109.9話 ふざけた人間
誰もいない場所で自分のぐちゃぐちゃだった心をぶちまけ、次第に気持ちが落ち着いてきた。
そして、冷静になると色んなことを考える余裕が生まれ、オレは即座に隠れ里へと身を翻した。
さんざんオレの感情をかき乱しやがったあの『クソ野郎』のことは気になったが、今は私事に構っていられる状況じゃねぇ。
イガルト王国に続いて、ラヨール王国の人間までもが獣人族の明確な『敵』になったことを、早急に伝えなきゃなんねぇからな。
これによって、獣人族の王国内での動向が把握されていることと、人間の町へ近づくことが困難になったことがわかった。
それはつまり、もうオレたちには森から獲得できない『資源』の調達手段を失ったことになる。
特に、塩を初めとした調味料や香辛料が補充できないのはかなり痛い。獣人族は毒さえなけりゃ割と何でも食うが、食事における『味』はとても重要な部分なんだ。
それに気づいたきっかけは、人間に混じり冒険者としてやってきた町中での生活からだ。
ずっと人間を『獣の徴がない弱者』って認識していたオレだが、いざ人間の生活に身を置くと、獣人族との種族や文化の違いを嫌でも知ることになった。
その中で、外見的特徴の次に目に付いたのが、食事だった。
最初に人間の食事を見て思ったのは、『それっぽっちじゃぶっ倒れるんじゃねぇか?』だ。
そいつらの身を心配したわけじゃなく、純粋な疑問として首を傾げたのを覚えている。
次に思ったのが、『メシもろくに食わねぇから、運動能力が低いのか』っつう納得と侮蔑。
瞬発力も持久力も獣人族より劣る理由としては実に情けねぇと、鼻で笑ったりもした。
しかし、機会が少ないながらも人間と接触していく内、その考えは次第に変わった。
今でも認めんのは癪だが、人間の中にも獣人より強い奴はいる。
それも、魔法とかスキルとかの卑怯な手段は関係なく、純粋な身体能力を比べた上でな。
といっても、実際に戦ったわけじゃねぇ。その人間が戦ったところにたまたま遭遇し、見ただけで『勝てない』と思わされたんだ。
あれは『黒鬼』級への昇格試験を受けるため、この国の王都に向かっていたとき、『黒鬼』級相当の魔物が数体、町へ襲撃しようとしていた。
おそらく、近くのダンジョンから運悪く強めの魔物が抜け出したんだろう。『魔物暴動』ほどの規模じゃねぇが、ダンジョンから『はぐれ魔物』が出るのはたまにある。
『はぐれ』になんのはほとんど『黄鬼』級より下の低級魔物だが、まれに『赤鬼』級以上の中級魔物が人間の町に被害を与えることもあるらしく、オレが初めて出会った『はぐれ』がその例外だったらしい。
とはいえ、当時のオレに危機感はなかった。
初見の魔物だったが、何となくオレだけでも対処できそうだと思えたからこその余裕があり、すぐにこれも仕事と割り切って討伐に向かおうとした。
が、結局その魔物たちは王都から出てきた一人の人間によって、あっという間に全滅させられていた。
しかも、そいつが魔物一体を倒すために要したのは、たったの一撃。
中にはそいつに怯えた魔物が防御姿勢をとった上から放った攻撃でさえ、相手に致命傷を与えるには十分な威力を発揮していた。
あの化け物じみた人間が誰だったのか、今でもわからねぇ。
だが、あの人間――ちらっと見えた肌の色合いや体つきからクカルブ人の女だっただろうそいつに、オレは心を挫かれた。
オレが同じ魔物を倒そうと思えば、素早く動いて攪乱しつつ急所を狙っていただろう。それでも、一撃で倒せたとは到底思えない。
それだけ圧倒的な差を見せつけられて、勝負しようという気さえ失った。
そんな、どうしようもない敗北感を初めて味わわされた相手が、『人間』だった。
たぶん、オレの『人間』に対する見方が明確に変わったのはその時で、だからこそ獣人族との『違い』を観察し、別の見方をするようになった。
