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ふたり

作者: サイトウ

『君のそんな幸せそうな顔初めて見た』


どうやら私はものを食べてる時、幸せそうな顔をするらしい。『そうですか?』精一杯、自然な笑みを浮かべながら答えた。変な顔してないかな。胸が高鳴る。『ご飯を食べてるからじゃないですよ。』と喉元まで出た言葉は文字通り夕食と一緒に飲み込んだ。危ない危ない。


付け加えるように『半年頑張ったご褒美だよ』と言ってくれた。心臓が痛い。『本当に美味しいです。』精一杯の言葉。多分直視したら目が合うだろう。恥ずかしさのあまり目が合わせられず、仕方なく先輩のスーツのネクタイのあたりに向かって話すしかなかった。



話は1時間前に遡る。

入社して半年、仕事にも少しずつ慣れてきた。時間は20時を少し過ぎた頃だった。何とか仕事を片付け退勤しようとすると、直属の上司--入社してから、仕事を1から教えてくれた先輩だ--から食事に誘われた。

先輩は入社当時1から仕事を教えてくれた。年は10歳近く離れているが、物腰は柔らかく、穏やかだった。怒られた事もあったが、その後フォローもしてくれる。私にはもったいない程の先輩だった。ありきたりな話だが、そんな先輩の事を好きになるのも時間の問題だった。


憧れの先輩から食事に誘われて、心臓が飛び出しそうになったが、何とか平然を装い、一緒に退社する。いつもと同じ街中を歩いてるだけでも幸せな気持ちになれた。


歩きながら一生懸命話した。好きな食べ物の話、休みの日はどう過ごしてるのか、取り留めのないことを話した。好きな食べ物はポテトサラダ。休みの日は映画を見たり、読書をして過ごしてると教えてくれた。先輩はきっと先輩はこんな話をした事なんて忘れてしまうだろう。


駅からほど近い寿司屋に2人で入った。仕事終わりのサラリーマンが目立っていた。

おしぼりとお茶を渡され、先輩と同じお寿司を注文した。待ってる間、何を話していいかわからず、緊張もあり、自分の生まれ育った故郷の話をした。程なくしてお寿司が運ばれてきた。憧れの先輩と夕飯が食べられる。お寿司の味は半分も分からないが、幸せな気持ちは間違いなかった。




---------

入社してから半年になる部下とたまたま退勤時間が同じになった。入社してから俺が1から仕事を教えたと言っても過言じゃない。飲み込みは悪かったが、努力家で素直な子だった。そして彼女は若かった。若さが眩しいと感じたこともあった。


俺は入社して10年が経とうとしている。10年のうちに色々な事があった。仕事は多忙を極め、最近では妻に私と仕事どっちが大事なの?と言われる始末だった。3歳になる娘もいるが、帰る頃にはとっく寝ていた。起こそうもんなら妻が機嫌悪そうに『今寝たんだけど』と冷たい視線を浴びせられた。


『人生なんてこんなもんだろう。』


今年32歳になる。32年間生きて出た結論だった。結婚当時は、幸せだったかもしれない。仕事は忙しかったが、家に帰れば温かい夕食と、愛する妻が待っていた。仕事にもハリが出る。

しかし、結婚生活も6年を越えると生活もマンネリ化して来て、歳を重ねるにつれて仕事量も多くなって来た。毎日帰るのは22時を超えてから、休みの日は家族サービスだ。趣味だった釣りは子供が産まれてからは行けていなかった。『そんな事よりも貯金しなきゃ。』妻の口癖だ。

来る日も来る日も会社と家の往復でいい加減何のために生きてるのか分からなくなってきていた。


今日は奇跡的に早く帰れそうだったが、家にまっすぐ帰る気にはなれていなかった。日常にも仕事にも疲れ切っていた。

ふとオフィスを見ると部下が鞄を取り出し帰る準備をしていた。少し考えてから妻には『今日も残業で遅くなる』と業務的なメールをした。


後ろから声をかける。『たまには夕飯でも食べないか。』平然を装った。妻に嘘のメールを入れてる時点で裏切り行為だろうが、いつも指導してる部下とたまに食事をしてもバチは当たらないだろうと自分を正当化した。


なぜか目が合わない。時々、キツく叱る事もあったがフォローは入れるようにしていたが、プライベートな事も殆ど話した事もなく当然といえば当然の反応だった。


断られるならそれでも構わなかったが、『よろしくお願いします』と返事が返ってきた。一緒に退勤し、駅の近くの寿司屋に向かっていながら、プライベートな質問を何個かされた。好きな食べ物や休日何してるかを聞かれ、少し照れくさい気持ちになった。結婚してることは言わなかった。


寿司屋に着き上着を脱ぐ。すぐに注文をした。部下も同じものを頼んでいた。いつもはオフィスでしか見ない彼女を飲食店で見るのは些か違和感があった。

口下手で無口な方だが、彼女が気を使ってか色々話してくれた。女というものは本当におしゃべりだ。


程なくして寿司が運ばれてきた。あんなにおしゃべりをしていた彼女の唇は脂がのった寿司をみて、しゃべるのをやめていた。『いただきます』と手を合わせ、口に運ぶ。脂ののった大トロを口に運ぶ。職場では必死に真面目な顔をしてパソコンに向かう姿が殆どだ。一度、二度、三度……ゆっくりと咀嚼していた。目が大きく見開く。飲み込んだ瞬間に顔がほころんでいた。


『君のそんな幸せそうな顔初めてみた』


妻には嘘のメールを入れている。これ以上妻を裏切るわけにはいかず、『半年頑張ったご褒美だよ』と呟くしかなかった。やっぱり目は合わなかった。




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