【短編】流天のヒロ
今は昔、とあるところにおじいさんとおばあさんがおった。おじいさんは山へ竹取に、おばあさんは川へ洗いものをしていた。おばあさんが畑でとれたダイコンを洗っていると、川の中流からどんぶらこ、どんぶらこと大きな桃が流れて来た。おばあさんはこれは神の思し召しだと思い、その桃を家に持って帰った。おじいさんも帰って来て、桃を割って見せると、その中から男の赤ん坊が生まれてきた。おじいさんたちはさすがに彼を“桃太郎”ではなく、その元になった人物「比呂中津人命」からはじめ二文字をとって『ヒロ』と名付けたのだった。
「おい、ヒロ・アマクサとはおまんのことか?」
一人の屈強で高貴そうな紫色の呉服を着た男が、町を歩く眉目秀麗の少年ヒロ・アマクサに因縁つけんとして声をかけてきた。
「そうだが......。 また、俺がなにかしたってのか?」
ヒロは眉間にしわを寄せ、紫の呉服の男の方へ悠々と振り向くも、男は気にせず木刀を振りかざす。
「ここがあったが百年目! 桃から生まれたとか、神の子とかなんか知らんが、その余裕ぶった顔! 非常に気に食わん! このオレ、シマダ藩藩主の嫡男がホマレ・シマダと勝負せい!」
ホマレ・シマダと名乗った男は、自身の襟を整えて胸元の菖蒲の家紋をヒロに見せびらかすようにした。ヒロは、それを見てもなお気にせずに呆れ返っていた。
「あーあー、わかったよ。俺もちょうど、相手を探してたとこだ」
ヒロの態度にホマレは歯ぎしりをしながら腰に収めていた刀を抜いた。ヒロはというと、素手のまま彼を挑発した。ホマレは歯ぎしりに加えて、顔に青筋を立ててそのまま刀を振り上げてヒロへ向かった。振り下ろした瞬間、ヒロは避けつつそのまま後ろ回し蹴りで男を吹き飛ばす。
「てめえ、ふざけやがって!! お前達!! 出会え!!」
ホマレが叫ぶと、待ち構えていたかのように彼の取り巻きの男数人がヒロを取り囲んだ。いずれも刀をすでに抜いていた。ヒロはため息をつき、周りを見渡す。
「男一人によってたかって......。武士の恥ってもんを知らんのかね」
「黙れ!! さっさと行け! お前たち!!!」
そういうと、若衆はそれぞれ刀を振り下ろしてはヒロに向かうもそのことごとくを彼は避けては彼らの持つ刀を折っていく。だが、その光景を見ても彼らはひるまず飛びかかろうとした。ヒロは、無謀な彼らを憐れむような目を送った後、手印を結んでは周りに解き放つように腕を広げて一斉に向かう烏合の衆を手を振れずに吹き飛ばしていった。
「うあああああああああああ!!!」
男たちが吹き飛ばされ、震えあがって折れた刀を置いて逃げ出していく。ただ一人、始めに因縁をつけてきたホマレだけが立ちあがった。
「南蛮くずれの魔法なんて使いやがって! これだからアマクサの人間は! 特に、お前みたいな流天育てやがって!!」
「家柄も俺が転生者、じゃなかった。その、流天人だっけ? そんなの喧嘩の前にゃどうでもいいことだろ。漢なら、能書き垂れずにつっこんでこいや」
ヒロは男に挑発すると、男はそのまま刀を捨てて殴りかかってきた。ヒロは彼の雄姿に微笑み、素直に尊敬していた。同時に、彼の非力さを痛感して物憂げであった。自分の生きる道を知らぬヒロは、喧嘩でしか生を見出してこなかったのだ。だが、悲しいかなヒロに勝てるものは今だ出会っていないのである。
「ぐはぁ!!」
ヒロは、男を背負い投げ一つで遠くまで放り投げてしまっていた。
男は地面に叩き落とされては、意識を失った。
「くだらねえ。今度はちゃんと相手選んで喧嘩しろよな」
悲し気な顔でヒロは、男の顔をぺちぺちと叩いた。すると、覚醒したかのように男は起きだした。
「くっ! こ、この!! このことは、パパ上に報告してやるからな! シマダ藩主のせがれ、手を出した罪は重いぞ!!」
「先に手ぇ出したのは、そっちだろ......。にしても、大した遠吠えだこった」
逃げおおせるホマレを見送り、ヒロは自分の家のある街はずれの集落へと向かった。
そこは、山の近くで小さな茅葺屋根が数個ぽつぽつとあるだけの集落だった。
その集落にある一つに、ヒロは入っていった。
「おかえり、ヒロや」
「ばあちゃん、ただいま」
ヒロを迎えてくれたのは、彼の育て親であるミグサ・アマクサであった。彼女はヒロが町中で喧嘩していることは知っているものの、ひどく叱る様子もなく、優しさで包むような目で夕飯の支度をしていた。
「じいちゃんは、まだ竹取かい?」
「そろそろ帰ってくるわいさ......。ほらな」
ミグサが振り向くと、家の玄関で竹を大量にとってきたヒロのもう一人の育て親であるトシムネ・アマクサが腰を下ろしていた。ヒロは玄関まで迎えに行くと、トシロウは静かな怒りでヒロを迎えた。
「また、喧嘩しておったのか」
「向こうが喧嘩売ってきたんだぜ? ......なあ、そろそろ俺に竹取教えてくれよ」
ヒロはトシムネを心配そうに置いてあった竹の入った籠を代わりに背負って見せた。
だが、トシムネは首を縦に振らなかった。
「はぁ......。お前にはそれ以上にやることがあると言っておろうに」
「やることってなんだよ! まさか、伝承よろしくアヤカシとかと戦えってのか? それこそ冗談じゃないぜ」
「そんなに力を持て余してるなら、喧嘩するよりマシじゃ......。お国のために戦うのが流天人の務めといつも教えておろうが。......話はすんだ。さっさとタケノコをばあさんに分けてやれ」
「おい、じいちゃん!!」
ヒロはトシムネを呼ぶが、彼は静かに自室へ戻るだけだった。ヒロはうつむき、竹の入った籠を台所に置いてタケノコをミグサに渡した。
「ばあちゃん、俺......」
「ヒロは、すっとここにいてもいいんじゃよ......。正直、孫の顔を見せないジンタロウやふらついとるトキシロウよりおまいさんの方がよっぽど孝行息子じゃわい」