その中でも食事に関することは、ちょっとシャレになんねぇことになるかもしれない。
もしも、普通の人間とあのクカルブ人の食事量が同じだとすれば、だ。
『人間』は食えるメシの量が少ないから『弱い』んじゃなく、むしろ少ない量のメシでもあれだけの『力』を引き出せる能力が肉体に備わってるってことになる。
逆に考えると、『獣人族』は大量のメシを食わねぇとすぐにバテて動けなくなるくらい、肉体に備わった『力』を引き出す能力が低いってことだ。
事実、イガルト王国から逃げる時に覚えた獣人族の飢餓感は大きな問題となり、空腹が強かった老人や子どもほど動きが大きく鈍っていた。
つまり『獣人族』は。
『人間』より多くのメシを食べなきゃならねぇほど消化吸収能力が低いか、消化した栄養を肉体にため込む能力が低いか、あるいは肉体から引き出す『力』をうまく調節する能力が低い、ってことになる。
証拠はねぇが、種族の特徴を改めて思い返せば、オレの推測は全くの的外れってわけじゃねぇんだ。
『獣人族』は空腹の状態じゃ本来の力は出せねぇし、『人間』みてぇに余分な脂肪が体につくこともねぇし、基本的に大ざっぱで力加減がいる繊細な作業をかなり苦手にしているからな。
そうした生物的な欠点があると仮定すると、『獣人族』は『人間』と比べると一回で多くの食事を必要とする。
そのため、メシがずっと『マズい』か『同じ味』だと、獣人族にとって致命的な問題が生じる。
『味』を疎かにすると、身体能力の維持に必要な量のメシを『食えなくなる』ことだ。
いくら何でも食うっつっても、メシが『マズい』と食う気は失せるし、メシが『同じ味』だといずれ飽きて食事が苦痛に感じるだろう。
その状態が慢性化すると、獣人族が突発的な危機に陥っても、栄養不足の状態のまま戦いに臨まざるを得なくなる。
結果、ただでさえ数で劣った上に戦士の質まで落ちれば、人間に勝つことはおろか生存さえ絶望的になっちまうんだ。
あくまで『人間』と比較した上での考えだから確証はねぇが、これが本当だとすれば『獣人族』は今後かなりヤバい状況になる。
ただでさえ、里の住人全員を食わせるだけの食料を供給できてねぇんだ。さらに『味』の問題も放置すれば、『獣人族』の無自覚な弱体化は避けらんねぇ。
いずれ、多くの獣人族を受け入れたオレたちの隠れ里は。
……いや、すでに手遅れなほど社会から孤立した、『獣人族』という種族が。
このままだと本当に全滅する可能性すらある。
大げさな考えかもしれねぇが、それが『獣人族』の迎える『最悪の結末』であり、すでに視界へ入ってくるほど近づいた『最後』。
そんな未来だけは避けたくて、急いで隠れ里に戻ったオレは危険な現状を里長のリィグノーリアに訴えた。
「つまり、貴様らが招いた失態だろう! この愚か者が!!」
だが、リィグノーリアは出稼ぎに出ていたオレたちの過失を責めるだけで、これからのことなんて一言も話題にしなかった。
さすがに無視したままにしていい話じゃねぇから、何度も割り込んで『獣人族』の窮状を指摘しても、「話を逸らすな!」と聞く耳すら持ってくれねぇ。
それが里長だけならまだしも、元々集落の長だった他の獣人たちもオレを非難するだけなんだから、今後の対処を話し合う余裕なんて全くなかった。
結局、オレは無能やら『混ざり物』やらさんざん罵声を浴びせられただけで、何もさせてもらえないまま集会場を追い出された。
「クソッ! あの分からず屋どもが!」
一人になって悪態を吐くが、それで状況がよくなるわけじゃねぇ。
誰かが何とかしなきゃ、『獣人族』の衰退は止まらねぇんだ。
少しでも行動しないと、また何もできないまま『人間』に潰されちまう。
オレは自分の危機感を信じて、『獣人族』のために何ができるのかを考えた。
「ほら、チビたち! 今日もメシを獲ってきたぞ!」
『わー!!』
隠れ里に帰って三日が過ぎた。
