【短編版】真実の愛を見付けた婚約者に、無理矢理『悪魔閣下』へと嫁がされましたが、私も真実の愛を見付けたのでおあいこですわね。
連載版開始しました。
短編後のお話を少し加筆した中編となります。
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「すまない、ロザリア。君との婚約を破棄させて欲しい」
定期的な婚約者様とのお茶会の席でのこと。唐突にそうおっしゃった婚約者である王太子殿下のロベルト様。
「はい? 一体どういうことでしょうか」
ロベルト様はうっとりしたようなお顔でなにかを思い出すように言葉にした。
「真実の愛を見付けてしまったんだ」
は? 真実の愛? この方はなにを言っているのだろう。
ロベルト様はお優しい方だ。お優しいが逆に優柔不断であるところが欠点でもあった。
いわゆる流されやすい方だった。
だから国を治めるには向いていないのでは、とまで噂されるほどだった。
私はそんなロベルト様の婚約者として、いずれ国王になるロベルト様を支えるように、と厳しい王妃教育を受けて来た。
一朝一夕で王妃になれるものではない。そんなことは幼い頃から王妃教育を必死に受けて来た私だからこそ分かる。ポッと出の令嬢がいきなりなれるものではない。それをこの方は分かっているのか。
真実の愛を見付けた? 意味が分からない。愛も必要だろう。それは分かる。私たちは幼い頃から婚約者同士であったと同時に、幼馴染でもあった。だからこそ、燃えるような恋愛はないにしても、お互い穏やかで家族のような愛はあるものだと思っていた。だからこそロベルト様のために厳しい王妃教育を耐えてきたのだ。それなのに……私の想いは必要なかったということ?
「それは国王陛下もお許しになられたのですか?」
「あぁ。父上は最初反対していたのだが……」
でしょうね。
「しかし説得を続け、ようやく認めてもらったのだ」
「……」
「君には申し訳ないと思っている。だからと言ってはなんだが……」
これ以上まだなにかあるというの?
「私と婚約破棄したことによって、君の名誉が傷付くのは本意ではない。だから父上に頼んでダルヴァン辺境伯との婚約を認めていただいた。今現在若くて独身、さらに優秀で君にふさわしい男がダルヴァン辺境伯だけだったんだよ」
さも良いことをしてやったかのような優し気な笑顔でロベルト様が言う。
「は?」
開いた口が塞がらなかった。
一方的に婚約破棄した挙句、勝手に可哀想な女扱いをされ、ダルヴァン辺境伯と婚約!? 私の意見は完全無視で!?
しかもダルヴァン辺境伯と言えば、あの『悪魔閣下』と呼ばれる方!?
ダルヴァン辺境伯領は国を護る要となっている。他国からの攻撃、さらには魔物が発生すると言われている瘴気の森が隣接している。常に死と隣り合わせの土地。
そんな土地をたった一人で治め、常に先陣を切って戦っているというダルヴァン辺境伯。二十五歳という若さだが、すでにご両親である前ダルヴァン辺境伯が亡くなられてからは跡を継ぎ、ずっと一人で騎士たちをまとめ戦ってきた。
元々魔力が異常に高いらしく、さらには残忍で敵方の人間だろうが魔物だろうが、全く表情すら変えず屠っていくらしい。そのため付いたあだ名が『悪魔閣下』。悪魔のように恐ろしい存在だと認識されていた。
そんな方と事前になんの話もなく、婚約破棄だけでなくいきなり婚約!? ふざけないで!! 馬鹿にするにもほどがあるわ!!
「父上と君の父であるナジェスト公爵にはすでに了承いただいている」
「!?」
お父様が!? なぜ!? 一体どういうことなの!?
