悪夢の産声
ハルケンの広域支援により戦線を押し返す事に成功し、フロント防衛線本陣は一時の安寧を得ていた。
「あーあー、ゴホン! 久々に長く詠唱したもので、なかなか堪えましたな」
小一時間程歌い続けていたハルケンは、全ての兵に効果が行き渡ったと見て、一旦詠唱を止めて物見櫓から降りてきた。
「流石にこの年になると息が続かないものですな」
見た目には平然としているようだが、あれだけの強力な高位魔術を行使したのだ。消耗していない訳が無い。
「いえいえ、ご立派な詠唱でした。兵も皆奮い立っていますよ」
ジャンが掛け値なしの称賛を送る。
「そう言って頂ければ。しかし少々喉が渇きましたな。失礼しまして」
そう言うとハルケンは袖から先程ナインに渡した物と同様の小瓶を取り出し、蓋を捻って中の液体を一気に飲み干した。
「……くはぁ~! やはり効きますねぇ! これで元気百倍です。このハルケン、朝まででも歌い続ける所存ですぞ」
胸をドンと叩いて見せるハルケンの後方に、ふらりと人影が現れて、声を発した。
「そりゃあ結構な事だ。お前さんだってまだまだ若ぇんだ。それくらいの啖呵を切らなきゃな」
篝火の範囲に入ってきたのは、本陣に到着したばかりのオーウルだった。
「オーウル殿! お待ちしておりました」
ジャンがその姿を認めて軽く礼をする。
「ああ、厄介なもんが見えたから老体に鞭打ってきたぜ。そこの兄さんの詩だったんだな。それが聞こえたお陰で疲れも忘れてな。一気に走って来られたぜ。たまには長距離走も良いもんだ」
オーウルがハルケンを見て感嘆の声を漏らした。
「いや、すげえ術を体験させて貰ったぜ。部下もすっかり回復したし,礼を言わなきゃな」
「いえいえ、元気になって頂ければそれだけで十分。それが何よりの対価ですとも」
「大したもんだ。聖人ってのはこんなのを言うのかねぇ?」
そこまで言うと、オーウルはジャンに向き直り真面目な顔を作った。
「今連れてきた部下は先行隊と入れ替えてるとこだ。しばらくは戦線を維持できるだろう。余裕ができた今の内に会議と行こうや」
本陣の天幕に向かう時間すら惜しいとばかりに、物見櫓の木枠に背中を預けるオーウル。
「ええ、そうですね。まずは情報を整理しなければ」
ジャンも応じ、階段へと腰を掛ける。
ナインも膝にアルトを乗せ、近くに座り込んだ。そしてオーウルに向けて口を開く。
「支部長、アルトは……」
「ああ、それはわかってる。あの腕は俺が撃ったんだからな」
「……やっぱりか。助かったぜ」
「へっ、やけに素直じゃねえか。気味がわりぃ」
ナインが頭を下げるのを、オーウルが笑い飛ばした。
「お二人とも、黒い腕というのは?」
ちょうどハルケンと会話中の事で、戦場から目を離していたジャンには初耳であった。アルトの治療を優先したせいで、ナインからは詳しい説明を聞いていなかったのだ。
「ああ、アルトが森の上に偵察に出ようとしたら、でかい腕が急に現れやがってな。言った通り支部長が狙撃して助かりはしたんだが」
「そんなことが……成程、先程言っていた新手とはその事だったのか」
「一瞬の事だったからな、本陣からは見えてなかったかもしれねぇ。見張りは叱らないでやってくれ。油断した俺らが悪い」
ナインが襟を正すように言い切った。冒険者は自由の代わりに、自分の命は自分で守らなければならない。失態を指揮官のせいにはできないのだ。
「それでその黒い腕なんだがよ。ちとまずい事になりそうだ」
オーウルが話を続ける。
「俺が撃った弾丸は特別製でな。作った奴が言うには、『普通の生命体』には効かねえ代物なんだと」
「……確かに、魔銃隊の魔力弾はあの黒い球体には効果が見えませんでした。では、奴らはこの世の生物ではない、と?」
薄々感じていた疑念をジャンが口にする。
「つー事になるな。残念ながらあの弾はもう一発しか残ってねぇ。あのデカブツがもし量産されたらお手上げだぜ」
「推測としては、森の奥に奴らの発生源が残っていると考えられますが……」
ジャンが思考をまとめ始める。
「このまま戦線を維持してるだけじゃ、あの歌があると言っても結局は消耗戦になるだけだ。発生源とやらを潰さねぇ事にはな」
「だがあの物量を突っ切って森に入っていくのはなかなか骨だな」
冒険者二人の話を聞きつつ、ジャンは何かが引っかかるのを感じていた。視界の片隅に、一瞬だけ映ったような、僅かな違和感。
それはハルケンの歌が始まった時に感じた物だ。
範囲内にいた蛇蜘蛛の動きが鈍ったように見えなかっただろうか?
