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嫌なやつ  作者: つっちーfrom千葉
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第二話

「実は社内に嫌な人間がいまして……。あまりにもその人を嫌っているので、足音が近づいてくるだけで寒気がするんです。仕事中も休憩のときも、その人に付きまとわれる不安に襲われて困ってるんです……」


 A君はことをなるべく詳しく説明せずに、どうとでも取れるようにそう話した。C先輩はそこまで話を聞くと、大した理解も出来てない癖に、うんうんと二度頷いて、A君の方に自分の陰険な顔を近づけ、周囲を警戒しているのか、少し小声になり、ささやくように自論を展開し始めた。


「よく言ったな。それはわかっていたよ。どうせ、第2制作部のEのことだろ?」

「いえ……、Eさんは違うんです」


A君は慌てて首を横に振り否定したが、先輩のCはまったく取り合わなかった。


「何をびびってるんだよ。大丈夫だって。ここであいつの悪事を洗いざらい語ってしまえよ。ある程度はすっきりするぜ。もちろん、俺の口からあいつに直接伝えたりはしねえよ。心の奥にしまっておくから、大丈夫だ」


「でも、本当に違うんです……。Eさんとは確かに入社当時に少しトラブルがありましたが……。今はもう……」


 A君はしどろもどろになって、そう訴えたが、C先輩がその先を言わさず、右手を挙げて遮った。彼は心の弱い人間が、ことの本質を隠して逃げまどうのを決して許さなかった。すっきりとすべてを話しきるまで(それはつまり自分が納得するまでだが)許さないつもりだった。


「その、ちょっとしたトラブルってのが問題なんだろ? 確か、ちょうど一年前、おまえが休憩時間に会社のパソコンでネットを見ているところに、偶然Eが通りがかって、鋭い視線で睨みつけながら、強い口調でそれに注意してきたんだよな。『仕事中に会社のパソコンで遊んでるんじゃねーよ』と、まあこんな感じか? まあ、確かに会社の規則にはパソコンを私用で使うなという項目はあるが……、そんな程度のルール違反は、みんな多かれ少なかれやっているわけだ……。だいたい、今どきネットの情報も見れなかったら社会生活が成り立たないものな。管理職の連中だって、パソコンのネットを使ってスポーツの情報やニュースを見ているしな……。Eはそういう権力のある奴らにはぶつかっていったりはしないわけだ……。わざわざ、自分より弱い立場のお前だけに、その意見をぶつけてきたことが問題なんだよな? あいつはまだ新入社員だったお前が、自分になかなか頭を下げてこないのが許せなかったんだよな。あいつの性格だとその程度の落ち度でも、相当頭を下げて謝罪しないと許す気は起きないだろうな。それで……、やつはそのことを上司に報告したと……。おまえさんはそれで上司に別室に呼びつけられて叱られる羽目になったと……」


「いえ、そのことは自分が悪かったことですから……。Eさんの言い分が正しいんですよ」


 A君は何とか冷静を保って、そう答えつつも、嫌悪していた過去を掘り起こされてしまった不安と恐怖で右手が震えだした。当時のことを思い出してみれば、Eの態度に納得のいかない点も、いくらかはあったのだろう。震える手で内ポケットから再びタバコを取り出して火をつけた。C先輩はA君のそんな様子を見て満足そうに微笑み、自分が今、他人の秘密をえぐるべく、海中深く潜入しようとしていることに快感を感じているらしかった。


「Eはさ……、趣味でボクシングをやってるんだよな。去年の夏から突然初めたんだ。本人は身体を鍛えるためとか、ダイエットのためとかほざいてるが、周りの人間を脅すためにそれを始めたことは明白だ。何せ、ことがあるたびに他人にそのことを吹聴して回っているからな。他人とのトラブルで自分の言い分が通らないときがあれば、パンチ力があることを伺わせて、自分に有利なようにことを運ぼうとしているわけだ。本当に卑怯な奴だよな。そんなのさ、高校生のやることだろ? 喧嘩が強いだけの奴が番長になって学校を仕切るみたいなことだろ? 社会に出てまで、そんな手段で権力を手に入れようとするやつが今どきいるか? 普通の会社だったらいないよな。そんな危険人物はお荷物だから、すぐにクビになってるよな。いつ会社の信用を損なうような問題を起こすかわからないからな。うちだって、一応、客商売だろ? あいつ一人の事件のせいで信用失ったら大変だからな。うちの会社ぐらいだぜ、そんな乱暴者を飼っておくのはさ。とにかく、今現在は一応は好景気で人材不足だから、あんなやつでもクビにできないんだよな」


 C先輩はここで一度話を止めて、うつむいているA君の顔を下から覗き込んだ。A君は彼の眼を見ているうちに自分の心を覗かれているような気がしてひどい寒気に襲われた。早いところ、なんやかんやと理由いいわけを見つけて、この部屋から出ていきたい、とそう思っていた。


「おまえ、あの一件以来、いまだにあいつのことが怖いんだろ? あいつとすれ違ったり、視線を合わせたりするのが嫌なんだろ? 仕事の最中も背中に寒気を感じているんじゃないか? あんな奴と一緒のフロアにいたら、いつ見覚えのない罪を着せられて、理由もなくぶん殴られるかわかったもんじゃないよな。だから、それが怖くて仕事に身が入らなくなってるんだよな?」


「いえ、そんなことはありません。Eさんとはあれ以来何もトラブルはありませんし、今回の顧客クレームの一件にも、Eさんは何も関係ありませんし、一言も口を聞いていませんし……」


