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奇と愛落


男は目を覚ました。男は独房のような簡素な部屋に一人。


 私は目を覚ました。私は狭い部屋に一人。体を起こして寝ていたベッドに腰かけた。体が妙に軽いのはよく眠っていたせいだろう。私はそう思いながらふと、寝る前のことを考え始めていた。否、正しくは思いだそうとしていた。


 私は大学の一回生だった。あれは三月頃。一回生ももうじき終わりであったため残りの講義も少なく、空き時間はただひたすらに構内にある桜の芽が日に日に膨れていく様をぼんやりと眺めていた。そのほかにすることといえば父の営む居酒屋のバイトに勤しむか友人の阿呆学生たちと阿呆を繰り返す日々であった。特に楽しかったのは私の同回生である石井くんとその幼馴染である赤井さんとする遊楽であった。少し紹介すると石井くんはとてもいいやつで善人であった。赤井さんめっぽう美人であったがその美貌とはかけ離れた性格の持ち主でその目立った性格のせいで噂が独り歩きして周りの学生からはひどく恐れられていた。しかし当の本人は全く気にもせず堂々としている様が私の心をとても惹きつけた。そう私は彼女が好きだった。石井くんにこのことを話すと彼はすごくうれしそうに応援してくれた。そんな私だけが線を成した三角関係が続いていた。私たちがやっていた遊楽は学内でも飛びぬけて阿呆で有名だった。赤井さんのそのもったいないくらいの美貌を利用して駅前のサラリーマンを引っかけてそのデレデレに垂れきった助平顔を写真に収めてコレクションするという阿呆極まりない行為である。強面なら強面であるほどその垂れた時の顔は一層滑稽であった。そんなことをずっと繰り返して過ごしていた。次第に私は赤井さんへの思いを伝えたくなり、二回生になって間もない六月頃勇気を振りしっぼて彼女にオモイノタケを明かした。夕暮れの夕日の演出のおかげもあってか、私はついに彼女を我が物にできた。彼女と付き合ったことを石井くんに報告するとそれはまた嬉しそうに「さみしくなるなー」と笑って話すのだった。当時私は大学に近い四畳半のアパートに住んでいたが、彼女からの誘いもあり大学の最寄り駅から二駅ほど離れた場所に少し広いアパートを借りて二人で暮らし始めた。それはもう有頂天の気分であった。私は学生生活というものを初めて謳歌していた。


 男は腰かけた視線の先に一人の男性がいることに気付いた。体はやせていて肉付きも悪く数日飯を食べていないようだった。またひどく青白い顔をしていて気持ち悪かった。男はその男性「どうして君はこんなところに閉じ込められているの?」と問いかけた。自分も同じはずなのに相手がとてもかわいそうに思えたことに男は我ながら笑ってしまった。その男性もしばらく答えずに笑っていたが何かが解けたように正面を見てこう答えた。「それは俺が一番知りたいよ。」


 彼女と同棲を始めて当初は、それはもう非常にうまくいっていた。しかしだんだんとお互いの隠れていた悪い面が見え始め言い争いになることも多くなった。私は彼女と喧嘩するたびにとてもストレスを感じ、彼女と顔を合わせるだけで億劫な気分になった。彼女は自分と顔を合わせようともしない私を見て、泣きながら家を飛び出していった。その後数日帰ってこなかった。彼女が家にいない数日間は私の青天井だった怒りにも天井が見え、たまっていたストレスは次第に減っていった。しかし彼女が帰ってくると来た道を戻るようにストレスが押し寄せてきた。耐えられなくなった私は彼女に「もうこれ以上一緒にいることはっできない」と伝えた。彼女は何も言わず自分を宥めるようにうつむきながら二度、三度頷いた。そして明日の朝いちばんに家から出ていこうと必要な荷造りを済ませ私は寝床についたのだった。


 男は思い出していた。寝る前のことを。しかしここがどこなのか、今はいつなのか、全くわからなかった。

 

 私は思い出した。寝る前のことを。でもなぜこんなところにいるのか。ここがどこなのか、わからなかった。でも少なくともわかるのは彼女が何かしら関わっているに違いない。思えば喧嘩の大きな原因は彼女にあった。あれは、お互いにストレスがたまり始めた時期だった。その頃から彼女はなぜか私がだれにも打ち明けたことがない秘密やら悩みをなぜか誰かから聞いたように話してきた。私が「何でそんなこと知ってるんだい?」と聞くと彼女は決まっていやそうな顔をした。私は真相を突き止めるべく石君や過去特に仲が良かった友人に探りを入れてみた。だが何も成果はなく、すべて無意味に終わった。最後には親にも聞いてみたが逆に、そんなことが・・・と驚かれるばかりでただ知らない事実を赤裸々に知られて終わった。


 今考えれば、彼女はきっと大学の裏組織に協力を依頼したに違いない。噂にきく機密サークル『林檎の木』。そこでは学生の恥ずかしいあれやこれやの個人情報を引っ張り出し、学内のカップルを滅ぼし、大学全体に不純のないように努めてきたに違いない。こんな阿呆な妄想を脳内で繰り広げていた。私はふと隣の部屋の男を見た。彼もこちらに気付いたようでちょうど目があった。私が再びそ男性に問いかけようとした時、私は急にフラっと後ろに倒れた。そしてそれきりは天井ばかりが目に映りやがて暗くなっていった。


 その日松沢病院の男性患者が一人亡くなった。鏡に囲まれた部屋で男は入院から起きたところは確認されなかった。

 

彼が死んだ。赤井さんはその知らせを聞いて一人部屋で泣いていた。ひとしきり涙を流した後、目の前の瓶に入った男の肺に向かって「さよなら」といった。その肺は何も答えることなく残り僅かな量の血をひとしきり流していた。              完

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