26.5話 私にできること
渚君曰く、残念先生視点です。
「いいか、京。教師という仕事は、子どもたちを育てる大事な仕事だ。それは勉強だけじゃない。家族以外にいる、身近で生き方の手本となる大人が、教師なんだ。だから、俺たち教師は常に厳格でなければならない」
子どもの頃、高校教師だった父に、仕事について聞いたときの台詞だ。
父はとても厳しい人だった。
不正を許さず、怠惰を戒め、常に実直であろうとする、生真面目を絵に描いたような人だった。
でも、私の父は厳しくも平等に生徒と接し、勉強の教え方も上手だったためか、教え子からの信頼は厚かった。
私は、そんな父が誇らしかった。
いつも寡黙で、いつも仏頂面で、いつも叱られていた記憶があるけど、一人娘だった私を愛してくれているのは十分すぎるほど伝わってきたから。
そんな格好いい大人が、尊敬する大人がすぐそばにいたからだろう。
私が将来の夢に『教師』を選んだことは、必然だったのかもしれない。
「父さん、母さん。私、学校の先生になりたい」
私の胸の内を両親に話したのは、高校三年生になってすぐだった。
「へぇ。いいんじゃない? あんたの好きなようにやってみなさいな」
母はすぐに私の夢を応援してくれた。
父と違い、母は昔から私がやることはすべて応援してくれた。
放任主義というよりも、私を信頼してくれているという感じがした。父とは違った意味で、『母親』として尊敬できる人だ。
母を簡潔に説明すると、豪快で寛大な人。幼い頃から、私が間違っても、失敗しても、すべてを容認して笑って許してくれた。
ただし、母には過去に一度だけ怒られたことがある。
幼い頃、家に遊びに来た友達に「わたしのおかあさんは、すっごく『おとこまえ』なんだよ!」と言ったことが原因だ。
私としては、母の気性にぴったり当てはまる褒め言葉として使ったのだが、友達が帰った後でめちゃくちゃ怒られた。その時だけは、母が父よりも怖い存在に思えて混乱したものだ。
未だに、何故母に怒られたのかはわからないのだけど。
「教師に? 大学は? 専門科目は? 小中高、どの学校に進路を定めているんだ?」
ただ、父はいつもの寡黙さを感じさせないテンポで、私の進路に食いついてきた。
ん? とは思ったけど、それくらい私の将来を心配してくれているということだ。
ちょっと面映ゆい思いを感じつつ、私は当時の希望を口にした。
「私はあんまり人に勉強を教えるのが得意じゃないから、養護教諭を目指そうと思う。大学は養護教諭養成課程のあるところで、私の学力に合うところを探してるところ。できれば、中学か高校の養護教諭になりたいと思ってる」
父の背中に憧れて教師の道を目指したのはいいものの、私は致命的に人に物事を教えるのが下手だった。
小学校の頃から友達相手に教師の真似事をして、勉強を教える遊びのようなことをしていた。
その時、友達から言われたのは決まって『京ちゃん、何いってるのか、ぜんぜんわからない』だった。それは中高一貫の女子校に通う今でも、変化はないらしい。
おかしい。
国語は『何となく』、数学は『気合い』、理科は『ふわっと』、社会は『ガチガチに』、英語は『ペラペラ』のコツで解けるはずなのに。
友達はみんな私の言葉に首を傾げるだけで、全く理解してくれなかった。
これでも、成績は優秀だったから、自信はあったんだけど。
友達曰く「覚える才能と教える才能は別」なんだそうだ。
そうした事情があり、友達から私に教師は無理だと言われ続け、それでも夢を諦めきれなかった私に、一人の友達が『養護教諭』の存在を教えてくれたのだ。
みんなの言葉を信じるなら、私は勉強を教えることに向いていない。
でも、悩みを抱える子どもたちの話を聞いたり、親身になって相談に乗ってあげたりして、直接接することでその子の人生をよりよく導くことはできるはずだ。
形は違えど、父のようなたくさんの人を育て、尊敬されるような教師になれるかもしれない。だから、私は養護教諭という道を志した。
勤務先に中学か高校を志望しているのは、思春期の多感な時期は悩み事も多く、大人に反発する難しい時期でもあるからだ。
そんな時に出会えた正しい大人の言葉や行動は、その後の人生に大きな影響を与える。私が父に尊敬を抱いたように。
逆に、いい見本となれる大人がいなければ、その子はどうなるだろうか?
