第29話
指導を終えた俺は、訓練場が見える場所に設置されたベンチに腰掛けた。
それに腰かけたところで、オルフェがこちらへとやってきた。
手には木のコップが握られている。
恐らくは最近村で流行っている果物ジュースだろう。
「オレンジイジュースとグレープンジュース、どっちが好きだ?」
「……オレンジイで頼む」
料理術を手に入れたワーウルフに店を用意したところ、自分でこのジュースを作るようになったのだ。
作業などの合間で喉が渇いた人は、ワーウルフの店に行ってジュースをもらうようになっていた。
「訓練、かなり順調に進んでいるな」
オルフェが訓練場を見て、口元を緩めた。
「そうだな……これで、いつワーウルフが攻め込んできても何とかなるかもな」
「ああ、なるだろうさ。少なくとも、オレが知っている北のワーウルフたちよりもずっと強くなっているさ」
ふっ、とオルフェは微笑み、どこか悲しそうに目を伏せた。
「ワーウルフたちは……南に下ってくると思うか?」
「ああ、間違いなくな」
オルフェは断言した。
「必ず、でいいのか?」
「ああ、必ずだ。北のワーウルフたちが暮らしている村のさらに北には、もっと強い魔物たちがいる。何度か、村へと脅しに来たものたちもいるからな。だから、戦力強化のためにも必ず、ワーウルフたちは南へと下り、仲間を増やそうとするはずだ」
「力で、か」
「恐怖でだ」
恐怖、か。
……力で脅し、自分のいうことを聞かせるのだろう。
スライム族が受けた仕打ちを考えれば、その光景はありありと想像できた。
と、俺はオルフェの表情に気付いた。どこか悲痛そうな彼に、問いかける。
「北のワーウルフたちと戦うのは辛いか?」
俺の言葉にオルフェは一度驚いたようにこちらを見る。それから、顔に手をやり、苦笑する。
「……どうだろうな。確かにオレを裏切った奴らもいる。だが、兄に従うしかなかった奴らもいるだろうな」
「……そうか。そういう人たちは助けられればいいんだがな」
「……助けるつもりなのか?」
「出来るのならな。仲間は多いほうがいいだろ?」
「そうか?」
「ああ、楽しいじゃないか」
俺が冗談めかしてオレンジイジュースを口に運び、笑う。
……実際、仲間が多いほうが俺はいいと思っているしな。
食糧の問題などは出てくるが、現状栽培術と土地さえあればそこまでの問題にはならないからな。
オルフェは小さく息を吐き、グレープンジュースへと視線を落とした。
「兄は……優しく、強い人だった」
「……そうなのか?」
オルフェの話や他のワーウルフたちの話では、酷い兄だと思っていた。
オルフェの口から語られた言葉に、驚きが隠せなかった。
「ああ……昔は、な。兄は……もしかしたら、少しずつおかしくなっていたのかもしれない。はっきりと、いつ狂ってしまったのかは分からないが、オレはずっと兄の下で、兄とともにこのワーウルフたちを守っていくんだと思っていたくらいだ」
「……そうなんだな」
オルフェは深いため息をついてから、ベンチの背もたれに体重を預けた。
「……昔は仲の良い兄弟だったさ。どこで狂ってしまったのだろうな」
「仲の良い、兄弟、か」
俺はあまり兄弟という言葉が好きじゃなかった。
……俺にとって、家は落ち着ける場所じゃなかった。皆敵みたいなもので、家になんていたくはなかった。
――母さんはおまえが殺したんですよ。
――母さんじゃなくて、おまえが死ねば良かったんですよ。
四男の言葉を思い出し、胸が苦しくなる。
四男は俺が一番言われて嫌だった言葉を、平気で言うような奴だった。
……俺は母さんの声を聞いたことはない。姿だって見たことはない。
家に飾られた絵の中でしか母を知らない。
だって、俺が生まれてくるときに、母の腹を突き破って生まれてきてしまったんだからな。
「もしも……やり直せればいいのにな」
「……そうだな。過去にもどれるのなら、兄が一体どこで狂ってしまったのか。その前へと戻れるかもしれないのにな」
俺もまた、変わっていたのだろうか?
……まあ、所詮は空想の話だ。
それに、下界に下りられなければ、ここにいる仲間たちはできなかった。
今の生活もかなり楽しいからな。
オルフェは真剣な眼差しでこちらを見る。
「クレスト。もしも北のワーウルフと戦うときは、オレに兄と戦わせてほしい」
「……大丈夫なのか?」
「ああ。せめて、弟として……家族のケジメはつけさせてもらう」
「分かった。兄については、おまえにすべて任せる。だから、負けるなよ」
「もちろんだ。我らが首領に恥をかかせることはしない。クレストの剣として、立派に務めを果たそう」
……あまり俺を上にするような発言はしないでくれると助かるのだが。
オルフェがにかっと気さくに笑うもんだから、そんな指摘もできやしない。
オルフェと彼の兄――。そして北のワーウルフたち。
もしも、やり直すチャンスがあるのなら……どうにかしてやりたいものだな。




