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13

「オレも一緒に居る」


 ちひろが言った。

 夕日の茜色に染まった彼の顔は、痛いのを我慢する男の子みたいに、笑っていた。


「そ。じゃあ来週の月曜日から一週間だから」


「待てよ、みつきに訊かなくて良いのかよ」


「はっ」聖ヶ丘さんは鼻で笑い飛ばす。「片倉くん、訊いてくれる?」


「なんでオレが」


「分かってるくせに」


「…みつき」


 ちひろがぼくを見る。ずっと、痛そうな、苦しそうな顔をしている。

 それはぼくに対する嫌悪かもしれない。失望かもしれない。

 それでも、ぼくはちひろと一緒に居られるならそれで良かった。

 

「うん。いいよ。ちひろが良いなら」


 にっこり笑えた。彼の表情に胸の奥がうずいた。

 口から出た言葉が、熱を持っているようだった。


「決まりね。じゃあ、片倉くんもみつきくんも、一週間程度外出する言い訳を両親にしてきてね」


「え。オレも泊まるの!?」


「みつきくんひとりが外出するより、あなた達二人の方が何かと不自然がないし言い訳もたちやすいでしょ」


「聖ヶ丘、まさか最初からそれが狙いでオレを呼んだの?」


「まさか。けれど、みつきくんにお願いするなら、あなたを通したほうが早いとは思ってた」


「…あっそ。用事が終わったんなら、もう、帰るわ」


 吐き捨てるように言って、ちひろは立ち上がった。

 彼に置いてかれるぼくはけれども、胸に芽生えたなにかに、戸惑っていた。


……。


「みつきくん。朝ごはんだよ」


  朝日の銀色が部屋の隅々を照らしている。

 清潔すぎる光の中で、ゆうりさんの濃い黒髪がやけにはっきりと浮かび上がっている。

 ダイニングテーブルにはオムレツの皿がそれぞれの席に添えられていて、朝早くゆうりさんの家に到着するなり、ぼく達は唐突に朝ごはんを振る舞われている。



「あーんして」


 言われるがまま、スプーンにのったオムレツを口に突っ込まれる。

 言葉とは裏腹に、甘さなんてどこにもない平らな口調だった。

 味を感じる余裕はなくて、ただ柔らかさと熱さだけをはっきり感じた。

 戸惑いはある。ないわけがないのだ。

 だって、ぼくに食事を食べさせながらゆうりさんが説明した事は、端的に言えば飼育とも言うべき行為なのだ。


「聖ヶ丘。まじでこれ一週間つづけんの?」


 ちひろがあっけにとられたような、呆れたような目でぼくたちを見ている。


「うん。そう。一週間、みつきくんのことを観察したいの。1秒だって側を離れたくないじゃない?」


 夏休みの残り1週間。 

 あきらさんの協力を得て、ぼくとちひろは、あきらさん達と同伴で旅行に出たことになったている。


『冒険だねえ、少年少女』


 おちょくるようようで、どこか懐かしそうな口調であきらさんは言った。

 もちろん正直なところは話していない。ぼくとちひろ二人で、旅行に行きたい。

 そういう話しになっている。


「やべーやつだよ、お前まじで」


「あなた達を見ていていたからこそ思いついたんだけどね」


「どういう意味だよ」


「そのままの意味。これが好きってことなんだって思った。あ、みつきくん。この後は歯を磨こうね。

してあげる」


「え、あ、うん」


 聖ヶ丘さんの家で一緒に暮らすに当たって、彼女が提案したルールは単純だ。

 ほとんどすべての行為でゆうりさんを介在させることだ。

 部屋からは自由に出られないし、食事だって彼女に食べさせてもらう。お風呂だって、その他の行為だって、常にゆうりさんがそばに居るというわけだ。

 今はまだ朝ごはんだけだけど、たぶん、ゆうりさんは本気だ。

 観察。