大人とはこういうものだとレッテルを貼り、いずれ自分がなるものだと気づいて失望する、かもしれない。
ともすれば人生の岐路となる重大な時期に、私が少し助けてあげることで、その子たちの将来をよりよいものにできるとすれば。
そんな素晴らしい職業が存在するんだ、と知ったらもう迷いはなかった。
そして、いずれ父のような偉大な人になりたい、という思いが強くなった。
それが、私の偽らざる本心だ。
「…………ダメだ」
「えっ?」
父も母と同じく、私の決めた進路を応援してくれると思っていたからだろう。
とても難しい顔で反対の言葉を口にした父に、私は呆然としてしまった。
「ど、どうして!? 私が先生になっちゃだめなの!?」
「教師になること、養護教諭を目指すこと。それ自体は反対しない。だが、中学校や高校はダメだ。お前にはまだ早い」
驚いて真意を問いただすと、父からよくわからない返答をもらった。
中学校や高校が早いって、どういうこと?
「いいか、京。中高生の男というのは、野獣なんだ。性に目覚め、異性を意識し、常にモテたい彼女が欲しいイチャイチャしたいと考えている不潔な生き物なんだ。そんな奴らがひしめく環境に行くなど、飢えた猛獣の群れに生肉をぶら下げて姿を現すのと同じことだぞ?
しかも、お前が目指しているのは養護教諭だ。『女教師』という響きだけでも男子中高生のエロを刺激するというのに、よりエロスを追求した『保険の先生』になるなんてもってのほかだ。
家族の贔屓目抜きに容姿・スタイルの整ったお前が白衣を着てメガネをかけて優しく声をかければどんな男でもイチコロになって襲いかかってくるかもしれないそれはダメだああダメだ許せるはずがないだから小学校の教諭になりなさいうんそうだそれが一番の解決策だだから俺の言うことがわかるな京?」
「え? あ? えぇ?」
いきなりおかしくなった父にまくし立てられ、私は言葉の半分も理解できないまま首を傾げた。
父に私の意見を否定されたショックで、ちょっとぼーっとしていたのが悪かったのかもしれない。
でも、ところどころ『エロ』とか言ってたのは気づいた。
後、私メガネ持ってないんだけど?
どういう意味だろう?
今そんな話してたっけ?
「わかったな? わかっただろう? なら何も考えずにうんと」
スッパーン!!
混乱の坩堝にいた私に畳みかけようとした父だったが、いきなり軽快な音とともに倒れてしまった!
「と、父さん!?」
私たちはリビングの机を囲んで話をしていたんだけど、突如言葉を切った父は上半身を前に倒し、額を思いっきり机に打ち付けたのだ。
「お父さんもいいって言ってるし、いいんじゃない? 自分のやりたいようにやんなさい」
慌てて近寄ろうとした私だったが、立ち上がる前に言葉を続けたのは母だった。
「え? いや、でも父さんが」
「大丈夫。この人昔から突然奇声を上げたり倒れたりすることがあったから。いつもの発作でしょ」
「え!? それぜんぜん大丈夫じゃないよ! 何かの病気なの!?」
「あっはっは。違う違う。病気でもないし健康そのものよ。ただの自業自得だから、あんたは気にしないでいいの」
沈黙したまま動かなくなった父に焦る私だが、母は本当になんでもないというように笑っていた。
私よりも長く父と一緒にいた母のことだから、本当に大丈夫なのだろう。
でも、いきなり倒れるのが自業自得って、どういうこと?
「ともかく、あんたは何にも心配しなくていいのよ。あんたはあんたのやりたいようにやればいいの。私も、お父さんも、あんたのやることは全部応援してるから。
それでも、辛くなったり、しんどくなったりしたら、私たちのところに帰ってきなさい。ここが、あんたの帰る家なんだってことだけ覚えておいて、挑戦してみなさい」
「母さん……」
不意にもらった言葉に、私は不覚にもジーンときてしまった。
改めて、母の懐の深さを実感した瞬間だった。
「ありがとう! やっぱり母さんは『男前』だね!!」
「それは女性の褒め言葉じゃないっつってんでしょうが!!!!」
スッパァーンッ!!!!
