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橋本ケンヂは飛ぶ  作者: 遠藤信彦
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タクミの場合

タクミは意外にも喧嘩の次の日に仕事に来た。案外根性あるんだなと思った。僕に謝るのかなと思ったけれど、謝りはしなかった。もしかして金がないのかな?辞めるに辞められないのかな?本人に聞くのが一番だけれど、めんどくさいので、聞かなかった。包丁などの危険道具がたくさん置いてあるこの職場にアイツが来るのは怖かったけれど仕事に集中して存在を忘れるように努めた。

僕は自分の好きなことに集中できる。特技はそれかもしれない。今までの人生で特に何かができるわけじゃなかったけれど、自分の興味がある分野に関しては人よりも集中力があるのかもしれない。僕は将来何になりたいのだろう?既に20歳で、もう直ぐ21歳になる。焦った方が良い。何かないのかな?寿司を巻きながら考えてみたけれど、何も思いつかない。



タクミは歩いている。ゆっくりと片足を庇いながら、一歩一歩確かめるように歩いている。左足を出し、右は出そうとしても出ないので、右手で膝裏を持ち、スイングするように前に出す手助けをしている。前足を出したら、その右足に体重を載せないように左足をケンケンするように、スキップするように前に出す。そうしないと物理的に前に進めないのだ。ケンヂに蹴られた膝の横が痛い。まともに歩けない。痛めたのは右膝だ。多分骨にヒビが入っているのだろう、左足とは比較にならないほど腫れている。タクミは医者ではないが、学校も含めて10年近く医療の世界にいたので、今の自分の怪我の状況が想像できた。

『あの野郎、ぶち殺してやる。』

憎悪という言葉がぴたりと当てはまる。一歩足を前に踏み出すたびに殺すと呟く。ケンヂが憎い。


タクミは埼玉の川口市で生まれた。比較的裕福な家庭に育ったが、9歳の時、親の投資の失敗が原因で両親が蒸発し、孤児になった。最初の2年は親戚をたらい回しにされたが、その後は施設に預けられた。施設にはいろいろな理由で預けられた子供達がいた。子どもたちのヒエラルキーは暴力で、喧嘩の強さで成り立っていた。小柄だったタクミはいじめの格好の的だった。それは壮絶ないじめだった。毎日服から露出していない腹部や臀部などを蹴られ、殴られた。それも上級生からだった。圧倒的体格差を利用した暴力にタクミは抗えなかった。いや、一度だけ反撃した。相手はそれを待っていた。わざと殴らせ、職員に報告したのだった。タクミは10日間ほど独房のような、檻のような狭い部屋に入れられ過ごした。学校にも行かせてもらえなかった。独房のような部屋はクリーム色の壁でペンキが所々剥げている。ドアは鉄格子付きで、食事を出し入れする小窓が付いている。トイレはあったが、もちろんテレビなどない。ベッドはなく、冷たい床に薄い布団をひいた。コンクリートの冷たさで体が芯から冷えた。そこはまるで本物の刑務所みたいだった。ここでの生活は地獄だった。誰とも話さないで1日が終わるのだ。職員が食事を小窓に用意する。その時の職員はまるで死んだ猫の死体を見るかのような目でタクミの方を見るのだ。タクミは叫んだ。何も悪いことはしていないのだと叫んだ。自分を守るために仕方なくやったんだと叫んだ。いじめられたから反撃したんだと叫んだ。俺の何が悪いんだと叫んだ。蒸発した両親を探せと叫んだ。10分も叫んだろうか、最後には声が枯れ果てて、掠れ声しか出ず、最後に振り絞った言葉が両親を殺せだった。11歳のタクミは誓った。ここで死ぬのは嫌だ、絶対生き延びてやる。生き延びるためにはなんだってすると。

10日ぶりに独房からでたら、待っていたのは更なる暴力だった。

タクミは生きるために、体を鍛えることを覚えた。自分よりも強い人に媚びることを覚えた。ここから脱出するために勉強に励んだ。やがて成長とともに運動や勉強の成績が上がった。そしていじめはなくなった。自分自身の実力でいじめから抜け出したのだ。タクミは誰に恥じることもない、むしろ誇れるほどの努力をした。そして看護学校を成績優秀で卒業し、看護師になったのだ。


看護師になってからタクミに待っていたのはまたもやいじめだった。先輩に気に入られなかったのだ。わざと間違った指示を出される。二度手間を叱られる。流石に人命に関わることや、患者に直接迷惑が出るような指示や命令はなかったが、それでもタクミには応えた。タクミは自分自身に問うた。

『なぜいつも俺なんだ。』

強く握り締めた拳が震える。指が赤く充血している。答えはいつだってわからない。


いじめの主犯格の先輩に泣きながら土下座をし、もうやめてくださいと懇願した。これまでの人生で何度もしてきたので、要領は分かっている。いじめをするような奴の心理は勉強し尽くした。施設で何万回も殴られたあの過去より地獄があるはずがない。しかしこの主犯格の先輩はいままでタクミをいじめてきた奴らとは根本的に違った。泣き脅しが効かなかった。何度かの言葉のやり取りの後で先輩は言った。

『お前のそういう卑屈な態度がムカつくんだよ。施設育ちかなんだか知らないがな、哀れみを乞うような態度で・・・。』

気づいたら先輩を殴っていた。自分がされたように服に隠れる部分を殴っていた。証拠を残さないためだ。

突然のパンチに不意をくらったその先輩は床に崩れ落ち、何度も嗚咽した。

『今の会話は全部録音してあるからよ。実家はどこだっけ?』

この日からタクミは先輩を強請り続けた。ジュースなどの少額の金品だったが心は晴れた。いじめも無くなったので、自分の仕事に集中して向き合うことだできた。

一年くらい経ったある日、いつものようにジュースを買えと先輩にいうと、露骨に嫌な顔を見せた。相手が反抗的な態度を見せたと判断して、遠慮なく録音テープを先輩の実家に送った。相手の親は血相を変えて勤務先まで出向き、タクミの目の前で先輩を殴り、タクミに土下座した。そして少なくない金額をタクミに渡し、これ以上迷惑をかけないからと先輩を退職させた。


タクミは勝利した。終わってみれば呆気なかったが、少なくない額を受け取ることができ、先輩を退職させることに成功したのだ。タクミは先輩の両親から受け取ったお金で奨学金を返済した。自分は負けない、たとえ小さな勝負で負けたとしても、大局では絶対に負けない。その辺の普通の奴とは見てきた地獄が違うんだ。お前ら程度に俺が負けるわけがない。


俺はお前らとは見てきた地獄が違うのだ












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