備える者
開拓島領事館の一室、会議室として使われている部屋にて、アシュリスとソルドニアはテーブルに置かれた軍用通信機の前に立っていた。
湖畔の町で先日捕らえた蟲使いを,、ハルケンが仮死状態から見事に復活させ、ようやく尋問を終えたという一報が入ったのだ。
「いや、それにしてもサンデー様には感謝してもし切れませんな。まさか生きたまま解剖しても死なない被検体を提供して頂けるとは! まあ切って切ってもすぐに再生していってしまうので、内部の写真を撮るにも一苦労なのですが、ははは! しかしあの再生蟲は惜しいですな。蟲使いの素養が無ければ寄生出来ないとは。何とか利用したいものですが。まあそれはそれ、今後の研究課題と致しましょう」
肝心の報告をそこそこに、興奮を隠し切れない様子のハルケン。
「いずれにせよ。これは確実に医学の進歩へと繋がるでしょう! なんと素晴らしい事か!」
「ああ……まあ程々にな」
徹夜続きであろうハルケンのテンションに着いて行けず、投げやりな答えを返すアシュリス。
ハルケンは治癒魔術師としても、研究者としても、確かに優秀ではあるのだが、没頭すると周りが見えなくなる悪い癖がある。
「まあ何にしろだ……つまりその者へ未知の寄生虫を渡した第三者がおり、その者の目的はただの陽動だ、と?」
組んだ腕の肘を指で叩きながら、アシュリスが確認のために要約した。
それを受け、興奮を収めたハルケンが同意する。
「ええ、はい。自身が捨て駒だと理解したのか、それはもうぺらぺらと喋ってくれましたよ。第三者については名前こそ把握していないようですが、ある程度の推測はしていたようです」
「それは?」
「本土のマフィアと繋がりが指摘されている、あるカルト教団ではないか、と」
それを予想していたのだろう、アシュリスの顔に動揺は浮かばなかった。
「先日、大理石の町を拠点にしていた者共。表向きはマフィアの所属となっていたが、その教団とも繋がっていた節がある」
サンデーにより、狂乱状態にあった男達もいくらか落ち着きを取り戻し、まともに供述を行えるようになってきたのだ。その中で、カルト教団とのやり取りを仄めかす証言がいくつか挙がっている。
「そもそも親玉が吸血鬼だったのだ。たかがマフィアが手元に置いておけるとは思えなかったからな。今にして思えば館の地下にアンデッドを飼っていたのも、何かの研究の一環だったのだろう」
本土ではある頃からマフィアの動きが急速に活発になっていた。王国を挙げて張り巡らせた情報網からは、あるカルト教団の支援を受けたのではないか、との分析が出ている。あくまで推測の域ではあるが。
カルト教団についてはほとんど何もわかっていない。名前すら世に出ておらず、地下深くに潜っているだろうと想像できるのみだ。
世界各国で暗躍し、国を裏から牛耳るだの、世界の滅亡を画策しているだのという噂話のみが先行しており、ゴシップ誌としては良いネタになっている。
「ここへ来て、その実在が証明されつつあるとはな」
「噂通りならば、やはり世界の滅亡を狙っているのでしょうか」
ソルドニアが珍しく冗談めかして言ってみせるが、アシュリスは笑う気にはなれなかった。
「手段はわからんが、可能性は無くも無い」
「おや、まさか」
冗談を肯定され、ソルドニアが軽く驚きを目に浮かべる。
「近年立て続けに怪異が起こる事に疑念があった。裏で手を引く者がいたのなら納得も行く」
海魔による航路の妨害、吸血鬼による大理石の町の混乱、未知の奇病の流行。どれも時期がほとんど重なって発生している。こうなると、5年前の前領主の死因も怪しく思えて来る。
更には、黒い魔物によって亜人種を南へ追いやり、戦へと仕向けたのだと考えれば辻褄は合う。
どれも一つで開拓領を混乱せしめるに十分な事件だったが、アシュリスにはまだ危惧する点がある。
「一連の事件がカルトの手による物だとしてだ。それらを上回る何かを企んでいるのではないかと考えている」
「どの事件を取ってすら手に余る物だった物が、単なる布石だったと?」
隣に立つソルドニアが困惑の表情を浮かべる。
「ソルドニア、ハルケン。今回それぞれ見た物は違えど、今までの常識が通じる相手だったか?」
アシュリスが改めて問うと、二人はしばし沈黙した。
「ソルドニアが言うように、一つ一つですら脅威だった。しかしその割にはそれぞれの扱いが雑すぎる。狙いが我ら開拓民を壊滅させる事なら、最初の海魔を入江で暴れさせれば事足りたのだ」
「確かに……」
ソルドニアが納得したように呟く。