感極まってつい口にした言葉を最後に、その日における私の記憶はない。
気がついたらベッドに寝ていて、起きたのは次の日の朝だった。
変わったところと言えば、身支度で髪を梳いていると頭にコブができていたことだ。聞くと、父も昨日の記憶が曖昧で、私と同じくコブができていたらしい。
あと、母がこっそりと木製のお盆を手入れしているのを見て、背筋がゾッとなったのを覚えている。
どうしてだろう? 不思議なこともあるものだ。
背中を押してもらった私は、見事第一志望の大学に入り、就活でも希望の勤務先に内定が決まった。母は我がことのように喜んでくれて、父は複雑な表情をとりながらも祝福してくれた。
そうして始まった養護教諭としての生活は、想像以上に大変だった。
まず、何故か赴任直後から保健室に殺到する男子生徒の相手をするので目が白黒となった。
私が大学で学んだのは看護の知識だったのに、まるで救急救命に放り込まれたような気分になった。とはいえ、対象は小さな怪我や熱なので、対処は可能だった。
でも、私は医者ではないので医療行為ができなかったから、たまにある熱中症などの重い症状の子は病院に連絡して頼むことになる。その時に付き添った男の子に、後に告白をされて困ったこともあったっけ。
次に、女子生徒たちの進んだ男女交際事情にも驚かされたものだ。
小学校からずっと女の子とばかり一緒で、途中から勉強一辺倒だったこともあり、異性とのおつき合いをしたことのなかった私にとっては、刺激的すぎた。
仲良くなった女子生徒たちの恋バナに耳を傾けては顔を真っ赤にしていて、何度もからかわれてしまった。私の方が大人なのに。
後は、職場のつき合いも大変だった。
毎日のように他の先生方、主に男性の先生からお食事を誘われたのだ。その度に女性の先生が睨みを利かせてくれて、助けられている。実際にお食事に行くのは、先輩の女性教師ばかりだ。
一応、男性教諭のしつこいお誘いがきっかけだったので、そのおかげで結束が高まったと思えばよかったのかもしれない。
中でもしつこかったのは、同期で勤めだした数学教師である倉片龍人先生だった。
「同い年で新任教師だし、親睦を深めませんか?」
だいたいの誘い文句がこれで、初対面ですぐに連絡先を渡すくらいには積極的な先生だった。
そのことを仲良くなった女子生徒に話すと、みんなキャーキャー騒いでスキャンダルにしようとした。倉片先生は生徒から見ても美形だったらしく、美男美女でまさにお似合いとかいってたっけ。
でも、私は倉片先生にそこまでの魅力を感じなかった。
私の理想は、どこまでいっても父なのだ。
確かに、倉片先生は綺麗な顔をしているとは思うけど、正直に言ってしまうとそれだけでしかない。話をすればするほど外見だけの人に見えて、中身が伴っていないように思えてならなかった。
だから、周りで高まる熱とは裏腹に、私は倉片先生には全く興味を持てないでいた。
そんな騒がしくも充実した日々を過ごし、教師生活が二年目に入った頃。
私たちは異世界召喚という事件に巻き込まれた。
最初は大いに混乱し、怒濤のように流れていく展開について行くので精一杯だった。
本来は私たち教師が生徒たちを監督し、混乱する子どもたちを導かねばならなかった。
なのに、現実は生徒会長である水川さんに頼りきりになり、私はもちろん年輩の先生方も狼狽えるばかりで何もできなかった。
そんな状態で見せられたのは、私は一度もしたことのない、ゲームのような私の能力だった。
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名前:長姫京
LV:1
種族:異世界人
適正職業:治療魔法師
状態:健常
生命力:100/100
魔力:900/900
筋力:10
耐久力:10
知力:100
俊敏:10
運:85
保有スキル
【再生LV1】
====================
その情報を見せられて、私は戦慄した。
ただでさえ他人との優劣に敏感な上、精神が未成熟の高校生に与えるには、あまりにも危険な情報。
それを、ステータスはすべて露わにしてしまったのだ。
