第2話
「やーい、白髪頭ー」
「おばあさんだな、おばあさん」
1人の少女を取り囲み口々に悪態を吐く3人の少年達。
その少女の生まれながらの銀髪は、幼い子供達の迫害の対象になっていた。
涙を下の瞼いっぱいに溜め、悪辣な少年達を睨むその少女に対し「何だその目は」と言い放ち、囲っていた1人の少年が、その少女の髪を鷲掴みにする。
それを引き金に少女の今まで抑えていた恐怖心が目から流れでる。
それを見て少年3人は一同に嘲笑う。
少女は恐れで声が出ず、怖れで髪を掴まれた手を握り返す手に力が入らず、畏れで少女の顔とは対象的に膝は笑い出した。
「こいつの服、全部脱がしてみようぜ」
少女の髪を掴んでいた、リーダーと思わしきその少年が発した言葉に賛同する2人の少年。
幼さ故、歯止めの効かない少年達のいじめはエスカレートしていく。
少女の髪を掴んでいた手を離すと同時に少女の両脇にいた少年たちが少女の腕を抑える。
力の限りもがく少女だが、その恐怖の色に染まった体は全く力が入らない。
異性に対する好奇心を抑えられない。そんな卑下た笑みを浮かべる少年は少女に手を伸ばす。
だが……少年の手は少女に届くことなく、なぜか天に向かって伸ばしていた。
少年の後頭部と顔の中心に激しい痛みが伝わる。少年は慌てて痛みのする方に手をやり叫ぶ。そしてその手は鼻が折れたのであろう、大量の鮮血で溢れていた。何が起きたのか理解したのはその数秒後だった。
ただ単純に顔を殴られ仰向けに地に伏していたのだ。
殴られた少年はお腹の空いた赤子の様に泣き喚く。それを見た取り巻き2人は何の迷いもなく少女の腕を離し、リーダーと思わしき少年になど、目もくれず逃げ去った。
目を腫らし、膝をつき安堵する少女に手を差し出す、さながら正義のヒーローのような、その少年は幼き日の桜花であった。
風で揺れる木々のはの間から溢れる日差しが桜花の瞼を優しく刺す。
「うぅぅ……ここは……」
桜花は、幼い頃の夢を懐かしむ事よりもまず、現状の把握に優先した。
「ここは森……さっきまで道場に……確かあの子、異なる世界がどうこう言ってたが、まさかな」
桜花は拭いきれない、疑念を呟き辺りを見渡す。しかし前にも後ろにも直径7メートルはあろうかという大樹がどこまでも続く様な、そう錯覚させるほど、視界を遮るようにして並ぶ。
ただ、ふと気付く。動物の肉を焼くような匂いが漂ってくるのを。そしてその方向とは真逆の方向から、人のものであろう、賑わった声が聞こえている。
桜花は悩むでもなく、美味そうな匂いのする方へと歩みを進めた。歩いて行くうち匂いは強まり、1キロ程歩いた頃であろうか、匂いの主である頭を落とされた鳥の丸焼きと、それを貪る見窄らしい服装の男が3人、倒れた大木に腰掛け火を囲んでいた。
「誰だっ!」
桜花と距離の近かった30代後半の男が気配に気づき殺気のこもった眼を桜花へと向けた。
「すみません。道に迷ったもので……良かったらこの森の出口を教えてもらえませんか?」
桜花が苦笑しつつ、木陰から申し訳なさそうに姿を表すと男達は、顔を見合わせ笑みを浮かべる。
すると、先ほど怒号を飛ばした男がおもむろに立ち上がり、桜花の眼前まで歩み寄る。
「あぁ、そうだったんだな。それならお前が今来た道をまっすぐ引き返せば村があるぜ」
「そうだったんですね。ご丁寧にありがとうございます。後、一つお伺いしたいんですがよろしいですか?」
桜花の言葉に立ち上がった男が首を傾げる。
「お前ら死にたいのか?」
桜花のその一言に時が止まり、3人の息が止まる。
恐怖であった。
17歳と年端もいかない子供に対して大の大人が戦慄した。
それを見て桜花は続ける。
「意味は分かるよな。後ろの2人剣を置け」
