婿がね不在 皆さまは不法侵入 1
初心者マークぺたり。とにかく書きますよろしくお願いします……!
あはや逃げにし大殿が鳥
滝なす尾羽に黄金なる嘴 げにや妙なる白鷺なり
すはや 追へよ 其方なりや
されば鳥こそやすく捕られね
影なす風切あま馳する声 風なさららと流し呼ぶ
誰そや 誰そや 助けよや
やがて下りにし阿闍梨が庵
水簾落ちたる表に鳥は おのれが姿をうつし見て
あなや 水にや 入りにけり
うつりし うつし身 消えにけり
(『山●国僧都山遊録』巻第三
〝都に聞こえたるもの〟白拍子之段より)
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花が咲い、小鳥が歌う。廂の間では、朝の光が床板に踊っている。
瞬きひかめく袖を目の端で捉えながら、咲子は両手をつき、ゆっくりと頭を下げた。
『御簾も几帳も置かず、対面にて話をしたい』
『裳着の際に身に着けた、朱躑躅の衣裳で来なさい』
そんなおかしな条件付きで呼び出されたのだ、父親に。当人は母屋の奥――
――中央の御座で背筋を伸ばし、強張った表情で咲子を見下ろしている。
薄い唇に細い顎。まだ四十路前であるのに、烏帽子をのせた繊細な髪はすでに多くが白色。双眸だけが異様に吊って、まるで白い蟷螂のようだわとついつい思ってしまう。
世辞ながら〝咲う牡丹よ白百合よ〟と称される娘とはまったく似ていない。
(とはいえ成人の儀から……もう一年になるのかしら)
こうして直に父と顔を合わせることも、すなわち一年ぶりである。姿勢を戻し、親の面差しを物懐かく仰いだ咲子は、年頃の熟れた唇をふわりと綻ばせた。
「……ご機嫌うるわしゅう、お父さま。朝のお庭はご覧になって? 匂うようなお日さまが、八重咲の桜を包んでまさに爛漫。宵の観桜も、夢のような眺めになるのでしょうね」
「ああ、うむ。下に並ぶ躑躅の花もたいそう見ご」
「それでは本題にはいりましょうか。お父さまは、人払いをなさっておいでね?」
しかし娘の本性親知らず。
可憐なぬばたまの瞳は一変して鷹の目のように光り、長い睫毛の先を自分自身で見て追うように、母屋の内を探りだす。
取っ手の付いた青銅の水瓶。
部屋を仕切る花鳥の屏風、広袖を掛けた衣架、桜模様の格子天井。
人の気配は微かにある。が、女房たちではない。
この場へ先導してくれた乳姉妹も、座に着いた咲子の衣裳、その裾に広がる黒髪をひと梳きふた梳き整えた後は素早く退出している。
同座は古参の侍従のみ。
太刀を膝上に握る彼は、主のそばでむっつりと目を閉じていた。
「咲子、真愛しきわが娘よ、少し落ち着きなさい。この天井画は心地ひとつで取り替えられる特別なものだが、そう不躾に眺めるものでもあるまい。それとお前の言うとおり、正殿にいるのは私とお前と忠助のみだ。これはまぁー……この上なく重大な話があってだな、忠助は唯一すべての事情を知る忠臣ゆえ、護りも兼ねてこの場に残してある」
「お父さまの『重大なお話』というのを当ててさしあげましょうか」
「うん?」
「成人の儀と同じ衣裳で、というのは親子の情をお確かめになりたかったからなのだと拝察いたします。幼い頃から今に至るまで、わたしは確かに、あなたさまの娘なのだと」
「は」
「お父さまがお告げになりたいのは、わたしがお父さまの子ではないとうことでしょう」
「んはっ!?」
「お母さまの子でもなくて、それでも娘には違いないと、そうおっしゃりたいのよね。とてもありがたく存じます」
「いや待て、待ちなさい咲子。……そのとおりだが」
お前はどこでそれを、と目をみはる父に対し、咲子は首をかしげてにっこりと返す。
「お父さまは、人払いをなさっておいでね?」
「せ、先刻に述べたとおりだ」
「それならなおのこといけません。皆さまの同座にもお気付きにならないなんて、少々平安呆けが過ぎるのではないかしら」
厳しく述べて立ち上がっても、父はただただ驚くばかり。そのように止める者がいないのを良しとして、咲子は袿の裾を引き、間を分かつ屏風の前まで歩を進めた。そして――
「――皆さま、どうかその場を動かれませんよう!」
声を張りつつ、白い手のひらをパンパンッ! と二打ち。
そのまま右手側にある屏風を「そぉれ」と傾ければ、即座に。
「あなやっ!」
と、直垂姿の美丈夫が屏風裏から身を乗りだした。結髪を揺らし、枠を支えたまま曖昧な笑みを向けられたので、咲子も悠然としたり顔で見おろす。
(あとは……)
考えながら、視線だけを父の方へ遣って。もう一度、確認のために。
「お父さまは、人払いを」
「しとる! だがこやつはいったい、お前は何を」
「それでは失礼をば」
「咲子!?」
悲鳴のように呼ばれるのも無理はなく、しかしその声も視線も、咲子にはどこ吹く風。
気にするそ振りをまったく見せずに、朱躑躅の小袿をバサリと肩から落とした。続けて中の袿もしゅるり、するりと七枚ほど脱ぎ滑してしまう。
小袖と単の身軽な衣裳になり、すっきりと髪を払って見据えたのは部屋の隅の衣架。掛けられた表衣に構わず横棒を抜き取り、天井画を替える台を足場に、体を反らして狙う。
握った棒の片端は、押し付けるように右の掌へ。
その反対を天井の格子一枠に向け、肩から背中、腰から膝、渾身の力をこめて。
「スゥ―……せいっ!!」
突いた。バンッ、と蓋が跳ねるように桜模様の板が浮く。
すぐに元通りに嵌まったものの、感じた手応えを咲子は逃さない。
「八重!」
「はーいはい、はいよー」
呑気な返事は、頭上から廂の外へと移動した。
春風が鳴り、日差しが揺れる。
御簾ごしにも、朝の縁側はことさら明るくよく見える。
さながら陽だまりを舞う蝶のごとく――……しずしずと姿を現したのは、咲子が思ったとおりの青年だった。ひょろりとした背も、年上らしくない童顔も、出会った頃から変わらない。が、しかし。
「……その恰好で上にいたの?」
装いだけは予想外のもので。陽光に映える桜重ねの細長は、裾がどの衣よりも長くて動きにくいはず。華やかながら、咲子も着るのは遠慮をしたい衣裳である。そんなわけで素直に尋ねると、「まさか!」と笑われた。
「細長を羽織ったのは外に出てからっすよ。この長い裾がねえ、ちょっとした上り下りになかなか便利で、けど俵みたく抱えてご対面もなんかなぁーと思って」
「わかったけど待って、それ以上入らないで。ここはお父さまの寝所だから、床を汚してはだめよ」
「ああはい、ちゃんと綺麗にね。大臣もお元気そうで何よりでーっす」
彼は庭に向かい、バッサバッサと裾の埃を払い始めた。
そう、彼なのだ。八重という女人じみた呼び名でも、女物の衣裳を着ていても。
美しく艶やかに、咲子よりも念入りに、長い髪や頬の白粉を直していても。
なぜわざわざそのような恰好を? とも思うけれど、きっと邸の護りが固くて侵入るのが難しかったとか、遣いの女房と出くわしてたまたま入れ替わったとか、いずれにせよ適当で勝手な事情があるのだろうと、咲子は胸の内ですべてを完結させた。
(それに、もう一人いるものね)
つづく