怒りと悔しさとで涙が零れ落ちそうになったが、私にだって自尊心くらいはある。泣きたくなんかない。こんなところで泣かない。ロベルト様に未練などない。家族としての愛はあったと思っていた私が馬鹿だったのだ。
これがロベルト様なりの私に対する愛……だとは到底思えるはずもない。ロベルト様はどれだけ人を馬鹿にしているかということを分かっていない。こんなところで泣いてしまったら、ロベルト様に未練があると思われるかもしれない。それだけは嫌だった。
「分かりました。婚約破棄の件は承りました。新たなダルヴァン辺境伯との婚約の件は、お父様に確認させていただきます。それでは失礼いたします」
必死に平静を保ち、お茶会の席を辞した。背後からは私の名を呼ぶロベルト様の声が聞こえたが、もう振り返ることはなかった。
「お父様はお戻りですか?」
ナジェスト邸へと戻ると開口一番でお父様の居場所を求めた。
「書斎におられます」
執事からそう告げられ、真っ先に向かう。
「お父様失礼いたします。ロザリアがただいま戻りました。少しお話よろしいでしょうか」
そう告げながら扉を叩く。
なかから声が聞こえたかと思うと、扉は開かれた。
「おかえり、ロザリア。ちょうど今誰もいないからお入り」
お父様はそう言うと書斎へと促した。侍女がお茶を用意してくれ、応接椅子に向かい合い座る。
「ロザリア、君がなにをしにここへ来たかは分かっているよ」
「一体どういうことですの?」
極めて冷静に、静かに質問する。それが却って怒りを抑えているように見えたのか、お父様は立ち上がったかと思うと私の横へと席を移した。
そして私をぎゅっと抱き締めた。
「すまない……すまないロザリア」
その言葉にいままで張り詰めていた気持ちが一気に緩んでしまったのか、涙が零れてしまった。
「う、うぅ、一体どうしてこんなことになったんですの!? 私がなにかいけないことをしましたか!?」
「違うよ、ロザリアはなにも悪くない。なにも悪くないのだ」
そうやってしばらくお父様と抱き合っている間に、私の涙も落ち着き、冷静に話を出来るようになった。そして説明をされる。
「ロベルト様はたまたま街へお忍びで出かけているときに、とある男爵家のご令嬢と運命の出逢いをされたのだそうだ」
「はあ……運命の出逢い……ですか」
真実の愛の次は運命の出逢いか、と気の抜けた声しか出なかった。
「そしてロザリアという婚約者がいながら、ロベルト様はその男爵令嬢と頻繁に会っていたそうなのだ」
「……」
「そして最近になって国王陛下にロザリアとの婚約破棄、男爵令嬢との新たな婚約を訴え出したらしい」
またしても開いた口が塞がらなくなってしまった。
「国王陛下は当然ながら反対し説得してくださったらしいのだが、あまりのしつこさに結局は折れてしまわれた。逆にこんな浮気をするような相手に嫁がせるのは申し訳ないから、と謝罪されていた」
そこはまあそうですわね。このまま結婚をしていたにしてもおそらくロベルト様は男爵令嬢を愛妾にされるのでしょう。下手をすると私を排除しようとするかもしれない。それならば最初から結婚しないほうがマシだ。
「しかしそれがどうしてダルヴァン辺境伯との婚約話になるのですか」
それが一番問題だ。なぜ勝手に会ったこともない方とすでに婚約するはめになるのか。
「それは……ロベルト様が無理矢理言い出したことは間違いないのだが、ダルヴァン辺境伯領がこの国で主要な土地であることは間違いないのだ」
「えぇ、それは分かります。しかしなぜそれが婚約になるのです」
「それが、その……」
なんなのこの歯切れの悪さ。
「一体なんなんですの?」
「ひと月前にダルヴァン辺境伯が魔物討伐に功績をあげたのを知っているね?」
「はい」
ひと月前、ダルヴァン辺境伯領に魔物の大群が現れたのだ。今までにない魔物の大群が発生したため、国を挙げての騎士団が派遣された。
しかしまともに戦えたのはダルヴァン辺境伯領の騎士たちだけだった。国から派遣された騎士たちは人間よりも圧倒的に強い魔物たちとまともに戦える術を持っていなかった。
剣ではまともに魔物を切ることが出来ず、国の騎士団は壊滅寸前となっていた。
