109.45話 『混ざり物』
「……シェンスウェリエだ」
目深に被ったローブのフードを取っ払い、オレは隠れ里の警備をしていた獅人族の一人へ声をかける。
喉から出た音は、普段よりも低くしゃがれていた。
隠れ里の外へ出向き、肩からかなりデケェ荷袋を担いだまま、休みも最小限で長時間走ってきた身だ。
多少声が掠れたくらいで、文句を言われる筋合いはねぇ。
「……通れ」
で、フードを取るまで強い警戒心を見せていた獅人族の男は、それでも獣の顔を不機嫌そうに歪めてオレを里へと招き入れる。
オレも長々と立ち話するほど親しい相手じゃねぇし、会釈だけを残して里長に会うため足を早めた。
「……見ろよ、アイツだ」
「……また人間の町に行ってたんだろ?」
「……いくら必要なことだっていっても、もう少し何とかならないのかしら?」
「……全くだわ。本当、人間の臭いが私たちに移ったらどうしてくれるのよ?」
ついでに、里の中でこれ見よがしに聞こえてくる陰口にも、すっかり慣れたな。
最初の数ヶ月は、同じ獣人族から侮蔑の眼差しとあからさまな嫌悪感を向けられる悔しさと悲しさに、一人森の中に逃げては泣いてたもんだ。
が、しばらくすると全部の言葉を聞き流せるようになってた。
それから一年近く同じようなことをしてりゃ、弱音を吐くような繊細さなんざもう残っちゃいねぇ。
視線をばらまくついでに見えてくる隠れ里の様子も、ちょっと見ねぇ内にまた変わったようだな。
オレが出ていた間に、また誰かここの噂を聞きつけて逃げ込んできたか? 小さいが真新しい家が数軒建ってやがる。
まあ、獣人族なら『来る者拒まず、去る者追わず』がここの暗黙の了解だからな。よほどとんでもねぇバカでもしでかさねぇ限り、追い出されることはねぇだろうさ。
……そういう意味じゃ、オレは結構危ねぇ立ち位置にいるんだろうが。
「邪魔するぞ」
しばらくウゼェ視線と小言にウンザリしながら歩いていき、隠れ里のほぼ中央にあるデカい建物に入る。
ここは、かつて種族ごとの集落で長をしていた獣人たちの、いわゆる集会場みてぇなところだ。隠れ里の意志決定の場、ってことになんのかな?
今までなら集落の最終的な判断は長一人が決定権を有していたが、隠れ里の場合多くの種族と複数の長が存在する。
だから誰かの独断で話を進めると、下手すりゃ種族間で小競り合いが発生しちまう。
そのため、よほどの緊急事態じゃねぇ問題に関しては、長たちが話し合いをして解決策を出すようになった。
ここは、そうした会議をするための寄り合い所、ってところだな。
まあ、マジで切羽詰まった状況での判断は、隠れ里ができて早々に長同士の殴り合いで決めた里長が決めるんだけどよ。
「……貴様か、シェンスウェリエ」
それが、オレの目の前にいる獅人族の集落で長をしていた『リィグノーリア』。
常に不機嫌そうな顔つきは獅子の風貌そのものであり、オレと顔を合わせる度にたてがみを逆立て威嚇してくる。
オレと違って若干赤みを帯びた毛色も、リィグノーリアの気質を表しているようで近寄りづらい雰囲気を出していた。
オレがいた集落の長よりも短気な乱暴者だが、その分実力もあるから里長をやってる男だ。
今年で確か三十半ばだったか? そろそろ肉体が衰えてもいい年だってのに、若ぇ男より筋骨隆々な肉体を持つ元気なおっさんだよ。
で、普段は家にいる里長が集会場にいんのは、何かあったらすぐに他の長を集められるよう、常に誰かが待機する決まりになってるからだ。
長たちの家は集会場の周囲に建てられており、問題があったと知らされれば待機中の長が大声とかで呼び寄せ、状況の把握やら話し合いやら同族への指示やらが行われる、ってところだ。
どうやら運悪く、今日の持ち回りはリィグノーリアだったらしい。オレとしちゃツラも見たくねぇ相手だが、どうせやることはやんなきゃならねぇ。
さっさと終わらせて、コイツと同じ空間から出ていかねぇと。
「いつもの物資だ。確認しろ」
仮にも里長相手にする口調じゃねぇが、構いやしねぇ。
クソ重い荷袋をリィグノーリアの前まで持って行き、肩からおろして紐で縛った口を開ける。
