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橋本ケンヂは飛ぶ  作者: 遠藤信彦
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1997年 12月末 夏

僕は役割について考えていた。


昨日見つけたカタツムリの役割について考えた。カタツムリは生まれてきた。どんな理由で生まれてきたのだろう?葉を食べ、大きくなり、生殖し、殻を大きく育てる。そしてたぶん彼は寿命が来る前に食べられてしまうだろう。何故あのカタツムリは生まれてきたのだろう?昨日偶然見たあのカタツムリにはどんな役割があったのだろう?生まれ、生きていく理由があったのだろうか?

次は今朝仕事場で見たほうれん草の役割について考えてみた。青々と大きく育った立派なほうれん草だった。見るからに美味しそうだった、しかし料理知識のない新人によって洗剤をたっぷりと使って洗われたので廃棄処分になった。食べられるために生まれてきたのに、食べられずに捨てられた、あのほうれん草にはどんな役割があったのだろう?



少し荒い息遣いが聞こえる。ナオミさんが僕の首筋を吸っている。彼女の右手は僕の胸を掴み、左手は首に巻かれている。僕は昨日見たカタツムリのことを考えている。彼女の唇が僕の唇に幾度も重ねられる。彼女の舌が僕の口に入ってくる。何かを探し求めるかのように動き求める。僕の胸に置いてあった彼女の右手は僕の下腹部に周る。



僕は天井を眺めていた。そして父親ライオンの役割について考えていた。



ナオミさんは帰国までの約十日間、毎日僕を抱いた。まるで何かに取り憑かれ、脅かされているかのように僕を抱いた。何かを求めていた。何かに怯えていた。僕を夢中になって抱くことによってその畏れを忘れることができるかのように。



『相手が僕である必要はない。』

僕はナオミさんに聞いた。本心だった。僕は人形だった。

『以前言ったわよね?10ドル払ったら抱いてもいいって。だから私は君に10ドルを渡している。それも毎晩。』

ナオミさんはもう一度僕に唇を合わせる。


『君には好きな人がいる。たぶん綺麗な人だ。私より綺麗かもしれない。』

ナオミさんがニヤッと笑った。僕はリカさんのことを思い出す。リカさんも綺麗だった。ナオミさんとは系統が違うけれど。

『私は嫉妬している。その人に。』

ナオミさんは僕の胸に手を当てながら続ける。右手に付けている金のブレスレットが僕の肌をくすぐる。

『とてつもなく嫉妬している。会ったこともないのに。』

ナオミさんが嫉妬する必要はない。今はビザのことで気が滅入っているだけだと僕は言った。

『そうかもしれない。でも私がキスをしているのに、君は私を見ていない。それはとても悲しい。』

僕は何も言い返せなかった。ナオミさんはとても魅力的な人だが、リカさんに対する感情とは比べられない。優劣ではない。違う何かがそこにはあるのだ。

『でも君は私のキスを拒まない。』

僕は言い返せなかった。確かに一度も拒否をしていない。すべて受け入れている。

『キス以上のことも拒まない。』

僕は頷く

『そして君から私にキスをすることはない。』



『飛行機の便の関係で帰国は30日になったの。年明けは日本ね。』

ハゲの店で奥さんとのやりとりがあった日から、2人は毎日夕食を共にしていた。家や銀行など、身の回りの整理整頓が済んだナオミさんは時間があるので料理を振る舞ってくれた。食事をしながら料理がどれだけ魅力的なのか語ってくれた。デザート職人であるナオミさんは料理ができれば世界で勝負できると力説した。僕に料理人になるように勧めてくれた。料理人もいいですねと僕は返した。


毎晩食事の時のナオミさんは饒舌だった。とてもよく食べ、よく飲み、よく笑った。ハゲの店で無駄にした時間を取り戻したいかのように振る舞っていた。

『私ね、もう一度ワーホリに挑戦する。今度は初めからローカルの店に挑戦するの。日本に帰ったらすぐにビザ申請するわ。』

『ナオミさんらしい、素晴らしい選択ですね!手に職あるんだし、あとは度胸だけですね。』

『もうね、吹っ切れたの。私は前を向いて生きていくの。ハゲの店で働く選択をしたのは自分。悪いのは自分。悪かった自分を許すのも自分。未来にチャレンジするのも自分次第なの。』

『かっこいいです。素敵ですね。』

ナオミさんの覇気ある宣言を聞いていると、こっちまで励まされている気分だった。

『20歳の君のように私はなるの。』

『まさか、僕は何にもできないですよ。世界で仕事ができるナオミさん’が羨ましいです。』

『そんなことない、少なくとも君は頑張っているし、頑張ってきた。』

僕は褒められることに慣れていない。赤面してしまう。

『そして君みたいなボーイフレンドを見つけるの。』

『金髪で碧眼の。』

『Yeah! That's right! その通りよ。』

ふたりで笑い合った。


その晩は僕からナオミさんを求めた。何度も求めた。そして彼女がどれだけ素敵かを語った。ナオミさんは泣いていた。強く抱きしめてありがとうと言った。彼女もありがとうと言ってくれた。















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