ミグサの言葉は、ヒロの心に深く刺さっていく。自分の運命を知りながら避けている自分こそ、恥ではないかと思うようになっていた。そんな自分を置いてくれている二人に、迷惑をかけている自分に腹立たしくもあった。だが、喧嘩以外の自己表現はあいにく知らないでいた。
「あい、できたよ。早く、おじいさんを呼んできておやり」
「おう」
ヒロは、ぶっきらぼうにトシムネを呼びつけ、3人で夕食を囲んだ。ヒロは囲炉裏で焼いた魚を見つめ、タケノコやダイコンの入ったみそ汁をすすった。
「じいちゃん、ばあちゃん。。......俺、決めたよ。旅に出るよ」
「......ようやくか」
そう言ったのは、他でもないトシムネだった。
トシムネは、食器を置いてヒロを見つめる。
「な、なんだよ」
「お前さんは、この家におったら邪魔じゃ。はよ、荷物まとめて行け」
トシムネは、少し震えたような声色でヒロに言い放った。
ヒロはというと、トシムネの言葉をかみしめるように聞いていた。
「あんたさん、そういう言い方はないじゃろ」
「ばあさんは黙ってろ。これは、わしとヒロの問題じゃ」
そういうと、ミグサは口を紡いで二人の動向を見守る態勢に入った。
それを見て、ヒロはため息をつきながらトシムネを睨みつける。
「......俺が邪魔だってのか?」
「食料が足らんくなるし、喧嘩ばかりのお前がいると目立って仕方ない。お前の後始末は誰がやってると思ってる......」
「......。そうだな。俺はあんたたちに迷惑ばかりかけて、恩の一つも返しちゃいない。悪いと思ってる。だから、出ていくよ。もう俺の顔見なくて済んでよかったな」
そう言うと、ヒロは焼き魚とみそ汁を一気に平らげて身支度を始めた。
「そ、そんな! ヒロや、待ちなさい!!」
「止めるなよ、ばあちゃん。元々、そのつもりだったんだ。......世話になったな」
「そんなよそ事みたいに......」
ヒロが、身なりを整えているとトシムネが彼に刀を渡してきた。
「なんだよ」
「わしの家に伝わる刀だ。蔵で腐るより、お前が持っていけ」
「いつまで持つか知らんが、大切にするよ」
そう言うと、ヒロは腰にその刀を収めた。それを見たトシムネは若干笑みを浮かべた。
「じゃあな、じいちゃん。ばあちゃん」
「気い付けてな」
手を振り、ヒロを見送るミグサに対して、トシムネは無言で彼を見つめていた。ヒロは、彼の思いをくみ取り、二人に手を振って別れを告げた。
「向かうは、『鬼ヶ島』ってか?」
さて、ヒロは二人の住む村から町に降りてさらに港の方へと向かっていった。彼はシマダ藩の海域を抜けた先にある島、アヤカシの住む島へと向かおうとしていた。
「や、夜行だぁああ!! 子供を隠せ!! 女を蔵に閉じ込めろ!! 隠されるぞ!!」
突如として暗雲が立ち込めたかと思うと、港から男が蒼白な顔をして叫び倒していった。途端に櫓から警鐘が鳴り始めていく。なんだなんだとヒロが周りを見渡していると、不気味なお囃子のようなものが港から聞こえ始める。しばらくすると、到底人とは言えぬ異形が姿を現してくる。ひと際目立つは、背は八尺ほどの白いキツネだった。尾は九つあり、どうやら九尾のようで他のアヤカシどもを従えているように見えた。
「シマダさんはどこにいはる?」
九尾が突然、茫然自失とする町民に声をかける。
その者は、声も発さずにただ、藩主のいる城の方を指さした。
「ありがとさん。ほな、いきましょか」
牛車がギイギイと音を立て、太鼓や笛が不快な音階を奏でながら城の方へ向かった。
暗雲は、彼らが去ると同時に移動していき異様に港が晴れていく。
「あいつらがアヤカシなのか......。案外仲良くやってるのか? うちの藩主とは」
「バカ言え! あいつらは、人を襲わない代わりに俺達の食い物さ奪ってるんだ! シマダ様もそれをよしとしとる! ああ、早く流天人様が来ていただければ......」
「結局、人任せってのもねえ......」
苦笑いしていると、またアヤカシ連中がこちらに向かっていた。だが、今度は、港の方ではなくヒロの住んでいた集落の方へと足を運んでいった。ヒロは眉をひそめて彼らの行く方向へ走っていった。
「あいつら、何してんだ?」
鬼や天狗、ろくろ首などヒロでも外見を見ただけでもわかるようなアヤカシもいれば、どう表現すればいいかわからない完全な異形種もそこにいた。そして、彼らは先ほどの九尾の命令で村を襲っていった。
「ふざけんなよっ!!」
ヒロは走っていくと、アヤカシたちはヒロの村に火を放って回っていっていた。ヒロは慌てて、その先頭に立ち炎をぼうぼうと上げて回転する輪入道の元へ向かう。
「俺の村を燃やすなぁ!」
ヒロの刀にヒビが入ったものの、輪入道もその車輪に傷がついてばたりと倒れゆく。
「に、人間だぁあ!?」
「命はないと思え!」
ヒロは怒りを込めて輪入道の額に刀をぐさりぐさりと何度も刺していく。
その返り血で、ヒロの顔や服は黒く染まっていく。
「次はどいつだ!!」
睨みながら周りを見渡していると、ヒロとその育て親が住んでいた家が燃えているのが見てとれた。ヒロは、刀を収めて必死に走っていった。だが、その背後からどたばたと図体の大きい赤鬼が泣きながらヒロを足止めする。
「オデの、仲間! 殺した! おまえ、許さん!!」
「離せ! 人殺しが仲間だのなんだの言うな!」
ヒロは、足にまとわりつく赤鬼を引きはがそうとするも、赤鬼の力には歯が立たなかった。刀を取り出してた叩くも、赤鬼の分厚い皮には耐えきれずボロボロと刀身が落ちていく。
「なんなんだよ、クソがっ!!」
ヒロは印を結び、赤鬼を吹き飛ばすと燃え広がる炎に向けて新たな印を結ぼうとした。
だが、赤鬼がそれを邪魔する。
「ハクビ様の邪魔! 許さない!!」