中身は、オレが隠れ里から一番近くにある人間の町で購入してきた物だ。重量の大半を占めていたのは塩だが、他にも調味料や包帯なんかの治療道具なんかも入ってる。
こうした物資は、オレを含め一部の獣人が人間の町で種族を隠し、冒険者として出稼ぎに行くことで定期的に隠れ里へ供給している。
鬱陶しいローブを羽織ってたのも、耳と尻尾を人間の目に曝さねぇためだな。
なんで冒険者なんざしてるのか? っつう理由は当然ある。
隠れ里での生活において、食料になる魔物や水源なんかは何とかなったんだが、それ以外に必要な物がほとんど手に入らなかったんだよ。
主に調味料など肉以外の食料に始まり、包帯として使えそうな頑丈な皮を持つ魔物、傷薬とか止血剤とかの原料になる植物、火打ち石とか縄とかの代わりになりそうな道具などなど。
ネドリアル獣王国にいた頃は割と簡単に見つけられた物が、ここじゃ代用品さえ見つからねぇ。
隠れ里として決めた場所が普通の森であり、かつ近くのダンジョンにオレたちが使ってきた資源が存在しなかったことが原因だ。
オレたちは長年、集落の近くにダンジョンがあるのが当然で、通常の森じゃ調達できねぇ物はそっから見つけていた。
自分の集落付近にねぇもんは、別の集落から足りねぇ物同士を物々交換で融通し合っていたから、基本的に生活に困ることもなかった。
それが当たり前だったからこそ、オレたちは忘れていた。
見た目は同じように見えても、ダンジョン内部はそれぞれが独立した環境を形成してっから、同じ森型でも同じ物が見つかるわけじゃねぇ、ってこと。
そして、今まで普通だと思っていたダンジョンの恩恵は、先祖たちから知識と経験を引き継ぎ、地理や特徴なんかを細かく把握できていたからこそ得られてたんだ、ってことに。
だから、見たこともねぇ植物や魔物ばっかなダンジョンの森をいくら探しても、どうしても足りねぇもんは出てきちまう。
このままじゃさすがにマズいってことで取られた苦肉の策が、人間の町に紛れ込んで不足した物資を買い付けるっつう方法だ。
いくら話し合っても、それしか打開策が見つからなかったんだから、本当に仕方がなかった。
その出稼ぎ要員として選ばれたのが、オレみてぇに外見が『人間に近い』奴らで、かつ人間に正体がバレても逃げきれるだけの実力があると認められた獣人たちになる。
最初はオレだって人間のフリなんざ死んでもゴメンだ! って思ったが、誰かがやらねぇと遠くない内に、獣人族全体がヤベェ状況になんのは明白だったからな。
種族は違っても、隠れ里にいる全員がここまで苦楽をともにしてきた仲間だ。
見捨てるなんて選択肢が存在しねぇ以上、どんだけ嫌だっつってもやるしかなかったんだよ。
「……確かに必要な物は揃っているが、いささか量が少ないな。手を抜くことでも覚えたか? これだから『混ざり物』は」
そういう事情で買い付けてきた袋の中身を確認した後、リィグノーリアが下らねぇ戯言をほざきやがったからか。
そう頑丈じゃねぇオレの堪忍袋は、あっさりブチ切れた。
「ふざけんな! 少しずつ隠れ里に住む獣人族の数が増えてきてんのに、わざと手ぇ抜くわきゃねぇだろうが!
物資が足りねぇのはオレだってわかってっけどな、人間の売りもんには税金とか物価とかがあるせいで、毎回仕入れ値が変わんだよ!
実入りがこれ以上増えねぇ上、里の外に出てる人手そのものが足りてねぇのに、どんどん増える獣人族の分まで手ぇ回せるか!
だから物資が足りねぇ分、もう少しこっちに応援を寄越せって前から言ってたんだろうが!?」
「俺は貴様の泣き言を聞きたいわけではない。人間の扱う金や調達の事情など知らん。
俺が今重要だと言いたいのは、この程度の量では里の者全員へ行き渡らせることができないという『事実』。そして、『混ざり物』が獣人族のためにその程度のこともできない出来損ないだという『結果』。
それだけだ。
この里にいる優秀な狩人たちは、俺たちが生活するために必要な量の獲物を狩り、十分な『結果』を出しているぞ? 貴様らのような『混ざり物』の落ちこぼれどもとは違って、な?」
コイツ、っ!!
「いい加減にしろよ、テメェ!! オレたちは『混ざり物』なんかじゃねぇ!! 誇り高きノイルと同じ、獅人族の血を継ぐ純粋な獣人族だ!!