「表向きではそうかもしれないけどな……」


 C先輩はここでタバコをくわえたまま、顔をゆっくりと上に向け、考え深げに天井を見上げた。まだ、何か言い足りないことがあるようだった。


「おまえはどこかでまだEを怖がってるんだよ。あいつに何か弱みを握られるのが怖いんだ……。みんなは休み時間に漫画を読んだり、インターネットを見たりして、自分の時間を楽しんでいるのに、自分だけはそれができない。監視の目があるからな……。背後からいつEが近寄ってくるかわからない……。緊張が高まっていく……。だから、知らず知らずのうちに不安やストレスが溜まっていくんだ……。必要以上にルールを守らなきゃとか、事故を起こさないようにしようとか、そういう負荷を自分にかけているんだ……。正直に言ってみろよ。あいつの存在が嫌なんだろ? あいつに自分の小さなミスを探られて、上司に報告されるのが怖いんだろ? それに言い争いがこじれて、いざ力勝負になっても勝てるわけはない。あいつはボクサーだからな。こっちがいくらいきり立ったってボコボコに殴られるだけだ。だから、どうすることもできない自分に苛立って、おまえはこんな狭い部屋に引き篭っているんだ……」


A君はうつむいたまま、目をつぶり、首を何回も横に振って、その話を否定した。しかし、C先輩は冷静な表情のままこの話を続けた。


「おまえは結局、自分から積極的にこの問題を解決できない自分自身に苛立ってるんだよ。本当はきちんとした場を設定して、信頼できる上司もその場所に呼び、その上で討論をしてEを言い負かしてやりたい。


『おまえだって仕事でミスをすることはあるだろ』

『おまえだって頻繁にルール違反をするじゃないか』

『なんで自分の間違った行為を顧みず、他人の悪事だけを追求するんだ』


 そう言ってやりたいんだよな? でも、それはできない。それはEがボクサーで喧嘩がめっぽう強いことを知っているから。仮に、Eがボクサーじゃなかったとしても、あんな蛇みたいにしつこいやつに絡まれたら、この先の社会生活がどうなるかわかったもんじゃない。そっけない冷静な態度をとっているうちに、自然と恨みが溜まっていき、Eに目をつけられてしまうかもしれない。また、身に覚えのない罪を着せられるかもしれない。だから、おまえはあいつを憎みながらも、凍りついた雪だるまのように身動きできず、自分自身に失望しているんだよな?」


 もはや、A君は何も反論することができなくなっていた。言い返せば、言い返すだけ、彼との不毛な会話は長くなってしまいそうな気がした。


「そんなに落ち込むなよ……。大丈夫だ、おまえが安心して働けるように、俺がいい情報を教えてやるよ」

「いえ、そんな情報はもう結構ですので……」


 慌ててこの場から立ち去ろうとするA君を、C先輩はまた肩を抱くようにして乱暴に押さえつけた。

「いいから聞けよ。これは、いい話だぜ。ちょうど三カ月くらい前にあったろ? EがH(ベテラン社員)を殴りつけた事件が……」


「ああ、椅子にコーヒーをこぼしたとか、こぼされたとか、そういう事件でしたよね?」


 A君は話を合わせるために渋々そう答えた。実際のところは、この実りのない会話を早く終わらせたいと思っていた。


「そうだ、三か月前のその日、Eが三時の休み時間に突如として席を立ってトイレに向かった。奴が席にいなかったのは、たった五分ほどだった。そして用を足して自分の席に戻ってきたときに、椅子の上にコーヒーの染みが付いていたんだ。まだ、コップからこぼれ落ちてから、それほどの時間が経ってない、新しい染みだった。普通の人間だったらそんなこと気にもかけない。まあ、気を取り直して、自分のハンカチで拭き取ったら、それで終わりだからな……。だが、Eは隣に座っていたHさんに『おまえがこぼしたのか?』と小さく冷たい一声をかけると、突然Hさんに殴りかかった。Hさんは顔を数回にわたって殴られ、鼻の骨を骨折する大けがを負ったわけだ」


 C先輩はそこで一度話を止めてA君を睨みつけた。これは自分にとっては、貴重な情報の一つであるから、ただ、一方的に話をしているだけでは、もったいないような気がしてきたらしい。


「おまえだったらどう思う? こんなおかしな話聞いたことあるか? 一般の企業の、どこにでもある事件だと思うか? 明らかに狂ってるだろ? 仮にHさんが手違いでコーヒーをこぼしたのだとしても、いきなり殴るなんてどうかしてる。しかも、この事件には続きがあって、結局、管理職数人によるその後の調査の結果、Hさんはコーヒーをこぼした犯人じゃなかったんだ……。つまり、何もしてない人を……、しかも、自分の部所の先輩を殴りつけて怪我をさせたんだぜ?」


「その件は部会で報告がありましたので、知っています……。でも、その後、Eさんも謝罪をして罰も受けたんですよね?」


A君はうつむいて床を見ながら、たいした興味もなさそうにそう答えた。


「確かに処分を受けたな。懲戒処分な。でも、五日間の勤務停止と始末書の提出だけだ。普通の会社だったら完全にクビになってるぜ。刑事事件になっていてもおかしくないくらいだ……。警察や労基署が絡んでくると色々と話がこじれて困るから、会社としても、ことを穏便に済ませたかったわけだ……」


 ここでC先輩はA君の顔に視線を合わせて、ほくそ笑んだ。性根の悪さが見え隠れしていた。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

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