赤鬼が金棒を振り落とすと、ヒロはその軌道を避けて金棒を足払いしようとした。
だが、鬼はびくともしなくヒロを金棒で叩き落した。
「ぐあああ!!」
ヒロは立ち上がろうとするも、鬼はその赤くひどく汚れた素足でヒロを踏みつける。
さらに、後から来た小さい鬼たちがヒロの足にかじりつく。
「じいちゃん、ばあちゃん!!!」
ヒロのすぐ目の前で、村や自分の家がどんどんと炎に消えていくのが見えた。ヒロは自分の弱さに怒りと憎しみを募らせた。目に涙をため込みながら、ヒロは震える手で印を結ぶ。すると、鬼たちは炎に包まれていった。
「うあああ!! あち! あちちち!」
赤鬼はただ、火の粉を振り払うだけの軽傷で済んでいた。
「どんだけ頑丈なんだよ......」
ヒロはまたも先ほどとは違う印を結ぶと、今度は何もない赤鬼の頭上から石を降らせた。
赤鬼は瓦礫の下敷きとなっていった。
「これでどうだ!!」
だが、赤鬼はその瓦礫さえも押しのけて、傷だらけになったものの元気な状態でヒロの前に現れた。
「オデ、お前嫌い! お前、潰す!!」
「意見があったな。俺もだよ、アヤカシ野郎!!」
鬼はまたも金棒を天高く掲げてヒロの方へ走り込む。
その足取りは遅く、振り下ろそうとした瞬間にヒロは天高く飛び上がり手を十字に印を結んだ。
「雷撃散蛇!!」
ヒロが叫ぶと、鬼の周りに雷がバリバリと音を立てて落ちていく。
さすがに近距離で雷を浴びたからか、鬼が黒焦げになりその場で倒れていった。
「まだ、うじゃうじゃいやがる......」
周りを見渡すと、炎に紛れるようにアヤカシたちが集落を襲っていた。
ヒロは魔力を使い、疲弊していると先ほどの白い九尾がヒロの前に現れた。
「おや。一人、活きのいい方がおりはりますこと」
「あんたが、ハクビっていうアヤカシの親玉か?」
アヤカシが一つ、九尾は倒れていたヒロに顔を見合わせるようにしゃがんでいた。
その声は妖しく、人のように歩き、ヒロの顔にその白い手で触れた。
「親玉とはちゃいますけど、シマダさんとはよろしゅうしております」
「それで、そんなお前がここで何してんだ。はんなり狐」
ハクビの手を振り払い、ヒロは彼女を睨みつける。
ハクビはというと、ずっとしたり顔のような笑みでヒロを見つめる。
「悪いのは全部、あんたさんですよ? あんたさんが、シマダさんを困らせたさかいに......」
ヒロは、顔を覗き込むハクビに先ほどの雷攻撃を浴びせた。だが、そのアヤカシは指先一つで雷の方向を変えていき、その攻撃を無力化していった。ヒロはたじろぎながらも、矢継ぎ早に魔法攻撃をしかけていく。だが、そのことごとく破れたる。
「ぐっ......。くそっ......。強ええ」
「あきませんなぁ。アヤカシに南蛮魔術向けたら。......諦めて、消えてくれません?」
「消えるのはてめえだ! こうなったら奥の手だ。 天技、天叢雲剣!」
そう言うと、ヒロの左目が紫色に変化していった。そして、柄だけになったトシムネの剣を持ち始めた。すると、柄から光が放たれて剣状になっていった。
「あらら。あんたさん、流天人かいな......。こりゃ敵わんなぁ」
ハクビの少し慌てる姿に、ヒロはニヤリと笑った。
そして、その剣を天高く振り上げた。
「天技なら、お前らに“必ず”当たるんだってなぁ!! 天誅、悪鬼滅殺!!」
ヒロが剣を振り下ろしたと同時に、剣は鞭のようにしなり蛇のようにうねうねと曲がって、逃げ行く九尾を追いかける。そして、その光は完全に九尾の胸に突き刺さった。
「ぐはぁっ!!」
流石の九尾も、ヒロの攻撃に地面に倒れる。
ヒロはアヤカシの倒れた方へ行き、その行く末を見守ろうとした。
「ム、ムラサキ......」
聞き慣れぬ言葉に、ヒロは首を傾げた。ハクビを見ていると、突然灰となって空へ散っていった。初めて見た光景に、ヒロは少しびっくりした。さらにヒロは膝から崩れ落ちていった。
「くそっ......。フルパワーで使ったのが仇になったか......」
うなだれていると、馬が数頭こちらに向かってくる音が聞こえてきた。ゆっくり首をあげると、御用と書かれた提灯を掲げた岡っ引きたちがヒロの育った集落を訪れてきた。
「あ! あいつです! あいつが、アヤカシたちを引き入れて謀反を起こしたのです!!」
岡っ引きのさらに後ろから、ひょこっと高貴な呉服を着た男ホマレ・シマダが顔を出していた。当然、ヒロもその顔を覚えており、彼の顔を見た途端怒りで眉をひそめた。
「はぁ? あいつ......。たしか、藩主のドラ息子っ!!」
「ど、ドラ......!! 調子に乗りやがって!! みなさん、お願いします!!」
そういうと、岡っ引きたちは満身創痍のヒロを抱え上げようとした。ヒロが万事休すかと諦めかけたその時、岡っ引きとヒロの間に煙と共に一人の大男が現れた。男は現れたと同時に両手を広げて見せた。すると、そこから強い光が発せられた。ヒロは腕で顔を隠した。
「立てる? ヒロちゃん」
「その声、トキシロウか?」
ヒロはその声に聞き覚えがあった。幼少の頃一度きりだったが、そのガタイのよさからは想像もつかない女性のような柔い口調がヒロに違和感と存在感を植え付けていた。その名は、トキシロウ・アマクサ。ミグサたちの実の嫡男であり、ヒロとは義兄弟ともいえる存在である。
「その名前、やめてくれない? 今はおトキって呼んでよね! さ、相手さんの目がくらんでるうちに行くわよ......」
トキシロウは、持参していた宝石の入った西洋杖で砂の地面に魔法陣を描いた。その瞬間に、魔法陣が光ってトキシロウとヒロは消えていった。
そして、数刻後シマダ藩の隣に位置し、この国を統一した将軍収める天領に二人の姿は現れた。トキシロウは、すぐさまヒロを自分の店の蔵に匿った。ヒロが目を覚ますと、トキシロウは心配気な声で彼の腕を掴む。
