68.4話 屁理屈屋
「すんませ~ん」
それは、何の前触れもなかった。
お昼で来てくれた冒険者の人たちが帰った後、店内を掃除していた時に、うちを訪ねてきた。
「ステータス低いんすけど、金が欲しいんで仕事くださ~い」
「帰れ」
声を頼りに入り口に振り返った時には、すでにお父さんが追い返そうとしていた。さっきまで仕込み中だったらしく、手には包丁を持っている。
客観的に見たらお父さんが危険人物に見えるから、止めて欲しい。
「……はぁ、わかりましたよ、お邪魔しました~」
怖がってるかな? と思ったけど、『男の子』の去り際の声音はとても淡々としていて、全く動じていなかった。
ちら、とのぞき込むように『男の子』の姿を視線で追えば、一瞬だけ目があった。
(…………え?)
そこで、私は強烈な違和感を覚えた。
『男の子』の顔に、何の特徴もなかったからだ。
より厳密に言えば、どうしても『記憶に残らない顔』だったからだ。
自慢じゃないけど、私はお客さんの顔は一度見ればどんな人でも覚えられるし、名前もすぐに一致させることが出来る。それくらい、記憶力には自信があった。
なのに、あの『男の子』を見た瞬間から、顔を覚えられる気がしなかった。
まるでツルツルな仮面を見ているような、何ともいえない不思議な感覚。
そんな、覚えようにも特徴そのものがない顔だったから、その『男の子』の存在がとても印象に残った。
その日の晩に、お母さんにも『男の子』について聞いてみたけど、「そんな子、いたかしら?」って首を傾げていたから、余計にびっくりした。
お母さんは、私よりも記憶力がいい。お店に訪れた人の顔どころか、その時間帯に人がきたかどうかさえ覚えていないなんて、今まで一度もあり得なかった。
私の中でますます、『男の子』への謎が深まっていった。
「……あれ? あなた確か、この前うちにきた人?」
「ん?」
妙な引っかかりを覚えた出会いから、『男の子』と再会できたのは三日後だった。
急遽足りなくなった食材を買い足しに夜の町に出かけて、その帰り道で遭遇した。
振り返ったその表情は、やっぱり私にはパーツのない仮面にしか見えなかった。そんな『異質』な人だからこそ、すぐにあの『男の子』だって断定できたんだけど。
改めてじっと『男の子』を見ると、とても華奢な体つきのように思えた。
たぶん、身近にいた男の人がお父さんとか冒険者の人たちとか、筋骨隆々な人が多かったから、そう見えたのかもしれない。
身なりは、やっぱりよくわからない。平民が着るような服、だと思う何かを着ていて、油断すればそこにいることさえわからなくなりそうな、存在感がないことだけが個性のような人だった。
「まあなー。この町にきてから200以上回ってみたけど、見事に全滅だったよ。昨今の就職事情は相当厳しいらしい」
それから少し話をすると、なんだかとんでもないことをさらっと言われた気がした。
お店を、200以上も!? そんなこと、普通出来ないよ!?
レイトノルフは商人気質の町だからか、確かに商店の数は多い。商人ギルドはイガルト王国王都よりも大きかったし、加入していた人たちも多かった。
でも、それだけの数を回っているのならば、もうほとんどのお店にお願いしたのは間違いない。なのに今も歩き回ってるってことは、その全部で断られたんだってことは明らかだった。
そして、はたと思いつく。
確かこの『男の子』は、お金がないから働きたいと言っていた。
なら、今はどこで寝泊まりをしているんだろう?
「これから最近行きつけのスラム地区の裏路地に行って、適当に休むつもりだったよ」
「そこ絶対休めないから!!」
さすがに心配になって声をかければ、斜め上の回答をもらって思わず叫んじゃった。
スラムの子どもたちに声をかけた経験があるといっても、それは全部昼間の話。
夜のスラムはダンジョンと同じだと思え、ってお父さんから口を酸っぱくして注意されてきたから、想像だけどかなり危険だってことは私でもわかる。
そんなところで適当に休む?
今まで無事だったのは運が良かっただけで、次の日には命がなくなっちゃうよ!