どうすればいいか一人で考えたが、自分でも頭がいい方だと思ってねぇオレが妙案を思いつけるはずもなく。
まずはできることをやろうと、隠れ里の中でもメシを食いっぱぐれやすいチビたちのため、魔物を狩ってくることにした。
もちろん、食料を隠れ里の防衛を担当する戦士たちへ優先的に回していた里長や集落の長どもは、いい顔をしなかった。
が、今さらアイツらなんて知ったことか。
それに、裏でオレのやることを地味に妨害しようとしてるみたいだし、おあいこだろ。
っつーのも、隠れ里に帰ったその日に魔物をチビたちに振る舞ったんだが、アイツらが言う『純然たる者』にあたる獣の特徴が濃い子どもは、一人も近寄ってこなかった。
今日もまた、集まってきたのはオレと同じ『混ざり物』と呼ばれる人間の特徴が勝つチビばかり。
おおかた、『シェンスウェリエや『混ざり物』には関わるな』とでも強く言い聞かせたんだろう。
それか、オレが知らない間に『純然たる者』と『混ざり物』っつうふざけた価値観を、隠れ里全体が容認するまで浸透させてやがったか、だな。
いずれにせよ、今すぐ変えられねぇことはどうしようもねぇんだ。
オレはオレが信じたことをする。
今は、それでいい。
「シェン姉、おかわり!」
「ぼくも!」
「わたしもー!」
「あー、悪ぃ。オレ一人じゃそこまで多く狩れねぇんだよ」
『えー!!』
とはいえ、かなり大規模になった隠れ里のチビたちの腹を満足させるには、オレ一人が動いても限界があった。
現に、そこそこデケェ猪の魔物が骨だけになっても、いつの間にかオレを『シェン姉』と呼び出したチビたちの腹は、グーグーと鳴りっぱなしだ。
子どもとはいえ、チビたちも立派な獣人族。成人した人間と比べても倍以上は平気で食う。
メシに関しては長いこと我慢を強いられていたこともあって、いくら用意しても足りねぇ勢いだ。
集まったチビの中には、もう狩りを手伝ってもおかしくない年齢の子もいる。
種族差や集落ごとの違いはあるが、獣人は十歳になる前に狩りを経験するのが常識で、小型の動物や魔物ならチビたちだけでも狩れるだろう。
だが隠れ里周辺の地理や、魔物の種類とか生態なんかを把握し切れていない状態で、子どもを迂闊に連れ出すわけにはいかねぇ。
ネドリアル獣王国の集落では、周辺の危ない場所や魔物など、先人たちから教えられた知識があったから、子どもが集落の外に出しても安全だと判断されていた。
逆にそうしたノウハウがない土地では、子どもを連れて行動するのは危険が大きい。不測の事態が起きやすいし、不意の怪我・病気・毒なんかに対処できねぇかもしれねぇんだからな。
よって、隠れ里では現在、狩りは大人しか参加しないように取り決められている。
十分な食料を確保するためには人手が必要だが、身の安全を優先させれば人手が減っちまうのは悩ましいところだが、仕方ねぇ。
獣人族の命にゃ変えられねぇ。
そこは、リィグノーリアたちとも意見が一致してるだけマシだと言えるな。
「――!!」
「ん?」
半端に腹が膨れて余計に腹が減ったのか、食う前よりも騒がしくなったチビたちを相手にしていたところ、オレの耳が誰かの警戒する声を拾った。
これは、隠れ里の入り口から、か?
「シェン姉……?」
「ちょっと見てくる。お前らはここにいろよ!」
耳がいい種族のチビたちも異変に気づいて不安そうな表情を浮かべる。
オレの耳じゃ声の内容まではわからなかったが、ヤベェ魔物が隠れ里に近づいてきたとかだったりしたら厄介だ。
いざとなったらオレも防衛戦に加わろうと、チビたちに近づかねぇように言い含めて声のする方へ駆け出した。
「――?」
「――!? ――!? ――!?」
徐々に拾える音が多くなってくるが、どうにも様子がおかしい。
聞こえてくる声は二つあり、どうも言い争っているようにしか思えねぇ。
まだ遠くて誰の声かは特定できねぇが、何で揉めてやがんだ?