「気が付いた? ヒロちゃん」
「ああ......。ここはどこだ?」
ヒロはまだ辛そうな声で、トキシロウを見上げる。すると、彼の他に肌の白い少女が心配そうにトキシロウの後ろでヒロを見つめていた。怪しむヒロにトキシロウは、優しげな声で彼女のことを伝えた。
「ここ? 心配しないで、うちの店の蔵だから。 ......ああ、この娘? うちで働いてる看板娘のムラサキちゃん。この子、あなたのこと必死に看病してくれたのよ」
「ムラサキ?」
ヒロは改めて、菖蒲をかたどった飾りのついたかんざしが特徴な彼女を見つめた。彼女はどこからどうみても人間にしか見えなかった。だが、ムラサキという名はアヤカシであるハクビから聞いていた。それゆえ、彼女の腕をがっしりと掴んだ。
「お前、アヤカシか?」
「ちょっと、いきなりなーに? うちの娘に手、出さないでくれる?」
トキシロウは、ギリッとヒロを見つめてはいつもよりも低い声色になった。
ヒロは、彼の静かな怒りにためらって彼女から手を離した。
「すまない。アヤカシからその名を聞いていたもので......」
「......そうなの。じゃあ、これに着替えて」
含みのあるような返しが気になったものの、ヒロはそれ以上にトキシロウに手渡された衣服に目を丸くした。
「なんだこれ? サングラスか? それに、これはチャイナ服か?」
「話が早いわね。さすが、流天人。じゃ、あんたは今日からシナから来たうちの用心棒ってことで」
「はぁ? そんな突拍子もない嘘、通じるか? ただの屋台に用心棒はいらねえだろ」
「いくらテンジョウ様のおひざ元と言えど、物騒なのはどこも一緒なのよ。さぁさ、着た着た!」
なんだかんだ言いくるめられて、ヒロはトキシロウから渡された中華服を着た。着慣れぬ民族衣装に、てこずりながらもその端麗な顔立ちに救われてか、似合う姿にトキシロウは苦笑いした。
「じゃあ、店番お願いね」
かくしてヒロは、用心棒としてトキシロウの煮売酒屋で働くことになった。蔵から出て初めての天領に、ヒロはその人の多さに身を引いた。だが、それもすぐに慣れてただ立つことに飽きてくるほどにまでになった。
それから数日、蔵を拠点にして寝泊まりをしつつトキシロウの店を守っていた。
ただ、それでは飽き足らず、トキシロウはヒロに皿洗いや店の掃除を覚えるように言った。
ヒロも暇で仕方なかったので、ムラサキと共に彼の店の手伝いをすることにした。
「たしか、ムラサキとか言ったな? お前、生まれはどこだ?」
「さぁ......。わっちは、物心ついた時にはもうおトキさんに拾われておったに」
「そうか......。その、この間は悪かったな」
「別に......。構わん。じゃあ、わっちは料理するよってに」
「おう」
ムラサキの手際のよい下準備に、ヒロは見惚れつつ屋台の周りを掃除した。
だんだんといい匂いが立ち込めてくると、天領に住む都会のサムライや商人が嗅ぎつけてきた。
「ムラサキちゃーん! こんちわー」
「久しぶり! いつものいい?」
店ののれんをくぐった男どもは、鼻の下を伸ばしてムラサキを見つめながら入ってきた。ヒロは当然その後ろで彼らを睨みつけていた。彼らはそんな用心棒も眼中になく、微笑みながら品出しをするムラサキに夢中だった。
「気立ての良さそうな奴だが......。俺の予想とはやはり違うのか?」
1人、呟いているとサムライたちと入れ違いでガタイのいい西洋服の来た若い男が現れた。男はどう見てもヒロたちと同じ国の人間だった。
「ハロー! ムラサキって娘はあなたデスカ?」
「え? は、はい......」
ムラサキが奇妙に感じながらも、頷くとすぐに西洋服の男が彼女の腕を掴んで連れ去ろうとした。
「トキシロウが用心棒を雇うわけだ......」
ヒロはとっさに男の腕を掴み、グッと握りしめた。そして、男がムラサキの手から離れると、ヒロはそのままその男を店の外に放り出した。
「うちの看板娘に近づくんじゃねえよ。南蛮カブキ野郎」
「やれやれ......。では、こちらも実力行使といきましょうか」
そういうと、男は頭にかぶっていた西洋帽を取ってみせた。すると、そこには人間よりも長く尖った耳と先ほどまでは見えなかった第3の目がじろりとこちらを見ていた。
「アヤカシか?」
ヒロの疑問空しく、三つ目のアヤカシはムラサキにしか興味がなさそうだった。
「その赤き瞳に白き肌、そしてその髪飾り......。ハクビ様のご遺児と見受けた。その命、この三つ目小僧が頂戴する!!」
三つ目のアヤカシはムラサキに向かってその鋭い爪を引き出して襲い掛かろうとした。だが、ヒロは無理やりムラサキの前に立ちはだかり、その三つ目のアヤカシを拳一つで吹き飛ばす。
「火事と喧嘩は天領の華だっけ? 俺もお前の命、頂戴していいか?」
ヒロは、アヤカシを吹き飛ばした拳を振って痛みを和らげつつ煽っていると、三つ目のアヤカシは立ち上がって再びヒロの方へ向かった。
「人間が、我らアヤカシ衆に勝てると思うな!!」
飛びかかるアヤカシの爪をスレスレでかわし、そのまま肘をアヤカシのみぞおちに撃った。アヤカシも人間同様によろけてしまうも、根気強くヒロを引き裂こうとする。
「どうしてこの子を狙う! ハクビの娘なら、お前らアヤカシにとって大事じゃねえのか!?」
アヤカシの攻撃をなんなくよけつつ、自分の身体が回復してきたことを感じていた。その自信は、彼自身の動きにも表れて、拳や足のキレがさっきよりも早くなっていた。
「黙れ! ハンパ者などアヤカシ衆にいらぬ! ただそれだけよ!」
逆にアヤカシの方は、ぜいぜいと息も絶え絶えになってきていた。その様子を見て、ヒロはアヤカシに馬乗りになってここぞとばかりに瞳を紫色に変えた。
