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彼女は世界を愛している

この回は盛大なネタバレを含みます。当シリーズを初めてご覧になる方は、初めからお読みになる事をお勧めします。

「時間なら有る。ゆっくり考えて決め給え」


 返事を決めかねているアシュリスへ、サンデーは優しく語りかける。慈母にも似た笑みを浮かべて。


 アシュリスが惑うのも無理は無い。


 忘却か、神に連なる者との対話の二択である。


 一個人としてならば、迷わずに前者を選んで日常に戻るべきだ。


 しかし彼女は、領主として民を守る義務が有る。そしてそれに耐え得るだけの正義感と責任感を併せ持っている。

 今回の動乱を経て、恐らく彼女は薄々感付いているのだ。サンデーが動いている理由の裏には、世界の真理が絡んでいるであろう事を。


 自分の保身と、好奇心。

 そして、領土、国、()いては世界へも影響を及ぼす規模の事象を、放っておいて良いのかという義心。

 それを、自分が受け止め切れるのか、という不安。


 様々な物が今、アシュリスの心の中で天秤に掛けられているのだろう。


 美しい顔を苦悩に歪ませながら、テーブルに置かれたティーカップを見詰めている。


 健気な事だ、とサンデーは思う。


 自分の事だけを考えて他者を出し抜こうと立ち回る者もいれば、彼女のように身を顧みずに他者を守ろうとする者がいる。


 人間とはかくも多様な面を見せ付けてくれる。全く、見ていて飽きない者達だ。


 特にアシュリスのような存在は稀有である。

 不老と言う、人の願いの一到達点に立ちながらも、尚もその力を他者の為に振るう者。


 彼女のような真に民を憂う者をこそ、本来は英雄と呼ぶのだろう。

 只、観光の邪魔になる者を排除しているだけに過ぎない自分を、英雄と呼ぶなど笑い話でしかない。


 自嘲めいた笑みを浮かべ、サンデーは花の香りのする茶を啜る。


 ……美味である。

 時に、このような自分には考えも付かない素晴らしい品物を創り出す人の子達を、これ程愛しいと思うようになるとは。

 感慨深いと言うのは、こういった事を差すのだろう。


 自分は全能ではあるが、全知ではない。

 人を堕落させ、破滅に導く事しか知らなかった。

 自分の描いた筋書き通りに、人が絶望に飲まれていく様。

 其処にしか楽しみが無いと思い込んでいたのだ。


 しかしどうだ。よくよく見れば、この世界には歓びが溢れている。希望を持ち、幸福を願う人々が、与えられた短い生をそれぞれ懸命に謳歌している。

 ちっぽけだと思っていた人の生。自身がわざわざ脚色などせずとも、その一つ一つに、数え切れないドラマがあったのだ。


 そしてそれを、陰日向なく支えようと努力する者達がいる。


 その様の、なんと美しい事か。


 いつしか彼女は、幸せな結末を望むようになっていた。

 それらを見る度、凍てつき、歪つであった自分の心が浄化されていくような感覚を覚えたのだ。


 無論、素の性格はなかなか変わる物ではない。今でも他者を虐げる強者気取りの者を見ると、つい底辺に叩き落としてやりたくなるが。それでも、善人と悪人の区別が付くようになったのは、少しは進歩したのではないかと自賛している。


 邪神として忌み嫌われていた自分が、人の心を解する事が出来るかも知れないと言う希望。それを感じた瞬間の昂ぶりは、忘れっぽい彼女ですら、今でも鮮明に思い出せる。



 サンデーが花の茶を飲み干した頃、アシュリスが顔を上げた。

 ようやく思考がまとまったようだ。その相貌に凛々しさが戻っている。


「決まったかね?」


 答えは予想出来ているが、敢えて尋ねるサンデー。


「はい。お話の続きをお聞かせ下さい」


 毅然とした眼差しを、真っ直ぐに向けて来るアシュリス。


「それでこそ、だ。初めて見た時に、君には目を付けていたのだよ。君ならば世界の真実に耐え得ると信じて、話そうじゃないか」


 静かにカップを置き、サンデーが続ける。


「まず大前提として、私は君達にとっては異世界からの来訪者だ。そして、その目的の9割は、常々(つねづね)言っているように只の観光さ。この点は揺るぎが無い。先刻、名も無き神官君へ語った内容は全て事実だよ」

「……確か、放っておいても我々が滅びるという話もあったと思うのですが」


 サンデーの言葉を咀嚼するようなしばしの間の後、記憶を掘り起こしながらアシュリスが質問をぶつける。


「ああ、残りの1割がそれに関係する事でね」

「と、言いますと?」

「この世界の保全、と言った所かな?」

「──そちらの方が余程重要ではないですか!」


 思わずアシュリスが叫ぶも、サンデーは一笑に付す。


「ふふ、優先順位を間違えて貰っては困るよ。あくまで私は観光者。正義の味方ごっこはついでなのだから。私は私の個人的な趣味の為、世界を守ろうとしているのだ」


 アシュリスが落ち着くのを待ち、言葉を続けるサンデー。


「この世界には、今現在、君達が神と呼ぶ存在の加護が無い事は承知しているね?」

「……はい」

「それはね、彼は今深い眠りに就いているからなのだよ」

「実在はしている、という事なのですか?」

「ああ。大雑把に言えば、遥か昔、この世界を巡って、世界の管理者──便宜上神と呼ぼうか。神と、異世界からの侵略者との間に戦が起こった。神は侵略者を撃退し、異空間へと封印した。しかし彼も力の大半を使い果たして、今は回復に努めていると言う訳だ」