「……あぁ~、もうっ! そんなの聞いたら放っておけないじゃん! わかった、今度は私からもお父さんに頼んでみるから、一緒にうちに行こう! はい決定!!」
そこからは、私も必死だった。
このまま帰ってしまったら、せっかく知り合った人を見殺しにしてしまう。
目の前の『男の子』はお客さんじゃないけど、人の『優しさ』に支えられて生きてきたと思っている私には、たとえ初対面でも見捨てることなんて出来なかった。
「は? 所詮他人のことだろ? ほっとけほっとけ」
「っつか、一度断られた場所にもっかいいくとか、ダサくね?」
「アンタの口添え効果はいかほどだよ?」
「自分で言うこっちゃねぇが、俺は身分不詳で金もねぇ、浮浪者同然のろくでなしだぞ?」
「計画性ゼロ、勢い任せ、実現性皆無の穴だらけじゃねぇか」
私はどうにかして、自分から死にに行こうとしているようにしか見えない『男の子』を説得しようとしたけど、当の本人は私の言葉をことごとく否定していった。
『男の子』の現状は想像するだけでも大変そうで、私の提案は大きな助けになるはず。
それなのに、一向に話を聞く耳さえ持ってくれない。
あまつさえ、『男の子』は表情を変えないまま、こう締めくくろうとした。
「そいつはどうも。ありがたすぎて泣けてくるぜ。だが、自分のことは自分で何とかする。上から目線の下手な同情はいらねぇよ」
これには、さすがにカチンときた。
こちらは親切心で歩み寄ろうとしているのに、『男の子』の態度はあまりにも頑なで。
何より、私は別に『男の子』より偉くなったつもりにもなってないし、哀れみだけでうちに誘った訳じゃない。
今までの子たちとは違い、『男の子』は働こうって意志がとても強いように思えたからだ。
でなきゃ、200以上のお店に頭を下げたりなんてしない。普通はそれだけ断られれば、心が折れて諦めてるはず。
だから、この『男の子』なら大丈夫だって思ったから、声をかけたのに。
また、私は失敗したんだ。
こんなに嫌がられるなら、余計なことって思われるくらいなら、最初から『優しく』する必要なんてなかったんだ。
お父さん以上の頑固さと、今まで会ったことのないくらい度が過ぎた天の邪鬼さに我慢の限界がきた私は、最後に文句を言って帰ってやろうと決め、口を開きかけた。
けど。
「それより、早めに帰った方がいいぞ、アンタ。なんだかんだで夜も遅くなってんだ。女の一人歩きが危ねぇのは、どこの世界でも一緒だ。それに、あんまり帰りが遅いと、それこそあの親父がうるせぇぞ? さっさと帰って安心させてやんな」
喉まで出掛かった言葉は、そこで止まってしまった。
「…………っ!!」
ずっと文句と言い訳ばかり重ねてきた、嫌な人だったのに。
最後の最後で、私の身を心配している言葉を、口にしたから。
その声音に、『男の子』の不器用な『優しさ』を、感じてしまったから。
それも、私の強引な誘いを断るときは平坦な声だったのに、早く帰れって促したときは本当に心配そうな声色に聞こえたから。
余計に、『男の子』の『優しさ』が、強く、胸を打ったんだと、思う。
「あっ! おい!? 何しやがんだ!!」
気がつけば、私は手を伸ばして『男の子』の腕を掴んでいた。
私との会話じゃ全然動じなかった『男の子』が、慌てたように抗議する姿に少しスカッとしつつ、私は内にくすぶった感情を目線に乗せて、言い放った。
「……あぁ~、もうっ!! さっきから屁理屈ばっかりうだうだうっさい! 男なら細かいことを気にしないで、どっしり構えてなさいよ! とにかく! いいから君は黙ってついてくること! わかった!?」
「はぁ!? 無茶苦茶じゃねぇか!? いいから離せ、コラ!!」
「離しません! 未婚でかわいい盛りな女の子の一人歩きが危ないって言ったのは君でしょうが!? 早く帰れって忠告するくらいだったら、私に時間を使わせた君が、家まで送り届けるくらいの親切さくらい見せなさいよ! あと、人からの厚意はありがたく受け取っときなさい! 他人を疑うだけじゃ疲れるだけでしょうが!」
「うっ……」
屁理屈には屁理屈で対抗するしかない!