桜花の前に立ち視界を遮っていた男が目を見開く。そして後ろで剣を構えていた2人も剣を握る手に汗を滲ませる。しかし、その手に握る剣を置くことはない。
「もういい。やるぞ」
「ああ」
「そうだな」
強襲の算段が見透かされた3人の男達は、ため息混じりに桜花の前、そして左右に歩み寄り取り囲むような陣形を組む。
そして桜花の前に立つ男が倒れた大木の側に置いてある剣に手をかけながら、桜花に言葉を投げかける。
「3対1だ。どうする餓鬼。さっきは虚勢を張っいたが、これでもまだその強気は続くか?」
「ああ。お前ら程度ならな」
挑発に挑発で返す桜花に対し苛立ちを隠し切れない男の1人が桜花に握る剣に力お込め振り上げた。
「言わせて置けば、餓鬼がぁぁぁ」
地を蹴り出し、桜花に斬り掛かるその男は振り上げた剣を袈裟懸けに振り下ろす。
当然のように鮮血が飛び散り、必然的に溢れる血が身体を伝い、偶然、剣を握る二本の腕が2人の間に落ちる。
「うぁああぁぁぁ」
叫んだのは斬りかかった方の男であった。仲間の2人は何が起きたのか理解できずただ、無い腕で無い腕を抑え悶える仲間の姿を眺めていた。
「で、どうするんだ。次はお前たちがかかってくるのか?」
2人を現実の世界に引きずり下ろしたのは桜花の一言であった。
いつ抜いたかも分からない、その錆一つ、刃毀れ一つ、血の雫一滴すらも付いていない美しい刀身は一層の恐怖心を2人に植えつけた。
「わ、わかった。もうやり合うつもりもない。だからその剣を収めてくれ」
1人が剣を地面に投げ捨て桜花に対し、降伏の意を示すため両手を軽くあげる。それに続き、もう1人の男も同様の動作を無言で行う。
「なら、これから言う質問に答えろ」
桜花は納刀しながら命の代価を要求する。
「わかった。俺たちに答えられる事なら答えよう……だがその前に仲間の腕を治療させてくれ」
「あぁ、だが手短にしろ」
量の腕を切り飛ばされた男は血を流し過ぎたのか意識が朦朧とし、叫ぶ事を辞めていた。そんな男の両手を仲間2人が拾い上げ、男の繋がっていた筈の腕の位置に置いた。そして桜花と交渉した男は胸元に手を入れ翡翠色の液体の入った小瓶を取り出し、運んできた腕の断面に垂らた。それを切られた腕の本体へと押し付けた。すると、動くはずのない腕がまるで別の生き物かのように天を掴むように伸ばされ奇怪に指先が動く。そして、すぐに力を無くしたように重力へ従う。それをもう片方の腕でも行う。
「待たせたな。質問に答えよう」
「じゃぁまず一つ目だ。ここはどこだ」
桜花は男たちの行為に驚きつつも、予定通り質問を行う。
「お前が何処から来たかは知らないが、ここはアグロス王国第十三都市の南東に位置する森だ」
「そうか……」
桜花自身、予想はしていた。しかし今いる場所が異なる世界である事を認識するのに動揺を隠せるほど桜花は大人ではなかった。しかし、すぐに思い至る。自分をここに連れてきた本人を探せば良い事に。
「では、白銀の髪を持つ俺くらいの歳の女の子を知らないか」
「銀髪の女……それなら3人知っている。1人は知っているとは思うがアグロス王国王位継承権第二位のレイア・アグロス・チェリーブロッサム皇女だ。そして2人目が「13日の業火」を引き起こした魔女だ。名前までは知らないが、お前も噂ぐらい聞いたことがあるだろ」
「で、最後の1人は」
桜花は男の問い掛けには答えず、次の情報を要求した。
「あ、あぁ。ただ、最後の1人についてはこの国にその伝説を知らない者はいないと思うが……その鬼、白銀に輝く髪を携える。しかし血湖に浸り真紅に燃える。ただ血湖を作るわ罪を背負いし者達の屍なり。故にその桜吹雪を恐れる事なかれ。20年前の話だが一応この鬼も銀髪だったって事だ」