ダルヴァン辺境伯騎士団は魔法に長けた者が多数いる。そのため魔法攻撃、物理の武器にも魔法が付与されたものを使っていた。国から派遣された騎士団にもダルヴァン辺境伯騎士団から魔法付与を施してはいたが、それが間に合うほどの時間はなかった。
結果、ダルヴァン辺境伯騎士団はほぼ無傷で魔物の大群を殲滅。国の騎士団は逆に足手纏い状態で終わってしまったのだった。
その不名誉を隠すためか、ただ単にダルヴァン辺境伯騎士団を称えるためか、先日褒章式典が行われていたはずだ。
「ダルヴァン辺境伯にね……褒賞はなにが良いか問うたのだ。そのときに答えたのが……」
「まさか……」
「あぁ、君の名を挙げたのだ」
「!!」
唖然とした。なぜ私の名を? お会いしたこともないのに……。
「なぜですか、なぜ私をお求めになられるのです!? お会いしたこともありません! しかもまだ私はロベルト様の婚約者だったのですよ?」
意味が分からない。
「そうなのだよ。だから陛下や宰相閣下も驚き却下したのだが、その話を幸いとばかりにロベルト様が婚約破棄を言い出したのだ」
それをさも私のためのように言い出したというの!? 馬鹿にするにもほどがある! 再び怒りが込み上げて来てしまった。
「すまない、ロザリア。私は反対したのだ。婚約破棄を受け入れたとしても、傷付いた娘をそんなすぐに見知らぬ男の元へと送り出せる訳がない、と」
お父様は俯き私の手を握り締めた。
「しかし陛下はダルヴァン辺境伯の機嫌を損ねたくはない、と。ロザリアが嫁いでくれるのならば、かの土地にも援助をもっと行っていこうと思っている、と」
国王陛下に懇願されたら断ることなど出来ないことは知っている。
「すまない……すまない」
お父様は何度も謝罪を口にした。
「謝らないでください。お父様の本意でないことは分かっております。陛下からのお言葉ならば拒否など出来るはずがないことも理解しております」
顔を上げたお父様に精一杯笑って見せた。
「私、ダルヴァン辺境伯に嫁ぎますわ」
これは私の意地だった。
◇◇
婚約式を挙げるでもなく、私はダルヴァン辺境伯領まで嫁ぐことになった。
すでに婚約の書類は提出されていて、いつでも結婚式を挙げることが出来る状態だった。
あの話から何日も経たない間にダルヴァン辺境伯とお父様とで婚約書類にサインし提出されたとのことだった。
結局一度も顔を合わせることもなく、ダルヴァン辺境伯領まで向かうはめに。しかも本人はすでに帰郷しているらしい。普通婚約者を置いていく!? しかも自分で私を望んだくせに。
ダルヴァン辺境伯はなぜ私を求めたのかしら……。
ダルヴァン辺境伯領までは王都から馬車で六日ほどかかった。ナジェスト家からの護衛騎士と侍女を連れ、長旅に疲れながら、徐々に近付いてくると次第に寒さが増してきた。
ダルヴァン辺境伯領は雪国だ。冬の時期以外は涼しく過ごしやすいが、いざ冬本番になってしまうと雪に覆われ閉ざされた土地となる。
馬車のなかでは侍女が用意してくれた上着を羽織り、白くなりつつある息に不思議な感覚となった。
「同じ国なのにこんなに気温が違うなんて不思議ね」
「そうですね、お召し物をしっかりと羽織りませんとね。風邪をひいてしまいます」
「そうね、ありがとう」
長年私の傍に仕えてくれていた侍女のメリアが気遣ってくれる。
次第にダルヴァン辺境伯領と思われる街が見えてくると、さらに先には巨大な城が現れた。まるで要塞のような城。しかし雪が積もり幻想的にも見える。
「素敵ね」
馬車の窓から見上げる城は王都であったことを忘れさせてくれるほど圧倒的な存在感だった。
「お待ちしておりました。ロザリア様」
到着した馬車を降りると、城の者たちが一斉に出迎えてくれていた。
「ロザリア・ナジェストです。これからお世話になりますわね」
皆、笑顔で出迎えてくれている。いい人たちそうで良かった。戦いばかりの土地だから皆怖い人たちなのかと思っていたことが申し訳ない。
城のなかへと案内されるとエントランスのところで黒髪のとても背の高い方が待ち構えていた。
「旦那様、ロザリア様がご到着されました」
旦那様!? ということはあの方がダルヴァン辺境伯!? 驚きで思わず足が止まってしまった。
「ロザリア様? どうかされましたか?」