そう思って、自分でもめちゃくちゃなことを言っている自覚はあったけど、私は言いたいことをぶちまけて、そのまま『男の子』を強引に引っ張っていった。
今度何か反論してきたら、また屁理屈で返してやる! って意気込んだりもしてたんだけど、予想に反して『男の子』は言葉に詰まって素直についてきてくれた。
ちょっと拍子抜けしながら、私は『トスエル』の帰り道を、ひたすらまっすぐ見つめ続けた。
だんだん鼓動が早くなっていく心臓と、『男の子』の腕をぎゅっと握る汗ばんだ手のひらから、極力意識をそらすようにして。
「ただいま~! あとこの人雇って!」
「ついでか!? しかも直球過ぎんだろうが!! せめてもっと順序踏め!!」
とりあえずスラムの子たちを連れてきたときと同じように、家につくなりお願いしてみたんだけど、そこにはお客さんがたくさんきていてそれどころじゃなかった。
また騒ぎ出した『男の子』だったけど、それどころじゃない。
早くお仕事しないと!
すぐさま意識を従業員のものに切り替えた私は、喋る暇も惜しんで『男の子』にエプロンを渡し、自分も着替えて店内を走り回った。
「つ、つかれた…………」
「お疲れさま。はいこれ、落ち着くよ」
数時間後、団体のお客さんはみんな満足そうに帰って行った。
後かたづけもある程度終わり、お父さんにホットミルクを用意してもらって、休憩させてもらえることになった。
ついでに、流れで巻き込む形になっちゃった『男の子』にも、ホットミルクを渡した。初めてのお仕事があれだけ忙しかったら、疲れちゃうのも無理ないし。
……お父さんの分って嘘ついて、勝手に持ってきちゃったコップだったけど、いいよね?
「巻き込んだ自覚があるのは結構だ。おかげで俺は、客に舌打ちされるわ、オヤジさんに怒鳴られるわ、ママさんに顎でこき使われるわで、エラい目にあったよ。心身ともにぼろぼろだぜ…………」
その際、やっぱりというべきか、『男の子』から痛烈な皮肉をもらっちゃったけど。
本っ当! この『男の子』は、ねちっこくて、嫌味ばっかりで、意地悪な屁理屈屋だ!
「シエナちゃんも君も、お疲れさま。ずいぶんと楽しそうね?」
「楽しくない!」
「お疲れです。あ、これいただいてます」
「あらあら、うふふ」
それからしばらくああ言えばこう言う『男の子』と言い合いしていたけど、お母さんもやってきたから一旦口を閉じる。
それから、お母さんから目線だけで座るように促されて、仕方なく『男の子』の隣に乱暴に腰掛けた。
「それで、お名前は何て言うのかしら?」
理由は、今度新しく働きたいって人がきたら、お母さんがまず面接をする、って話になっていたからだ。
私の判断で連れてきた子たちは、三回とも失敗した。私に人を見る目がないことは、すでに自分で証明してしまっている。
よって、人生経験が豊富な分、色んな人を見てきたと豪語するお母さんがやる、という言葉に折れるしかなかった。
「俺は『ヘイト』と言います。『イセア人』です」
そうして始まった面接だったけど、『男の子』、いや『ヘイト』についてわかったことはほとんどなかった。
人種がイセア人だってこと、レイトノルフよりも東の国に渡りたいこと、旅の途中でお金がなくなったこと、旅の理由は話せないこと、自分のミスで冒険者にはなれないこと。
後は、『イセア人のヘイト』と名乗った瞬間から、顔が無個性な仮面からちゃんと『人の表情』として見ることが出来たくらいだ。
それでも、イセア人ってことがわかるくらいで、特徴が全くないことに変わりはなかったんだけど。
他にも、お母さんは色々と『ヘイト』に話を聞いていたけど、『ヘイト』はそのほとんどを『話せない』とした。
その間中、内心でハラハラドキドキしっぱなしだった。
雰囲気からして、私たちに教えたくない事情がたくさんある、っていうことはわかった。
けど、ほぼ名前と人種だけしか明かさない人を、従業員として雇うのには無理がある、ってことは私でもわかる。
あれだけ私には屁理屈を並べ立てていたくらいだし、『ヘイト』なら咄嗟に嘘の一つや二つつけるくらいにはずる賢いはずだ。私はてっきり、面接でも舌先三寸で切り抜けるものだとばかり思っていた。
なのに、『ヘイト』はずっと、自分の状況を誤魔化しなく正直に話しているようだった。
(そんなんじゃ、うちに連れてきた意味ないじゃない! 嘘でも何でもいいから、もっと印象がよくなるようにしなさいよ! 本当に働く気があるの!?)
