深夜の救急病院
前日の深夜 ・
1994年8月15日 月曜日 深夜12時・
「お父さん、なりゆきまだ、寝たまんまやね、本当に大丈夫かしら、もしものことがないように今から病院連れてってくれない?」
「そんなに心配やったら、すぐに緊急病院連れていくわ、保険証貸して」
12時30分
ぐったりしたなりゆきをかかえて車に乗せて、大阪府高槻市立三島救急病院に到着した。
抱っこする時に手を首の下にそえる時に「イタイ、イタイ」といっていたのが妙にひっかかった・・・
救急病院のその日の担当の先生はインターンかなにかの若い人であった。
私は長男が麻疹で、熱が四十度近くずっと続いてる旨と、今日は一日寝ていてほとんど何も食べてない旨を告げた。
その後看護婦さんが言った「それでは体温を計りますから、体温計を脇の下にいれて3分ぐらいたって数字を報せて下さい」
その間、待合室のベンチの上でグッタリしたなりゆきの脇の下に体温計を入れて計ったら、39度5分あった。そしてほとんど目も開いてない意識の半分無い状態で先生に診てもらった。
「麻疹の熱が、日中のこの暑さですので下がらないんですね。ご飯を摂っていないので、点滴を普通より多めに500ミリリットル注入しておきますので、多分これで大丈夫でしょう」
「注入には2時間ぐらいかかりますが時間は大丈夫ですか?」
「はい!そんな事言っておれませんので早くお願いします」
年配の看護婦さんが長男の目元と鼻、口をていねいに拭いてくれた。
そして「ボク、チョット痛いよ」といって点滴の針を刺した。
その時もなりゆきは無言であった。
午前 2時30分
500ミリリットルの点滴の注入が終わり、支払いが済んで、車に乗せる時、うわ言のように「いたい、いたい」と言っていたのが気にかかった。
その言葉が退院するまでに聞いた最後の言葉であった。
家について居間に横たえた。
心の中は「医者が、ああ言ったことだし、処置として点滴も打ったんだからもう大丈夫、一晩寝れば元気になるだろう」という安堵の気持ちで床についた。
この時の判断がのちのち悔やまれたのであった。