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逃亡者

 一人の男が、道も無い鬱蒼とした森の中を疾走していた。


 日は高いものの、木漏れ日が薄く差しているだけで視界は悪い。

 身にはボロ切れのような粗末な道着を纏っている。返り血で染まっているのか全体が赤みがかっていた。

 一度や二度の量ではあるまい。鮮血の下の生地も完全に赤茶けて変色している。数多くの修羅場を潜ってきたのだろう。


 男の顔はまだ若く見えるが、その髪は真っ白である。長く伸び放題で目元をまで覆い、長く手入れされていないようにぼさぼさだ。

 全体的には細身だが、千切れた袖の先や、緩んだ胸元からは鍛え上げられた鋼の如き肉体が覗く。

 随分な距離を走ってきているようだが、息は全く乱れていない。


 ヒュン!


 風切り音が聞こえると同時に、男が身を逸らした先の木の幹に矢が突き立った。

 ついで二本目、三本目と続け様に飛来する矢を、最小限の動きで避け切る白髪の男。


 足止めの射撃だったのだろう、その数秒の間にガサガサと男の前方へ何者かが回り込む音が響く。

 更に男の気を引付けようと矢が襲来するが、男は射撃の方向を見切り、木の裏側へと身を隠した。

 その瞬間、草叢から飛び出してきた刃が男を襲う。


 ガキンッ!


 男は無造作に左手の甲で刃を払いのけると、右手を前に突き出した。

 目にも止まらぬ瞬撃が、目の前にいた鎧姿の男の腹を打ち抜いていた。


「ぐふっ……!」


 鎧に穴が開く程の打撃を受けた男は、呻きながらも身を捩り、白髪の男の追撃から避けるように後退する。そこへ再び角度を変えた射撃が白髪の男を足止めする。


「ちっ、うざってーな卑怯もんが。ならてめぇから潰してやんぜ」


 距離を取った剣士には目もくれず、矢が飛来した方向へ、自身も矢の如く疾駆する。

 意表を突かれた弓矢の主も、動揺は一瞬の事。正面に来た獲物へ向けて必中の一撃を放つ。


 パンッ!


 軽い音が響く。白髪の男が眉間に突き刺さる寸前で矢を軽く払ったのだ。

 既に白髪の男の視界に入っていた、弓を構えた女の目が見開かれる。


「オラァ!」


 その隙を逃さす、一気に距離を詰める白髪の男。


「か……は……」


 狙いは違わず、女の白い喉に、手刀が突き刺さっていた。

 ぶちりと頸動脈ごと肉を引き千切ると、白髪の男は後ろを確認もせずに上段に回し蹴りを放った。

 そこにはいつの間にか追いついていた剣士がおり、得物を振りかぶっている所だった。

 顔面を潰され、崩れ落ちる剣士。


「お仲間が目の前でおっ死んだってのに攻撃を止めなかった判断は褒めてやんよ」


 はっと鼻で笑いながら、蹲った男の顔を蹴り上げた。


「おいこら、まだ意識はあんだろ。質問に答えろ。後何人追ってきてる?」


 剣士の髪を掴んで顔を引き起こすと、尋ねる。


「ぶふっ……ごほごほっ……」


 鼻を折られて喉に血が詰まったのだろう、むせる剣士。その首の後ろをどんと叩き、血を吐き出させる。


「おら、これで喋れんだろ。さっさと言え」

「へっ……へへへ」


 剣士は瀕死にも関わらず笑みを浮かべて見せた。


「おい、あんま舐めてんじゃねぇぞ。死なねぇ程度にボコしてやってもいいんだぜ?」


 白髪の男は苛つきを隠しもせずに言い、剣士の片腕を掴み、躊躇もせずに肘をへし折った。


「がぁっ……!!」


 苦悶の声を上げる剣士だが。すぐに口を引き絞って耐えてみせる。


「ふん、大したもんじゃねえか。前にぶっ殺した騎士どもよりよっぽど根性有るぜ」

「ごほっ……そいつはどうも……」


 激痛に耐えながらも男が声を絞り出す。


「降参の証に、プレゼントがあるんだが……」

「ああ?」


 訝し気な白髪の男に、剣士が懐から何かを取り出した。


「受け取ってくれ……」


 男がそれを差し出した瞬間、周囲の色が白一色に染まった。


「てめぇ、閃光玉か!!」


 突然の強烈な光には流石に対応できずに、白髪の男も目を覆うしかない。

 数秒後、視力が回復した頃には、剣士の姿はどこにも見えなかった。思わず手を離した隙に逃れたのだろう。


「野郎……マジで根性有りやがったな……!」


 バキン!!


 怒りのままに拳を振るい、手近にあった木の幹を半ば程から抉り飛ばす。

 気配を探るが、すでに付近からは逃げ去ってしまったのだろう。静寂が戻ってくる。

 血の跡を追うにもこの深い森だ。レンジャー技能を持たない彼には難しい。


「ミスったぜ、奴が戻れば居場所がばれて追手が増えやがるな」


 男は通称「狂犬」と呼ばれる武術の達人であった。

 本土で道場破りを繰り返しては、関わった者を全て皆殺しにしている連続殺人犯である。

 ついには王国騎士団100名からなる討伐隊が送られたが、その全てを打ち倒し、指名手配が成された。

 その為追手が届きにくい開拓島へ密航してきた訳だが、今しがた冒険者に見付かってしまった。

 噂では騎士団の増援が派遣されたとも聞いている。近い内に彼へも捜索の手が伸びるだろう。


 髪の下の意外にも端正な顔を歪めると、手近で休めそうな隠れ家を探すために行動を開始するのだった。


読んで頂きありがとうございます。


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