「天技、天叢雲剣!」
抜刀した瞬間、光る刀が浮かび上がり逆手に持ち替えて胸に突き刺そうとした。
「や、やめて!!」
その瞬間、ムラサキの声が響き渡る。舌打ちをしつつ、ヒロは地面に刀を刺した。
「今度現れたら、命はねえからな」
そう言って、ヒロは三つ目のアヤカシを追い払っていった。
背中に背負っていた鞘に柄だけになった刀を収めてムラサキの元に戻る。
「どうして引き留めた」
「人殺しはダメだから......」
「あの目を見たろ。あれは、人間じゃねえ。アヤカシっていうバケモンだ」
ヒロは、ムラサキに目線をそらして言うとムラサキはヒロの視線の方へ走っていく。
「私も、その化け物なの?」
「まだ何とも言えねえな。兄上様に相談してみるか」
皮肉めいた笑顔で、ヒロが腕組みをしているとちょうどトキシロウが姿を現した。
その途端、ヒロはトキシロウの胸倉をつかんだ。
「おい、お兄様。ムラサキについて、隠してることあるよなぁ」
「やだ、暴力反対よ。それで、今日は大丈夫だった? ムラサキちゃん」
何かがあったことを分かってるかのような口ぶりに、ヒロはさらに怒りを込めて掴みなおす。
「話そらすな、南蛮小僧。お前のせいで俺らは藩でつま弾きにされてたんだぞ! その落とし前はつけてもらうぜ......」
「わ、分かったわよ......。確かに、この子は特別よ。この子は、人とアヤカシの間に生まれた子......。それを知ってるのは、アヤカシ衆の一部とアタシ、そしてこの子の父親だけ。でも、父親のことはアタシも知らない」
トキシロウが目を伏せていると、ムラサキが震えた声で彼に質問する。
「じゃ、じゃあおトキさんが私がどうしてアヤカシの子だって知ってるの?」
「ハクビに、あなたのお母さんに託されたから。ちょっと、あの人には御恩があったからその縁で......」
ヒロは怪訝そうな眼差しを向けるも、南蛮人ともすぐに打ち解けたと噂のトキシロウの事だからアヤカシとも接触してもおかしくないとも考えていた。
「一応聞いておくが、その“御恩”ってなんだ?」
「女同士のひ、み、つ。うふっ」
「聞いた俺が馬鹿だったよ......」
ふうとため息をついた後、ヒロは改めてトキシロウにムラサキのことを聞き始めた。
「それで、これからどうする気だったんだ? ここにおいちゃ、トキの店もやってられんだろ。用心棒もお尋ね者の俺ってのもまずいだろ」
「あら、優しいのね」
「俺はただ、この服と眼鏡を取りたいだけだ」
ヒロの半ば無理やりな言い訳に、トキシロウは少し微笑みながらヒロの着ていた服を返した。
「それなら、好都合ね。ちょうど、賃金払えないなって思ってたとこなの。あなた達二人、ここから出てって頂戴。ま、いつでもいいけどね」
「前から金なんてもらってねえけどな」
トキシロウを皮肉ると、ヒロの横からクスクスと笑いが聞こえ始めた。
「ふふふっ......。おトキさん、おひとりで大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。アタシにはすんごいパトロンがいるんだから!」
トキシロウは、心配するムラサキの頭を撫でてやった。
ヒロは着替え終わりにそれを見て、フッと笑った。
そのまま、ヒロはトキシロウに歩いて行って、腕をまくって見せた。
「魔力石、まだ平気そうか?」
ヒロの腕には、銀色の腕輪のようなものが巻かれており、それにはトキシロウの杖と同じような石がはめ込まれていた。トキシロウは、袖から眼鏡を取り出してヒロの持つ魔力石を見つめた。
「まだ、数回くらいは使えるんじゃない? 心配なら、一個持っていく?」
「ああ、頼む」
二人で話していると、ムラサキが興味ありそうに腕輪を見つめていた。だが、それがなにかを聞く勇気がなく、ただじっと見つめていただけだった。しばらくすると、トキシロウが蔵から持ってきた魔力石をヒロに渡した。
「はい、大事に使ってね」
ヒロは、渡された魔法石を取り変えずに袴の中に適当に放り込んだ。
「分かってる。じゃあ、もう行くよ」
「あら、いいの?」
「着替えたし、十分働かされたしな。お前も、旅支度できたか?」
ヒロはムラサキに問うと、彼女は後ろにまとまった風呂敷の結び目をギュッと持って、小さくうなずいた。彼女の顔を見て、ヒロは視線をそらしたまま歩いて行った。ムラサキはびっくりしたように飛び跳ねて彼の背中を追っていった。トキシロウは、彼らが見えなくなるまで手を振り続けた。
「ねえ、どこに行くの?」
「さあな。まずは人目につかない所だな......。そうなると、センゴク藩だな」
ヒロたちは、この国を治めるテンジョウ家のひざ元であるテンジョウ藩から、農地の広がるセンゴク藩へと歩みを急いだ。それから、4日の月日が経ってようやくセンゴク藩の領地までたどり着いた。その時にはすでにトキシロウからムラサキへこっそり渡されていた一貫文も4分の1にまで減っていた。
「雑に使いすぎたな、金......」
「おかげで食べ物には困らなかったけど......」
ヘトヘトになりながら、二人は錆びれた茶屋に入った。そこで、二人はお茶とお茶菓子を買った。ヒロはそれを頼んだ後に後悔した。
「ああ、またやっちまった」
「喉乾いたんだから仕方ね......。自分を責める必要ないに」
数日の旅路で、少し会話ができるようになった二人だが、それでもまだぎこちないくらいだった。
それはムラサキが一番わかっていたことだった。自分の一番聞きたいこと、つまり自分の母親である九尾のアヤカシ『ハクビ』についてを知ろうとしていたのだ。
「あ、あのさ......」
「なんだ?」
ビクつきながらヒロに言葉をかけるムラサキに対し、なんの躊躇もなく茶菓子の団子を食うヒロ。彼の食いっぷりにムラサキは聞きたいことも忘れ、あきれ果ててしまう。