執事長と思わしき人物が少し心配そうに声をかける。
「あ、いえ、なんでもありません。失礼しました」
そして再び歩を進め、ダルヴァン辺境伯の傍へとたどり着くと、遠目で見ても背が高いと思ったが、近付くとより一層背の高さが分かる。
ロベルト様と並んで歩いていたときはロベルト様の肩より私の頭が少し出るくらいだったが、ダルヴァン辺境伯は肩の高さにすら私の頭は届いていなかった。
さらにもっさりとした黒髪は前髪がやたらと長く、完全に目を隠してしまっている。
スラッとはしているが騎士らしく引き締まった身体に広い肩幅、腕組みをし仁王立ち。
「ラキシス・ダルヴァンだ」
声も低く、上から見下ろされている……目は見えないけれど。まとう魔力のせいなのか威圧感もある。正直……怖い。
「ここでは自由にしてくれて構わない。私は城にいることのほうが少ない。だから私と食事なども気にしなくていい。分からないことは執事長のエバンに聞いてくれ」
それだけ言い終わると、ダルヴァン辺境伯はくるりと踵を返し去っていった。
「執事長のエバンでございます。今後なにかありましたら、なんでもお声かけください。それではお部屋にご案内いたしますね」
エバンは恭しくお辞儀をすると私のためにと用意された部屋へと案内してくれた。
その部屋はとても可愛らしく女性用に準備してくれたのだということが一目で分かった。
「これはダルヴァン辺境伯様が?」
「はい。ロザリア様のお好みに合うかどうか心配されながら手配されておられました」
ニコニコと微笑みながらエバンは言う。先ほどのなんだか冷たそうな態度からは想像つかないけれど……まあでも自分から私を望んでくださったんですものね。私も歩み寄る努力をしないといけないわね。
そう意気込んでいたのに、あれ以来ダルヴァン辺境伯とは全く会うことはなかった。彼の言う通り、本当に城にいることのほうが少ないようだ。
国境の見回りに、魔物が発生すると言われている瘴気の森の見回り、それらを定期的に行うため、ダルヴァン辺境伯はほぼそのための砦にいるらしい。
そのため城では私だけで過ごしている。自由にしていいと言うのは有難い反面、なにをしたらいいのか分からない。
ダルヴァン辺境伯領についての勉強をする日々は過ごしているが、それもある程度の日にちがあればおおよそのことは把握出来た。他にも城のことはエバンに聞いたりしながら勉強中だ。
ダルヴァン辺境伯領に着いてからひと月ほどが経とうというころ、ようやくダルヴァン辺境伯が久しぶりに城へと帰還する、と聞いた。
そこで城の主を出迎えるべく、ドレスアップしエントランスで待ち構える。
城の正面扉が開かれると、久しぶりに見る、相変わらずのもっさりとした黒髪が、私の姿を見た途端俯いた。ん?
「おかえりなさいませ。ダルヴァン辺境伯閣下。ご無事でなによりです」
そう言葉にしながらドレスを持ち頭を下げる。
「……」
な、なんで無言? なにか言ってよ。ちらりと顔を見上げると、ダルヴァン辺境伯は口に手をあて固まっていた。
「ラキシス」
「?」
「……」
「あの?」
「ラキシスと呼んでくれ」
ぷいっと横を向いたかと思うとそう呟いたダルヴァン辺境伯。
ラキシス? あ、名前で呼んで欲しいのね。
「ラ、ラキシス……様」
「ん」
目が隠れているためあまり表情は分からないが、なんだか嬉しそうな気がする。ほんの少しだけ口元が緩んだような。フフ、なんだか私も少し嬉しくなってしまうわ。名前を呼んだだけで喜んでもらえるなんて。
その日初めてラキシス様と食事を共にした。色々話しかけてみたのだけれど、「ん」しか声にしてくださらない。
うーん、まだまだ距離は遠いのかしらね。でもラキシス様から婚約を言い出したくせに。もうちょっと交流をはかってくれてもいいのに。
違うところから攻めてみようかしら、と騎士団が集まる場所へと向かってみた。皆、とても歓迎してくれ、色々とにこやかに話してくれる。ラキシス様もこれくらいにこやかにしてくださったらいいのに。あの不愛想さが『悪魔閣下』と言われる所以なのじゃないかしら。だって実際のラキシス様は悪魔と呼ばれるほどは怖くなかった。