ほとんど同伴の母親みたいな気持ちで、私は『ヘイト』の受け答えをやきもきしながら聞いていた。
絶対、『ヘイト』よりもドキドキしてやり取りを見ていただろう。
「そういえば、どうして一度断られたうちに戻ってきたの?」
そわそわしっぱなしだった面接も一区切りつき、お母さんは少し力を抜いて話題を変えた、ように見えた。
でも、私にはわかる。
お母さんの空気は柔らかくなったけど、目がさっきよりも増して真剣になっていたことを。
たぶん、今からがお母さんにとっては面接の本番なんだ。
口出しできない自分を歯がゆく思いつつ、せめて変なことは言わないでと祈りながら、『ヘイト』の顔に視線を固定させた。
「お宅の娘さんに拉致されました」
「ちょっ!? 人聞きの悪いこと言わないでよ!!」
しかし、『ヘイト』はお母さんの目力に気づかないのか、とんでもない台詞をさらっと口にした!
そんな言い方だと、『ヘイト』じゃなくて私が変に思われるって!?
最後まで黙っていようとしてたけど、思わず立ち上がっちゃったじゃない!?
「あらあら、またなのね?」
慌てて弁解しようとしたけど、遮るようにお母さんがニコニコしたまま、手のひらを頬にあて、こてんと小首を傾げた。ただし、目は笑っていない。
くっ、仕草はあざといのに、何なのこの自分の母親とは思えない色気と迫力は!?
お母さんが怒っているのは、お母さんたちの言葉を無視して、勝手に行動しちゃったから、だと思う。あれ、私が悪いことした時に見せる目だし。
お母さんが見せた年齢以上の若さと、それに隠されたものすごい怒気を感じて、私は怯んでしまった。
「…………また?」
「な、なによ……?」
しかし、予想外にも、お母さんの言葉に反応したのは『ヘイト』も同じだった。
ずっと真顔でいた『ヘイト』が、すっごい怒ったような顔でこちらを睨みつけるのは、正直、とても意外で戸惑った。
「何危ねぇことしてんだアホか?」
その流れで始まったお説教は、第一声からして酷かった。
「基本的に人間はいい奴の方が少ねぇんだ。困ってるから助けたい、っつう考えは尊いとは思うし、全否定するつもりはねぇが、ちょっとは自分のことも考えろバカ」
最初から、私の価値観そのものを否定するような言葉ばかりだったから。
「か、考えてるよ! こ、今度は失敗しないように、とか……」
バカ呼ばわりされて反射的に言い返しちゃったけど、私の声に力はなかった。
「『今度は騙されない』ことを考える前に、『次は何もしない』こと考えろっつの。その様子じゃ、すでに俺ん時みたいなことして、他人に騙されて痛い目に遭ったことがあんじゃねぇか。ちったぁ学習しろ」
グサリ、と私の胸に言葉の刃が突き刺さった。
「しかも、今回引っ張ってきた俺なんか、わかりやすくスラムに入り浸ってる、っつったよな? そんなほぼ犯罪者みたいな奴の話を信用して、ほいほい自分の家に招くなんざ、ぜんぜん後先考えてねぇ証拠だろうが。その時点で大失敗なんだよ」
『ヘイト』は次々と言葉を連ね、私の浅はかさを非難し、抉る。
「これからは、人間は全員悪人だと思って、下手な身の上話なんか信用すんな。ほぼ全部嘘で、お人好しのお前を騙す気満々なんだってことを、常に意識しろ。そうでなきゃ、自分だけじゃなくて家族にも被害が及ぶんだぞ、わかってんのか?」
耳が痛い。目を合わせられない。体が落ち着かない。
「俺には屁理屈がどうだ、細かいことが何だとほざいてたが、お前はお前で考えが浅すぎんだよ。他人の心配する前に、もっと自分と家族の心配をしろ」
この瞬間の居心地の悪さは、私の人生で最大級だったと自信を持って言える。
