主治医の意見
8月15日の午後6時
大阪医科大学付属病院4階内科
9枚の頭部のスキャナー写真をパネルに貼った部屋にて
「お父さんお母さんこれを見てください、高熱で脳がパンパンにふくれ上がっています。そしてまわりを圧迫しています。イタイイタイといったのはこのためです。ここの部分が正常なところで、黒い部分がいかに大きいか比較できるでしょう」
「で、先生どうなんですか?」
「とにかく今は熱を下げる事です、そして呼吸器もマヒしていますので酸素と窒素の混合比を逆にした空気を吸入します。これによって、呼吸器の負担がだいぶ楽になるはずです。まあだいたい3週間位この状態にしておきます。」
この時先生の「週間」という言葉に「えっ、そんなに長いの?」と思ったが事態の重大さをまだよく理解できてなかったのである。
「現在のなりゆきくんの状況は、麻疹の熱によって、視覚、聴覚、嗅覚を支配する脳と手足の動きを支配する延髄が炎症を起こしています。このまま放置すれば、体全部の機能がマヒするところでした。処置としては、まず麻疹の菌を除去する事と、肺炎も患ってますので呼吸器をいったん止めて人工呼吸器をつける事の同時作業になります」
「先生、呼吸を止めるといいますと?」
「いったん、強力な麻酔で眠らせてしまうんですよ、ラボナールという麻酔薬ですが呼吸機能も眠らせるほど強力な薬です。」
「そんな事をして先生、大丈夫なんですか?」
「大丈夫です、逆に本人もそれが一番負担がなくて楽なんですよ。そして眠らせている間に麻疹の菌そのものを除去します」
「どんな方法でやるんですか?」
「そこでお父さん、お母さんに許可をいただかないといけないんですが・・・」
この後の答を正直、聞くのが恐かった
「お父さん、ガンマ・グロブリンを使わせて下さい。現在の医学ではこれしか方法はないんです」
「何ですかそのガンマ・グロブリンというのは?」
「麻疹に効くとされている薬なんですが、ただ人工血清剤ですので、場合によっては血友病とかエイズとかの病気になる可能性が全くゼロではないんです、ただこの薬を使わずにいたらかなり厳しい状況ですので急ぎ決断をしてください。ただこの子に従事する看護婦の中に、まだ麻疹にかかっていない者がおりまして彼女らも全員このガンマ・グロブリンを打つ事は了承してくれております」
「ちょっと考えさせてください。おいどうする?」
無言の妻
「どっちにしてもそれしか方法がないんでしたらそれでお願いします。その担当の看護婦さんですらリスクを負っていただいているのに当の本人が拒否する理由がありません」
「わかりました、じゃあ早速その手配をいたしますので待合室でお待ち下さい」
その後、「なりゆきくんの今後の担当の医師を紹介します」といって主治医が山口先生、そして先ほどの田中先生と飴本先生が紹介された。
「このスタッフでなりゆきくんの治療をします。我々が全力で取り組みますのでどうかご安心して下さい」
この山口先生にこの後、わが子の運命を委ねたのであった。私より2つ下の若い先生であった。聴診器に張ったケロッピのシールが妙に似合っていた先生で同年代のせいか、治療以外の話もたいへん盛り上がった気のやさしい方であった。
午後9時
4階の4号室にて
この4階の4号室というのが最初から気になっていた。あまりにも悪い番号である。
その部屋に入ると点滴をつけて、吸引マスクをされたなりゆきが横たわっていた。
「なーくん、わかるか。お父さんやで」
当然ずっと眠っているので返事はなかった。
時々マスクが邪魔なのか手で振りほどこうとしてそのたびにマスクが取れた。
それをまた元どおりにもどすのが仕事であった。
看護婦さんに「マスクをいやがっているのでなにか方法はないですか?」と聞くと
「ビニールで立方体の小さな部屋をつくってそこに酸素を供給する方法がありますが、明日の朝になります。それまでは、ご面倒でも手でマスクを添えてやってて下さい。」
「今、意識はあるんですか?」
「意識は麻酔が効いていますからほとんど無いですが、明日注入するラボナールよりは軽いので痛みとか気になることには少し反応しますよ。」