「ご、ごめん。なんでもない」
「なんだよ。団子食いたかったのか?」
「そうじゃないよってに......。阿呆やね」
ムラサキが出されたお茶をすすっていると、笠を深くかぶった男が横切っていった。その男は、ヒロとムラサキをちらと見るなり、この茶屋の座椅子に座った。
「旅のお方ですかい?」
笠の男は、特徴的な抑揚でヒロたちに話しかけた。
ヒロは若干警戒して無言を貫くも、ムラサキは社交的な笑顔で答える。
「え、ええ。少し、用があるよってに」
「そうですか。それは素晴らしい。それで、次はどこへいくのですか? ヒロ・アマクサ殿」
そう言って、笠の男は立ち上がりヒロの腰に付けた刀を封じるように腕を絡ませた。
「いけませんなぁ。アマクサ殿の子息でありながら、放蕩するとは。今は年貢の収めるものがいなく、藩主は怒り狂っておりますぞ」
そう言いながら笠の男は、左手で右側に帯刀していた刀を取り出した。
「お前、シマダの差し金か!?」
「ええ。名乗るほどではございませんが、私はテッサイ・フジタ。大人しく、彼女を引き渡しなさい。そうすれば、藩主もこれまでのことは水に流してくれましょう」
フジタは、刀をヒロの首筋にちらつかせた。茶屋は少し騒動寸前になっていた。それを見たヒロは目を閉じて深呼吸をした。
「場所を変えましょうや、おサムライさんよぉ。ここじゃ、人目がついてあんたも困るだろ」
「うーん、そうですねぇ。ここは穏便に済ませましょう」
そう言ってフジタは、刀を収めて下駄をからんからんと打ち鳴らして遠くへ向かっていった。
「今のうちに逃げようよ! ほら!」
「それは、できない。武士の掟ってやつだ。それに、俺は売られた喧嘩は買う主義でな」
ヒロはそれ以外にも、なぜムラサキが狙われているのかが気になって仕方がなかった。それもアヤカシと人間の両方で。ヒロはそれを聞き出すため、喧嘩をしようと考えていた。
「よし、フジタだっけか? こっちも準備できたぜ!」
河川敷に佇んでいたフジタをようやく探し当て、ヒロは笑みをこぼしていた。
かくいうフジタは少し驚いた様子だった。
「あのまま逃げおおせるかと思っていましたよ? なにせ、あなたは武士の心得も破る流天人ですからねぇ」
「この時代に生まれたからには、俺も武士の端くれ。売られた喧嘩は必ず買う。それが礼儀ってやつだろ」
「減らず口を......。では、早速......。天技・八咫鏡!」
そう言うと、フジタは手を前に出して見せた。するとその先には光の円が浮かび上がっていった。そして、その光をそのまま手裏剣のようにヒロへ投げつけた。ヒロはのけぞる形で避けながら、そのまま後ろ宙がえりでフジタの方に向きなおした。
「おまえ、流天人か!?」
驚くのも束の間、フジタがヒロの目の前まで近づいて、その左手に持った刀で切りかかろうとした。
ヒロはギリギリで躱せたものの、左腕に着けていた腕輪の魔法石にヒビが入ってしまう。ヒロはそれを見て舌打ちをして、フジタを睨む。
「確かに私も、あなたと同じ流天の者。だが、私は前世を知っている。私の前世は、ひどい時代でした。自分の自由も許されず、快楽もない。その知識の差が、お前と私で、天技の能力差になるのだよ! 下等な流てんっなっ!!!」
自分に酔った話をしている隙をつき、ヒロは拳をその顔面に食らわせた。
「うるせえよ」
ヒロはそのまま、羽交い絞めにして落とす覚悟でフジタの耳にささやいた。
「過去がどうとか知るか。能力がどうとか、どうでもいいんだよ。俺は喧嘩できればそれでいいんだよ! んで、シマダはなんでこの子を狙ってる!? 知ってること全部話せ!」
顔が赤くなっていくフジタを横目に、ムラサキは心配そうに見つめる。ヒロはそんな彼女が目に映ってしまい、フジタを放してしまう。
「げ、げほっ......。げほっ......」
「さあ、早く話しな」
そう言って、ヒロが拳を上げるとフジタは手を挙げて降参した。
「は、話すから!! シマダが狙ってるのは、その子自身というよりその子の血です。その子の父親は、ジョー・シマダ本人です」
「てめえふざけてんのか?」
「ほ、本当なんです!! 以前、奴の城で耳にした! 私は耳が良い! 記憶もいい! お願いだから殺さないでくれ!!」
そう言うと、フジタは涙をこぼし始めた。
先ほどの鬼気迫ったような雰囲気とは打って変わってのことだったので、ヒロは困惑した。
「おいおい、泣くことねえだろ。はぁ......。俺の気が変わらねえうちにさっさと行け!」
追い払うように手を払うと、フジタは及び腰のまま逃げていく。
「シマダって、誰?」
話を聞いていたムラサキが、ヒロに問い詰める。
ヒロは振り返り、ムラサキをじっと見つめた。
「そうだな......」
言いかけると、ムラサキは急に後ろに指を差し始めた。
「あ、あれ!!」
振り返ると、光の円盤が眼前に飛ばされていた。すぐに、ヒロはムラサキの頭を抱えてしゃがんで回避したものの、その円盤はヒロたちを追いかけるように戻ってきた。ヒロはすかさず自分の天技でその光の円盤を切り伏せた。
「あの泣き虫野郎!!」
なんと、逃げたかと思っていたフジタが戻って来て、起死回生を狙ったのだ。
フジタはその震える手を抑えながらヒロたちに向かっていく。
「私だって、武勲を上げたい!! 死に晒せ! アヤカシもろとも!!」
「逃がした俺が馬鹿だったよ! 天技:天叢雲剣!」
「天技:八咫鏡!! 跳ね返れ!!」
八咫鏡は光の盾となり、天叢雲剣を打ち返していく。天叢雲剣の特性である永遠に伸びていく刀身でさえも、八咫鏡を増やしてフジタは対応していく。だが、喧嘩に置いてはヒロが一枚上手だった。
「おりゃ!!」
八咫鏡をすり抜け、ヒロの蹴りがフジタの胸部へ強く打ちこまれる。フジタはよろけて八咫鏡を引っ込めてしまう。その隙を狙い、ヒロはそのまま天叢雲剣で彼の首を切り落としてしまう。