初めて会ったときは確かに見た目が怖かった。背の高さとあのもっさり髪の毛、さらにはまとう魔力のせいか威圧感がある。
でも実際は不愛想だけれど、怖い人ではなかった。城の者や騎士団の人たちには慕われているし、私に対してもなにか理不尽なことを要求してきたことなど一切ない。
返事は乏しいが、話を聞いていないわけではないし、話し終わるまで聞いてくれている。そしてたまにはぼそぼそっと返事をくれるときもある。彼は優しい人だと思う。
そう思えたことが嬉しかった。王都で荒んでしまった心がここに来て癒されている気がした。それが嬉しく有難かったから、ここへ呼んでくれたラキシス様と少しでも打ち解けたかった。
ラキシス様が屋敷にいる間はなるべく声をかけるように、共に過ごすように心がけた。
そうしているうちにラキシス様も次第に心を開いてきてくれている気がした。
「温泉にでも行かないか?」
少しずつ会話も増えてきていたあるとき、ラキシス様がそう言った。
「温泉? 温泉とはなんですか?」
「城から少し離れたところにある風呂だ。地下から湧き出ているんだ。宿になっているから泊まりで……」
と、言いかけたところでラキシス様の言葉が止まった。俯いてしまった。これは……照れているのかしら。なんとなく耳が赤い気がする。フフ、可愛いわね。って、あれ? 可愛い!? 可愛いってなに!? 自分まで顔が火照り出したのが分かり慌てた。
「ま、まあ温泉とは地下から湧き出るのですか!? 凄いですね! ぜひ行ってみたいですわ!」
慌てて言ったためになんだか声が大きくなってしまったわ。恥ずかしい。後ろでエバンや侍女たちがフフと笑っているような気がする……。
ラキシス様は言葉にはせずコクンと頷いて見せた。か、可愛い……い、いやいや、大の男に可愛いはおかしいでしょう! 失礼だわ!
そしてラキシス様の休暇のとき、城から少し離れた宿へと向かった。雪もすっかり深くなり、一面銀世界だった。
「とても美しい景色ですわね」
「ん……しかし君のほうが……」
ぼそぼそと呟かれた言葉は私の耳には届かず聞き直したときには、ラキシス様そっぽを向いてしまい、なにも言葉にはしなかった。耳だけはやはり赤かったのだけれど。
特別室ともなると大きな部屋だった。しかし……
「す、すまない!! なにかの手違いだ!! 部屋を換えてもらうから!!」
今まで無口だったとは思えないほどの早口でまくしたてたラキシス様は、明らかに挙動不審で取り乱していた。
大きな部屋のなかには大きなベッドが一つだけだったのだ。こ、これはどうすべき!?
「い、いえ、大丈夫ですよ。い、一応婚約者でもうすぐ結婚するのではないですか。ですので、問題ないかと……」
「い、いやでも……」
ばつが悪そうに俯きぶつぶつ言っているラキシス様。ここは私がもう少し踏み込んでみるべきかしら。う、うん、そうよね。
ずいっと一歩を踏み出し、ラキシス様の目の前に立つと、その大きな身体の前から顔を見上げた。すると俯いていたラキシス様の目と初めて視線が合ったのだ。
驚くように目を見開いたラキシス様は、慌てて視線を外し、後ろを向いた。私はというと……
「綺麗!!」
ラキシス様の視線の先に再び移動し、逃げられまいと腕を掴んだ。
「ラキシス様の瞳、とても美しいです」
金色の綺麗な瞳。しかも金色だけでなく、色々な濃淡の色が入り混じり、宝石のように輝いていた。
「見るな!!」
ラキシス様は逃げるように顔を背け、前髪で目を隠す。でもやはり彼は優しい。私の手など振りほどくことなど簡単だろうに、無理に振りほどこうとはしない。顔を背けるだけだ。
「どうして? どうしてそんな綺麗な瞳を隠すんです?」
「……」
「私は貴方の瞳が大好きです」
「……」
ゆっくりとこちらを向いたラキシス様は泣きそうな顔をしていた。そして顔が近付いて来たかと思うと、私をぎゅっと抱き締めた。
こんなに大きな身体の方なのに、私を抱き締めるその姿はまるで小さな子供が泣きじゃくっているかのように思えた。私はラキシス様の頭をそっと撫でた。もっさりとしていた黒髪は思っていたよりふんわりと柔らかかった。
しばらく私を抱き締めていたかと思うと、そっと身体を離し、顔を真っ赤にしながら「すまない」と小さく呟いたラキシス様。
