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橋本ケンヂは飛ぶ  作者: 遠藤信彦
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仮題 大阪 動物園



りんごを食べている猿を見ている。そのりんごは丁寧に櫛形に切られている。彼は右手に5つ以上抱え込み、左手で一つずつ口に運んでいる。時折辺りを見まわし、誰かがそのりんごを狙っていないか警戒している。


リカさんに所用があり、二人で会えなかった土曜日の午前中に一人で動物園に来た。リカさんには内緒で来た。あとで一人で来たとバレると怒られるからだ。でもそんなのは用事がある方が悪い。僕は一人の動物園を楽しんでいる。

猿の檻の前で1時間も立って見ている。フェンスの手すりに両肘を置き、前のめりになって猿を見ている。いや、本当は何も見ていないのかも知れなかった。僕は目線を送る対象物が必要なだけだったのかもしれない。箕面公園の親子猿を思い出した。あの親子猿は元気だろうか?もしかしたらこの檻の猿と親戚関係かも知れない。

りんごを食べている猿に名前を付けた。千田さんだ。我ながらとても良い名前だと思う。千田さんは1人で石の上に座り、池の水面をずっと見ている。今の僕みたいだ。きっと千田さんはこの動物園の猿の村では顔役にちがいない。青年団の団長を務めているのかもしれないし、部族同士の対立には(そんな敵対関係の相手がいればだが)槍を担いで、先頭になって突撃する部隊の隊長かも知れない。でも今の彼は休憩中だ。戦士の休息であるに違いない。もしかしたら昨日血で塗られたその両手を目の前の池で洗った事が心のどこかに引っかかっていて、ただただ水面を見つめるという行為に走らせているのかもしれない。

彼の目はずっと池に集中している。時折りんごを齧るが、その顔には喜びはなく、ただただ食物を胃の中に入れるという作業にしか見えなかった。彼には何かが見えているとしか思えない。それは悪霊だろうか?それとも金銀財宝だろうか?先日葬った相手国の戦士だろうか?

千田さんが僕の視線に気付いた。2つに減ったりんごを大事そうに抱え、僕に取られないように背中に回した。


『僕はそのりんごには興味はない、君がずっと見ていた何かに興味がある。それは何なんだ?』


僕の隣には何人かの子供たちがいたが、僕は構わず声に出して聞いて見た。あまり大きな声でなかったので、届かないかもしれなかった。でも千田さんはニヤッと笑った。もしかしたら聞こえたのかも知れない。そしてその笑いは決して僕を馬鹿にした笑い方ではなかった。


『よく気付いたね。俺が何を見ていたか気になるかい?』


そう言われた気がしたので頷いた。


『猫は魚が好きだが、自ら水中に入って魚を取る猫はいない。俺たち猿も同じだ。昨日、この池のこの場所にりんごが三つ落ちた。うっすらとではあるが、それらしきものが見える。みんなそれを欲しがっている。でも飛び込む奴はいない。わざわざ濡れてまで欲しいとは思わないからだ。」


僕はふーん、と頷いた。猫の世界も猿の世界も大変そうですもんねと言う。


『そうだ、大変だ。お前が思っている以上に、100倍くらい大変だ。だけど俺は思うんだ。大変で何が悪い。何か不都合でもあるのか?と。たかだか水に濡れる程度のリスクを負えないで何が得られるんだと。俺の人生は、、、俺は猿だが、俺の人生はチャレンジで溢れるものにしたい。』


そう言って千田さんはもう一度笑った。手に持った二つのりんごを一度に口に入れ、咀嚼し、池の中に入って行った。僕は心から願った。千田さんがりんごを拾えますようにと。

しばらくして千田さんが池から這い上がってきた。両手には何もなかった。千田さんは僕の方に振り返りもせず、びしょ濡れのまま、とぼとぼと歩いて行った。寂しい背中が悲しかった。どこからか若い猿が千田さんにドロップキックをかまして逃げて行った。千田さんは吹っ飛び、転げ回り、泥だらけになったが誰にも文句を言わず、起き上がり、歩いて行った。


僕の隣にいた赤い広島カープの帽子を被っていた子供が不思議そうに僕を見上げていた。誰と話しているの?と聞かれたが無視した。野球を辞めてサッカーをしたらいい、サンフレッチェの帽子を被ってきたら答えてあげると言った。






















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