婿がね不在 お父さまがたは、ちょっと変 1
山狭国は鳳安京。東国・西国の人間からは、とてもよく、かなり頻繁に
『此なる都が山城国平安京か!』
と間違えられる。そのたびに都の正面・鳳安門の門番たちは腰を低く
『平安京……おやまぁ異界でございますねえ』
『あちらの霊山の麓に鬼門がございますので、まずはそこをお通り下さい。抜けましたら巨椋池を周り、桂川に沿って北上しますれば、やがて作道に出られますので、そちらをまた北へ――』
と説明するのだ。相手はまず首を傾げるが、とりあえず門をくぐれば良いのかと追及する者も少ない。
国の実態を知っているのは帝、および一部の貴族と門番のみ。
山狭には古代からの霊威神力を継ぐ者が多く、天地を掌るのが鳳安京の帝となれば、人を治めるのは平安京の帝。平らかかつ円満な両朝廷に、あえて挙げる諍いごとも無し。
ただしこの鳳安京、都と呼べば平安京と誤認され、京と呼んでもまたしかり。鳳安と言えば異国扱いされて、山狭という国名さえも山城国の一部だとみなされてしまう。
はたしてこの都は後世に何と伝わるのか……。
いやそもそも存在自体残るのだろうかと、公卿が首をひねらぬ日はない。
「しかしまぁー……他にどう思われようと営みがあればよいのだ。鳳凰帝のもと都が成り立ち、人が健やかであればよい。うちはうち、よそはよそ。鷺丸殿もそう思うだろう」
「そうだな」
「そういう訳で娘が欲しい」
「どいうワケだ。鴇原の大臣、そういった事は北の方に言え」
――さかのぼること十六年前。
鴇原の右大臣は、当時は内大臣の地位にいた。鴇原とは、建都の折に守護獣〝鳳凰〟が随従させたとされる五霊鳥が末裔の一門である。
金雀・翠鳥・朱鷺・白鷺・黒烏……今となっては鶸・鴗・鴇・鷺・烏という鳥の名だが、その名を冠する家はすなわち名家中の名家。
杯を仰ぎ、中天の月をぼんやり眺める大臣もまた、生まれながらの名族なのだ。
そんな彼の豪邸に、今宵招かれた客はただ一人だけ。酒の席にも家人はおらず、客の男は提子の口を手ずから大臣へと勧めた。
「鴇原殿が望めば、女のほうから寄ってくるだろうよ。都中――いやそれは無理か。二条から三条大路までなら、なんとかなるだろ」
「おい。これ見よがしに範囲を狭めおって、嫌味なやつめ」
「貴殿とは同胞の契りを交わした仲だからなあ。嘘は言えん」
「ともかく、五人目なのだ。五人目……もうすぐ産まれる吾子は、今度こそ娘だろうか」
「それが男でも、また六人目に励めばよかろう」
「……今必要なのだよ。娘が」
表情を消し、低い声で繰り返す。
常とは違う大臣の様子に、男も薄く笑んで酒を仰いだ。
「鴇原。話があるなら聞こう」
「一の宮様が、紅葉狩りで姿をおくらましになられた話は知っとるだろう」
「例の神隠しか。天狗か烏かは知らんが、拐かされたそうだな」
「その宮様が、お戻りあそばされた」
「それも知っている。――……ああ、そうか。なるほど、貴殿が娘むすめと言う理由がわかったぞ」
「まさか、あのようなお姿でお戻りになられるとは……」
「まだ六歳で、ずいぶん立派な綽名が付いたじゃないか。〝天狗殺しの若宮〟などと」
「言うな。それを口にするな」
咎める声は鋭い。表情も痛ましい。
何者かに攫われ、血死の穢れを浴びて帰って来た若宮への同情の念だろう。
やがては東宮位と囁かれていた聡明な皇子が、御身を血に染め、門番に保護された話はまだつい最近のことだ。
「怪我もなく、落ち着いているらしいな」
大臣の反応を窺うように、男はゆっくりと続けた。
「雲隠れ中のことは知らんが……帰ってきたのは、若宮と乳母の子のみだったか。み仏の加護が強かったのだろう、過ぎた不幸より残った幸を喜べ」
「口を慎め、鷺丸」
「鴇原も素直になってよいぞ。若宮に同情しながら、それ以上の幸運が嬉しくてたまらんのだろ。だから貴殿は娘が欲しい」
「……」
「乳母の子は声を失くし、若宮は鶸姫との縁談を断たれたそうだな。自力で帰ったのはたいしたものだが、拭えぬほどの血を浴びたうえ随身どもも全滅、山里の民もいくらか死んでいたと聞く。そのうえ宮は、天狗は自分が討ち取ったと言ったそうじゃないか。怨念やら血死の穢れやらをまとい、皇位に就くのはもう無理だ」
「相変わらずの耳の早さだな」
「それが生業なんだよ」
「宮様のご不幸は、あのかたご自身のせいではない。鳳凰帝も、たいそう心を痛めておられる」
「恩を売る好機か。穢れた皇子でも鴇原の婿となれば、なるほど、その子どもが返り咲くことはあるかもな」
しかし、と男は言葉を切った。
実に楽しげに、珍しい生き物を眺める喜色で、彼は腕を組んで尋ねる。
「貴殿や『娘』とやらの心情はよいのか? 皇子の業を鴇の家に迎える覚悟は」
「死穢は祓えば消える。私に必要なのは、過ぎた不幸より末の栄耀だ」
「あっははっ! いいな、さすがはわが同胞、わが主よ!」
男――鷺丸は呵々大笑し、それが治まった後も喉で笑い続けた。
時の権力者に逆らったがため、家名を与えられなかった鷺一門の筆頭。殿上人を毛嫌いし、自由奔放に生きる彼にも生き甲斐というものがあるのだ。
そのひとつが鴇原の大臣との繋がり。
またひとつが自身の率いる盗賊団白鷺党。
「しかしな、鴇原殿。俺たちが盗るのは人の『姿』と『秘事』だ。命をさらえば、それだけ俺たちのなり代わる相手が減る。娘が欲しいと言っても、鴇原に入れるに相応しい赤子でなければならんのだろう」
「贅沢は言わん。五霊鳥の血筋であれば十分だ」
「子を盗るだけで済めばよいが、そこに至るまでがどうなるやら。ふむ、やはり此度の命は、白鷺党の信条からはズレとるな」
「命ではなく、友としての頼みだよ」
「なんと都合のよい」
「ゆえに無理なら断ってくれて構わん。……鷺丸殿、貴殿の正妻も臨月だそうだな」
言われた鷺丸の目もとが、ふ、と静まった。
笑みは変わらない。しかしその表情には、喜楽とは別の冷えた光が射している。
「わが子を望むか。あいにく、男か女かはわからんぞ」
「それはうちも同じだ。ほとんど賭けのようなものだな」
「どちらも男児だったらどうする」
「鷺丸殿に任せよう。つまり私の運命は、貴殿次第というわけだ」
「平安呆けの酔狂め。すべてが思いどおりになると思うなよ」
罵りつつも、その後息をついた鷺丸はすでに挑み顔だ。
双眸は不敵に笑み、杯を呷った唇はさらに濡れて、紅を引き直したように色濃い。
「受けよう」
彼は言った。大臣の返事がなくとも、淡々と満足げな様子で。
「俺もちょうど男児が欲しかった。うちの連中は、女の手にはちと余る」
ーー斯くして先を見据えすぎた大臣の希望のままに。
折よく生まれた鷺丸の娘と、鴇原の子息は、両父親の合意のもとで交換されたのだった。