「……一人だよ。仲間なんていねぇ」
「ッ! あの声は……っ!!」
声の中心に近づき、片方の声がはっきりと聞こえるようになったところで、オレはさらに足を速めた。
「嘘を吐け!! 貴様ら『人間』はそうやって我らを騙し、いくつもの集落を壊滅させただろう!! 卑怯で薄汚い極悪非道の所業を、忘れたとは言わさんぞ!!」
言い争ってるもう一人は、おそらくリィグノーリアの親族だろうが、今はそんなことどうでもいい!
「はぁ、だったら俺はどう答えりゃ、っ!」
――やっぱり、『アイツ』かっ!!
隠れ里の警護をしていた連中の包囲を跳躍で飛び越え、反射的に魔力を込めた爪を振り抜いてから。
オレは、忘れたくても忘れねぇ『クソ野郎』と再会した。
「っと。数日ぶりだっつうのに、随分なご挨拶だなにゃん娘!」
「せっかく見逃してやったのに、自分から死ににくるとはいい度胸だなサイコ野郎!」
頭を潰そうと放った爪はとっさに躱され、一瞬だけお互いに距離が離れる。
が、示し合わせたように身を反転させたオレたちは、すぐさまあの時の続きをやり始めた。
「オレのことを尾けてやがったんだな!? こんなことなら、やっぱあん時殺しとくべきだったぜ!!」
「あん時もしとめ切れてなかったくせによく言うぜ!! 今もまだ俺はピンピンしてるぞ!?」
そして、状況までもがあの時に戻ったように、オレの一方的な攻撃と『コイツ』の一方的な回避っつう構図が、見事に再現された。
が、あの時と明確に違うものもある。
『コイツ』の見た目と、オレが抱く『コイツ』への感情だ。
初見は『ナシア人』に近い顔つきだったと思うんだが、改めてじっくり見ると『コイツ』は『イセア人』の特徴が多かった。
見間違いか記憶違いか? と一瞬思ったが、性格がひん曲がってる『コイツ』のことだ。変装でもしてんだろうと思えば、どうでもよくなった。
一方で、いちゃもんに等しい獣人批評でオレをイラつかせやがった『コイツ』に対して、何故かあまり怒りを感じなかった。
初っぱなの奇襲を含む攻撃も、頭のどこかで『コイツ』なら避けるだろうっつう変な確信があって、殺す気もさほどなかった。
何つーか、本当に文字通り『挨拶』みたいな、そんな感じか。
……いや、別にオレは『アイツ』と仲良しになったわけでも、なりてぇわけでもねぇんだが。
自分でもうまく言えねぇが、不思議と『コイツ』は『獣人族』の『敵』じゃねぇって、今は思える気がす――
「っつかずっと気になってたんだが、俺には『ヘイト』っつう名前があんだよ!! いつまで『クソ野郎』とか『サイコ野郎』で呼ぶ気だにゃん娘!!」
「テメェが他人のこと言えた口か!? オレの名前は『シェンスウェリエ』だっつの!! それにオレは猫人族じゃなくて獅人族だっつってんだろうがぁ!!」
「獣人族の名前って覚えにくいんだよ、にゃん娘で十分だろうが!! それに猫もライオンも同じ猫科の動物なんだから一緒だろ!? いちいち細けぇんだよ娘婿をイビる舅か!?」
「なんでわざわざたとえを男に変換しやがったテメェ!? 普通イビんのは姑で相手は嫁だろうが!! とことんオレを侮辱する気だな上等だ死にさらせぇ!!」
――いや、前言撤回だ!
『コイツ』はオレに残った『女の尊厳』の『敵』だ!!
確かにオレは、他の女獣人たちと比べりゃ言動や身なりなんか気にしちゃいねぇが、だからっつって『女』を全部捨てた覚えもねぇよ!!
これでも耳や尻尾の手入れは毎日気ぃつけてしてんだぞ、コラァ!!