本気で怒っている『ヘイト』の言葉に、すっかり萎縮しきっていた。
『ヘイト』は言い回しもきつく、内容も酷評の一言だったから、結構傷ついた。
でも、本当は私だって、言い分がある。
私には私なりの考えがあって、正しいって思ったから、動いたんだ、って。
そうやって、もっと反発してもよかったはずなのに、何も言い返せなかった。
『ヘイト』の言葉は、どこまでも厳しい代わりに、どこまでも正しかったから。
「さっき俺にゃ『厚意』は素直に受け取れっつったが、お前は『現実』を素直に受け止めろ。このままだと、いずれお前が泣きを見るだけじゃなく、オヤジさんとママさんも泣かせることになるんだ。それだけは、考えなしの頭でもよ~く刻んどけ、わかったな?」
それに、出会ってからずっと、最後の最後は、いっつもこれだ。
『ヘイト』の言葉は、最初からず~っと、痛いところばかり突いて、聞く側の気持ちを全く考えていなくて、思いやりのカケラもない無神経さばっかり。
なのに。
その言葉が全部、私をすごく心配しているんだって、わからせてくるから。
このまま訪れるだろう私の未来を、説教って形で気遣ってくれているから。
面倒くさくて、回りくどくて、わかりにくい『優しさ』が、最後の台詞でどうしようもなく伝わってくるから。
胸が痛くて、ドキドキして、苦しくなって、顔がまともに見られなくなる。
そのくせ、自分は攻撃的な言い方ばっかりで、自分が嫌われるのには全くの無頓着で、むしろ嫌われようとしている風にすら見えて。
だからこそ余計に、私を心配している言葉が、真面目で、真剣で、真摯な思いだって、痛いほどわかっちゃうから。
私は、『ヘイト』に何も言い返せなくなるんだ。
…………そんなの、ずるいよ。
「うぅ~っ! …………わ、わかった、わよ」
結局、私は何も反論することすら出来ず、白旗を揚げるしかなかった。
まともに顔を上げられず、私はうつむいたまま床の一点を見つめる。
だって、今の私の顔、絶対真っ赤になってるし…………。
そんな恥ずかしいところなんて、見せられるわけないじゃない!
「あらあらまあまあ」
私の様子がどう映ったのか、お母さんは何故か嬉しそうな声を出していた。
何か、すっごい誤解されている気がする。
でも、『ヘイト』が目の前にいる現状じゃ、訂正することも出来ないから、唇をきゅっと引き結ぶ。
せめてもの抵抗、だったんだけど、お母さんの生温かい視線は、強くなる一方だった。
「あ~、説明面倒臭ぇから後で本人にでも聞け。邪魔したな」
それからお父さんが来て騒ぎだすと、『ヘイト』はすぐに立ち上がった。
私が差し出したホットミルクを一気に飲み干し、そのままどこかへ行こうとする。
その瞬間、赤みを帯びていたはずの顔から、さっと血の気が引いたのを感じた。
「あら、どこへ行くの?」
「この様子じゃ、不採用ですよね? 宿はないですけど、スラム暮らしにはもう慣れたし、またそっちへ行きますよ。仕事の報酬は、このミルクってことで。後から金を無心しにきたりもしないから、安心してください」
すぐに頭を上げたら、お母さんが一度呼び止めたけど、『ヘイト』は何でもないように肩を竦めて、『トスエル』から去ろうとしていた。
ダメッ!!
「ちょ、ちょっと待って!! 夜のスラムは危ないって言ってんでしょ!?」
「そういうお前は俺の話聞いてなかったのか鳥頭。ここは俺を引き止めるんじゃなく、さっさと見捨てるのが正解なんだよ。早速お人好しを復活させてんじゃねぇぞ」
ここから出て行こうとする『ヘイト』に、とにかく私も立ち上がって邪魔をした。
鳥頭でもいい!
