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橋本ケンヂは飛ぶ  作者: 遠藤信彦
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背中に爪を立てる


使い古された陳腐な表現が頭を過ぎる。

彼女は僕の脇下から背中に向けて左手を回し、僕の肩甲骨下部の肉を全て剥ぎ取ろうとする。彼女が全力で受け止めようとしている。


僕の左手は彼女の右手と繋がっている。指を交互に交錯し、まるで貝殻のように対をなし、隙間なく閉じている。誰も割って入ることはできない。僕の右手は彼女の髪や顔を撫でることに専念している。時折見せる苦痛の表情。怒りも入っているのかもしれない。眉間に皺がよる。大丈夫、大丈夫と言い聞かせる。

僕は決して急いでいない。それはまるで凪のようだ。ゆっくりと押し、そしてゆっくりと押し出される。ほんの小さく波をたて、ほんの少しずつ消えて無くなっていく。

与えられる苦痛と同時に何度も押し出そうとする。何度も。

僕は焦らない。固く瞑った目尻に唇を当てる。大粒の汗が出た耳の裏を指で掻き取る。リカさんがどんなに素敵なのかを独り言のように囁く。時折僕の語りかけに頷いてくれる。苦痛と戦いながらも僕を忘れていない。とても愛おしい。彼女は何度も涙をこぼす。


『こんなのは大事なことじゃない。』

泣かないでねと伝える。離れようとする僕。リカさんはダメだと言う。

『とても嬉しい。最高の気分なのよ。私はあなたを受け入れようとしている。』


僕はもう一度波になる。


僕はもう一度波になって彼女を包み込む。

彼女は受け入れようとする。

彼女は跳ね返そうとする。

僕は波になる。凪のようになだらかだ。

やがて波は小さな亀裂を見つける。


小さな波の力の作用はやはり弱い。小さな亀裂に対してやはり小さく侵食する。


でもそれは大きな一歩であり、力強い前進だった。


僕は波になる。ゆっくりとなだらかな小さな凪だ。凪はいずれ時化と化すかもしれない。でもそれは今じゃない。



リカさんが泣き疲れた表情を見せた。とても悪いことをしている気分にもなった。彼女の体が弛緩していく、もう眠たいのだろう、ごめんねと言った時に僕の全てを受け止めた。突然の出来事であり、ふたりともびっくりした顔で見つめ合った。彼女は少しだけ笑ってまた泣き始めた。さっきとは違う涙だった。

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