捜索
1998年1月11日、午後14時、ミノル、ショウタ、タクミの部屋に一斉捜査が行われた。共謀、逃亡を防ぐための同時踏み込みであった。
ミノル、数日前から消息不明。部屋に争った形跡なし。各種麻薬及びアルコール有り。部屋の遺留品により、長期旅行などの可能性は低い。
ショウタ、同じく数日前から消息不明。おそらくミノルと同日。部屋に争った形跡なし。薬物は見つからなかったが、常用していた可能性あり。犬が反応。レント(家賃)未払い2日目、本人帰宅せず。部屋に旅行用トランク及び、大きめのバックパック有り。こちらも長期旅行の可能性低し。
タクミ、消息不明。大家との契約満了のため退出。掃除済み。麻薬犬が反応するも実物なし。
タクミは空港近くのホテルにいた。飛行機搭乗の2日前から滞在している。思いのほか顔の傷の癒えが早かったからだ。自分の家にいるのが恐怖だった。
一日中テレビを付け、ニュースをチェックし、新聞を広げ、何か載っていないか調べる。心臓が高鳴っている。俺は無事日本の土を踏めるのだろうか?
こんなところで捕まってたまるか。タクミはワーホリを選択した自分を呪った。日本で友人、本当の仲間を作ることのできなかった自分が選択したのは海外だった。海外でなら、そういった希望があった。でもそれは叶わなかった。みんな、ワーホリは仮想現実に生きている。日本で疲れ切った人間が束の間の息抜きのために、思い出作りのために、現実逃避のために選択する夢物語、または桃源郷だった。たとえ友人ができたとしてもそれはあくまでも仮のものだった。日本のそれ以上の薄っぺらい関係であった。
タクミは泣いた。異国の地で慟哭した。日本では親に捨てられ、友人を作ることもできず、恋人も離れていった。藁をも掴む気持ちで出てきた海外はクソ以下だった。お遊戯会のような英会話学校。その場だけの友達づくり、性欲の捌け口をさがす擬似恋愛。最低時給の最低の仕事。
『あの野郎、あの野郎だけは許せねえ。』
タクミは握りしめていたコーラの缶を握りつぶした。
タクミは憎悪の気持ちを込めてケンヂを罵った。アイツさえ、アイツにさえ出会わなければ、、、。ワーホリをテキトーに終わらせる事ができたのに。テキトーに英会話学校に行って、テキトーに働いて、テキトーに旅行して、テキトーに恋愛して、テキトーに別れて帰る。それで良かったんだ。それで十分だったんだ。それなのに、それなのに、チクショウ。あのチクショウがキラキラした目をしやがって、、、。
タクミは一瞬思った。もしかしたら俺はケンヂが羨ましかったのかもしれない。夢中になれるものがあるアイツが。タクミは首を振り、考えを打ち消した。そんな事あってたまるか。日本で就職もしたこともない、プータロー同然のあんなゴミ野郎を羨ましいだと?ある訳ない。絶対にあるはずがないのだ。タクミは潰した缶をゴミ箱に入れ、ベッドに座り直した。
それよりも逃げることを考えないと。
海外で日本邦人が行方不明になるなんていうのは、実は珍しい話ではない。実際にタクミがワーホリの間に1人、女性が行方不明になっている。過去10年でいったらあと3人は少なくともいなくなっている。この国だけでそれだけの人数が消息不明だ。他の国も合わせればもっともっと多い人数になるし、日本人以外の行方不明者の数を足したら結構な数になる。そして、それらの数はあくまでも確認が取れた人数の話だ。タクミのように天涯孤独な人間がミッシング(行方不明)になってもだれも騒ぎはしないだろう。警察力の極端に低いこの国では、犯罪者は国外に出てしまえばそれ以上、追跡されることはない。やったもん勝ちなのだ。そのことはタクミだけではない、在留邦人には周知の事実であった。
タクミは何も起きないように、警察が動かないようにと祈った。ミノルとショウタがいる場所を警察が見つけることはほぼないはずだ。あの場所はミノルが苦労して見つけた場所で、ミノルはもちろん、誰とも縁もゆかりもない場所だ。人が滅多に現れない倉庫だ。絶対に見つかるはずがない。合わせた両手に力が入る。
夜の10時、タクミは空港に着いた。空港にはタクシーを使った。なるべく人に合わない方が良い。空港送迎バスなどは選択肢から外した。特に目立った格好はやめた方が良いと思い、手持ちの服でなるべく目立たない物を着用した。
目を伏せ、カウンターの列に並ぶ。手に汗が出る。悟られるな。大丈夫だ。落ち着け。鼻で息を吸い、口からゆっくりと出す。大丈夫だ。大丈夫だ。
『ハロー、サー。』
受付け係が笑顔でこっちを見ている。ハローと答え、パスポートを出す。なるべく目を合わせないようにする。英語が話せない、理解できない風を装って、その場をやり過ごす。トランクに長いステッカーを貼り付け、ベルトコンベアーに乗せる。
『センキュー』
と言われた同時に振り返り、急いで出国ゲートに行こうとした瞬間、3人の男に取り囲まれた。
タクミの脳みそに電流が走った。幼少期より磨かれた危険に対するセンサーが反応したからだ。全力で走った。後ろから誰かの怒号が聞こえたが、走った。逃げる。走る。後ろを振り返ることなく走る。
外はもうすぐ夜の11時。外の闇に紛れてしまえば何とかなるはずだ。タクミはガムシャラに走る。走りながら着ていた秋冬用のパーカーを脱ぎ捨て、服装を変える。
タクミにとって幸いだったのは、警察が犬を連れてこなかったこと、警察がタクミが逃げることを想定していなかったこと、タクミより足の速い刑事がいなかったことだ。
タクミは手を大きく振って流しのタクシーを捕まえた。シティーまでと言ってかなり多めの札を握らせる。おつりはいい、時間がかかってもいいからなるべく裏道で行ってくれとたのんだ。
『もうすぐ帰国で風景を楽しみたいから。』
運転手にはそれで十分だった。
タクミは外の風景を睨みながらケンヂへの復讐を考えた。出国できないんなら終わりだ。もし捕まってミノルやショウタの事がばれたら終身刑だろう。だがそうなる前にアイツを道連れにしてやる。
『首を洗って待ってろよ、ケンヂ!!』