正解なんて知らない!!
お人好しでも何でもいい!!!
ここから、『私』から、いなくならないでくれるんなら、それでいいっ!!!!
「どけ」
両手を広げ、進路を塞いだ私に、『ヘイト』はものすごく怖い顔で睨んできた。
「どかないっ!!」
それでも、道を譲るわけにはいかない。
だって、話を聞く限り、『ヘイト』のステータスは酷いなんてものじゃない。
同い年の男の人と比べれば、ううん、きっと私と比べても、その半分もないはずで。
そんな『ヘイト』を、夜の町に一人で放り出すなんて、見殺しにするも同然だ。
そんなこと、出来ない。
また、いなくなる。
私の前から、あの日と同じように、いなくなってしまう。
そんなの、私にはもう、堪えられない。
それに、『ヘイト』の言葉で、気づいたから。
相手に喜んでもらえたり、感謝されたりする、『わかりやすい優しさ』だけじゃなくて。
相手に嫌われても、疎ましがられても構わない、『わかりにくい優しさ』もあるんだって。
違うようで本当は同じ、相手への『思いやり』の一つなんだって。
気づかせて、くれたから。
怖い顔で睨まれたくらいで、引くことなんて、できない!
「君もよ、ヘイト君。確かにシエナちゃんやティタネスさんよりも、君の方が頭はいいのかもしれない。だけど、自分の考えだけが正しいと思いこんで、早とちりしてしまうのはよくないわ」
「ぐ……」
「え? お母さん、それって……」
しばらくじっと『ヘイト』とにらめっこしていたけど、お母さんの言葉で目の前の顔が苦い表情に変わった。
そして、『ヘイト』の表情を崩したお母さんに視線を向けると、とても優しい笑顔を浮かべたお母さんと、目があった。
「採用よ、ヘイト君。宿もないなら、うちに泊まっていきなさい。幸い、今日は宿泊のお客さんは少ないし、部屋も好きなところを使っていいから。ね?」
「……は?」
ポカーンと口を半開きにし、驚き固まってしまった『ヘイト』。
たぶん、私も同じような顔をしていたかもしれない。
でも、正気に戻るのは私の方が早くて、徐々に言葉に出来ない嬉しさがこみ上げてきて、一気に高まったテンションのまま、私は『ヘイト』の肩を叩いていた。
「ほ、ほら! お母さんもそう言ってるし、もうどこかに行く必要ないよ! それに、君も仕事が決まってお金を稼げる! 私も親切が無駄にならない! 誰も損しない、ハッピーエンドじゃない!」
「いって!」
思えば、私が心から笑顔になれたのは、本当に久しぶりのことだった。
接客用に作る笑顔と、心からの笑顔は、やっぱり違う。
これからの『トスエル』のこととか、すっごく痛がっている『ヘイト』とか、なんだか騒がしいお父さんとか、細かいことが全部どうでもよく思えてくる。
何はともあれ、まだ私は、『ヘイト』と一緒にいられる。
口が悪くて、細かいことにうるさくて、いつまでも根に持つひねくれ者だけど、とても『優しい』男の子。
加減をちょっと間違えたらしく、『ヘイト』は恨みがましくこちらを睨んでくるけど、そんなことが気にならないくらい、私は『ヘイト』が従業員になったことを歓迎していた。
「あらあら、すっかり仲良しみたいね? これはもう、『トスエル』の将来は安泰かしら?」
「ちょっ!? な、なにいってるのよおかあさんっ!?」
『ヘイト』を空いている客室に案内した後、お母さんにはものすごくからかわれたけどね!
ぜったい、ぜっったい、そんなんじゃないから!
…………そんなんじゃ、ないもん。
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名前:シエナ
LV:15
種族:イガルト人
適正職業:接客業
状態:健常
生命力:120/120
魔力:80/80
筋力:16
耐久力:10
知力:10
俊敏:13
運:55
保有スキル
『接待LV3』
「運送LV2」「斧技LV1」
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