 彼女が先日行った言葉通りなのだろう。


「したそうにしてるね、片倉くん」


「ばっ……なにいってんだ!」



「みつきくんのお世話は1日交代にする? わたしは別にそれでも良いよ」


 ゆうりさんが何の気なしに言うと、ちひろが喉にオムレツをつまらせて慌てて水を飲み込んだ。


「オレは、ちがうから」


「じゃあ、なに?」


「オレは、お前がみつきに変なことをしないか見張りに来ただけだ」


「ふーん。片倉くんはもっと好きにしたら良いのに。服も着たいときは貸してあげるからから言ってね。似合うと思うから」


「着ねえよ。なあ、関戸はこないの?」


「今日はデートだって。どうして? 片倉くんって琉希と仲良かった?」


「……別に。バランスの問題」


「琉希はほしい言葉をくれるヒトだものね」


 ふいと、ちひろから視線を外したゆうりさんが、次のオムレツをぼくの口に運ぶ。

 肩と肩が触れ合って、彼女の匂いがする。彼女の薄紅色の唇がすぐ近くにある。

 ちひろは目線を落として、自分の食事を続けている。


 それでも、分かる。ぼく達を見ている。傷ついた目をしている。

 じゃあ、やめなきゃ。

 ちひろが嫌がっているんだから。


 胸の奥がまたうずいた。

 お腹の奥から這い上がってきた熱が、そこに宿ったみたいだった。


「みつきくん、美味しい?」


「うん」


 やめなきゃ。ちひろが、嫌がってるんだから。

 それでも、ぼくの口は動き続けた。

 


……。


「じゃあ、そろそろお風呂に入りましょう」


 リビングの床にコントローラーをことりと置いて、ゆうりさんが言った。

 1日、本当にゆうりさんと1秒も離れなかった気がしている。

 本を読むときも、昔一緒に遊んだ後ハマったっていうゲームをするときも、それ以外のときも全て、ゆうりさんが隣りにいて、ちひろも居た。

 大人の居ない広すぎる家は、やっぱり慣れない。自由で楽しい気もするし、寂しい気もする。

 ゆうりさんは、寂しくないのかな。


「ねえ。やっぱりお風呂も一緒にはいるの?」


 ぼくが尋ねると、ゆうりさんは当然という風に頷く。


「うん、そう。身体洗ってあげる」


「でも、ぼく、元々男だよ」


「今は女じゃない。それなら片倉くんも一緒にはいる?」


 ゆうりさんが目を向けると、ちひろが顔を赤くして慌てて両手を振った。


「いやいや! オレは男だし。女子と一緒にお風呂とか無理!」


 ちひろがぼくを真っ直ぐに捉えている。目の奥に不安の影が揺れている。

 ちひろは、なんで恥ずかしがっているんだろう。

 ゆうりさんが女だから?


「そう? みつきくんは片倉くんが一緒でも平気だよね」


「うん……。わたしは、全然だいじょうぶ。ちひろも、一緒に、行こう」


「とにかく、オレは行かない。女同士で入ってきなよ」


「不思議。みんなもっと好きにしたら良いのに。縛られてばっかりだね」


 濃い黒髪をかきあげながら言うその言葉は、ぽっかり宙に浮いた。

 ちひろはあぐらをかいて、ゲーム画面を睨んだまま、微動だにしない。

 でも、嫌がってるのは分かる。長い付き合いだもの。だから、ぼくは行くべきじゃない。


「ちひろ」


「どした、みつき。行かないの?」


 ちひろが立ち上がったぼくを見上げる。期待半分、恐れ半分。子犬みたいな目をしていた。


 そっか。ちひろはこんな目をするんだ。

 こんな目を、ぼくがさせている。ぼくの言葉が、ちひろに刺さっている。


「……ううん。なんでもない。行ってくるね」


 口から言葉を出した瞬間、全身に鳥肌が立った。

 たぶん、このときはじめてぼくは自分の言葉を発したのだと思う。

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