小6 初夏②
「聖ヶ丘はゲームとかやんの?」
ちひろが、前をすたすたと歩く聖ヶ丘さんに声をかける。
のりで3人で帰ることになってしまって、多摩川沿いの堤防をのんびりと歩いていた。
聖ヶ丘さんとちひろとぼく。なんだか奇妙な取り合わせだ。
二人の知り合いで、間を取り持つのはぼくしかいない。ぼくがしっかりしなきゃ。
話題を作らなきゃ。
「やるよ。対戦ゲームとか好き」
彼女が振り返って、有名なゲームの名前を言う。意外と素直な笑みで拍子抜けした。
クラスじゃずっと無表情に本とにらめっこしているのに。
「まじか! 俺もみつきもめっちゃはまっててさ。な、みつき」
「あ、うん。しるえさんとか、使う」
「わたしはホンキー。ネットでも対戦してるんだよ」
「うへえ。結構ガチだったり? いいじゃん、聖ヶ丘」
「一人で遊ぶ事が多いから、色々するの」
鼻を鳴らして自嘲する彼女に対して、ちひろはニコニコしたままだ。
ちひろのこういうところってすごいと思う。
あ。結局ぼくはなにも話題作れてない。
なんか言わなきゃ。
まごまごしている間にも、ちひろはどんどん会話を進めていく。
「じゃあ、今度からは俺らと遊べばよくね。みつきもそう思うだろ」
「え、あ、うん。ねえ、ちひろ――大丈夫?」
返事をするのだけで精一杯だ。
でも訊いておきたいことが、あった。
「なにが? あー! 早くゲームやりてー! 走ろうぜ!」
無理して元気をだしているように見えたのだ。
ぼくが言い終わる前に、急にちひろが駆け出して、慌ててぼくも後を追った。ちひろの足が早くて、全然追いつけなかった。
「ちょっと! 待ってよ!」
後ろから聖ヶ丘さんもぜえぜえ言いながら走っているのに、ちひろは走り続けたままだ。
やっぱり、ちひろは今日は変だ。途中で疲れて、ぼくと聖ヶ丘さんは二人で歩いた。
結局家まで、ずっと、追いつけなかった。ちひろが本当はサッカーが好きなことぐらい、ぼくは知ってるよ。
……。
「俺ぼっこぼこなんですけど!? お前ら強すぎだろ!」
ちひろがコントローラーを床に置いて、体をカーペットの上にごろりと投げ出した。
「片倉くんが弱すぎるんだよ」
ふふん、と得意気に答えるのは聖ヶ丘さんだ。
「うーるーせー! チートだチート! 俺のシマじゃあれハメだから!」
怒った顔をしつつも、ちひろの目の奥は笑ってる。
なんだかんだ、心配することもなくふたりとも仲良くなってしまった。
ちひろはぼくと違って、誰とでも仲良くなれて本当にすごい。
って、感心してる場合じゃないよ。
訊かなきゃ。ちひろ、無理してない?って。
「はいはい。もうゲーム飽きちゃった」
「聖ヶ丘、お前本当に自由だよなあ」
「ねえ、片倉くん。家じゃ女の格好しないの?」
聖ヶ丘さんがソファーに登って、お行儀よく脚を揃えた。
長いスカートがすごく似合ってて、見た目だけならお嬢様みたいだった。
まじりっ気のない、純粋なおんなのこ。
「あー」ちひろが頭を掻いた。そしてにっこりとして、返事をする。「あれは学校用。俺、男だし」
「ふうん。お化粧してあげる。したいでしょ」
「おまっ、本当に人の話きかないよな!?」
「似合いそうだもん。わたし、持ってきてるよ。してあげる」
「……だから、俺は違うって」
そこから先の言葉はか細くて、よく聞き取れなかった。
ほんのり顔を赤くして、照れくさそうにするちひろのそんな顔をはじめて見た。
そうして、彼女が持ってきていたリップとヘアピンだけの、簡単なメイクを終えた後手鏡を除きながらちひろはぽつりと呟いた。
「似合わねえよなあ、俺」
「そう? 似合ってるけど。すごく可愛い」
聖ヶ丘さんの飾り気のない言葉を、ちひろはへへ、と軽く笑い飛ばした。
「そっか。ありがとな、聖ヶ丘」
「本気で言ってるんだけど」
「ああ、うん。わかってるよ。お前、案外いいやつだな」
「なに、急に。褒めても手加減しませんからね」
「本当におもしれーやつ。もっと早く友達になっときたかったな」
ちひろは、そう言ってゲームのコントローラーを握り直した。
その横顔がとても寂しそうで、お腹の下がきゅっと痛くなる。
なにか言わなきゃ。中河原くんたちだってわかってくれるよ。友達に戻ってくれるよ。
そんな薄っぺらい言葉ばっかりが、頭の中を走っている。
何をわかってくれるの? ちひろが本当は女の子になりたいってこと?
すぐ隣に座っているのに、ちひろがすごく遠く感じた。
「なあ、みつき」ちひろがぼくをみずに言葉を続ける。「俺、女子の格好やめるよ。悪い」
「別に、悪くない。ぼくは、大丈夫だけど。でも、」
でも、ちひろは大丈夫なの? それでいいの?
聖ヶ丘さんが居て、そう尋ねることはできなかった。手を伸ばして、肩に触れようとした。
その手を、画面を見たまま、ちひろが両手で握った。少し湿っていてとても熱い。それがちひろの感情だったのかもしれないなんて、思う。
「でさ。俺と付き合ってよ。恋人になってって意味だからな。俺、ちゃんと男やるから。お前は、どんどん女子っぽくなっていくし、なんていうか……お前のこと、好きだし」
少し早口で、一気に言い切って、ちひろは相変わらず画面を睨んだまま。
僕の答えも、決まっている。それはきっとお互いにとってわかりきったことだ。
「うん。ちひろが、良いなら」
「そっか、ありがとう」
ちひろが言うなら、それで良い。少しでもちひろの役に立ちたいし、好きって言ってもらえるのは嬉しかった。
それなのに、さっきからお腹の下がずっと痛い。
「ごめん、ちひろ、ちょっとトイレ」
我慢できなくなって、トイレに行った。
下着を下ろした時、なんだか生暖かで、ぬるぬるした感触が太ももに垂れたことに気づいて、はっとなる。
下着についた茶色いそれを見た時、一瞬、どこか怪我でもしたのかと思ったけれど、すぐに授業で習った生理だとわかった。
頭の奥が急に熱くなった。ぐるぐるといろんな事が頭の中をまわって、パニックになった。
おかしい。最初におりものが来るって習ったのに。お母さんだってそう言ってた。
自分に来るなんて、本当のところでは、思っていなかったのかも知れない。
それに色だって指をけがした時とはぜんぜん違う。
トイレに座って、トイレットペーパーを押し当てて、何度も拭いた。
目の奥が痛くなって、じんわりと涙が溢れてきた。
トイレの換気扇だけがやけに大きく聞こえて、狭いこの空間にとてもひとりぼっちだった。
ぼくはちひろと違う生き物になってしまったのだ。
それが、ただひたすらに悲しかった。