桜花は今までの経緯を併せ、誰に会うべきか大体の予想を付けていた。ただ、この異界においては強大な力を持つ者がいることについて、自身が身を置いていた日本国にはない治癒技術。あるいは異能の類がある事を念頭に置き行動しなければならないことについて一抹の不安が積もる。しかし、道は選べても目指すべき場所は決まっている事に変わりが無いことについても桜花自身分かっていた。
「話は分かった。じゃぁ最後の質問だ。初めのレイア皇女にはどうやったら会える」
「は?」
桜花は場の凍る一言を男達に見舞った。
「馬鹿かお前は?一平民如きが皇女への謁見など叶うはずないだろ」
桜花は男に嘲笑われながら諭される。しかし、桜花は凛とした態度で切り替えす。
「では、質問を変える。その皇女殿下は何処へ居るんだ」
男は桜花のその迷いのない瞳を見て、嘲笑を止める。
「会える可能性は無いと思うが、皇女ならアグレス国第一都市のアグレス城にいると思うぜ」
「分かった」
桜花はそう言うと、男達に背を向け元来た方向へと歩き出す。そして、三歩進み動きを止める。
「二つだけ言っておく。お前達は自分達の命に対して、情報という代価を支払った。ただ、これから向かう村に居る、お前達の仲間は違う。それと、お前達がどこで何をしていようが俺には関係ないが、俺の生活圏で同じ様な事を起こしたら次は……殺す」
桜花の放つ殺気に足を震わせて耐える男達は、村を襲っている仲間がいる事に気付いていた桜花に対し驚嘆した。そして、今という時間が過ぎるのをただただ待つ事しかできなかった。
桜花は、ひとしきり言い終えると再び歩みを進めた。
「うぅぅおぇぁ」
桜花は、男達を背に歩き。しばらくして男達の姿が見えなくなった木陰に入ると、現在に至るまでの行動を思い起こし、嗚咽した。
初めて人を切る感触。
飛び散る赤黒い血。
のたうち回る両腕を切り落とされた男。
全てが胃の内容物の逆流を促す……しかし桜花は深く長い溜息にも思える深呼吸を数度、繰り返し平静を保つ。
そして、桜花自身気づいていた。この先の村を襲う輩を殺す様になる事に。
桜花は先程の男達に村を襲っている仲間と告げたが、つい先刻まで眠っていま桜花に仲間かどうかなど知るすべはない。謂わゆる、かまをかけたのであった。それに見事に引っかかった男達は、桜花は全てを知っているのだと錯覚し、無言の回答をした。
そうなると十中八九、村に居るのは盗賊である。ただ、見ず知らずの村人になど目もくれず、やり過ごすという選択肢も無くはない。それが実際的であり現実的だろう。しかし桜花は、正義感や熱血漢ではなく、危機感により村へ向かい盗賊達の処理を行う事を決めていた。
憲法の下、治安の維持が成された日本国と異なり、このアグレス国には盗賊を生業とした者達が少なからずいる。つまるところ、国を名乗ってはいても、発展途上で国にそれらを抑えるだけの力が欠如していると推測される。そして、これに対しアグレス国の情報を持たない桜花には、元の世界の様な警察又はそれに類似する組織が存在するかについて分からない。なにより、仮に警察に類似した組織が在ったとしても、場所も、その利用に係る制約等が有ったとしても、全てが不明な以上、自己防衛という手段を取るしか無い。ただしこれは、桜花にとって然程大きな理由ではなかった。桜花の危機感は別にあった。
人を斬る恐怖。
人に襲われても逃げれば何とかなる。ただ、そうできない時は斬る他ない。
ゲームや漫画とは違う、現実で人を斬るということが、これほどに不快で、これほどに気持ち悪く、これほどまでに身体が拒否反応を起こすものだとは思ってもいなかった。しかし、その行為を繰り返す可能性を念頭に置かなければ、この世界で待つのは死のみである事を桜花は感じていた。故に桜花は、湧き上がる吐き気を奥歯で嚙み潰し村へと向かうのであった。