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逆転の一矢

「まったく、あのバカ……無茶しやがって」


 アルトの引き起こした凄まじい雷撃に目をしばたかせながら、オーウルが独り言ちた。


「作戦をほったらかして何やってやがるんだか」


 口調は苦々しいが、その口元は軽く笑みを浮かべている。

 当然だ。自分の教え子の成長を喜ばない教官はいない。


 勿論、ナインが闘気を発動した様も目撃している。


 彼は今、戦場全体を見渡せる場所にいるのだから。


 海魔が出現した下流の目の前。アルトが降り立った場所。

 彼は今、フロントの町の水門の上に陣取っていた。

 防衛軍の本陣遥か上方、50mの高さにあるその場所からは、下流に沿った森の全体像が臨める。狙撃手が立つに最も相応しい場所だ。


 眼下では、下流に至ろうとする蛇蜘蛛の群れを押し留めるために奮闘する兵達の姿が見える。

 地面にポーションを振り撒いて、動きが鈍った所を的確に仕留めていく。これもジャンの立案だった。


「地味な奴だと思ってたが、伊達に騎士団長の右腕じゃねぇって事か」


 改めて賛辞を呟くと、森へと視線を戻す。


 アルトは作戦を放棄して私闘に走ったが、結果としては単身で赤子の一匹を仕留めて見せた。

 そのお陰でそこを担当していた第二班の手が丸々空き、森の奥へと探索に向かっていた。

 アルトも一息付いた後、森の中に消えた。


 他の班も右側の一匹を上手く足止めし、大きな個体は未だに海魔と睨み合いを続けている。

 ここまでの経緯は順調だ。

 じきに探索班が目標の召喚陣を見付ける事だろう。


「どれ、そろそろ準備しとかねぇとな」


 オーウルは銃身を固定する為の部品を取り付けると、その場に腹這いになった。

 水門の上は広く、オーウルが横になり長銃を構えてもまだ十分なスペースがある。どの方向へも対応出来るだろう。


 問題は目標までの距離と、彼自身だ。


 水門から、最も近い森の末端まででも1㎞はある。

 赤子達が陣取っている場所が1.5㎞程度だとすると、やはり目標は2㎞以上有る事は覚悟せねばならない。


 先にアルトを救った際の距離は2㎞。その彼女が保証したように、3㎞だろうと撃ち抜く自信は確かにある。


 ただし、それは平時の話だ。

 アルトを襲った腕を撃った時は、何も考えず勘に従って勝手に体が動いた。


 オーウルは実力は確かではあるが、明確な実績が無い。

 このような重大な局面で、鍵となる役割を担った経験が致命的に足りないのだ。

 いざ目標を捕捉した時に、平常心でいられるかどうか。そこが不安の種であった。


 しかし、目の前でかつての教え子達があれだけの活躍を見せているのだ。自分が続かなくては、どう面目を保てるのか。


 オーウルは目を閉じ、静かに、深く,呼吸を繰り返した。


 狙撃とは、己との闘いでもある。

 風向きや角度の計算はもちろん、撃てば必ず当たるという自分への絶対の自信。それをいかに維持したまま引き金を引くか。

 弛まぬ訓練と鋼の精神のみが、不可能を可能にする。


 現役時代は、優秀な前衛や魔術師のサポートに回るだけで万事が上手くいっていた。

 しかし今この瞬間、この役割だけは自分が担わねばならない。誰に任せる事も出来ない、重大な任務だ。


 その重圧に押し潰されそうになりつつも、老境に差し掛かってからようやく訪れた、自分が主役になる機会を得られた喜びを感じている。

 それを自覚した途端、今までの不安が嘘のように鎮まって行った。


(そうだ……これは俺の人生で初の、そして最後の見せ場になるかもしれねぇ)


 そんな事を考えながら、友人からの贈り物である最後の魔除けの弾丸を眺めた。


「おめえはこれを見越してこいつをくれたんじゃねぇだろうな?」


 弾丸に、久しくその顔を見ていない友人の姿を重ねながら、愛銃へと装填していく。

 あの飄々として予言めいた言い回しを好む賢者なら、そうであってもおかしくはない。


 装備を用意してくれたのは頼れる友人達だった。しかし、扱うのは自分自身だ。

 彼らの厚意を無駄にしない為、何より自分の意地を貫く為。オーウルは揺るがぬ鋼の心を作り上げていく。


 戦場を無心で俯瞰するオーウルの視界に、変化が訪れた。


 海魔と睨み合っていた大きな個体が、急に身を翻したのだ。


(何だ……?)