「らぁ!!」
徐々に『コイツ』への殺意がぶり返してきた頃、『コイツ』の背中から心臓を狙った腕が予想通り空振りする。
すぐさま傾いた『コイツ』の体勢を観察し、すぐに頭ん中で次の攻撃について思考を巡らせていたところ。
「そぉら、よっと!」
「がっ!? ぶえっ!?」
その場で一回転した『コイツ』から、予想外の反撃を受けたことに混乱した。
突然、顔に何かをぶっかけられ、目に入ってきた異物による痛みとほぼ同時、口ん中にジャリジャリとした不快な感触と苦さが広がる。
オレの意思に反した体が、異物を除去しようと涙を流し盛大に噎せだしたところで、オレの耳が『クソ野郎』の言葉を拾った。
「秘技・そこら辺で拾った砂!」
瞬間、額の血管がキレた音を聞く。
「へっ! 人間だからと思って甘く見るから、痛い目に遭うんだよ! 悔しかったらやり返してこいやにゃん娘!」
「げほっ! ごほっ! ……んのクソボケ野郎がぁ!!」
虚仮にされた怒りが勝ち、まだ目と口に砂が残った状態のまま、音を頼りに『クソ野郎』を追いかけた。
確かにオレは前の一戦を根拠に、『コイツ』からの反撃はないと思いこんで油断していた。
それは事実だし、間違いなくオレの不注意が原因のヘマだったのは認める。
だが、実際に砂をぶっかけてきやがった『アイツ』に挑発されっと、無性に腹が立つんだよ!
「フーッ! フーッ! あの野郎、どこいきやがったぁーっ!!!!」
しかし、すぐに『アイツ』を見失っちまったオレは、叫びながら森をかけずり回った。
一発くらい殴らねぇと気が済まねぇ! と叫びながら探し続けたが、ついぞ見つけられなかった。
種族的に、獅人族は戦闘能力こそ高ぇが、他の種族と比べると索敵能力はさほど高くねぇ。
目も耳も鼻も、『人間』より優れてる自信はあっても『獣人族』ん中じゃむしろ下の方。
よほど隠れるのが上手いのか、音や臭いの痕跡すら捕まえられなかった。
結局オレは、やりきれない怒りをため込んだまま隠れ里に戻ることになった。
戻ったら戻ったで、オレを尾行してきた『クソ野郎』について、リィグノーリアたちから問いつめられたり。
オレのせいで隠れ里を危険に曝したから、っつう理由で『クソ野郎』の処分を押しつけられたり。
『クソ野郎』のことが里中に一瞬で広まり、そこら中の奴らから嫌みったらしい小言を聞かされてチビたちに心配されたり。
『アイツ』のせいで、オレは余計に隠れ里で肩身の狭い思いをするハメになっちまった。
その日を境に、オレに受難の日々が降りかかる。
翌日、昼前に森からやってきた『クソ野郎』と再び対峙した。
また砂かけを食らったら面倒臭ぇと思って、『クソ野郎』の手元ばかり注目していたら、今度は足をさらわれた。
完全に意識外のタイミングで、オレはまったく反応できずに顔から地面に突っ込んだ。
鼻が折れたかと思うほどの痛みに悶えていると、『クソ野郎』はいつの間にか消えていた。
またしても軽くあしらわれたと理解し、森へ吼えたのは言うまでもない。
さらに翌日、同じくらいの時間に現れた『クソ野郎』。
今まではオレの得意な間合いである近接戦闘ばっかだったが、今度は『アイツ』の間合いからすぐに逃れるよう一撃離脱を意識した。
砂でも足払いでも『クソ野郎』の近くにいなきゃ食らわねぇ! と思ったが、攻撃で突き出した腕をあっさり取られ、気づけば地面に叩きつけられていた。
背中から内臓に突き抜けたような痛みに襲われ、肺が潰れたように息が漏れながら何とか起きあがったが、『クソ野郎』はすでにいなかった。
見たことのねぇ体術だったが、どうやら攻撃の勢いを利用されて投げられた、と気づいたのは午後の狩りで猪魔物をぶちのめした時だった。
また次の日も同じ時間に現れると踏んだオレは、『クソ野郎』から先手を取ろうと朝早くに木へ上って待ち伏せした。
さんざん返り討ちにされ、その度に鼻で嘲笑われるのがムカついてしょうがなかったから、どうしても一発殴ってやりたかったんだよ。
で、やっぱり同じくらいに現れた『クソ野郎』を見つけた瞬間、枝を蹴って頭上から奇襲をしかけたんだが、オレの拳が届く前に『アイツ』の拳がオレに食い込んでいた。