自分に適した職業を、優れた能力を、逸脱した才能を可視化された世界に、あの子たちは早すぎる。
そう思った私の懸念は、思った以上に早く現実のものとなった。
男子たちが、ステータスの劣る人たちに乱暴な振る舞いをするようになったのだ。
それも、イガルト王国に仕える人だけでなく、比較的ステータスの低かった異世界人の女性たちにも、その矛先は向かっていった。
ただ、その件は一度、欲望のままに行動する男子たちを打ちのめし、水川さんが一時的に奴隷としたことで終息したが、大きな問題になった。
イガルト人と異世界人の両方から、強い非難を受けた水川さんはそれ以来、異世界人に干渉することがなくなり、集団から孤立するようになった。
一方で、水川さんの過激な行動が怪我の功名となり、その後の男子たちの横暴にブレーキをかける形となった。おかげで、大手を振って暴力に訴えようとする子たちは減った。
幸い、といっていいのかわからないけど、異世界召喚がなされてから三ヶ月間で、大きな被害は報告されていない。精々がちょっとした口喧嘩や小競り合い程度で、傷害などの事件は聞かなかった。
この事件の功労者は間違いなく水川さんで、最大の被害者もまた、水川さんだった。
私は、その間、何もできなかった。
私に宿ったのは【再生】という癒しの力。
ステータスも低く、戦う力を持たなかった私の言葉は、男子たちには届かなくなっていた。
生徒たちの暴走を止めるのは、本来大人で教師である私たちでなければならなかったのに。
【勇者】のスキルを持っていたと言うだけで、水川さんにすべての負担を強いてしまった。
それに、他の教師が水川さんに縋り、すべての責任を擦り付けようとしたのを止められなかった。
私は何度も抗議したが、教師としてのキャリアも浅く、まだ23歳の新任教師の意見など、誰も聞いてはくれなかった。
無力だった。
子どもたちの間違いを間違いとして正すこともできず。
年長とはいえまだ子どもである水川さんに、力で彼らを制することをさせてしまった。
大人として、教師として、私は何もできなかった。
しかも、それ以降ステータス弱者であった他の先生たちは、ステータスの高い生徒たちに付き従うようになり、力こそが正義であると、他の子たちに示してしまった。
悔しくて、情けなくて、嘆くしかなくて。
私には、父さんのような教師には、なれない。
生徒たちに、何もしてやれない。
そう、思考が塞ぎ込んでいたときだ。
あの、不思議な『男の子』に会ったのは。
「あ、あの~?」
その時、私は一人で落ち込んでいた。
あれは確か、イガルト王国にあてがわれた、教室代わりの部屋に向かう途中だったと思う。
水川さんの件があって以来、私は一人になるとよく自問自答をするようになった。
自分にできることは何なのか?
できることがあるのか?
何をすれば、変えられるのか?
そう考えてみるものの、いつも思考は堂々巡りを繰り返す。
結局、私が出せる答えは『わからない』ということだけ。
情緒も不安定で、負の感情に支配されることが多くなっていた。
『あの子』に声をかけられたのは、そんな風に私がひどく落ち込んでいて、ちょうど人には見せられないような場面だった。
「……へ?」
あまりに不意打ちの出来事で、反射的に振り返った私は、教師の顔も忘れてぼーっとその顔を見上げていた。
そこにあったのは、困惑したような、とりたてて特徴のない『男の子』だった。
顔立ちや服装から、私たちと同じ異世界人だとすぐわかった。でも、今までたくさん増長した男子たちを叱ってきたが、『この子』とは初対面だと気づく。
「……っ!!?」
そこまで認識した瞬間、私は顔の紅潮を押さえられず、すぐさま立ち上がった。
「どうしたのですか? 今はこの世界の勉強の時間でしょう? 早く教室に戻りなさい」
努めて冷静に、教師として『この子』に注意をするが、内心それどころではなかった。
教師である私が、高校生である『この子』に弱っているところを見られてしまった。
三ヶ月が経過したとはいえ、こんな異常な状況で大人が弱っているところを見せては、子どもたちが不安に思ってしまう。
それに、何より恥ずかしい!!
