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橋本ケンヂは飛ぶ  作者: 遠藤信彦
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1995年 冬 17歳

 悪魔のような病気と悪夢のような日々が過ぎていった。僕はまだ生きていた。


学校にはあまり行かずに家で勉強していた。その方が成績も体調も良かったし、たまに行く学校でも調子が良いときが多かった。相変わらずクラスはゴミ溜めのような悲惨なありさまだった。僕は自分の仮面をかぶってひたすら穴を掘り、自分をその穴に、地中に放り込み潜ることによって、なんとか自分を保っていた。クラスのほとんどの人は受ければ入れるような地元の大学、短大、専門学校に進学が決まっていた。その事もクラス崩壊の一因だったんだろうと思う。僕はといえば11月の指定校推薦入試で落ちてしまって、進路が決まらずにいた。僕がなぜ進学校に入学したかと言うと、大学に行かなかった、行けなかった両親を喜ばすためが半分、残りの半分は適当に生きてきた自分に人生の指針を決める決断力があるはずもなく、いろいろな物事を先延ばしにするためだった。要するに逃げだったのだ。なので相変わらずこの時点になっても僕の心はまだ迷い揺れていた。過敏性大腸炎という悪魔を抱えながら大学に進学し、次の4年間を今と同じように孤独で周囲の人に迷惑をかけ、同時に蔑まれながら生きていくのか?それとも一年間浪人してみるか?はたまた肉体労働などをしながらお金を貯めてこの街から出てみようか?結論は出てこなかった。


『ケンちゃん、進学はどうするの?浪人してもいいのよ。ケンちゃんは成績は良いんだから、体調が良くなるまで家で勉強を続けて、また来年、地元の大学でもいいから行けばいいのよ。私が早くに父親を亡くして高校も定時制だったから、ケンちゃんには大学に行って欲しいのよ。お金も随分早くから貯めてある。もちろん、ケンちゃんが望めばだけれど』

母はそういつも優しく言ってくれた。母は13の時に祖父を亡くした。自らは行きたくもない他県の定時制高校に通って食い扶持を減らし、さらに少ない給料を実家に送金して祖母を助け、弟を高校に行かせたのだった。この人がガッカリするのは避けたい、この人がガッカリするのは僕が嫌だ。

父は僕に対して自分の好きにするようにという。

『なるべくなら大学には行って欲しい。ワシが行けなかったからな。でも強制じゃない。』

普段から無口な父は一度だけそう言った。それ以上は何も言わなかった。父は5人兄弟の末っ子だったが、早逝の家系で彼が36歳の時には親も兄弟も全員亡くしていた。どのように生きてもいいが、不幸になる道をわざわざ選択するな・・・のような教訓じみた話をよくしてくれていた。きっと自分自身も死の覚悟をもって日々生活しているのだろう。ワシは明日死ぬけど、どうせなら後悔しないようにしたいが口癖だった。


両親をガッカリさせたくない気持ちと病気に抗えない自分との葛藤に苛まれた。


3年次の2学期も終わりになって僕は一つの選択をした。散々悩んだ挙句、アルバイトをすることにしたのだ。学校をサボって家で勉強していた時に一つ発見した。ランニングやジムでの運動後は明らかに病気の症状が軽い。だったら肉体労働でお金を稼ぎながら、ゆっくり将来について考えてもいいんじゃないか?。そう考えたのだ。現実逃避かもしれないけれど、逃げないと死んだ方がマシなこの世界から殺されてしまう。大学に行って同じ目にあったら間違いなく自死を選ぶだろう。生きるのはどうでもよかったけれど、死ぬのは両親を悲しませる。幸い病気になる前の高2の春に学校に黙って原付の免許を取っていたし、家に使っていないスクーターがあったので校区外で仕事を見つければ良かった。高校も3年の終わり時期には殆ど登校しなくて良くなっていたので、アルバイト探しを本格的にした。コンビニにあった求人誌で見つけた仕事は交通警備員だった。朝から晩まで立ちっぱなしで交通棒を振る仕事はきつかったけれど、時給で800円貰えたので17歳の自分には十分だった。


警備員をひと月続けてみて病気の症状が変わってきた。明らかに好転したのだ。毎朝5時に起きて20分かけて出社し、会社の車に乗り換えて、ひどい時には1時間以上かけて現場まで行く。その後に17時まで旗振り。建設現場の大工や、配送センターで配達などに比べると肉体労働的には優しいのだろうが、今の自分には丁度良い疲労感で終われる内容だった。毎日の規則的な生活がその時のメンタルや体にとても良く作用していた。

『これなら続けられるかも』

両親にそう報告すると、息子が大学に行かなくなってしまった落胆と、体やメンタル面が改善されてきた喜びとで複雑そうだった。

『一生の仕事ではないのだから、その点は肝に銘じておくように』

父はそういうと僕に自動車の運転免許を取得するようにと言ってくれた

『進学にしろ就職にしろ、今免許を取っておかないとあとあと不利になってしまうから、早く取りなさい』

目頭が熱くなった。僕なんて精神疾患をかかえた面倒な息子だろうに、免許のお金も出してくれるなんて、考えられなかった。両親と相談して高校卒業と同時に免許合宿に行って普通自動車と二輪の免許を同時に取ることにした。僕はそれまでにお金を貯めて以前から興味のあったバイクを買うことにした。あと少しで高校生活も終わりだ。文字通りクソまみれの生活からおさらばできるのだ。バイクを手に入れたらいろんな所に行こう、こんなに苦しんだんだ、少しくらい楽しんでもいいはずだ。


もう下を見ながら生活するのはたくさんだ。変わりたい。変わりたい。変わりたい。変わりたい。

ある日のノートにびっしりと書いてあった。バイクに乗って遠くに行けるようになれたら何かが変わるかもしれない。


 



こんにちは


小説を読んでくださって、本当にありがとうございます


もしよろしければフィードバックをしていただけたらと思います


甘口、辛口、なんでも受け止めます


初めての小説です


みなさんのお力添えを頂きたく思います




海外生活25年です。


日本語がアヤシイので、その点のご指摘もしていただけたら嬉しいです。


あと、ブックマークをしてくれたら泣いて3回回ってワンって言います!



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