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橋本ケンヂは飛ぶ  作者: 遠藤信彦
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1996年 3月 大阪① 

 高校を卒業してフリーターとして働いていた。警備員、ガソリンスタンド、コンビニなどをやった。順調に貯金もできていたし、そのお金でバイクも買った。働くこととバイクに乗ることによって僕の体の病気、過敏性大腸炎はその悪魔性を治めることができた。僕の体はほぼ元に戻りつつあった。仕事で受けるストレスでも下痢を下すことは無くなった。ただ、たまにばったり同級生に会ったりすると、当時の悪夢が蘇ってきて体調を悪くすることがあった。完璧ではなかったのだろう。そんな時はバイクに乗り、遠くまで当てもなく走った。途中に寄るコンビニでコーヒーを買い、気が沈むのをまった。そしてほとんどの場合、僕の体も心も落ち着きを取り戻した。

 就職や進学のプレッシャーがあった。焦りがあった。僕は何がしたいのだろう?そう、毎日のように自分に問いかけていた。今は十分楽しい毎日を送れているが、こんなものは一過性のもので、すぐに現実を知らされるようになるのは分かっていた。同級生たち進学組は勉強し、就職組は仕事技術を磨いていた。

『僕は何がしたいのだろう』

そんな時ふと思い出した。高校の時、僕がまだ健康であった時はこんな目標というか、願いがあった。将来は大学に進み、一年休学してオーストラリアに行くということだった。

『海外に行くのもありかもしれない』

本格的にお金を貯めて海外に挑戦してみよう、そう思った。高校生の時のささやかな夢である海外生活を叶えてみよう。でもその前に、自分のこの悪魔の病気を完全に治す必要があるし、もっとタフにならなければならない。社会経験がもっと必要だと。体力も必要だ。もちろん英語力も。

『まずは一旦親元を離れてみるか』

特に最近は父親の方が就職をするように迫ってくることが多く、僕もいつまでもぷらぷらする訳にもいかないのは承知していたので、なにかしなきゃと焦っていたのだった。当時働いていたコンビニの求人誌に良く乗っていた自動車の組み立て期間工の広告が気になった。場所は大阪だ。遠いが寮生活もできるらしい。19歳の自分が今から高給を取れる仕事なんて他にはなかった。嫌なら途中で辞めればいい。とりあえず3ヶ月契約からできるらしいから、それなら大丈夫かも。

『もしもし・・・・・・』

思い切って電話をしてみた。相手も急いでいるらしく、いつでも来てくれて良いという返事だった。今の二つのバイトを辞めるのに1ヶ月かかるから、6週間後に行く約束をした。自分でも不思議だったが、とても早い行動だった。たった一本の電話で人生が変わるというのは大袈裟だが、少なくとも生活は変えることができる。良くやった自分、でかした自分と一人悦に入って喜んだ。



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