これでも私、今まで学校では格好いい先生で通ってきたのだ。
座り込んで壁に向かってブツブツつぶやいていた根暗な先生、なんて思われでもしたら……。
あまつさえ、それが生徒たちの間で広まってしまったとしたら!
私の教師人生が、一瞬で終わる!
あと男の子に心配されるのが初めてで恥ずかしい!!
もう、なんかいろいろ頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
それからテンパって『この子』に余計恥ずかしい姿を見せてしまった。
言い訳なんて、大人のする事じゃないのにぃ……。
それに反論の台詞も噛んじゃうしぃ…………。
冷静にならなきゃいけない私の方が落ち着かされちゃうしぃ………………。
あぁ、もぅ、穴があったら入りたいよぉ!
「まあ、教師という立場上、生徒と一緒に事件に遭遇しちまって、大変ですよね。異世界召喚なんてファンタジーな非常事態に巻き込まれて、いきなり国王に会わされて、化け物殺しを要求するときたもんだ。
帰る手段も宛もなく、ただこの国の人たちに言われるがままに日々を過ごし、募っていくのは焦燥だけ。生徒たちを無事に家に帰せるのか、また自分たちも家に帰れるのか。不安が強くなって混乱するのもわかりますよ」
そんな悶々としている私に構わず、『その子』は独り言のように私の心情を察したようなことを口にした。
『この子』の言う不安は、ずっと私にあったもの。
誰にも口にしなかった、他の先生方も忘れていそうな、大人としての責任。
それを、まさか高校生の子から聞くことになるなんて。
それほどまでに、私たち教師が気遣われる立場になっていたなんて。
私は、自分に対する恥を忘れ、思わず呟いていた。
「……君は、冷静なのですね。こんな異常な環境に放り込まれたというのに、動揺一つしていないように見えます」
何でだろう?
年も違うし、顔つきだって全然違う。
なのに、こんな事件に巻き込まれてなお、微塵も揺るがず泰然としている『この子』の横顔に、私は…………、
父の面影を、見てしまっていた。
「慣れですよ。十代は適応力が高いんです」
「私だって二十代です。君たちと年齢はそう変わりません」
…………父と違って、少々口がすぎるようだったけど。
じゅ、十代がなによ!
私だって、まだまだ若いんだぞぅ!
「それはいいとして、やっぱり、荒れてますよね?」
たまらず言い返した後で、若干声に呆れを混ぜた『その子』は、異世界人たちの現状を暗に尋ねてきた。
実態は問題の渦中にいる『この子』の方が知っているんだろうけど、『この子』は私たちからどう見えているのかが、知りたかったんだろう。
それくらいなら、勉強じゃないし、私にも教えることはできる。
でも、それを口にすれば、さっき『この子』に否定した私の弱音や愚痴が、混じってしまうかもしれない。
大人として、『この子』に不安を抱かせてはいけない。
そう思って、言葉を躊躇ったんだけど。
私は気づけば、口を開いていた。
異世界人たちの現状、問題、教師の無力さ、そして心の弱さまで、すべて。
話す必要のなかったことまで、私は『その子』に打ち明けていた。
どうしてそうしたのかは、未だに自分でもわからない。
でも、理由があるとすれば。
『この子』が、たとえ一瞬でも、父に見えたからかもしれない。
「ちなみに、先生は実力行使でそいつらを倒したりはしないんですか?」
すべてを聞き終えて、『その子』が重ねて尋ねたのは、私の実力だった。
そういえば、他の子たちも先生たちも、自分のステータスについて詳しく説明しているところを見たことはない。訓練の内容からある程度は察せられるが、所詮推測の域を出ない情報しかない。
しかし、それは当然だ。
ステータスはいわば、個人情報と弱点が合わさった秘匿すべき究極のパーソナルデータなのだから。
絶対に裏切らない、というほどの信頼がなければ、教えることなんてできないだろう。
「……私は無理ですよ。確かにユニークスキル所持者ではありますが、私のスキルは【再生】です。適正職業でも『治療魔法師』とでていましたから、荒事には向いていません」