二日前の足払いの比じゃねぇ激痛に呻き声しか出ず、この日も『クソ野郎』をしとめ損ねちまった。
『アイツ』が何をしたのかは結局わからなかったが、『アイツ』にはオレよりも優れた気配察知能力がある、っつうことを前提に考えるべきだと、兎魔物を狩りながら反省した。
また明くる日は、ごちゃごちゃ考えたやり方が無駄なら、オレに向いたやり方で何もさせてやらなきゃいい! と果敢に攻めまくることにした。
『アイツ』はずっと、いわゆる『後の先』を突くカウンターが主体だったと分析し、逆に『先の先』なら対抗できると思ったからだ。
これは思ったよりいい感触で、途中までは一方的に攻撃できていたが、『アイツ』が動きを止めた隙に肉薄した瞬間、地面に食われた。
突然視界が暗転し、距離感がわからず着地をミスって足首を挫いてようやく、オレが落とし穴にハメられたと理解した。ご丁寧に落ち葉でクッションを作ってやがった、謎の配慮がまたイラつく。
数分かかって穴から抜け出した後、隠れ里の近くは『アイツ』の罠で囲まれているかもしれねぇと思い至り、警戒が先立って森への狩りは諦めるしかなかった。
その次の日に、オレの予想が杞憂じゃなかったと思い知る。
もう『アイツ』が何をしでかすかわかんねぇ人間だと理解させられ、不用意に近寄らず思いっくそ警戒していた。
しかし、あの『クソ野郎』は執拗に『オレがビビった』と挑発してきやがったため、一気にキレて突っ込んだらまた落ちた。
体感的に昨日よりも深いだろう穴の底から、同じ罠に二度引っかかった羞恥と怒りで素早く脱出すると、『クソ野郎』はもういなかった。
里の周りはもう穴だらけなんじゃねぇか? という懸念でこの日も狩りには出られず、家でひたすら『アイツ』をぶちのめすにはどうしたらいいか考えていた。
日を跨いで導き出した結論は、地面に触れなきゃ穴には落ちねぇ! と乱立する木を蹴って移動しながらの攻撃だった。
やたらと上手い『クソ野郎』の落とし穴のカモフラージュを看破できねぇ以上、同じフィールドに立たねぇことが重要だと思ったわけだ。
すると『アイツ』は焦ったようにオレから逃げ続けてやがったから、これならイケる! と確信した瞬間に脳天を突き抜ける痛みで目の奥に火花が散った。
オレはそのまま気絶したらしく、気がつけば隠れ里の近くで寝かされていた。余談だが、土に残した『お大事に』って書き置きを見つけ、衝動的に地面を蹴り飛ばしたオレは悪くねぇ。
余りにムカついてそのまま狩りに出かけてストレス発散し、そういや『アイツ』上着を着てなかったな、と思い至ったのはチビたちと飯を食っていた時だった。
が、それで『アイツ』に何をやられたのかまではわからず、翌日はオレから『クソ野郎』を挑発してみることにした。
もう隠れ里近くの森は『クソ野郎』の罠であふれた魔境だと考え、せめて里の連中が見張って罠なんざ仕掛けられねぇ場所で戦おうとしたんだよ。
すると、『アイツ』は案外簡単に挑発に乗り、初めて自分から攻勢に出てきた。それはいい。
だが昨日までと違い、ずっと無言かつ何かしそうな素振りを繰り返した『アイツ』にオレは混乱し、初めて純粋な肉弾戦で負かされた。
さすがにこれには落ち込んだが、泣き寝入りはゴメンだと『アイツ』の言動を最初からよくよく思い返してみると、嘘を吐くときだけ瞳孔の大きさが変化していたと気づき、光明を見いだした。
落ち込んだオレを見たチビたちに励まされ、気力を取り戻したオレは次の日も勇んで『クソ野郎』に真っ向から挑んだ。
冷静を心がけて『アイツ』と言葉を交わしつつ目を観察すると、嘘だと断定した時に瞳孔の動きに変化があった。オレの予想は的中していたわけだ。
それで油断したのが悪かったんだろう。調子に乗って種明かしをした後に下ネタの挑発にも乗っちまい、まんまと隙を見せて鳩尾に蹴りを食らっちまった。
それがまたこれ以上ねぇってくらい急所へ綺麗に入り、しばらく動けなくなるほど咳き込んで悶絶させられた。
っつか、それ以前に誰が下着を付けねぇ痴女だあの『クソ野郎』! おかげでこの日ずっと、『アイツ』の言葉を思い出してむしゃくしゃしちまっただろうが!!
