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橋本ケンヂは飛ぶ  作者: 遠藤信彦
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雨が止んだあと 1997年 11月末

『お前とはもう会わなくなる。その前に飯でも行こう。』


季節の境目の嫌な雨の日々が終わったあと、ケンさんは日本に帰国した。ラグビーは冬のスポーツなので既にシーズンは終了していたが、旅行に行ったり、フルーツピッキングに行ったりして思い出作りをしていたらしい。ケンさんは

『やるべきことはやった。ビザも数ヶ月残っているが、執着して残っていてもしょうがない。ラグビーも終わり、これ以上の技術習得もない。沖縄に帰って家業のパン屋を手伝う。』

見事な引き際だった。やりたいことがあって、それに邁進し、事が済めば潔く去る。僕もそうありたいと思った。今ある仕事もいつまでも出来るもんじゃない。英語の習得がこれ以上望めないと思った時に辞めた方が良いと改めて思った。


ケンさんは帰国前の1週間、なぜか僕に多くの時間を割いてくれた。ほぼ毎日会って話をした。

『いいかケンヂ、よく聞け。日本という国は終わっている。お前は海外に住み続けた方がいい。』

ケンさんは旨い旨いと、僕が上手に焼いたミディアムピンクのラムを口いっぱいに頬張りながら続けた。

『システムが既に崩壊している。崩壊という言葉が適切でないのなら、時代に合ってこなくなっている。たとえば俺の実家のパン屋だ。美味しいパンを焼くのは知識と技術があってこそだが、そんな技術を身につけるのは修行がいる。とても厳しい修行だ。朝は3時から始まり、一日中怒鳴られ、叱られながらだ。ずっと立ちっぱなしだし、週休2日なんて夢のまた夢だ。家族がいても時間を割いてあげられないだろう。実際にパン職人の離婚率はとても高い。不幸になるためにパン職人になり、家族を不幸にさせるためにパン職人になるのだ。もちろんそんなもんは誰もがゴメンだ。やり続けるやつなんて滅多にいない。仮に見習いになってもすぐに現実に気づいて辞めちまう。あとを継ぐ人間がいないってことはその事業は縮小しかない。つまり未来もない。』

レモンを絞った炭酸水でラムを流し込み、一息ついた。最近は慣れて驚かなくなったが、それにしても沢山食べる。こんなに旨そうに食べられたら羊も本望だろう。

『でもケンさんはご実家に帰るんでしょう?お手伝いするために。』

『そうだ家業を手伝う。兄貴が家を継ぐ。実は実家のパン屋は2つの店舗を持っていて、その一つを任される予定だ。』

『どうして終わっていると思っている、失礼ながら未来がない家業を継ぐんですか?』

『走り出してる列車を止めるのは難しいからだ。親も兄貴ももちろん俺もだが、他にできる事がないんだよ。パン屋しかできないんだ。幸いなのはビジネスオーナーであるということ。未来がないと言っているのはパン職人としてだ。人間がパンを食べることをやめるわけじゃない。人間はパンを食べ続けると思う。遠い未来はビタミン剤みたいな錠剤で食事を済ませることになると思うが、そんなのは俺が死んだあとだ。これからはコンピューターとテクノロジーだ。パン屋であってもだ。旨いパンを焼くプログラムを書いてコンピューターにインプットする。そのコンピューターが機械を作動させパンを焼くんだ。人間が入り込めるところはほとんどない。コンピューターを使える人間が、プログラムを書ける人間がパン屋をやるんだ。だから俺はパン屋をやりながら夜間の大学でコンピューターを学ぶんだ。』

『僕には全く知識がないのでよくわかりませんが、パン屋をやりながら夜間の大学に行くんですね!すごいや。』

『別にすごかない。できないと仕事も何もかも失ってしまうんだ。やるしかないんだよ。』

ケンさんは2杯目の白米を大盛りで盛り付けながら言う。

『今の寿司屋で適当にやっている僕なんかが理解できる世界じゃなさそうですね。僕なんか何ができるんだろう。』

『寿司屋も同じだ。みんな同じなんだ。ものづくり日本で作り手がいないんだ。笑い話にもならない。日本は終わる。少なくとも違う形になる。お前が小学生の時に見た強い日本はお前が死ぬ前には跡形もなく消えているだろう。消えて良くなるのか、悪くなるのかはお前ら次第だけどな。』

ケンさんは新しい炭酸水に絞り終わったレモンをしつこく振りながら、自慢の握力で潰しあげ、3滴ほど垂らしてみせた。満足した顔でこっちを見る。自慢したいのだろう。気づかないふりで逃げる。ケンさんは仕方がないな、と言う顔でもう一つラムを取り上げる。料理は僕がしたが、材料はケンさんが買ってきたので、遠慮はなかった。たぶん3分の2はケンさんが食べただろう。


『そういえばケンさんがお酒を飲んでいるのを見た事ことがないですね。運転だからですか?』

ケンさんは咀嚼しながら言う。

『当たり前だ。飲酒運転は重大な犯罪だ。日本は飲酒運転に対して甘すぎるんだ(注1997年当時の話、今は日本の方が断然厳しい)。自分の大切な人が轢き逃げされて、その相手が酒を飲んでたなんて日にゃ、死んでも死にきれない。まあ、それもそうだが元々飲まないんだ。』

『へぇ、知りませんでした。飲まないんですね。沖縄の人は底なしに飲むんだと思っていた。』

僕はケンさんの半分も食べれていなかったが、それでも既にパンパンになっている腹を抑えながら、まだ皿に残っているラムやサラダを恨めしそうに見た。この残ったのを全部食わないとケンさんがすごく不機嫌になるのを知っていたからだ。ケンさんは僕を増量させることに生きがいを感じているとしか思えない。大量に材料を買ってきて、全部食わないと不機嫌になるのだ。 

『酒を飲まないのは頭をクールに保つためだ。』

眉間に皺を寄せながら、こめかみを指でとんとんと叩く。

『ここさ、頭が大事なんだ。頭をクールに保てないんだから、アルコールなんてやらなくていい。覚えとけよケンヂ、男の頭はクールじゃなきゃいけない。アルコールなんて人生を諦めた奴らが飲めばいいんだ。人生に楽しい事があるんなら、酒なんかなくても十分にハイになれる。』

我ながら良い事を言うとばかりにケンさんは両手を頭の後ろで組んでのけ反った。


ケンさんが帰って行ったあと、言われてきた事を反芻していた。


『人生に楽しい事があるんであれば、酒なんかなくても十分にハイになれる』

『もっと孤独になれ、孤高になるんだ』

『お前は海外に残れ』



僕は何になりたいのだろう?楽しい事ってなんだろう?


1997年の11月も既に末になっていた。この国に来て4ヶ月が過ぎている。僕の毎日はとても充実しているが、僕の未来は空白のまま残されていた。








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作者

遠藤信彦

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