わかっていた、つもりだったけど。
私は自然に、一部でも自分のステータスを話してしまっていた。
同時に、未熟で弱い自分を父に知られた気持ちになり、自嘲の笑みが浮かぶ。
「なんだ、そんな便利なユニークスキルがあるんだったら、簡単じゃないですか」
「……え?」
『それなら仕方がないですね』
『この子』に言われるだろう言葉を、そのように決めつけていた私は、意外すぎる言葉を聞いて思わず振り返った。
でも、私の【再生】はずっと、癒しの力であったことに変わりはない。
癒しの力に、相手を倒すような力なんて、あるはずがない。
たぶん、『この子』の勘違いだろう。
そう思って、苦笑いを浮かべて、『この子』の言葉を否定した。
「いや、先生? お言葉ですけど、【再生】が回復専門だなんて誰が決めたんですか?」
なのに。
『この子』は、【再生】の保持者である私よりも、私の力に精通していた。
それを聞き出すまでに、ちょっと、いや、だいぶからかわれた気がするけど、『この子』が提示した情報に比べれば、些細なことでしかなかった。
ちなみに、大学時代に取得していた第二外国語は中国語だった。
それはそれとして。
『この子』の言葉から聞く【再生】は、私の盲点ばかりだった。
音楽データなどを復元する【再生】。
廃材利用を意味する【再生】。
記憶のメカニズムである【再生】。
そして、更生を意味する【再生】。
どちらかといえば理系科目が得意だった私には、到底思いつかなかったであろう言葉の意味を、『この子』はあっさりと答えてみせた。
私の【再生】が、そうした力も含んでいると断言した上で。
「そ、そういわれても、本当にそんな効果があるのか、わからないじゃない!」
でも、私は『この子』の言葉を否定した。
否定したかった。
だって、そんなの、認められるわけがない。
【再生】が、戦う力を持っているだなんて。
それに気づいた瞬間、【再生】で可能だとわかってしまったなんて。
私が、生き物を、人を、傷つけるような『才能』に適正があっただなんて!
みとめられるわけ、ないじゃない!!
「録音で言った【再生】。これは『情報を現象化させる』って意味だとしたら、先生が知っている武器なんかも再現できますよね?
ナイフとか、刀とか、銃とか、大砲とか、核兵器とか、……『スキル』とか?」
「っ!」
それでも、『この子』は容赦がなかった。
「リサイクルの【再生】。これは『役に立たないモノや廃棄されたモノを、価値あるモノに蘇らせる』ってことだ。
そこらに落ちてるゴミを武器に【再生】させることも、『誰かがその場所で使ったスキル』を【再生】させることもできるんじゃないですか?」
「そ、それはっ!!」
現実から目を背けようとする私に、『この子』は私の力を理解させようとした。
「記憶の【再生】。これは『記銘』し、『保持』されたその人の記憶を『無理矢理引きずり出す』んでしょうね。
例えば、楽しかった記憶や辛かった記憶。他には『覚えているはずのない幼児期の記憶』とか『忘れないと心が耐えられなかった記憶』なんてのも、ね?」
「やめてっ!!!」
丁寧すぎるほどの内容と短さで、私の【再生】をテキスト化していった。
「そして、『更生』の【再生】。これは記憶のそれに近いんですよね。
だって、『更生』を言い換えれば『過去の性格を強くさせ、現在の性格に上書きする』ってことなんですから。【再生】で行うのは改善ではなく、むしろ『改竄』です」
聞きたくない。
わかりたくない。
なのに、私の【再生】は、私の中で『この子』の説明すべてを肯定した。
「違うっ!!!! 私にはっ、そんなことっ!!!!」
そして最後に、私が【再生】を『理解してしまって』、ようやく反抗の声を上げた。
だって、認めてしまえば、私も、戦わなきゃいけなくなるから。
魔王とかいう恐ろしい存在と、対峙しなきゃならなくなるから。
そんなの、嫌だ。
苦しいのは嫌だ。
辛いのは嫌だ。
何より、私が死ぬのも、生徒たちが死ぬのも、嫌だ。
私は、戦いたくない。
『死』なんて、見たくもないし、聞きたくもないし、知りたくもないんだ!
