審判
この回は盛大なネタバレを含みます。当シリーズを初めてご覧になる方は、初めからお読みになる事をお勧めします。
周囲の物をあらかた飲み込み、静寂が訪れた暗闇の底。
明滅を繰り返す巨大な魔方陣の上へ歩を進めた黒衣の女──サンデーが、目を細めながらぽつりと呟いた。
「立ち聞きとは、騎士としては行儀が良くは無いね?」
その言葉に、闇が揺らめき、魔方陣の光が照らし出す中へと、白銀の鎧を纏う騎士が姿を現した。
「……それについては申し訳ありません。衝撃的な内容だったので、思わず聞き入ってしまいました……」
軽く頭を垂れるのは、イチノ王国第二騎士団長ソルドニア・シュリークだった。
正規のルートで螺旋のようにうねる回廊を走り抜けてきたためか、顔に疲労の色が濃く出ている。
いや、疲労のせいだけではないのだろう。先程の司教とサンデーの会話の内容に動揺しているのだ。
「せっかくの出し物だったのだ、もっと近くで観れば良かったものを。勿体ない事をしたね」
羽扇の奥で笑うサンデーへ、ソルドニアが意を決したように問いかける。
「……貴方が邪神だと言うのは本当なのですか」
その言葉にサンデーが小首を傾げる。
「さて。正邪などは君達が勝手に付けた解釈だからね。私自身は善でも悪でも無いよ。話を聞いていたのなら、私に世を滅ぼす理由が無いのは解るだろう?」
「……しかし! 先程のやり取りは……あれはまるで、人の破滅を愉しむ悪魔そのものにしか見えませんでした!」
畏れの感情を抑え切れずに叫ぶソルドニアに、サンデーは目を細めて見せる。
「ああ、人の努力が報われないのは悲しい事だね。だからこその輝き。そして愉悦。人の不幸は蜜の味、とは君達の誰が言ったのだったかな。ふふふ、悲劇を好むのは、君達人の子も同様だろう?」
羽扇の裏でサンデーの口が弧に歪む。
「……否! それは劇や本での話であって、現実の世界の悲劇を望むなど……」
「本当かね? 現に今、世界の破滅を願う者がこの場にいたのだよ?」
ソルドニアには、それに対して咄嗟に言い返す言葉が無かった。
サンデーは羽扇の奥からくすくすと忍び笑う。問答が楽しくて仕方がないといった様子だ。
「私としては、お喋りは望む所ではあるが。その様子では、いくら言葉を重ねようと納得できる雰囲気ではないね?」
「……はい。最早、貴方の言葉は私などに判じる事はできません」
ソルドニアは決断を下すと、腰から「光輝」を引き抜いた。
「この剣が、貴方の正邪を問うでしょう」
切っ先をサンデーへ向けると、光を起動させ始めた。
「ふふ、上で使っていた神器とやらだね。私にどんな裁定が下るのか。楽しみじゃないか」
サンデーは満面の笑みを浮かべ、右手で手招きをしてみせた。
「おいで、人の子」
「──命の恩人に剣を向けるご無礼を、どうかお許し下さい」
「ああ、許すとも。君の覚悟の煌めきを、存分に見せてくれ給え」
サンデーの言を受け、ソルドニアが一瞬の瞑目の後、「光輝」を起動させる。
「──解き放て。其の光もて、我が眼前の闇を打ち払わん」
眩い光が、刃を包み込んでいく。
今回は手加減は一切無い。洞窟全体を照らし出すような輝きを以って、長大な光の剣が顕現する。
「穿て! 我らより陽光の加護を奪わんとする、不敬なる存在を打ち倒せ!」
洞窟ごと吹き飛ばしても構わないとばかりに、大きく振りかぶってサンデーへと溢れる光を繰り出した。
「彼の者が誠に邪悪であるならば、塵も残さずに撃滅せよ!!」
ソルドニアの咆哮と共に、闇を引き裂きながら一直線へと振り下ろされる光剣。
その剣先がサンデーに触れる──
刹那。
膨大な光の奔流が、唐突に消え失せた。
まるで闇へと飲み込まれるかのように、一片残らず霧散していったのだ。
予想外の光景を目の当たりにし、ソルドニアは目を瞠ったまま、剣を振り下ろした格好で固まっている。
「もう終わりかね?」
先程と全く同じ姿勢のままのサンデーが、その姿を見据えて声をかける。何事も無かったと言うように。
その言葉を受けて、ソルドニアの目に力が微かに戻る。
「……解き、放て……!!」
まだ僅かに残る気力を振り絞り、一振りの長剣程の光の刃を練り上げる。
「そうだ。邪神と呼ばれる者と相対したのならば。勇者は死力を尽くすべきだとも」
「……はああああ!!」
悠然と微笑むサンデーへ向けて、ソルドニアが駆ける。
そして、横薙ぎにサンデーの身体を切り払いながら、その背後へと走り抜けて行った。
その結果は、やはりサンデーの身体に触れた直後に光は搔き消えてしまっていた。
「ふふふ、言った通りだったね。私は善も悪も内包し、時にどちらへも傾き得る。君達人の子と同じ、中庸の存在なのさ。邪悪と断じる事など出来はしまいよ」
サンデーは姿勢を変えないまま、己の手の内に在るものを肩越しに背後の騎士へと見せ付けた。
「な! いつの間に……!」
ソルドニアが構えていたはずの「光輝」が、今やサンデーの手に握られていたのだ。
「ああ、言い忘れていたが。足元には気を付け給え」
手に持った「光輝」の刃を半ばからぱきりと二つに折りながら、サンデーが忠告する。
呆気に取られるソルドニアは今、魔方陣の上に立っている。その足が、陣の描かれた地面へとずぶりと沈み込んだ。
「まだ『門』が閉じ切っていないのだ。そのままそこにいると……ああ、遅かったようだね」
振り向いたサンデーの視界には、水面のように波紋を広げる魔方陣があるばかりだった。
「まあ、不幸な事故とは得てして起こるものさ。今はそれよりも、楽しい試食の時間だ」
起きてしまった事には興味を失い、手元に光る神器の欠片を口へと運ぶ。
ザクザクと、まるでスコーンを齧るかのように平らげてしまう。
「ふむ、伝説の武具と言うから期待したのだが。魔力は一級でも味はいまいちだね。作者には悪いが、残させて貰おう」
そう言うと、残した柄の部分を魔方陣に投げ捨てる。それも見る間に、その内へと沈んで消えて行った。
「さてさて、出し物としてはなかなかだった。後片付けくらいはしておいてあげようか」
満足した様子のサンデーは魔法陣の縁へと立つと、その円周を走る曲線を踏み付けた。そしてずりずりとその一部を擦って消すと、魔方陣全体にびしりとヒビ割れが走り、見る間に砕け散って行く。
後には、辛うじて数本燃え残った蝋燭が淡く照らし出す、仄暗い洞窟だけが残った。
「それでは、助手君を回収して帰るとしようか」
エミリーが眠る方向へと歩き出そうとしたサンデーの足が、ぴたりと止まった。
その視線が、己の胸元へと落ちる。
そこには、左の胸から何者かの真っ直ぐ伸ばされた指先が生えていた。




