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野良犬 3

「……この粥、まあまあ旨かったぜ」


 ジャンの手から滑り落ちた盆と食器を、音が鳴らないように受け止めた狂犬が、ぼそりと呟いた。


 当て落としたジャンに止めを刺さずに、狂犬は檻の入り口から外の様子を伺った。殺した兵士は檻の中に放り込んでおく。


 手錠から無理矢理抜け出したせいだろう、拳の皮がべろりと剥がれ、血が滴っていた。


 馬車の周りでは兵士たちが騒ぎながら食事をしている。


 フロントまで残り一日となり、気が緩みだしたのだろう。酒が入っているようだ。逃亡の絶好のチャンスである。


 狂犬はこれを狙い、四日間大人しく体力の回復に努めていたのだ。


 篝火を避け、手薄な見張りの間を抜けると、狂犬は音もなく夜の闇へ走り出す。


「……殺す……あの女、絶対に殺してやる……!」


 漲る怒りのままに疾走する狂犬。


 その姿は見る見る内に街道から離れていき、深い闇の中へと溶け込むように消えて行った。




 ────




「逃げられただと!?」


 開拓島領事館の執務室に、部屋の主の声が大きく響いた。


「はい。手錠から無理矢理手を引き抜き、不意を突いたようです」


 対するのは、騎士団長ソルドニアだ。自身の驚きを抑えるように、狂犬逃走について淡々と報告を続ける。


「申し訳ありません。やはり私が直接移送するべきでした」


 頭を下げるソルドニア。


「せっかくサンデー殿のお力添えもあったと言うのに……」


 言い募るソルドニアを、アシュリスは手を振って制した。


「いや、お前を呼び戻したのは私だ。責任は私に有る」

「は……」


 そう言われてはソルドニアも畏まるしかない。


「再捜索は……無理だな。追跡の魔力はもう切れている」


 冒険者から引き継いでいた追跡魔術の座標を確認し、アシュリスは嘆息する。


「幸いと言うべきか、最後の座標は開拓地の外だ。東の奥地へ向かったのだろう。亜人種達の縄張りへ行かれれば厄介だったが、その心配はなさそうだ」


 アシュリスは色々と天秤にかけた結果、狂犬は放っておいても問題無いと判断を下した。


 例の大貴族はマフィアの顧客リストに入っており、失脚させたばかりだったのだ。


 狂犬が領民に被害を及ぼさないのであれば、わざわざ捕まえる理由がない。


 無論この話が広まれば騎士団の名誉に関わるが、報道規制も辞さないつもりである。


「では予定通り、北の防備を固めますか」

「そうだな。東の厄介事は減りつつある。そろそろ亜人種の件に本腰を入れるべきだ」

「増援の第二陣も近く到着します。仮に戦となっても耐えられるでしょう」

「そうならないのが一番だが……」


 渋い表情のアシュリス。


「やはり交渉は難しいと?」

「話が通じないのでは、な」


 何度か北の森へ使節を送ったが、いずれも戻ってきていない。捕らわれたのか、すでに殺されているのかも不明だ。


「せめて最悪の事態を避ける為にも、備えだけは怠るな」

「はっ」


 敬礼をして、ソルドニアが退室していく。

 その背中を見送って、アシュリスは一つ息を吐く。


「場合によっては、英雄殿に助力願う事になるかも知れんな……」


 自分でも弱気になっていると思える言葉をつい漏らしてしまうのだった。

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