「あ~、もう、クソッ!!」
昼から魔物を狩ってチビたちに飯を分けた後、長い時間家ん中で今日の反省をしていたら、また『アイツ』の言葉がぶり返して顔が熱くなる。
『アイツ』の態度からして、オレのことを『女』扱いしてねぇのはわかってんだが、もし『アイツ』がオレの裸を想像してたら? なんて考え出したら恥ずくてしょうがねぇんだよ!
「あのスケベ野郎が! オレの裸なんて、想像したところで……っ! …………はぁ」
……こっそり服の上からサラシを巻いた胸を触り、サラシがあってもなくても変わらない固い感触に軽く絶望して、ようやく気分を持ち直す。
…………まぁ、あれだ。前より筋肉ついてたっぽいから、それでいいんだ、うん。
あのクカルブ人みてぇなバインバインじゃ、動きづれぇしな、うんうん。
っつかオレが目指してんのは、獣人族の立派な戦士だ。
無駄な肉よりも筋肉があった方がいいに決まってる。
乳なんて、乳なんて……ッ!!
「……いやいや、そうじゃねぇだろ!」
そこでまた思考が脱線していたことに気づき、一人かぶりを振って胸への思いを断ち切る。
オレが考えるべきは、ずっと負け越している『アイツ』に勝つための戦術であって、胸の大きさなんてどうでもいいんだよ!
ピクピク動く耳を手で押さえ、床をビタビタ叩く尻尾を意思の力で落ち着かせて、ようやく今までの『アイツ』との戦いに意識を向けられた。
「にしても、どうしてオレはアイツに勝てねぇんだ?」
胡座で座り直し、一度『アイツ』との戦闘をすべて思い返してみる。
答えが見つからない問題のようでいて、しかしオレはその答えを何となく知っている。
実は、隠れ里で『アイツ』と再会してからずっと、奇妙な違和感を覚えていた。
それは言葉にしたら簡単だが、実際にそうだとは信じらんねぇ、感覚的でしかない『アイツ』の『変化』。
「あり得ねぇ。が、そうとしか考えられねぇ」
何度も記憶を掘り起こし、何度も否定を重ねて、やっぱり結論は一つに落ち着く。
『アイツ』はオレと最初に戦った時よりも、はるかに『戦闘技術』が洗練されていた。
まるで幾重もの対人戦闘を経て、無駄な動きや躊躇を極限まで排した『歴戦の戦士』のような。
魔物を相手にしただけじゃぜってぇ身につかねぇ、『人型の敵』と『どう戦えばいいのか』を知り尽くしたような動きだった。
危機察知と回避能力だけが特化していた『アイツ』の場合、身体能力の差を覆すほど一方的にオレを倒そうと思えば、圧倒的に足りてなかった『対人戦闘技術』と『実戦経験』を身につけんのが手っ取り早い。
足りねぇってことはそれだけ伸び代があるってことだし、事実オレは欠点を補ったらしい『アイツ』に連敗している。
だが、それはあり得ねぇ。
『アイツ』が訓練に費やせただろう時間は、オレを追って隠れ里に到着するまでの、たった『三日』。
それも、オレから受けた傷を治療する時間も含めると、実際の訓練時間はさらに短いだろう。
加えて、オレと『アイツ』が出会った場所から隠れ里までの距離を考えれば、『アイツ』が人の集まる町に寄った可能性はほぼゼロのはず。
つまり『アイツ』は『人間とほぼ出会わない三日間』で、オレを倒せるようになるほどの『対人戦闘の実戦経験を得た』ことになるんだよ。
「もし、オレの推測が正しいとして、だ」
何をどうしたらそんなぶっ飛んだことが『アイツ』にできたのかも気にはなるが、問題はそこじゃねぇ。
総合的な能力で劣っちまったオレが、どうすれば『アイツ』に勝つことができるのか?