「……ハルケン殿。『聖戦の詩』に、敵の戦意を挫く効果はあるでしょうか?」
それまで黙って話を聞いていたハルケンへ質問を向けるジャン。
「いいえ。士気が上がったこちらの兵を見て怯える事はあるでしょうが、直接そのような効果はありません」
それを聞き、ジャンに一つの仮説が浮かんだ。
「それではもう一つ。ハルケン殿の栄養剤。それは通常の回復用ポーションとしても使用できる物でしょうか?」
この場合のポーションとは、治癒魔術を浸透させた薬用液を指す。
「ええ、それはもう効果覿面ですよ。とにかく色々と混ぜた上に治癒魔術をかけてありますからね。広く浅くですが、万能薬であると自負しております」
ハルケンの眼鏡がキラリと光った。
「それならば試したい事が有ります。一つ譲って頂けますか?」
「ええ、どうぞどうぞ。一本と言わず何本でも」
言いながら、背負い袋を地に降ろすと、中にはぎっしりと茶色の小瓶が詰め込まれていた。
「え、ええ。とりあえずは一本で」
ジャンが若干引きつつも小瓶を受け取ると、物見櫓の上からすぐ下の地面を見下ろす。
そこには配下の見張りが松明を持って立っていた。
その兵へ向けて声をかけると、小瓶を投げ渡して何事かを指示した。
「何をするのです?」
「一つ実験を頼みましてね。じき結果が届くでしょう」
ハルケンの問いと、残りの面子の視線を受けながら、ジャンは泰然と階段に座り込み、報告を待った。
しばらくして、本陣の入り口から兵士が慌てた様子で戻ってきた。
「指令殿!」
「どうだった?」
「はっ! ご命令通りに、弱った蛇蜘蛛を捕まえて先程の液体をかけた所、苦しみながら溶けていきました!」
「やはりか! よくやったぞ!」
兵を労って持ち場に戻らせると、答え合わせを待つ面々に向き直るジャン。
「お待たせしました。私の推測としては、奴らはアンデッドなのではないでしょうか」
「……そうかよ! 虫の姿に騙されてたが、考えてみりゃ材料は亜人の血だったな!」
一本取られたような表情でオーウルが膝を打った。
アンデッドとは、負の力と呼ばれる、生命力と真逆の性質を持つ魔力を凝縮して生み出される邪法の結晶である。
多くの場合はその身に宿る魔力が尽きるか、体を完全に破壊するまで動きを止めない厄介極まる存在だ。
しかしその身に巡るのは生物本来の生命力ではなく、負の力だ。簡単に言えば、生命力がマイナスになっている状態である。
ジャンが確認したのはまさしくそれだ。
通常、アンデッドを普通に攻撃して破壊した場合はその場に体が残る。
しかし今の実験によれば、治癒の術が込められた薬剤によって負の力を相殺され、蛇蜘蛛のマイナスの生命がプラスに傾いた結果、仮初の身体が失われたと推察できる。アンデッドである証拠と言えよう。
「成程成程。いやご明察ですな、ジャン殿。私の栄養剤を試験薬として使われたのは遺憾ですが!」
「ああいや、それは手元にちょうど有ったわけですし……」
ジャンが苦笑しつつハルケンを宥める。
「まあ今回は緊急時として不問としましょう。そもそも本来であれば、私が妖虫のサンプルから解析しなければならなかった事です。時間が無かったとはいえ……」
ハルケンが恥じ入るように軽く俯くが、すぐに顔を上げた。
「しかしそうなると、光明が見えてきましたな?」
「ああ、それは良いんだが……今すげぇ嫌な事思い付いちまったぜ……」
意気込んだハルケンとは逆に、ナインが顔を翳らせた。
「大理石の館で倒したアンデッド、今思えば攫われた娘達だったのかも知れねぇ」
それを手にかけたナインが拳を握り締めている。
「拉致して慰み者にした挙句、ご丁寧にアンデッドの研究にも使い潰しやがった訳か。恐らく今奴らが使ってるのが、その研究と寄生虫の両方を混ぜ合わせた呪術なんだろうよ。どこまでも腐ったド畜生どもだって事は、よーく解った」
オーウルも平常心を保つ為にか、敢えておどけた言い回しで仮説を立てて見せた。
「……許せませんな」
普段穏やかで優しいハルケンの声が、鋭く低く発せられる。その短い一言に、まるで冷たい刃を感じさせる静かな怒りが込められていた。
