どうすればいい?


その時、刺されて動けなかった警官が力を振り絞り、警報アラームのスイッチを鳴らした。警察本部に自身の危機を知らせるものだ。

『ヴィイイイーーーーーーーーーーー!』

耳をつん裂くアラームが合図だった。僕は椅子を前に蹴り上げた。タクミは間合いを失くし、前に出れない。フライパンを思い切りアイスピックを持っているタクミの右手に振り下ろした。

『バチィイン!』

大きなアラームが響き渡るなかでもちゃんと聞き取れるほどの大きな音がした。幸いにも命中したのだ。僕は反す刀でフライパンを相手の顎に打ちつけた。顔をひん曲げて相手は崩れる。


あとは夢中だった。僕は頭突きをなんども打ち込み、嫌がる相手がうつ伏せになり、亀の状態になったところで裸締めで首を絞めた。無我夢中で絞めた。


絞め続けているとタクミが急に脱力して動かなくなった。同時に隣人が来てくれた。彼はタクミの両手、両足をテープで縛り、動けないようにした。


『助かった。』


助かったと何度も呟いた。程なくしてパトカーと救急車のサイレンが聞こえてきた。









いつも読んで頂き、ありがとうございます

よろしければ感想、アドバイスなどして頂けたら嬉しいです

作者

遠藤信彦

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