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婿がね登場 ただしお文だけ 1

 何事を行うのにも、吉日というものがある。

 もとよりこの山狭国(やまさのくに)は、平安京を守護する朱雀(すざく)が、己の羽を休ませるため瑞獣(ずいじゅう)鳳凰(ほうおう)〟に命じて興した国だと言われている。鬼門で異界を繋ぎ、天地の安寧を祈って、人の営みを(なら)う。朝廷の在り方や街衢(がいく)の様子はまさに平安京と瓜二つ、行事や習慣・宗教なども、山城国のそれらを踏襲していた。


鳳安京(うち)の陰陽師と平安京(あちら)の陰陽師、その両者に占わせた縁起の良い日取りだ。さて、可愛い娘のために私は尽せるだけの手を尽くした。あとはお前次第だよ、咲子」

「………………はぁ―……ぃ」

「その溜め息じみた返事にほんの少し、祝い事らしい歓心を込めてくれんかね」

「お父さまは、婚儀の折……緊張もなく手放しで慶ぶことができたのでしょうか」

「もちろんだとも。私は逢瀬(おうせ)を申し込むほうだったからね、むしろ待ちきれなかったくらいだ」

「……。わたしの場合は知らぬうちに決まっていた事ですので、お父さまのお気持ちはわかりかねます。宮さまのお顔も存じ上げませんのよ。今この場にいらっしゃるの?」


 篝火(かがりび)の明るい夜だった。

 東の(おく)にいる咲子には、目の届く範囲が限られている。

 それでも端近(はしぢか)に寄れば、宵闇のなか炎の色に浮かぶ花霞(はながすみ)の様、その下にいる直衣(のうし)狩衣(かりぎぬ)姿の男たちが杯を交わす様子は、()(くに)の宴のようにぼんやりと見て取れた。

 御簾ごしの、しかも(えん)に置かれた几帳の隙間からなので、数名の後ろ姿しか確認はできないけれど。誰其(たれがし)の奏する歌笛や琵琶の音だけは、余韻嫋々(よいんじょうじょう)と耳に近い。


「ふむ……先ほどまでは池のそばの座におられたが、この場所からでは見えんかもな」

「残念だわ。あちらの束帯(そくたい)姿のかたであれば、居住まいも優美ですてきに思われましたのに」

「ああ、おそらくそのかただよ。ほかは普段着の者ばかりだが、宮様は他国での公務からそのままの装いでいらっしゃったそうだ」

「ごめんなさい口が過ぎましたこの緊張感がイヤでちょっとふざけてみただけです」


 心底後悔しながら咲子はひと息に述べた。ささやかな反抗からありもしない浮気心をちらつかせてみたのだが、こうも見事に自分の首を絞めてしまうとは。


親王(しんのう)というご身分なら、きっと直衣でいらしていると思ったのに……!)


 だからあえて、後ろ姿から「まさか彼ではないでしょう」という人を適当に挙げたのだ。

 装束の色は定かでなくとも、宴席で畏まった恰好をしているので、あまり身分も高くないのでは……と失礼ながら判断させて頂いて。


「ふむ。まぁ、お前が婚儀に乗り気でないことは、何となくわかっているがね」


 そんなひと言を残して縁側に出た父は、高欄に手をかけ、下に控えた家人(けにん)を呼んでこそこそと耳打ちを始めた。

 どうしたというのだろう。()から出てしまった彼に声はかけられないため、咲子も思わず後ろ――奥に控える伊予を呼び出しそうになる。


「待て待て、その必要はない。話は済んだ」

「お父さま。お忙しいのなら、そろそろご自分の座に戻られてもよろしいのよ」

「いいや。たしかにまた戻りはするが、今のはちがうぞ。お前の垣間見を手伝おうと思っただけだよ」

「あら。……まあ、いたずら好きな右大臣さまですこと」


 そばに戻ってきた父の視線の先。

 たった今話していた家人がどこへ向かっているのか、咲子の座からでもよく見えた。

 家の庭には、大和(やまと)の国から移した淡紅(たんこう)の桜の木が植えられている。その下に束帯姿の婚約者は座しているのだが、おそらく家人は、父の(めい)でそのひとへ(ひざまず)いたのだろう。

 ふいに相手が振り返った。


「……若々しい、おかたね」


 歳は二十代の筈だが、少し、(しきみ)と似ている気がする。

 隣の者と比べると小作りな、端正な白い面立(おもだ)ち。

 もちろんはっきりとは見えない。御簾、宵空、篝火の揺れ。周囲のすべてが、かの人の容貌を包むように、花明りの中に秘してしまっている。


(それでも、もっと何か……うんんー、遠目の感想くらいは言いたいわ)


 反抗心はあるが、気の利かない娘と思われるのはイヤなのだ。父のことも、そして婿がねのことも、決して嫌いというわけではないから。

 心が矛盾しているとは思う。しかし自分を好いてほしい、よく想われたいという気持ちもどうしても捨てることができず、結局咲子は、いつも最後には猫をかぶってしまう。


「どうだい咲子、宮様のお姿は確認できただろう。いくらか機嫌はなおったかね」

「え、ええ、ほんのすこし。それこそ桜の花びらほどですけれど」

「おや、花弁ほどとはなんと心もとない。しかし見なさい。あれを貰えば、さすがに枝くらいの大きさにはなるのではないかな」


 そう示されたのは、こちらへ戻って来た家人の手もと。彼は親王(しんのう)から受け取ったらしい文付(ふみつき)の枝を、しっかりと握っている。咲子は目を瞬かせた。


「……どうしましょう。お庭の枝を勝手に折られるなんて」

「こらこら、庭の花ではないとちゃんとわかるだろう。まだ蕾で、色もずいぶんと濃い。公務からの手土産かもしれんな、とにかく見てみなさい」

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