「私が危惧しているのは、これらの強力な魔獣を生み出したのはただの研究過程であり、本命のついでだったのではないか、という可能性だ」
「……個々を別の案件だと思わせるためにそれらを敢えて分散して配置する。我々の注意がそれらに向いている間に、本命の計画を進めている、と?」
ハルケンが研究者の声色に戻り、アシュリスの言葉を吟味する。
「この島は元々奴らの実験場だったという事だろう。そこへ我らがのこのこと乗り込んでしまった。我々の開拓が進まないよう妨害をしつつ、研究成果の試験も兼ねていたのだろうよ」
「つまり、我々等初めから相手にはしておらず、更に恐ろしい企みが進行しているかもしれないと言う訳ですか」
アシュリスの言葉を受け、ソルドニアが端正な顔をしかめた。
「その仮定を裏付けるような情報がこれだ」
アシュリスが袖の中から、新聞を取り出して机の上へばさりと放り投げた。
「今日の朝刊ですか」
「ああ。詳細な報告と共にエミリー殿が送ってくれたものだ」
ソルドニアに頷き返しながら、アシュリスが記事の一部を指す。
見出しには「英雄殿、森の民同士の争いに終止符を打ち、女神と奉じられる!」とあった。
「記事にはサンデー殿が巨大な狼をねじ伏せ、水源を掘り当てた場面までしか載っていないが、エミリー殿が添付してくれたメモには、蛇人は内部から寄生虫に殺され、その死体を乗っ取られたようだとあった。幸いサンデー殿の判断が早く、その場は何事もなく収まったようだがな」
「寄生虫……!? まさか、蟲使いの研究を転用したのでしょうか」
通信機越しでもハルケンの動揺が伝わってくる。
「だろうな。奴らにとって蛇人は完全に捨て駒。ガーグ族と共倒れならば上々、全滅しようが蟲の実験に使えて一石二鳥といった所だったのだろう。ああ、サンデー殿が一匹無傷で捕らえたものを譲って貰った。後程そちらで解析してくれ」
「おお、それは有難い! いや本当にサンデー様には足を向けて眠れませんな!」
「なんと無慈悲な者達なのか……」
嬉し気なハルケンとは対照に、ソルドニアの眉間には皺が寄り、拳は硬く握られた。
「今回、奴らは初めて尻尾を見せた。メモによれば、サンデー殿は蛇人が使役していた獣の支配を解除したそうだ。その際、本来の主人は蛇人と別にいる事が分かった」
言いながらアシュリスが机上の地図の一点を指す。
「追尾の術の結果、島の中央の山の麓。恐らくその辺りに奴らのアジトがあるだろうとの事だ。過去にあの地域に調査に向かった者達は未だ戻らん。消されたと見て間違いない」
言いながら地図に拳を叩き付ける。
「カルトの連中かどうかまではわからんが、確実に裏で糸を引いていると言える者の存在は証明された。そしてそれが漏れた事は、当然あちらも把握しているだろう」
「となれば、今までのような迂遠な手は使わず本腰を入れてきますかな?」
「ああ。本命が何かは不明だが、それは最早この島だけで済む規模の厄災ではあるまい。それが成就する前にこちらから乗り込み潰す必要があるが、時間稼ぎの為に何をしてきてもおかしくはない。総力戦も視野に入れて備えるべきだ」
アシュリスはそこまで言うと、ソルドニアへと向き直る。
「ソルドニア。今回の事態は私の裁量を超えると見て、陛下へご相談した。陛下も現状を重く見て、『これ』の使用許可が下りた」
通信機が乗せてあるテーブルの奥に置いてあった長細い箱を手繰り寄せ、ソルドニアへと渡す。
「確かに……承りました」
箱の中身を確認したソルドニアの顔に緊張が走り、丁寧に再び蓋を閉じた。
「現在枯れた湖の調査隊と並行して、もう一隊に山の麓を探らせている。奴らのアジトが判明し次第お前に出て貰う事になる。フロント防衛隊の指揮はジャンに任せ、突入部隊の編制を急げ」
「はっ!」
ソルドニアは敬礼し、箱を小脇に抱えて退出していく。
「さて、足止めをされるとすればフロントが中心になるでしょうが、こちらも町の周囲は固めておく事にしましょう」
「頼んだぞ。これ以上の兵は送れないが、お前なら戦線を維持できると信じている」
「いやはや、治癒師に戦争を任されても困りますな。まあ、出来る限りの事は致しましょう。それではこれにて」
ハルケンはいつも通りの穏やかな口調に戻り、通信機を切った。彼自身には武力は無いが、指揮能力はソルドニアも買っている程だ。心配はあるまい。
「それよりもこちらの心配をしなければ、な」
恐らくは時を置かずに戦となるだろう。それまでに防備を整えなければならない。
しばし各所への連絡に時を費やすアシュリスであった。




