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奇跡の闘病記録  作者: なかさん
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発病まで

当時私の長男が5歳のときにはしかを発端にして麻疹性脳炎、髄膜炎、髄炎、肺炎を一度に患いました。

どの一つを取っても5歳の子供には「致命傷」です。

担当の主治医からは90%命の保証も無く残りの10%は植物人間となり車椅子での生活を宣告されました。

この物語は長男の発病からこん睡状態に至り回復までの90日間を綴った記録です。

同じ症状の子供を持つご家族の方への一助となればと思い筆を取りました。

現在彼は、その後のリハビリの効果も手伝って、全くふつうの子と変わりません。

その彼の軌跡(奇跡)を、みなさんに伝える事により世の中の同じ症状をもつ子供のご両親に少しでも心のささえになってもらえれば幸いと思っております。

この話はすべて実話でみのもんたさんの「アンビリーバブル」にも番組化されました。


発病まで       



1994年8月13日 土曜日夕方4時ごろ

大阪府高槻市内 自宅にて


「おとうさん、なにしてるの?」


「んー?2階のお父さんのお部屋かたずけてるんや」


「そしたらおわったら、くもんしきいっしょにしよーよ」


「なーくんは病気なんやから、静かに寝とかなあかんねんで。まだ熱があるやろ。お父さんが布団を二階に敷いたるから早く寝なさい」


「はーい」


このあと、私が敷いた布団でなりゆきは2時間ほど横になっていたが、なかなか寝付けないらしく、私のことが気になってか隣の私の部屋に来ていた。


「しゃあないなあ、寝なくてもいいからおとなしくしときや。」


その言葉で彼は自分の机で公文式の時計のドリルを一人で書いていた。


「この針は何時?」「これは八時半?」とか聞いていたが、私は書物や物の整理に忙しくて生返事しかしなかった。


まだこの時のなりゆきは2階から階段の手摺りを滑るくらいの元気はあった。



夕方7時ごろ


「おとうさん、おなかすいた」


「よっしゃ、いっしょにごはん食べよう」といって普段どおりの食事をした。



夜11時ごろ


このころはなりゆきはもうすでに一階の居間で寝ていたが、この日は珍しくシューレビー彗星群の地球接近の日で、私は外に出て望遠鏡を片手に星空を眺めていた。



深夜12時ごろ


流星観測のために私が夜食にラーメンを食べているとなりゆきはモッソリ起きてきて「いっしょにたべる」といったので、半分分けをして食べた。


これが思えば元気になるまでの最後の食事であった。


その後、家の外で星を見ていたわたしに「いっしょにほしを、みたい」といったが、お母さんに「もう寝なさい」といわれそのまま一階の居間に寝た。




この夜もかなりの気温であった。


翌日8月14日 日曜日 朝10時ごろ


「この子まだ寝てるわ、病気なのに昨日ずっと二階にいたのがよっぽど疲れたのね」


「ほんまやなあ......まあ、腹が減ったら起きてきよるわ、大丈夫やろ」


この日は、結局一日中、彼は目を覚ますことなく居間で寝ていたのであった。


夕方7時


テレビのウッチャンナンチャンの番組を見ながら焼肉を食べている時まだなりゆきが起きてこない事に不思議を感じた。


人一倍ご飯、特に焼肉のスキな子が、全然起きないのである。


「大丈夫かなあ、ぜんぜん今日ご飯食べてないけど・・・」


「だいじょうぶやろ、寝てたら治るやろ」


今にして思えばこの時に気が付くべきであった・・・



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