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橋本ケンヂは飛ぶ  作者: 遠藤信彦
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無題 大阪 帰郷前

朝の5時にそっと起きた。リカさんはまだ寝ている。

僕の工場での朝番のシフトは7時から始まる。一度寮に帰って着替える必要があるので、帰宅準備を始める。リカさんが寝ている間に僕が帰宅するのは珍しいことではない。僕はお姫様を起こさないようにゆっくりと、音を立てないように支度する。トイレに行きたかったが、起こすといけないので我慢した。近くのコンビニで朝ごはんを買う時にトイレを借りよう。

テーブルの上に置き手紙をする。先に出ます。100回目のキスが出来なくて残念です。リカさんと箕面公園に行くのが楽しみです。大好きです。と書いた。ヘルメットを取り、玄関を開ける。細心の注意を払いながら内鍵をし、そっと閉める。


バイクのエンジンにキックをかまし、始動させる。夏とはいえ、暖気には時間をかける。ほんのりエンジンが暖かくなるまで辛抱強く待ち、それから走り始める。途中でコンビニにより、トイレと朝ごはんをすませ、一旦寮に帰り、徒歩で出勤する。

辞めると決めてから見る景色が今までとは違いすぎて違和感がある。なんども通った細道、毎日すれ違う通勤中のサラリーマンさん、必ず尻尾を振って、愛嬌よくクウン、クンなく犬。いつも通りの日常だが、全てが新しく輝いて見えた。気持ちの持ちようによって、こうも見え方が違うんだと驚いた。これまでは手の痛みなどで憂鬱でしかなかったが、気持ちが切り替わったので、意欲が湧いてきて有終の美を飾ろうと言う気持ちでいっぱいだった。

班長にも僕の気持ちが伝わったらしく、

『おっ?考えを改めて社員を目指す気になったか?大阪にいたら毎日お好み焼き食えるぞ!』

と、いつもの勧誘を受けた。目をかけてもらって嬉しかったが、お世話になった班長に海外に行くことを告白した。そのための期間工だったと伝えた。

『お前みたいな奴、たくさん見てきたよ。そうか、海外か。羨ましいよ。頑張れよ、またここに戻ってきていいからな。』

そう言って班長は持ち場に戻って行った。僕もセクションに戻ってネジやセルモーターの補充をした。今日の目標台数360台と書いてある。半分弱が朝晩担当なので、150台から160台くらい今から作るのかと思うと、すごい所で働かせて貰っているんだなと思った。世界の最先端の自動車工場にいるんだなと思うと、自分のチャレンジが誇らしく思えてきた。


仕事が終わり、寮に帰ってからシャワーを浴びて汚れを落とし、スニーカーを履いて外に出た。夕方の六時ではあったが、まだまだ蒸し暑い。今日は街を練り歩こう。寮の周りは住宅街だが、何か発見があるかもしれない。遊びに出る時は難波か梅田、バイクでは京都の方に行くので、実は寮があるこの街のことはほとんど知らないのだ。改めてそう思うと、少し寂しかったし、何より街に対して失礼に思えた。

Tシャツに半ズボン、スニーカーはナイキのコルテッツだ。どこまでもいけそうな気がした。


通ったことのある道、通ったことのない道。綺麗な道、汚い道。途中の公園で逆上がりをしたり、地元では入ったことのないコンビニで商品を買ったりした。とても楽しかった。一人で当てもなく、自由に行き当たりばったりに歩いていると、今の僕に何が足りていないのかが分かった気がした。それは僕自身が能動的に人生を楽しもうとすることだった。これから異国の地で生活しようとしているのに、縮こまっていてはダメだ。もっと行動しないと。

なんだかウキウキしてきて、足取りも軽くなり、思いの外視線も上を向いてきた。同級生のことを思い出した。みんな進学や就職をして頑張っている。僕も頑張っているが、すこし方向性が違う。世間的には僕はダメな人間の部類だろう。でもそれで良い気がした、同級生と同じ道を選んでいたら、今頃死んでいたかもしれない。僕には僕のやり方がある。生き方があるはずだ。人と比べても仕方がないし、人と同じことをしていてもダメなはずだ。


ふと時計を見ると8時なっていた。リカさんは最近は仕事が忙しいらしく、帰るのが遅い。この時間なら大丈夫だろうと思って電話をかけてみた。

『もしもし、今どこ?』

『ここはどこだろう?当てもなく2時間くらい歩いています。とても楽しいです。』

『近くに何が見えるの?』

『国道2号線から少し離れた所だと思います。スーパーカネシロがあって、少し離れたところにハーレーのお店がありました。』

リカさんは少し考えてから、呆れたと言った。寮から十五キロくらい離れているらしかった。

『もう帰りなさい、今からまた2時間かかるわよ。』

明日も早番でしょ?子供に諭すように言った。

『リカさん大好きです、また会ってください。』

次にいつ会えるのか、楽しみで仕方がないと言った。

『私はね、不機嫌なの。あなたは私に黙って帰っちゃったでしょ?100回目のキスも忘れて。』

私がどれだけ楽しみにしていたか知らないでしょう?と語気強く主張してきた。

『その割にはぐっすり眠っていましたよ。仕事で疲れているんでしょう?最近は帰りが遅い日も多いですもんね。』

『そうよ、疲れているの。だからあなたに抱かれて眠りたいのよ。』

いささか表現に問題があると言ったら、抱かれてるもん、文字通りと笑って返ってきた。

『現金はあるの?タクシーでウチまで来ない?たぶん二千円もかからないくらいだと思うけど。明日の朝の寮までのタクシー代は私が出してあげるから。』

めちゃくちゃ魅力的なオファーだと思うけど、リカさんの疲労が心配ですと改めて聞いた。

『なんど言わせるのよ。あなたに抱かれて寝た方が癒されて疲れが取れるのよ。』

早く来なさいと命令された。

『100回目のキスをしに行きます。』

早く来ないとその権利は無効になると通告された。僕は国道まで急いで走った。










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作者

遠藤信彦

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