彼が派遣された湖畔の町では、未だに寄生虫の影響の元で苦しんでいる者達がいる。サンデーにより治療への足掛かりは得られたものの、解決にはまだ遠い。その研究を中断させられている事も含めて、ハルケンの胸にかつてない程の義憤が押し寄せているのだ。
オーウルの推測が正しければ、幾多の領民の犠牲の上に成り立った外法中の外法だ。断じて見過ごせる訳が無い。
「これで負けられない理由が増えました。必ず勝利し、研究に利用された犠牲者達への弔いとせねば」
ジャンが決意を新たに宣言すると、皆が頷きを返した。
「……指令さん、魔銃隊に通達。残りの魔力ありったけ回復弾としてリチャージ!」
その時、ナインの膝の上に抱えられた格好のままのアルトが、不意に言葉を発した。
「アルト殿、気が付かれたか!」
「ええ、あれだけ回りでギャーギャー喚かれてれば寝てられないわよ。絶対に許せない内容も聞こえたしね。ともかくまずは伝令よろしく!」
勢いよく起き上がると、若干ふらつきながらもその場に立ってみせた。
「おい、まだ無理すんな。血が足りてねぇだろ。ああ、これ飲んでみるか?」
ジャンが指令を飛ばしている間に、ナインがハルケンから受け取っていた小瓶をアルトに差し出す。
「喉が渇いてたから丁度いいわ、あんたにしちゃ気が利くじゃない」
奪い取るようにして受け取った小瓶の蓋を捻り、中身を一気に飲み下すアルト。
「──うっわまず!! 何よこれ! 青汁!?」
「心外ですな。私自慢の栄養剤ですのに。良薬口に苦しと言うでしょう? 慣れるとその苦さが癖になりますぞ」
ハルケンがその様子を見て眉をひそめている。
「うええ、余計喉が渇くんだけど……あれ、でもなんか調子良くなってきたような」
身体に熱が行き渡るような感覚に戸惑うアルト。確かに起き上がった直後と比べて、大分顔色が良くなっている。
「そうでしょうそうでしょう。即効性が売りですからな。なんでしたら皆さんも飲んでおかれると宜しいでしょう。これから長丁場になりそうですしね」
満足気にハルケンは頷くと、他の面々にも小瓶を渡していった。
「……そうだな。背に腹は代えられねぇ」
「今負けりゃ、三日後の副作用なんざ知ったこっちゃねぇしな」
「全くです。この際使える物は何でも使いましょう」
意を決して3人も一気飲みをしていき、その苦さに顔をしかめるのだった。
「ハルケン殿、この薬の在庫はあといかほどですか?」
口の中の苦みを我慢しつつ、ジャンが質問を飛ばす。
「まだまだありますぞ。手持ちはこの荷物分だけですが、領事館の倉庫には箱で山積みになっておりますよ」
「どれだけ作ってんだよ……」
「いや、今はそれが有り難い。兵を割いてこちらに移動させましょう」
そこまで話した所で、森の方から大きな衝撃音が響いた。
「何事だ!」
ジャンが物見の兵に尋ねると、すぐに返事が返ってくる。
「森の中から新手です! 黒い巨人のようです!」
「俺が撃った奴か? もう再生したのか!」
オーウルが物見櫓に飛び乗り、見張りが示した方向を見やる。
そこには、森の木々より頭一つ抜けて大きな影があった。
異様に大きい頭に、紅い光を放つ一つ目。体は丸みを帯びて、四つん這いの姿勢をしている。這い這いをするように、ゆっくりと森の奥から進んで来るのが見える。
まるで人間の赤子がそのまま巨大化したかのような姿だ。
オギャアアアアアア!!
真っ黒な口内を限界まで開き、産声を轟かせる闇の落とし子。
それは、付近にあった木を根っこから引き抜くと、森の周辺にいた冒険者達へ向かって無造作に投げ飛ばしたではないか。
ズズン!!
地面に突き刺さる勢いで投擲される樹木。
幸い直撃した者はいないようだが、異様な姿の新手に、前線が浮足立っている。
普段可愛らしいと認識している物が、有り得ない異形として現れるのは、否が応でも恐怖を掻き立てられるものだ。
「おい、マジか……!」
オーウルの横に立ち、共に状況を確認していたナインから声が漏れた。
同じような大きさの黒い赤子が、他にも3体、森の奥から進んできていたのだ。
オギャアアアアアアアアアアアアア!!
合計4体の巨大な幼な子達が、合唱するようにおぞましい鳴き声を響かせた。
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