「お、おまえ......」
舌打ちをして刀を治めるヒロに、ムラサキは少し心が揺らいでいた。彼女自身、元は人を殺すことに躊躇していた。それでも、自分を執拗に狙ってくる人間がいたらどうするか。そんなことを考えていた。
「軽蔑したか......?」
ヒロはムラサキの顔を見れないでいた。“殺さないで”という彼女の言葉に背き、彼女に凄惨な場面を見せたことになんとなく自責の念を抱いていた。すると、彼女はヒロの顔を覗き込んだ。
「わっちがおめさんなら、多分奴殺してた......。おめさんのこと責めれん。むしろ、ありがとう。助けてくれて......」
ムラサキの言葉に少し救われて、ヒロは胸をそっと撫でおろした。
「さて、お前さんの親父の顔を拝みに戻るとしますか......」
1人、歩いていくとムラサキは空に浮かぶ望月を見て茫然としていた。明かされてきた自分の出自を噛みしめるように思い返していたのだ。すると突然、ムラサキの目から涙があふれ出し、彼女のお尻から激痛が走った。
「う、ううっ!!」
「おい、どうした!?」
ヒロがムラサキの手が押さえているお尻を見ると、白いしっぽのようなものが生え始めていた。彼女はその痛みで、膝から崩れ落ちていたのだ。ヒロは、目を丸くした。
「ハクビのと、同じ......。白い尾か......。やっぱ、お前アヤカシの子なんだな」
「わからない! わからない! わっち、おめさんに殺される!? 死にたくない! 死にたくない!!」
涙のせいか、母親からの遺伝か彼女の茶色だった瞳は赤く染まり始め、手も狐のように鋭い爪が生え始めていた。ヒロはひどく困惑する様子の彼女を、抱き寄せて頭をぎこちなくなでてやった。
「死なねえし、殺さねえよ。 お前は、トキシロウに託された大事な看板娘、だろ? それに、俺はお前を守る義務があるからな......」
その言葉は、自分が彼女の母親を手にかけたゆえの言葉だった。村を焼かれたとはいえ、死に目に会わせてやれなかったことに負い目を感じていた。ヒロはしばらく、ムラサキを自分の胸の中でなだめていた。すると、落ち着いたのかしっぽも爪も目の色も元の通りになっていった。
「落ち着いたか?」
「うん......」
赤くはれた目をこすりながら、ムラサキは決意が高まった顔でヒロを見つめた。
「なら、会いに行くか。お前の親父のとこへ」
ヒロもそれをくみ取ったかのように、自分のいた地へ戻ることを提案した。
「うん! ねえ、お母さんにも会えるかな?」
「......それは、どうだろうね」
ムラサキの純真な問いかけに、ヒロはたじろいでしまった。
先ほど感じていた責任感が、ずしりとさらに重くのしかかる。
ヒロは彼女の輝く眼差しを遮り、その手をただ引っ張っていった。
ムラサキはその手の温かさに信頼と、優しさを感じ取っていた。
そんなことも露知らず、ヒロはずんずんと天領を横切り、7日ほどで生まれの地であるシマダ藩の領地へと戻ってきた。相変わらずの潮臭さにうっとおしがりながらも、ヒロはもやもやとした気持ちでシマダの城の前まで来ていた。
「よくここまで見つからずにこれたもんだ」
「ほんとね。ねえ、早く会いに行きたい」
「ああ、分かってるって」
城に潜入すると、妙な静けさを感じながらヒロはムラサキの手を引いて天守へと進んだ。中には天守を守る守り人が数人いたが、ヒロたちのことを客人かなにかのように襲わずにただじっと見つめていた。
「なんなんだ、この空気」
「歓迎、されてるのかな?」
天守の最上階に向かうと、シマダ藩の藩主であるジョー・シマダが台に鎮座していた。そのふてぶてしさたるや、息子のホマレを思い出してヒロは若干苦笑いした。
「貴様が我が藩の面汚し、ヒロ・アマクサか?」
「そうだとしても、親子感動のご対面に水を差すつもりはないよ」
余計な一言をヒロが言い放つと、ジョーは微動だにせずヒロを見つめた。
「娘の母親を殺めておいて、どの面さげて来た?」
その一言が、ヒロを一気に凍り付かせた。
すると、ムラサキは怯えたような顔でこちらを振りむいた。
「え......。ほんと、なの?」
「......」
ヒロは無言を貫いた。その様子にジョーは拍車をかけるように立ち上がる。
「言っておらんかったのか? なら、わしが言ってやろうか?」
「いや、自分で......」
ヒロが口を開こうとすると、ジョーはその口を押えるように手をがっしりと顔を掴んだ。
「そうはさせん。うちの息子が世話になったんじゃ。わしに言わせろ!」
そして、そのままヒロを振り倒していく。
ヒロは、倒れたまま何も言えずにいた。
「どうせ、言う勇気もありもせんかったのに粋がりおって......。いいか、小娘。お前の母は無残にもこいつに殺されたのだ。わしはただ、アヤカシと人間の仲をよくしたかったのだ。そして、お前をもうけた。それがなによりの証拠だ。だが、こいつは、アヤカシを容姿だけで目の敵にして惨殺していったのだ」
「あなた、ウソをついてる......」
ムラサキの言葉に、ヒロは少し救われたとともに驚きを見せた。
ジョーもまた、彼女の言葉に真一文字の口も下へ歪みだす。
「子に嘘はつかん。父親とはそういうものだ」
ジョーはムラサキを依然として見下すような視線を向けて話す。
ムラサキはその様子に、自分の想いを確信に変えた。
「いいえ、わっちは......。いえ、私はこの人をあなたより知ってるつもりです。私が、アヤカシの血で暴れそうになったのを、目の色変えずにただ抱きしめてくださりました。その心になんの嘘はございませんでした! だから、私はあなたよりヒロ・アマクサの声を信じます! ねえ、ヒロ。教えて......。どうして、母を殺したの......」