そんなラキシス様をベッドに座らせ、横に腰を下ろした。
そしてそっと前髪に手を伸ばすと、ラキシス様は一瞬ビクッとしたが、前髪に触れても止めはしなかった。ゆっくりと前髪を掻き上げ、今まで隠れていた顔を出す。
その顔はとても美しく、いわゆる美丈夫と言われるであろうほどの綺麗な男性だった。さらにはその金色の瞳が宝石のようで、吸い込まれる美しさだった。
「綺麗……フフ、初めて貴方のお顔を見ることが出来ましたね」
そう言ってそっと前髪を分ける流れのまま、頬を撫でた。両の頬を手で包み込み、にこりと笑って見せた。なぜ顔を隠していたのか、こんなに綺麗な顔に瞳なら隠す必要ないのではないかと思ったが、これほどまでに隠したい理由がなにかあるのだろうと、それはきっと知らぬ人間が安易に聞いてはいけない話だろうと、あえて口にはしなかった。
ラキシス様は泣きそうな顔になり、そして頬を包む私の手を自分の手で包んだ。私よりも遥かに大きい手にドキリとする。
「ロザリア……貴女が好きだ……キスしても良いだろうか」
「え……」
驚いていると、私の手を包んでいた手は私の頬に伸び、そっと顔が近付いてきたかと思うと、金色の美しい瞳に身体が動かなくなるような気がして、私はラキシス様の唇を受け入れた。
ぎこちなく合わされた唇が少し離れたかと思うと、再び重ねられ、緊張と唇の柔らかく温かい感触に頭がクラクラとした。それほど長い時間ではないのだろうが、とても長く感じられ身体が強張るのが分かった。
チュッという音と共に唇を離したラキシス様。そのまま鼻が当たる距離で私を見詰める。その瞳は熱を帯び、愛しそうな表情で私を見詰めていた。
「私は貴女を愛していても良いだろうか」
「え?」
私の頬を包んでいた手を離すと、ラキシス様は視線を外し前を向いた。そしてぽつりぽつりと語り出す。
「私のこの瞳は呪われているのだ」
呪い? 私は黙ってラキシス様の言葉を待った。
「私の魔力は異常に高い。その証としてこの瞳があるのだと言われた。体内にある魔力が瞳に映し出されているのだと」
そんなことが……でも実際ラキシス様の瞳は不思議に金色が揺らいでいるように見える。だからキラキラと輝いて見えるのね。
「この瞳は魔物を寄せ付けると言われた。だからこの土地に魔物が多いのは私のせいなんだ」
「そ、そんなこと!!」
そんなことがあるわけがない。だってこの土地に魔物が現れたのはラキシス様が生まれる前からだと聞いている。だから前ダルヴァン辺境伯も同様に戦っていたのだから。誰に言われたのかは知らないが、それでラキシス様は傷付き、一人で責任を感じ、今までずっと命を張って戦ってきたのだと思うと胸が締め付けられた。
「魔物がいなければ父も母も死なずに済んだ。私のせいなんだ」
前ダルヴァン辺境伯とその夫人は魔物に襲われ亡くなったとは聞いたが、誰もラキシス様のせいだなんて言っていない。むしろそうやって自分を責め続けるラキシス様を心配していた。
ラキシス様は優しい方。すべて自分の責任だとずっと重い荷物を背負い続けて来た方。
あぁ、なんて愛しい……ラキシス様には幸せになって欲しい。これは愛かしら……。
ロベルト様とのことがあり、愛とはなにかが分からなくなっていた。でもきっとこれは愛。そうよ、ロベルト様とはお互い愛は芽生えなかったけれど、今ラキシス様に感じるこの気持ちは愛だと断言出来る。私はラキシス様を愛している。
「ラキシス様……私には貴方が今まで苦しんで来たことをなかったことには出来ません。でも、これからの貴方を幸せにすることは出来ます。貴方がどんな力を持っていようと、魔物を寄せ付けようとも関係ありません。
私は貴方を愛しております。私が貴方を幸せにします。これからは私が貴方の重荷を共に背負いますわ」
そう言ってラキシス様の頬を再び両手で包むと、こちらを向かせた。ラキシス様の瞳は動揺なのか激しく揺らいでいた。それがまた綺麗とも思えるのだから重症ね。愛の力とは恐ろしいものだわ、とクスッと笑った。
私が笑ったものだから、キョトンとした顔になったラキシス様があまりに可愛くて、私は自分から唇を重ねたのだった。
◇◇
