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橋本ケンヂは飛ぶ  作者: 遠藤信彦
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タクミの場合②

タクミは寝ていた。大量の汗をかいている寝苦しい朝の5時。汗の原因は暑さではなく、痛みだった。眉間の皺が深く濃く刻まれている。その溝には水滴がついている。


夢の中でケンヂと喧嘩をしている。タクミは右の拳を振り抜く。ケンヂが一歩後ろにスウェイしてその拳を避けた。タクミが二の矢を放つ。次は左のフックだ。またもやケンヂがバックステップで避けた。が、今度は後ろに下げた足で地面を蹴り上げ、前にジャンプしながらサイドキックを放ってきた。一歩後ろに下がった分、前への前進運動に体重が乗り、キックの威力が倍増した。70キロ以上はある大きな体のケンヂの蹴りの威力がタクミの膝横に放たれた。身長差があるのでケンヂのサイドキックは縦方向に落とすような軌道を描いた。踏みつけるようなケンヂの蹴りの威力は地面に作用し、力は逃げ場を失い、膝を破壊した。

『ぐわぁっ!。痛ぇ!』

思わず膝を抱え込みながら地面にのたうち回る。

夢の中のケンヂは追い討ちをかけてくる。折れた膝をさらに踏みつける。激痛が走る。蹴られまいと背中を向け、腹で膝を抱え込む。ケンヂは容赦ない。顔面を踏みつける。何度も。頑丈なブーツを履いているケンヂの蹴りの一発一発が重い。ケンヂは体を半身に開き、足をスウィングさせるようにサッカーボールキックを放ってきた。重いブーツのつま先がタクミの肛門にめり込む。脳天に稲妻が走る。目の前が真っ白になり、声にならない声が出た。この一撃でタクミは失神した。

『まだやるの?』

ケンヂはニヤッと笑う。

『返事がないね。』

ケンヂは残念そうにタクミを蹴り続ける。

『もうやめてください、もうやめてください、もうやめてください、もうやめてください。もうやめてください。ごめんなさい。ごめんなさい。』


夢の中で失神しているタクミは叫び続ける。もうやめてください。ごめんなさいと。うっすらと意識が覚醒してきた。これは夢だ。これは夢だとタクミは心の中で念仏のように唱える。



タクミは目が覚めた。また同じ夢を見た。右膝をさする。痛みはまだあるが、腫れはだいぶ引いた。

『ちくしょう、ぶっ殺してやる。』

毎日念仏のように唱えている。自分から仕掛けたとはいえ、10歳近く歳が下の若造に喧嘩で負けて、怪我までしてしまった自分を悔やんだ。怪我の具合は悪く、医者には休養を勧められていた。が、仕事を休むわけにはいかなかった。喧嘩で負け、仕事場からもいなくなってしまったら、本当の負け犬だ。それだけはどうしても嫌だった。負け犬にだけはなりたくなかった。たとえどんな目にあっても耐えてきた。壮絶ないじめにも耐えてきた。両親に捨てられた辛ささえも克服してみせた。俺が負けるはずない。俺は負け犬じゃないんだ。


タクミが安定した職業、看護師を辞めてまでワーホリに挑戦したのには理由があった。それは婚約破棄だった。5年付き合った当時の彼女の両親が結婚に大きく反対したのだ。理由はタクミが孤児だったことだ。そんなものは俺の責任じゃない。俺はどうすることもできなかったと、タクミは泣きじゃくりながら婚約者に詰め寄ったが、婚約者は両親を説得できなかった。それに加えて婚約者にはタクミに対してひとつ気がかりなことがあったのだ。それはタクミが心を開いてくれないことだった。

タクミはその人生において、辛いことが多すぎた。心を閉ざす期間が長すぎた。、いや、長すぎたのではなく、今でもずっと心を閉ざしているのだ。9歳で捨てられてからはずっと心に頑丈な鉄の壁を設置し、固く閉ざしている。10年以上もの年月を経てその扉は少しずつ開いてきた、一筋の光を受け入れるようにはなったが、依然としてその扉は重く固く、十分には開かない。

婚約者は5年付き合ったタクミに対して、最後までその扉の存在を取り払うことができなかったのだ。婚約者はそのことについて少なからず寂しい思いをしてきた。私では不十分なのか?と疑心暗鬼にもなった。分かり合えることはできないのか?と不安になった。それらのことが婚約者を苦しめた。


『両親のことがなかったとしても私は結婚はしなかったかもしれない。』

婚約者はそう言った。ごめんなさいと泣いた。

『あなたは心を開いてくれなかった。私である必要はないと思う。』

婚約者は泣いた。

『私じゃなきゃダメだという人と結ばれたい。必要とされたい。』

タクミはどれだけ婚約者を愛しているかを力説した。こんなにも愛していると。

『あなたの過去のことは知っている。私はあなたの全てを知って受け入れたのに、あなたは私を知ろうとしなかった。私はそれがとても寂しかった。』


タクミは愕然とした。文字通り膝から崩れ落ちた。そんなつもりはなかったのだ。心から信頼しあっていたと思っていた。タクミは婚約者に対して心を開いていたつもりだった。でもそれは婚約者にとっては不十分だったのだ。自分だけが十分だと思っていたのだ。タクミは婚約者と別れた。5年も付き合ったのに、別れるときはあっけないもんだと思った。


タクミは思い出した。こんなことが前にも起こったことを。それは2年前にあった高校の同窓会での出来事だった。高校時代のタクミの生活は平穏そのものだった。学校ではいじめもなく、柔道部に在籍しながら学業に励んだ。寮でもすでにタクミをいじめる子はいなくなっていた。タクミは仲間が欲しかった。友達を必要としていた。そしてそのために努力した。彼ができるすべての努力をした。もう1人が嫌だったからだ。

柔道部に入ったのは友達、仲間が欲しかったからだ。そしてそれは成功したと思った。自分の周りには人がいた、友達であり仲間だと思った。タクミにとって忘れ難い、とても有意義で素敵な高校生活だった。しかし、同窓会で友達は(タクミにとっては)言った。


『お前は誰とも仲良くしようとしなかったよね。』





タクミは婚約者と別れた2ヶ月後に退職届を書いた。退職には3ヶ月必要だとお願いされた。了承した。タクミは疲れていた。幸い結婚式などに使う予定だった貯金もあったので、休んで旅行に行きたかった。海外にはまだ行ったことがなかった。旅行先を探そうと立ち寄った本屋で見つけたのがワーホリに関する本だった。タクミには躊躇がなかった。すぐにビザの手続きをした。英会話学校も経営するワーホリエージェントに連絡した。話はどんどん進んだ。誰に相談する必要もないタクミは退職届を書いて約半年後には飛行機の人となった。


『海外でなら。』

タクミは心の中でつぶやいた。














いつも本作品を読んでいただき、ありがとうございます

よろしければアドバイスお願いします。

この作品をより良いものに仕上げたいです


遠藤信彦


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