もう、『この子』の言葉を聞きたくなくて、私はなりふり構わず目を閉じ耳を塞ごうとした。
「できますよ? 先生の適正職業は『治療魔法師』ですが、勘違いしちゃいけません。ステータスで表示された職業は、あくまで『適正』ですよね? それ以外の力を使えない、使っちゃいけないなんて制限がどこにあるんですか?」
「ひっ!?」
そんな私の逃げを、甘えを、臆病さを。
『この子』は、許してくれなかった。
「そろそろ認めろよ、先生?
アンタの力である【再生】は『人を癒す力』だけじゃない。
『人を壊せる力』もある、ってことを」
自然と浮かんだ涙でにじむ『その子』の顔は、私にはわからなかった。
平坦な声は、どこまでも私を非難し、追いつめようとしていた。
だから、私は『この子』を、怖いと思った。
「よく考え直した方がいいぞ、先生? アンタにできることと、できないこと。何が最善で、最悪か。その判断が、アンタの好きな子どもの生き死にを決めることになるかもしんねぇんだからよ?」
「……ぁ、……ぅぁ」
なのに、どうしてだろう?
私には、『この子』が、私なんかよりもずっと…………、
『苦しい』って、
『辛い』って、
『死にたくない』って、
強く、深く、泣き叫んでいるように、感じた。
「……………………ぁ」
いつの間にか、『あの子』はいなくなっていた。
駄々をこねる子どもだった私に言い聞かせるように、両手を拘束して静かに私を叱った『あの子』。
同時に、私なんかよりも若くて強い心を持っているのに、私なんかよりも静かで深い慟哭を残していった『あの子』。
父のような力強さと、子どものような脆さ。
相反する二つを見せつけられた私は、呆然と座り込んでいた。
「…………」
ふと、潤んだ瞳から、あふれた涙が目尻を伝う。
そして、『あの子』がつかんでいた腕に、ぽとりと、落ちた。
「っ……」
それ以降、私の心から恐怖は出てこなかった。
『あの子』と出会って、三週間。
何もできなかった……、ううん、何もしなかった言い訳を失った私は、色んなものを変えていった。
『自分』も。
『周囲』も。
「あ、長姫先生。おはようございます」
「おはようございます」
「先生、おはよー!」
「おはようございます。それと、学校の廊下ではありませんが、走ると危ないですよ」
「はーい!」
イガルト王国の城内を走る生徒に注意を促しつつ、すれ違いざまに挨拶をしていく『暴力的だった男子たち』に声をかけていった。
【再生】を再認識した私がまず行ったのは、『私』の【再生】だった。
この世界にきて弱り、怯え、潰れてしまいそうだった心を、地球にいた頃の自分に『巻き戻した』。
夢しか見ていなかった脳天気な『私』に。
生徒たちと同じ、現実を知らなかった無知な『私』に。
大きな挫折もなく、自分の力を信じて疑わなかった無鉄砲な『私』に。
無力を嘆いた『私』を消して、万能だと思いこむ『私』を【再生】した。
『あの子』に言われたことが、本当に可能なのか確かめるため。それと、自分の弱さを殺すために、私は最初に自分を【再生】の実験体にしたのだ。
結果、思った以上にあっさりと、成功してしまった。
さすがに記憶まで【再生】で上書きさせることは自殺行為だったのでしなかったけど、これで名実ともに【再生】の力を立証できた。
その後、私は【再生】の範囲を変質した異世界人たちへと向けた。
暴力に酔っていった男子たちを、彼らの横暴に恐怖していた女子たちを、力に屈服して生徒の手下と成り下がっていた教師たちを。
私の手の届く範囲で、次々と地球にいた頃の人格を【再生】させていった。
スキルの使用も、彼らは何の抵抗もなく受け入れてくれた。
私は適正職業が『治療魔法師』ということもあり、召喚されてからずっと、訓練で負傷した異世界人を治療する役目を担っていた。
だから、異世界人にスキルを使用する隙は、いくらでも存在した。
最初は慣れない作業のため、治療の後で更生の【再生】を施していた。
でも、少ししてコツをつかめば、傷の治療と並行して人格の【再生】を行うことができ、途中から変な言い訳をして彼らを引き留める必要もなくなった。
そして、二週間足らずで王城にいたすべての異世界人の【再生】は完了した。