あれから温泉はラキシス様が休暇のときにはお泊りをしにいく保養所と化した。あの日二人で何度となくキスを繰り返し、息が荒くなった私たちはそのままベッドで……とはならなかった。そこはとても真面目なラキシス様。真っ赤な顔で「そういうことは婚儀のあとに……」ともごもごしながら呟いている姿もまた可愛かった。
ラキシス様は私があまりに金色の瞳を褒めるものだから、とうとう観念して前髪を切って整えた。綺麗に切りそろえられ、前髪も整えられたお顔はもう神のように美しかった。
「ラキシス様……素敵すぎます……あぁ、どうしましょう」
「?」
「だってこれだけ素敵なお顔が皆に知れ渡ってしまったら、ラキシス様がモテモテになってしまうではないですか! 私がお顔を出して欲しいと言った手前、女性にモテてしまっても文句が言えないではないですかぁ……」
冗談ではないほど真剣にそう訴えた。しかし本当に文句を言える立場ではない。あぁ、本当にモテたらどうしよう……。
「そんなことを気にしていたのか。私はロザリア以外愛せない。私は貴女を初めて見たときから好きだった」
「え? 初めてとはいつですか? この城に来たときではないのですか?」
「もうだいぶと前のことだ……」
それからぽつりぽつりとラキシス様は照れながらも話してくれた。
あれはまだ私がロベルト様の婚約者だったころ、夜会が行われ、それにロベルト様の婚約者として参加していたときだったと。
夜会が苦手なラキシス様は今まで一度も参加したことがなかったらしく、その日は陛下から強制的に参加するようにと命令があったそうだ。
そしてそのとき私の姿を見かけたらしい。
「私はすでにそのとき『悪魔閣下』と呼ばれ、人々から恐れられていた。女性などは特に近付きもしなかった。でも貴女は違った。会場に居づらい私はバルコニーで一人休んでいたが、そこに貴女は現れた。そして『貴方様も居づらいのですか? 同じですね』そう言って微笑んだんだ。
私のことを誰か知らないようだったが、私のことを知らない人間でも、皆、魔力と身体に恐れを抱き近寄らないのに、貴女はそんなこと気もしないような素振りだった」
そう言って私の手を握った。
「それがどれだけ嬉しかったか貴女には分からないだろうね」
少し寂し気な、しかし愛し気な表情で見詰める。
「でも貴女は王太子の婚約者だった。だからこの気持ちは誰にも知られないように、胸の奥深くに閉じ込めた。それなのに……」
握り締める手に力が籠った。苦悶の表情を浮かべる。
「それなのに、褒章式のために王都へ向かうとそこで色々な噂話を聞いた」
「あ……」
「王太子ロベルト殿下がどうやら男爵令嬢と最近親密な関係らしい、と。腸が煮えくり返る想いだったよ。調べてみたら、どうやら本当らしいし、婚約を破棄するかもしれないとまで聞いた」
あぁ、私が知るよりも早くにラキシス様は今回の件を知ってらしたのね。
「だから私は褒賞に貴女を望んだんだ。あんな王太子に貴女を傷付けられたくなかった! ……でも、すまない、結局は貴女を傷付けた……」
そう言ったラキシス様はシュンとしてしまった。フフ、やっぱり可愛い方だわ。そんなこともう全く気にしていないのに。
「フフ、私はラキシス様に傷付けられたなんて、これっぽっちも思っておりません。それよりも私を王都から救い出してくれたことに感謝いたします。そして、私を愛してくださり、私に愛を教えてくださったのですもの。私はとても幸せですわ」
そう言って、ラキシス様にしがみついた。大きな身体のくせにこんなことで固まるラキシス様が可愛くて仕方がない。
「ラキシス様、一緒に幸せになりましょうね」
抱き付いたまま見上げたラキシス様のお顔は真っ赤だったが、嬉しそうな顔で微笑み「あぁ」とだけ言葉にした。
◇◇
ひと月後には結婚式を行うことに決まっていた。ダルヴァン辺境伯領で、私の家族ナジェスト公爵家だけを呼び、ダルヴァン辺境伯領の優しい人々に囲まれての式を予定していた。
それは良かったのだけれど、ここに来て胃の痛くなる手紙がやって来た。
「行きたくないなら行かなくていい。私は行きたくもないし」
「フフ、そういうわけにもいかないですわ」
国王陛下から直々に王城へ来るようにと手紙が来たのだ。結婚の祝いもしたいからと書いてはいたが、おそらく実際目にして我々が本当に結婚する意志があるのか確認したいのだろう。