 後ろを見せた赤子に対して、海魔は特に追撃をしない。水から出たくないのだろう。再び眼下に群がる蛇蜘蛛を駆除する作業に入った。


 大きな個体はずんずんと大きな足音を立てながら森を横断し、アルトが炭にした赤子の成れの果てへと辿り着いた。


 そして、おもむろにその残骸へとかぶりついたではないか。


「共食いだと……!」


 あまりの光景に、固まりかけた心が揺れかけるが、辛うじて踏みとどまる。


 炭と化した同族の肉を食らい、見る間に一回り体積を増していく黒き赤子。


 その様子を見ながら、オーウルは通信機を手に取った。


「おい指令さんよ、一番でかい奴の動きは見えてるか?」

『……ええ、海魔から離れたのは確認していますが』

「奴さん、共食いを始めたぞ。仲間を吸収して、でかくなってやがる」

『なんと!?』


 そこまで報告した時点で、更に大きくなった赤子はすでに、ナインが担当している中心の赤子へと向かい始めていた。


『──右翼の個体も中央へ向かっています! まさか!』

「ああ……奴らこっちの狙いに気付いて、戦力をまとめ始めたな」


 赤子単体を脅かす者が現れたと見て、合体させてでも召喚陣を防衛するつもりなのか。


 今までの鈍重さが嘘のように森の中をどすどすと走り抜け、中央へと合流する2体の赤子達。右翼担当の班は全く追い付けず、妨害も叶わなかった。


 中央にいたナインもその勢いに押され、思わず回避のために距離を取ってしまう。

 しかしその判断は賢明だった。彼が立っていた場所が二体の赤子の合流地点であり、食事の場になっていたのだ。その場にいれば巨体に押し潰されていただろう。


 合流を果たした二体は、ナインが重症を負わせた個体を即座に貪り尽くすと、次にはお互いに噛みつき始めた。


 そして次第に二体は食い合った状態で抱擁するような姿勢となり、その輪郭が同化していく。瞬時に溶け合い、表面がぐにゃりと変形し、一体の人型へと再構築されていった。


 それは数秒の出来事だった。


 一つにまとまった黒い人影は、蹲った状態ですら水門と同等の高さがある。立てば天を衝くような巨人なのではないか。


 異様に頭でっかちだった頭身も伸び、体が巨大化すると同時に見た目も成長を遂げたようだ。すでに赤子と呼べる輪郭ではない。


 黒い巨人は紅い一つ目をかっと見開くと、半身を起こそうと、両手を勢いよく地に叩き付けた。


 ズズンッ!!


 地震かと思える程の揺れが周囲を襲う。

 その反動で身を反らした巨人は、膝立ちの状態で咆哮を上げた。


 ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!


 今までの産声の如き甲高さは欠片もない。魂そのものに重圧をかけるような、質量を伴った凄まじい重低音が戦場に轟き、ハルケンの歌をもかき消してゆく。


「聖戦の詩」によって保たれていた心の均衡が崩れ、兵士や冒険者達に恐慌が広がり始める。このままでは戦線の維持どころではない。


『支部長!!』


 その時、オーウルの通信機からアルトの声が響いた。


『水門から2時の方向!! 距離、およそ2,5!』


 オーウルは思考を止め、言われた通りの座標へ銃身を向ける。

 巨人が目の前に居座っている。やはりその後ろに目標があるのだろう。


『今から射線を開けるわ!! 後は頼んだわよ!!」

「……応よ!」


 すでにハルケンの支援効果は切れた。しかしオーウルは精神の安定を感じていた。

 教え子を信じ、自分を信じる。ただそれだけで良い。


 巨人越しに目標を思い浮かべ、イメージを作り上げていく。

 当てられない的など、絶対に無いのだと。




 ────────




「──ナイン!!」


 アルトは森を低空飛行ですり抜けながら、巨人から退避していたナインの姿を見付け出した。


「おお! お前も剥けたな?」


 すぐ傍に恐怖の具現がいるにも関わらず、ナインはにかっと笑って親指を立てて見せた。


「あんただけに美味しいとこはやれないってのよ! あのデカブツぶっ飛ばすわよ!」

「応! 俺が頭な!」

「あたしは腹! ほら、跳んでいけ!!」


 言うが早いか、ナインの体を射出するアルト。同時に自分も再び夜空に舞い上がる。


 巨人がそれらを捕捉して、両腕を振り回すが、図体が大きくなった分、速さは更に犠牲になったらしい。全くかすりもせずに、二人は所定の位置へと辿り着いた。


 即ち、ナインは左側頭部。アルトは左横腹。


 阿吽の呼吸で、それぞれの最大火力を同時に叩き込む。


「くたばれクソ野郎がぁっ!!」

「──天津風よ!!」


 ナインの竜牙が巨人の頭をスイカの如く破裂させ、アルトの荒れ狂う暴風が胴体を抉りながら、その身を森の右側へと大きく押しやった。


 ヴォオオオオオオオ……!!


 巨人が斜めに倒れながらも、腕を地に付いて持ち堪えようとする。


「ちっ、まだ足りねぇのか!」


 空中でアルトに抱えられながら、ナインが言い捨てる。


「でも、射線は空いた! これなら……」


 アルトがそこで言葉を切った。


 一閃の光条が闇夜を突き進むのが見えたのだ。


 数秒後、森の奥で巨大な闇の噴水が上がるのが見えた。


「「やった!!」」


 オーウルの退魔の弾丸が、見事に召喚陣を撃ち抜いたのだろう。


 竜閃は満面の笑顔で互いの手を叩き合う。


「「うおおおおおおおおおおおおお!!」」


 作戦の成功を受け、戦場の兵士達も一斉に勝鬨を上げるのだった。



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