婿がね不在 お父さまがたは、ちょっと変 2
「……だけど、不公平だわ」
ちくちくちく、と針を進めつつ咲子はぼやいた。
ここは対屋の廂の間。咲子は今現在、〝鴇と鷺の取り替え〟を知る二人――……八重と松葉を同座させて、のんびりと繕い物をしている。正確には咲子と松葉が細長の両端を手に取り、その裾のほつれを直しているのだ。
「お父さまがたのお取引について、今さらどうこう言うつもりはないのよ。わたしも樒も結局は男女で生まれて、すくすくと育ってしまったのだし」
「まあねぇ。樒もたぶん、今の生活を楽しんでるしなー」
「あ……ただ樒が、やっぱりこの家に戻りたいって言うのなら、わたしは」
「あっはは、ないない! そんだけは言えるよ。俺も樒も、務めで大内裏に入ることはあるけどさあ、貴族ってほんっとしんどい」
「しんどい?」
「あの人らって、なんであんな早起きなん? 夜明け前だよー起きて出仕すんの。なり代わんのはせいぜい三日四日だけど、あの生活が一生続くのかと思うとぞっとする」
答える八重の顔は、普段の彼よりひと回りほど老いて見えた。
と言っても二十代にしか見えないのだが、これでも彼は、将来白鷺党を背負うこととなる樒の右腕の青年である。たとえ日向を褥に、女装のままぱたりと横たわったしまりのない姿であっても。
男装をされるよりは気安く話せるので、咲子もいちいち物言はしない。
「ただね、八重。じつを言うと……」
……只今のぼやきは、鴇原の実子たる樒への負い目からではなくて。
鴇原家、あぁ鴇原家。春の陽気に花の匂いがふわりと過る、まさに物語絵のようなひと間。
目に眩しく肌にも芳しい、上級貴族の日常の中で。
「……どうしてわたしだけ、のけ者なの?」
咲子の声だけがどす黒く低い。
「まあ、親子水入らずってコトで」
「わたしも参加するべきだと思うのよ。親子三人の語らいに」
「しゃーないよ。大臣が樒と二人で話したいって言うんだもん」
「二人はそもそも、わたし抜きでずっと前から会っているじゃない。親子水入らずでのお話なんてもうないでしょうし、それにそう、お父さまと樒は、何だかんだ言いつつ想い合っているわ」
「うん。だからいつもどおり〝仕事〟の依頼じゃないかなぁ。頭領息子と、その後援の大臣として」
「わたしだけお会いしていないのよ……! 事情をご存知のはずの、本当のお父さまにっ」
「ん、それが大臣と親父殿の約束だから。取り替えたあとは、所用以外で勝手に自分の子に会いませーん、って」
思いがけず少女のような笑顔で言われてしまい、咲子ははたと口を噤んだ。
噛み合った気がしないのだが、なぜだか会話にはなっていた。
好き勝手に過ごしているようで、なかなかどうして八重は聞き上手である。
「……ありがと、八重」
「俺、なんか良いことした?」
「わたしの頭を冷やしてくれた」
苛々沸々、正殿を追い出されて落ち着かなかった心を。
咲子自身、実の親に会えないことについて、納得はしているのだ。
大臣の愛情もちゃんと感じているし、愛情裏の彼の政策もわかっているつもりだし、当の婿がねと気軽に逢えないことも、世の習わしなのだから仕方がない。
けれども理解に気持ちが追いつくかというのは、また別の話であって。
「せっかく初めて三人そろったのだから、『黙っていてすまなかった』みたいなひと言があってもよいと思ったの。お父さまから」
「あはっ、そーいやなかったね。いきなり追い出されたよねえ」
「たしかにわたしは小娘で、役にたつと言ったら婿取りくらいでしょうよ。それでも娘は娘なりに、いろいろと考えているのに」
だから正直なところ嬉しかった。正殿に呼び出されたとき、成人の儀と同じ衣裳でと言われたことが。
常に反して顔を見たいと言ってもらえたことが。
血縁のないことを、父も少なからず不安に感じている――それが伝わったからこそ、咲子もこれまで以上に励まなくてはと思ったのだ。手習いも、歌も楽器も、縫い物も。
「あと護身術と、刃物の扱いも!」
そう、護身術と刃物の扱いも。
「ってちがうわ八重ぇ……! 考えを読んで、勝手に声も真似ないで……!」
「ごめんなぁー、生業柄ぱっと見でわかっちゃうんだー。けど覚えといて損はないよ? 姫様の身分ならいつ攫われてもおかしくないし、ひょっとしたら、このさき党に戻れって言われるかもしれないし」
「やめて。鷺に戻るのはいいけれど、攫われるなんて冗談でも聞きたくないわ」
「えっへ、戻るのはいいんだ」
照れたように笑う。
八重の表情はどこまでも無垢で、どう見ても悪党とは思えない(そして年上にも見えない)。だから十年来の付き合いなのに、いつも違和感があるのだ。
彼が――彼らが、盗賊であるということに。