EP59 仮題 執念
ケンヂは窓の外を見ていた。
病院から退院の許可が出たケンヂはフラットに戻り、狭い部屋から窓の外を見ていた。とりわけ外の景色に興味があるわけじゃない。そこには何もない。緑の葉を力強く付けた木々が夏の陽を我先に蓄えようと、太陽に向けて覆い茂っているだけだ。葉っぱはケンヂの怪我も境遇にも興味がなさそうに、ただただ己の力強さを誇示しているように見える。
『少しくらい構ってくれてもいいのに。』
小さくため息を付き、毒づいてみたが返事はなかった。ケンヂは葉っぱとの会話を諦め、ベッドに腰をかけた。改めて部屋を見回してみる。ベッドと小さなデスクとタンス、それだけしかない。何もない。何もないからこそ勉強に集中できた。リカさんの部屋を思い出した。あの部屋も何もなかった。今思うと、リカさんは何をするにしても集中しているように見えた。リカさんが部屋に物を置きたがらなかったのは、こういうことだったのかなと思う。
ワーホリに来てから6ヶ月が経っていた。英会話学校には通わなかったが、その分、部屋で勉強した。A4サイズのノートの数は12冊になっていた。空になったボールペンは13本だ。働きながらの勉強で、頑張った方だと自分でも思う。英語のテストで高得点を狙うような勉強はしてこなかったが、その分現実的で、その現場に役立つ英語、英会話を中心に勉強してきた。今の仕事場に限定すれば、あまり英語に不自由はしなくなった。
『今の状態を続けるべきか、新しいことに挑戦するべきか。』
ベッドに横たわって、天井を見上げながら考えている。職場のオーナーのケビンが連絡をくれたからだ。
"I'm not sure when but I think we can reopen again soon, I really need you back Kenji."
(いつかは分からないけれどお店を再開できるかもしれない、戻ってきてくれないか?)
ケビンは電話口で饒舌だった。以前の憂鬱な雰囲気は無く、言葉に生気が戻っていた。お店に起こった出来事が人為的な事件であればお店に過失はあまりないということになる。もちろん使用者責任はあるが、そんなの防ぎきれないとケビンは言う。"
"I am just wondering if it's happened, because of me."
(悪い事が起きた原因は僕かもしれない。)
僕は申し訳けないとケビンに謝罪した。事件の真相は今のところ全て闇の中だが、サトミの供述が事実ならば、お店には責任はない。むしろ被害者である。そしてタクミ、ショウタ、サトミがグルになって悪事を働いたのは、元はと言えば僕とタクミの喧嘩が原因だと思う。その証拠に僕は襲われた、とケビンに言った。
"People like that are always looking for someone to sacrifices. It doesn't need to be you Kenji."
(オマエじゃなくても起きていたさ。たまたまオマエだっただけさ。)
オマエは運が悪かったんだよ、可哀想になとケビンが言ってくれた。
ケビンの優しさが身に沁みた。とりあえず返事は少し待ってくれと答えた。
僕は天井を見ている。タクミやショウタ、サトミのことを考えている。事件のことは新聞にもテレビのニュースにも載った。ケビンも詳細に教えてくれた。あの人たちのワーホリとはなんだったんだろうと考える。異国の地で事件を起こし、警察に追われている。まるで人生を台無しにするためにワーホリに来たようなもんだ。
タクミもショウタもサトミも僕よりずっと年上で、日本で学歴も職歴もあったはずだ。一般的な日本人の価値観からいえば、僕は底辺で彼らは立派な社会人のはずだ。彼らが起こした事件は、本来なら僕が起こしたかもしれないと考えるのが一般的だろう。だが現実は逆だった。
もしかして僕は自分が底辺だと自覚があったからこそ、勉強や運動を頑張れたのかもしれない。リカさんや仕事の現場の人々は僕を受け入れてくれたが、僕を底辺と見る目はやはりあった。不快だったが、現実だと受け入れていた。進学や就職をしなかった自分が悪かったからだ。そう思うとやはり中途半端では日本に帰れないなと思った。帰国しても同じことの繰り返しになるなと自覚した。
たくさんの本を読んで若いうちに旅をした方が良いと学んだ。他方で、旅をする時間があるなら勉強をした方が良いと思うことも多い。ようはバランスなのだと思うが、僕には時間が限られている。
終わりのない禅問答を心の中で繰り返していると電話が鳴った。階下に降りていき、リビングで電話に出る。相手は警察だった。聞き取りが難しい発音で、何度も繰り返し聞き返した。なんとか理解できたのは、タクミが逃げたということ、まだ見つかっていないということだった。警察官を派遣するからそれまで気をつけておけというようなことを言われた。
『Be careful って言われてもな・・・・。』
背中がゾッとした。受話器を下ろす手が震えている。思わず辺りを見回す。
タクミが窓の向こうからこっちを見ている。笑っていた。
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作者
遠藤信彦