なんせ始まりがあれだから。
「仕方がありません。旅行だと思って行きましょう。私のことはラキシスが護ってくださるでしょう?」
「!! もちろんだ!!」
ガバッと私を抱き締めたラキシス。そう、初めて「様」を付けずに呼んでみた。ドキドキしたけれど、嬉しそうで良かったわ。
そうして我々は王都へと向かった。
王都へ到着するとナジェスト公爵邸にも向かい、私の両親にも挨拶をしてくれるラキシス。すっかり前髪がなくなり美丈夫になっていたラキシスに、お父様は驚愕の表情となり笑ってしまったわ。
そして呼ばれた王城では……夜会が開催された。
私とラキシスはドレスアップし、エスコートしてもらいながら夜会の大広間へと入った。
するとその場にいた全員が驚愕の顔でこちらを見る。私の姿を確認しそれに驚いたのもあるのだろうが、その横に立つラキシス。私と一緒にいることで『悪魔閣下』だということは皆分かったのだろうが、それがまさかの美丈夫。しかもとてつもなく美しい瞳。
皆、茫然とラキシスを見詰めていた。
女性陣は陰で頬を赤らめながらなにかを話している者もいたが、すっかりとその姿に魅了された猛者は婚約者である私がいるにも関わらず、ラキシスにしなだれかかるように話しかけてきた。
しかしラキシスはあからさまな侮蔑を込めた目で女性を見下ろし睨んだ。これがあの『悪魔閣下』と呼ばれた眼光なのね! とか呑気なことを考えてしまっていた。
睨まれた女性たちは真っ青になりそそくさと逃げ帰る。フフ、私たちの仲を裂こうとしたって無駄なんですから。
「ロザリア?」
振り向くとロベルト様がいた。その横には見たことのない女性が……この方が男爵令嬢かしら。
強気な表情でこちらを見詰める男爵令嬢の横で、呑気にこちらに歩み寄るロベルト様。
「ロザリア、久しぶりだね。元気だったかい?」
「ごきげんよう、ロベルト殿下。私はもう貴方様の婚約者ではありません。呼び捨てはおやめになってくださいませ。それにもう私はあとひと月で『ロザリア・ダルヴァン』となります」
「あ、あぁ、そうだったね」
そう言い膝を折り、頭を下げると、ラキシスが私の横へと付き、腰に手を回した。
「我々は顔を出したことでご命令には従ったかと思いますので、このまま失礼いたします。行こうロザリア」
「えぇ、ラキシス」
にこりと微笑み合った私たちはラキシスのエスコートで踵を返した。
「あぁ、そうだ。ひとつだけ」
そう言って立ち止まると、振り返りロベルト様と男爵令嬢様に微笑んだ。
「ロベルト様、ありがとうございました。貴方が『真実の愛』を見付けてくださったおかげで、私も『真実の愛』を見付けることが出来ました。私たちはとても幸せですわ。お二人もどうかお幸せに」
そう言ってラキシスに寄り添った。ラキシスは嬉しそうに私の頬を撫でる。そのラキシスの顔を見て、男爵令嬢がポーッとなっているのは見なかったことにしましょう。精々見捨てられないように頑張ってくださいね、ロベルト様。フフ。
夜の王城庭園を二人でゆっくりと歩く。灯された明かりが神秘的な美しさだ。空には星が広がりロマンチックだわ。
うっとりとしていると、突然ラキシスが星を見上げる私の唇に唇を重ねた。
「な、なんですの、突然!?」
不意を突かれ、一気に顔が火照った。
ラキシスはニコニコとしながら言った。
「だって嬉しくて」
「なにがですか?」
「君は私とのことを『真実の愛』だと思ってくれていたんだね」
あ……、さらに一層顔が火照る。
「フフ、夜だというのに、君の顔が赤いのが分かるよ」
「か、からかわないで!」
「可愛いよ、ロザリア」
どんどんと顔が熱くなる。顔を近付けてきたラキシスはチュッと軽く唇を合わせると、今度は腰に手を回し抱き寄せた。
そして金色の美しく煌めく瞳で、熱い眼差しを向けられたかと思うと深く口付けられたのだった……。
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短編後のお話を少し加筆した中編となります。
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