「神界戦争……神話ではなく事実であったのですね」


 聞き覚えがあったのだろう。アシュリスが呟きを漏らした。


「一部の文献にはそう伝わっているらしいね。事実だとも。何しろ、当時の侵略者側に私は(くみ)していたのだからね?」

「なんですって!?」


 アシュリスが驚愕に目を瞠る。


「ああ、怖がらないでくれ給え。()われて陣営には加わったものの、実際私はそれ程乗り気ではなかったのだ。結局戦争中には中立を貫いて、一切手を出してはいない」


 宥めるように手をひらひらさせて見せるサンデー。


「だからこそ私は封印を免れて、自由にこちら側へと遊びに来れるのさ。君達の神と、いくつかの約定を交わしたお陰でね」

「その約定とは……?」

「一つは彼曰く、こちらに来た際には無闇に生命を奪うな、という事だ。まあ元々観光が目的だからね、そこは素直に飲んだとも。しかも殺しさえしなければ良い、糧とする分には構わない、という緩い内容だからね。時折のちょっとした悪戯くらいは大目に見て貰っているよ」


 メイドに新しい茶を淹れて貰いながら、サンデーが軽い調子で語る。

 自身に立ち塞がる者に対して容赦が無いのは、そういった理由からなのだ。


「では、もう一つは、先程仰っていた世界の保全だと?」

「鋭いね。話が早いのは助かるよ」


 出来の良い生徒を褒めるように、サンデーが目を細める。


「彼自身が動けない間、私に世界の見回りをしてくれ、との事でね。まあ観光のついでなら、と引き受けた訳さ」


 アシュリスに理解の色が浮かび始める。サンデーの不殺の理由と、英雄的行動の動機が判明したのだ。


「今、かつての侵略者達は、異界に封印されている。しかし実の所、今回の教団のように、世界に破滅をもたらすべく画策する者というのは存外多いのだよ。そんな者達に、一柱(ひとはしら)でも呼ばれれば、神の加護が無いこの世界は容易く滅ぶだろう。今回はたまたま私が居たから良かったがね」


 その言葉に、アシュリスが顔を青くさせて、わなわなと唇を震わせている。


「ついでに言うならば、誰が何をしなくとも、神が目覚める前に侵略者達の封印は解けるだろう。放っておけば滅びるとは、そういう事さ」


 アシュリスの顔色は完全に血の気を失い、青を通り越して白くなっていた。


 単体でも世界を滅ぼし得る存在が、複数居ると知らされたのだ。しかもそれらは実際に召喚される可能性が有る。この時点で叫び出して発狂する者も少なくない。

 それに比べれば、彼女の反応は幾らか落ち着いている方である。


 それでこそ、とサンデーは満足そうに微笑む。


「せっかくのお気に入りの観光地を、土足で踏み荒らされては敵わない。旅行がてら、見付けた芽を摘むようにしているのだが、如何せん私一人では手が回らなくてね」


 湯気の上がるカップを手に取り、サンデーが苦笑する。


「なるべくなら、私は傍観者でいたいのだ。出来れば人の世は人の手で守って貰いたい。その様をこそ観察に来ているのだからね。私が手を貸さずとも、自らの世界を守れるよう強くあって欲しい。だからこうして旅をしながら、有望な者がいれば声を掛けているのさ。無論、助手君達も同志と言う訳だ」


 茶を一口飲み、サンデーはアシュリスへと視線を送る。


「そこでだ。初めの方にも言ったのだが、君は私の眼鏡に適った。君をここに招いた理由はそれだ。良ければ、世界を守るお手伝いをしてくれないかね?」

「なんと……私のような未熟者に……!?」


 アシュリスが衝撃に耐えるように口元を抑える。


「むしろ君でなければ頼めない事だ。他者の為に身を捧げる尊い煌めきを持つ者こそ、世界の真実を()るに相応しい」


 言いながら、サンデーはテーブルの上に一冊の本を置いて、アシュリスの方へと押しやった。


「これは……?」

「名も無き神官君が持っていた太古の魔導書だ。彼等は己の為にしか使わなかったが、本来はもっと様々な用途に使える物なのだよ。引き受けてくれるなら、友誼(ゆうぎ)の証としてこれを進呈しよう。君ならば書の真理を解き明かし、平和に役立ててくれると信じている」


 再びカップを手にしたサンデーは、立ち昇る香りを楽しむように目を瞑っている。


「それほどの貴重な物を……」

「それでこの世が盤石になってくれれば、私も観光に専念できると言うものだ。その為の投資さ」


 くすりと笑って見せ、サンデーはアシュリスに軽く視線を投げる。


「ああ勿論、悪い事に使えばお仕置きだ。良いね?」

「……ええ、肝に銘じます」


 アシュリスは苦笑しつつ軽く頭を下げる。


「では、協力してくれるという事で良いのかな?」

「はい。世の為になると言うのであれば、私に出来る事は致しましょう」

「ありがとう。愛しい人の子」


 握手を求めるサンデーに、アシュリスもぎこちないながらも微笑みを返して応じた。


「そう言えば、今回の件についてまだお礼をしていませんでした。改めて、我々を……世界を救って頂いて、ありがとうございました」


 手を解いた後、アシュリスが思い出したように言い、深く一礼をした。


「良いのさ。私はこの世界を愛しているのだから」


 そう言い切るサンデーの貌は、満面に慈愛の笑みを(たた)えていた。


ようやく書きたい事は書き切りました。残りはエピローグになるでしょう。最後も気を抜かずに上手くまとめたいと思います。

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