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小6 初夏③

はーあ。

 深くため息をついて、汚れた下着を水で濡らしたトイレットペーパーで擦っている。

 とにかく、ちひとには気づかれたくなかった。

 だってこれは、ぼくが女になってしまった証拠だ。


 それをちひろに見られるのは、すごく悪いことのような気がした。

 落ちない落ちない。

 なんどもこすって、またじんわり涙が滲んでくる。

 ノックの音がなった。


「百草くん。いる?」


 聖ヶ丘さんの声だ。慌てて腕で涙を拭って、咳払いをした。


「はいってます」


 変なことを言ってる自覚はあった。

 でも泣いていることを隠したくて、深く考えて口にする余裕もないんだ。


「遅いから、心配した」


「ちょっと、お腹痛くて」


 しばらくしんとして、返事があった。


「ひとりで処理できる? もしかして、はじめてじゃないかなって思ったんだけど」


「だ、大丈夫」


 情けないぐらい声が震えてしまった。


「ドア開けてくれるかな」


「……うん」


 染み込んでくるような、穏やかな声に何も考えず従ってしまった。

 ガキを開けると、聖ヶ丘さんがそっと入ってきて、ドアを閉め直した。

 がちゃりと音がしてから、せめてパンツぐらいなんとかしとけばいいって気づいた。

 もう遅いけど。


「汚しちゃったんだ」


 便座に座ったまま、間抜けにペーパーとパンツを握ったままのぼくをみて、聖ヶ丘さんが言う。

 急にすごく恥ずかしくなってきた。


「こすっても、全然落ちなくて」


「っていうか。こすっちゃだめだよ。ナプキンの付け方わかる?」


「……わかんない」


 彼女がポーチから出したそれを見たことはあった。

 お母さんがいつか教えるねって言ったっきりで、いつかがこんなにあっさり来るなんて思わなかった。


「下着貸して」


「うん」


 パンツをまじまじ見られて、なんだかもう、頭の奥がぐつぐつ煮立つように恥ずかしくて、目を覆ってしまいたかった。

 このまま全身が沸騰してぐずぐずに溶けてしまえたらどんなによかっただろう。


「ショーツは諦めたほうが良いかも。とりあえず、応急処置だけしてこれつけて、家に帰ったら着替えて」

 

 彼女はてきぱきとペーパーを湿らせて汚れをぽんぽんと叩いて、それからナプキンを広げた。ぼくに説明しながら、それをパンツにつけていく。

 されるがまま、なされるがまま。

 いろいろなところをきれいにしてから、しっかり下着を穿いて、その上からズボンを着た。

 促されて立ち上がった時には、さっきの出来事なんてなにもなかったかのように、彼女は澄ました顔をしている。


 その頃にはぼくも恥ずかしさにも、血の赤黒さにもちょっと慣れてしまっていて、聖ヶ丘さんにお礼さえも言ってのける。

 なんだか、すごく薄情で、ちょっとだけ大人になった気もした。


「聖ヶ丘さん、ありがとう。すごく、感謝してる」


「いいよ。わたしもはじめてはすごく怖かったもん」


「聖ヶ丘さんでもそんなことあるんだ」


「あるよ。わたしをなんだと思ってるの」


 はっ、と鼻で笑い飛ばすその顔のせいだよ。そんなこと口が裂けても言えないけど。

 それでも笑みが口調の隅々から漏れていて、本当はすごく優しい人なのかもしれないなんて、勝手なことを考えている。


「なんか…いつも強いから。すごいなって、思ってて」


「ふーん。むしろ、そんなにすぐ冷静になれる百草くんのほうが、ちょっと変だけどね」


「だって、今はまだちゃんとした女の子になってないから、ちょっと変なのかも」


「なにそれ」聖ヶ丘さんの眉が釣り上がる。「そう言えば、片倉くんと付き合うの? 好きなの?」


「好きだよ」


 気恥ずかしさもなく、あっけなく口から出た。

 ぼくはちひろが好き。それだけは間違いのないことのはずだった。幼稚園の頃から、ずっと親友で居てくれた彼のことが好きじゃないわけがない。


「その好きってどんな好きなの?」


「好きは、好きだよ。ちひろが居るから、色んな人とお話もできるし、いつも、すごく助けてくれるから。これからもずっと一緒に居るんだと思う」


「ふうん。なんか、百草くん、空っぽだね」


 聖ヶ丘さんのさっきまでの笑みは一瞬でかき消えて、感情を顕にしてタカみたいな目をしてる。

 掴まれた手首が、すごく痛かった。


「い、痛いよ、聖ヶ丘さん」


「うるさい」


 手を握られたまま、顔を寄せられる。聖ヶ丘さんの吐息がかかって、がちって歯と歯のぶつかる音がする。血の味が口の中に広がった。

 すぐに彼女は顔を離して、呆然とするぼくをバカにしたような口調で見下ろした。


「どう? 恋人でもない相手にキスされたけど。怒った?」


「な……なんで」


 ただ口をぱくぱくさせるだけで、ぼくは何も答えられなかった。


「百草くんって本当、怒らないよね。もういいよ」


 そう言って、心底つまらなそうに彼女は口の端を下げた。

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