追求すんのは、それだけでいい。
『獣人族』の考える『強さ』は『身体能力』にのみ注がれていて、それ以外の『強さ』はすべて『卑怯』な手段だと謗られる。
己が鍛え上げた『肉体』で、真正面から敵を粉砕することこそが正道だと信じられているからだ。
おそらく、はるか昔に実在していた獅人族であり、ネドリアル獣王国を興した最強と名高い英雄・『ノイル』が好んだ戦い方だから、ってのが理由だろう。
戦い方の他、『ノイル』は家族や仲間を誰よりも愛し、当時の獣人族を虐げていた『人間』を蛇蝎のごとく嫌っていた。
そうした彼の内面的な気質にさえ、今の『獣人族』に強く影響を与えているくらいだ。
『獣人族』という種族が、『ノイル』という絶対的な存在を規範にしてんのは間違いねぇ。
だからこそ、『人間』が使う武術や魔法や戦術といった『戦闘技術』は、『獣人族』にとっちゃ忌避すべきものであり、同時に新鮮だ。
もし、『獣人族』が知らねぇ『戦闘技術』を身につけている『アイツ』に勝つことができれば。
オレは今以上に、それも段違いに強くなれる。
そんな確信があった。
だから、『アイツ』に勝ちたい。
『アイツ』が持つすべての手札を見て、聞いて、覚えて、身につけられれば。
あの気に入らねぇ里長であるリィグノーリアも、きっと倒すことができる。
『力』がすべてである隠れ里において、里長を倒せる『力』を示せば発言力が上がり、『純然たる者』と『混ざり物』なんて偏見を潰すことができる。
ずっと昔から続いていた『獣人族』本来の結束を取り戻せば、敵になった『人間』にどう立ち向かっていくのかを真剣に考えることができる。
『脅威』を『脅威』と認め、獣人族の全員が生き残る道を模索することができる。
そのための『力』を、『アイツ』に勝つことで得られるかもしれねぇ。
だから、それ以外は考えなくてもいい。
そりゃあ、思いっきり非現実的なことをしてのけた『アイツ』の正体や能力が、気にならねぇと言ったら嘘になる。
あのクカルブ人に続いて、オレが強い敗北感を覚えさせられた『人間』だから、ってのもあるしな。
だが、真っ先に目を向けなきゃなんねぇ『現実』は、『獣人族』が『人間』から排除されそうになってること。
そして、『獣人族』自身も『差別意識』による無用な争いが原因で、内部分裂しかかっていること。
これら二つの大きな『脅威』を抱えてるって『現実』を、無視できるわけがねぇ。
そのために『力』が必要なんだ。
『獣人族』を『人間』から守れるだけの『力』が。
『獣人族』から信頼されるだけの『力』が。
たとえそれが、『獣人族』にとっては受け入れられない、唾棄すべき愚かな方法だとしても。
『獣人族』を助けるためには、もう手段なんて選んでられねぇんだよ。
「……どうする? どうすれば、オレはアイツに勝てる?」
考える。
勝つために。
考える。
強くなるために。
考える。
生きるために。
『獣人族』であるオレが何を捨てて。
『人間』である『アイツ』から何を学べば。
この高すぎる危機は、乗り越えられるのか?
考えて、考えて、考えて…………。
この夜もまた、気づかない内に時間が流れていく。
『獣人族』の肉体を生まれ持った身で。
『冒険者』の世界に触れてきた頭で。
『獣人族』を自覚したオレは、『人間』のように考える。
もうオレは、あの時とは、違う。
恐怖に竦み、抵抗を諦め、何もできずに獣人族を見殺しにした足手纏いには、ならない。
唯一、あの地獄を知って生き延びちまった罪人だから、あんな光景は二度と繰り返させない。
すべては、『獣人族』を『悪意』から守るために。
オレは、『人間』に『勝つ』ことだけを、考えていた。
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名前:シェンスウェリエ
LV:35
種族:獅人
適正職業:闘士
状態:健常
生命力:3580/3580
魔力:290/290
筋力:340
耐久力:180
知力:130
俊敏:510
運:30
保有スキル
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