中にはあまり性格や人格に変化が見られなかった男子生徒もいたが、少数派だ。数さえ減れば、何か問題を起こしても、私だけで力ずくで止めることもできる。
おかげで現在、表面上は地球にいた頃の平穏を取り戻している。
でも、例外はいた。
「長姫先生、おはようございます」
「げっ! 長姫……」
「おはようございます。水川さん。毒島さん。あと、毒島さんは『先生』をつけるように。年長者を呼び捨てにしてはいけません」
「あーもー、朝っぱらからうっさいなぁ!」
私の【再生】に気づき、更生を拒んだ二人の女子生徒。
水川花蓮と、毒島芹白。
彼女たちとは、他の生徒たちとは少し違った関係を築けている。
最初は勝手に精神をねじ曲げようとした私に反発し、敵対関係になりかけた。
けど、私の【再生】がもたらした結果を見て、最終的に彼女たちは一定の理解を示してくれた。
私の所業を知ってなお、黙っていてくれる共犯者が、彼女たち。
その代わりに要求されたのは、自分たちへの【再生】の拒否だった。
『私は現在の私を変えたいなんて望んでいません。むしろ、今の私が、私にとっては大切で、愛おしいのです。ですから、先生の力を理解はしても、受け入れるつもりは毛頭ありません』
『いっとくけど、アタシ地球にいた頃の方が荒れてたからね? カレンみたいな理解者もいなかったし、周りは全員敵だと思ってたし。長姫の力は他の奴らには効果的かも知んないけどさ、アタシにとっちゃ逆効果でしかないんだけど、それでもやんの?』
そう、彼女たちに告げられたのだ。
交換条件などなくても、はっきり『いらない』と本人たちからいわれてしまえば、私に無理強いをするつもりはなかった。
元々、私は生徒たちを苦しめたいがために、【再生】を振るったわけではない。
私から見ていた限りでも、彼女たちに度が過ぎた行動があったわけではなく、本人たちがそれで満足しているのなら、手をかける必要はない。
あくまで、現状は、だけど。
「この調子で、他の異世界人も『更生』していくのですか? がんばってくださいね、先生?」
「『洗脳』も程々にね~?」
「……『更生』です。人聞きの悪いことを言わないでください」
今はまだ大人しくしている彼女たちも、何かの間違いで素行不良に陥ってしまうかもしれない。
そうなれば、私は今度こそ、【再生】を躊躇わないだろう。
それが、『あの子』に突きつけられて固めた、私と【再生】の覚悟。
たくさん、たくさん悩んで決めた、私のできることで、私が最善と信じる使い道。
もしも、私の行いが明るみになったとしても、私は【再生】を止めないだろう。
たとえ異世界人全員を敵に回そうと。
たとえ両親から見放されて帰る場所を失おうと。
たとえ人格を弄んだ業の果てに地獄に堕ちようと。
たとえ魔王と正面から戦うことになろうと。
生徒たちを正し、『死なせないため』なら、私は昔の『私』を殺してでも成し遂げてみせる。
他の生徒たちはもちろん、何よりもあれから一度も出会えていない『あの子』のために。
『あの子』の、独りで流した見えない涙を拭ってあげるために。
『あの子』から感じた父のような強さを、年相応の儚さで壊してしまわないように。
私は、無力でいることを、やめたんだ。
「あ、先生、服に糸クズがついてますよ? ……よく見たら、色んなところについてますね。少々、装いが疎かではありませんか?」
「それに、あっちこっちでシワになってるし。服を雑に扱ってる証拠ね。アタシたちより大人なんだし、身だしなみくらい気にしたら?」
「うえっ!?」
……も、もうちょっと、がんばらなきゃ、かなぁ…………?
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名前:長姫京
LV:1
種族:異世界人
適正職業:治療魔法師
状態:健常
生命力:150/175
魔力:1450/1650
筋力:12
耐久力:11
知力:280
俊敏:12
運:85
保有スキル
【再生LV4】
《魔力支配LV6》《詠唱破棄LV1》《明鏡止水LV1》《限界超越LV1》
『範囲魔法LV3』『並列魔法LV3』『威圧LV1』
「思案LV2」
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