「......村を焼いていたのが、あいつだった......。俺の育った村だ。本当の両親じゃないが、愛情を持って育ててくれた親がいた......。それが、あいつらの手に落ちたんだ......。いや、すまない」
ヒロは、事実を述べていった。その姿をムラサキが真摯に聞いていた。その姿を見ていたジョーはというと、だんだんと怒りをあらわにしていく。
「ガキの分際で、わしの言葉を嘘と申すか!! いいか、お前はただの道具だ。わしが天下を取るためアヤカシを動かす道具にすぎんのだ! 道具なら、道具らしくわしの言うことを聞け!!!」
ジョーはそういうと、隣に置かれていた刀を取り出し鞘から抜き出した。
それを見て、ヒロは鼻で笑って拳を構える。
「なるほどなぁ。それがあんたの本性というわけか。虫唾が走るぜ」
「同感よ。私はあなたの道具じゃないし、言うことを聞く気もないから」
ムラサキも自分の中のアヤカシの力を解放させて、その鋭い爪をあらわにさせた。
二人を見た老獪でありながら、ジョー・シマダは豪快な刀の振りで風を生み出す。その鎌鼬を、二人は息を合わせて左右に分かれていった。ヒロは右から、ジョーのみぞおちに蹴りを入れようとするも途中で刀で防御されてしまう。少し後に左からムラサキが、その鈎爪でジョーの額に傷をつけて見せた。
「ぐ、うぐぐぐぐ!! 親の顔に何をするか!!」
「あなたなんか、親でもなんでもない!」
ムラサキは、鈎爪を引っ込めて右拳をそのふてぶてしい顔にめがけた。
ジョーの顔は小汚い汁を出して顎を歪ませた。ジョーはひるみ、片膝を折る。
「てめえ! ふざけんじゃねえぞ! アヤカシが人間に楯突くな!!」
ジョーは途端に袴の裾から拳銃を取り出してきた。ムラサキは目を丸くして、身動きが取れずにいた。だが、ヒロはその拳銃の引き金にジョーの指がかかった瞬間にムラサキの元へ向かった。
パァン!!
銃声と共に、ヒロは床に倒れてしまう。
「ヒ、ヒロ!!」
意識のないヒロを、ムラサキが揺り起こそうと肩を揺らす。
「くそ、南蛮人め。ケチりおって一発しか入れておらんではないか!!」
ジョーは二人のことなど気にしておらず、袖に隠していた回転式拳銃の回転弾倉を見つめる一方だった。ムラサキがその様子を見て、再び鈎爪を引き出すと急に彼女の腕をなにかが掴んだ。
「ってえな。ピストル持ってるなら先に言えや」
なんと、奇跡的にヒロが生きていたのである。
ムラサキの支えを勝手に借り、ヒロはむくりと起きだしていたのである。
「き、貴様! 確実に死んだはず!!」
ジョーが持っていた拳銃を床に叩きつけて怒り狂うと、ヒロはヘラヘラと弾丸の当たった魔法石を取り出した。
「トキシロウにまたキレられるだろうが。弁償しろよな? 大将」
「貴様だけは、貴様だけはわしが殺す!!」
そう言って、ジョーはまたも刀を取り出してヒロの脳天めがけて振り落とそうとした。だがヒロは、それをひらりとかわし、ホマレとやったことと同じように後ろ回し蹴りでその刀を落とした。足を戻し、姿勢を低くして刀を取り上げてヒロはその刀でジョーの胸を一刺しした。
「恨むなら、俺に喧嘩を売った自分を恨むんだな......」
ジョーの目は、だんだんと光を失っていった。騒動を聞きつけた、城の兵士たちが天守を上がってきたときにはすでに遅く、返り血で赤く染まったヒロとその後ろで自分たちを赤い瞳でにらみつけるムラサキがいるだけだった。その姿、とてもではないが彼らには禍々しすぎて刀を振るう手も震えてただ茫然とするだけだった。ヒロたちは石のように佇む彼らにガンを飛ばしながら、天守を後にした。
「さて、次はどこへ行くか......」
晴天の中、ヒロは伸びをしながら歩いていく。それをムラサキが追いかけていく。
「......ねえ、一緒にアヤカシの島に来てくれない? 私は私自身のことをもっと知りたい。もし、それでヒロの役に立てるならそうしたい」
ムラサキは少し、心細そうにしていた。
だが、ヒロは彼女の心を組んであえて突き放そうと冷たい声色で答えた。
「役に立つ、ねえ......。俺はもう居場所もねえし、目的もねえ。ただ、喧嘩ができればいい。その中でお前の仲間、アヤカシを殺すかもしれねえ。それでもいいか?」
「別に仲間って決まったわけじゃないし、私だっていざとなったらアヤカシとも戦えるもん......。多分」
ヒロがムラサキに微笑むと、彼女も微笑み返した。
二人は、そのままゆきずりで港で船を借り、海を出ていこうとした。
その時であった。
「待てぇ!! 逃げるなぁ!!」
鬼気迫る表情で現れるは、シマダ藩主の嫡男のホマレ・シマダであった。彼はおそらく、家路についた時、彼らの所業を知ったのだろう。ホマレは港で叫び倒す。
「逃げるな! 逃げるなぁ、卑怯者!!! オレと勝負せい!!」
そう言い、ホマレは心配する港の人たちを押しのけて桟橋を走り抜けて海へ飛び込んでしまう。だが、かなしいかな、彼はカナヅチでただバタバタとその場を暴れるしかなかった。そんな滑稽な姿にヒロは憐れみながら、叫び返す。
「逃げねえよ! 島見学したら、すぐに帰ってきてやる! その時は果し合いだ!! それまで死ぬなよ!」
そう言うと、バタバタとしていた海辺がしんと静かになってた。聞き分けたのかどうかはわからないが、ヒロはそのままゆっくりと櫂を漕いでいった。
「目的、できたじゃない」
「かもな......」
二人は、少し微笑みあいながらアヤカシの島へと向かうのだった。
その先の行方は、二人にしか知らない......。
―幕ー
読んでいただき、ありがとうございました。
ちなみに、『おじいさんは芝刈りですよ』とか『おばあさんは洗濯ですよ』とか『桃太郎の元ネタの人物の名前は「吉備津彦命」ですよ』などというツッコミは受け付けてません。あしからず。