見た目が『人間に近い』ってだけで、人間との『混ざり物』なんて汚名を隠れ里中に広めやがって!! どこまでオレたちを侮辱するつもりだ!?」
『混ざり物』。
隠れ里ん中でオレたち『人間に近い見た目の獣人族』に貼られた蔑称であり、獣人族を新たに二分する差別意識を浮き彫りにした烙印だ。
隠れ里ができて何とか日常生活が成り立つようになり、ここの存在を知った他の獣人族が集まって規模が大きくなってから、それは言われるようになった。
人間の姿をした獣人が、憎い人間を思い出させると。
人間の姿をした獣人が、本当に同じ獣人族なのかと。
人間の姿をした獣人が、獣人として認められないと。
日増しに強くなる人間への悪感情が、『見た目が近い』というたったそれだけの理由で、同じ獣人族の仲間に向けられるようになった。
次第に里の中で育った悪意の火種は、気づいたときにはもう手遅れなほど大きな猛火となっていて、今では『人間に近い獣人』は完全に軽蔑の対象になっちまってる。
逆に『獣の特徴が濃い獣人族』を『純然たる者』と区別して呼ぶようになったことも手伝い、お互いの差別感情が致命的なレベルの溝となり、広がっていった。
「汚名? それこそ貴様の勘違いだろう、シェンスウェリエ? 俺は獣の血が濃い『純然たる者』が優秀な成果を上げ、人の血が濃い『混ざり物』が役立たずだという『事実』を言ったまで」
それらの言葉を最初に言い出し、獣人族の分裂を決定づけたのがリィグノーリアだ。
獣人族は獣の血が濃いほどより優秀であり、人間の血が濃いほど劣っていると妄信するリィグノーリアの考え方は、オレからしたらふざけてるとしかいいようがねぇ。
他の『人間に近い獣人』も、オレと同じ考えのはずだ。
それでも止めきれなかったのは、行き場のない人間に対する憎しみが獣人族の中で大きくなりすぎていて、どこかで吐き出さなきゃどうにかなりそうだったからだろう。
それは魔物を狩るだけじゃ解消しきれなくて、矛先を探して見つけた『攻撃しやすい対象』が、オレたちだった。
獣人族はみんな、それだけ酷い行いを人間から受けたんだ。
どこでもいいから悪感情をぶつけたくなるって気持ちも、理解できなくはない。
だからっつって、人間と同列に扱うような暴言を浴びせられて黙ってられるほど、オレは大人しくねぇ。
たとえ同じ獅人族だろうが里長だろうが、オレに獣人族の血が流れているという『誇り』を汚す侮辱は、絶対に許さねぇ!
腸が煮えくり返るに任せて爪へ魔力を込めたオレに、それでもリィグノーリアは確かな敵意と憎悪を目に宿して吐き捨てた。
「特に貴様は、『混ざり物』という評価だけでは到底足りぬだろう?
故郷だった獅人族の集落を己の愚かさと未熟さ故に壊滅へ追い込み、あまつさえ人間が同胞の遺骸を魔法で焼くという暴挙を止められなかった大罪人。
すべては人間ごときに臆し、己の弱さに気づかないまま何もしなかった貴様の過失に他ならない。同胞の魂を命の循環へ乗せるために血肉を宿したとは聞いたが、それで貴様の罪が消えたわけではないぞ。
『純然たる者』であった死した同胞たちも、貴様のような者のために命を散らしたとなれば、さぞや無念だったことだろうな。
惰弱で臆病な『混ざり物』という認識も、元をたどれば貴様の失態に端を発していることを、よもや忘れたわけではあるまい?」
「っ!!?」
リィグノーリアから無遠慮に突き立てられた非難の視線に、しかしオレは反論の言葉を一つも持ち合わせちゃいなかった。
この上なく癇に障るが、コイツが並べたことはすべて事実だったから。
隠れ里の生活が少し安定しだした頃、それぞれの集落で起こった経緯を話す場が設けられたことがあった。
そこでオレは、オレの故郷であったことを包み隠さず話したんだ。
オレの過ちを知った獣人族からの反応は、現状からして今さら詳しく言わなくてもいいだろう。
そして生まれたのが、『混ざり物』という侮蔑の呼び名。
獣人でありながら人間の特徴が濃く『混ざり』、贖罪を理由に自分が殺した獅人族の血肉を無理やり『混ぜた』愚か者。
最初はオレだけを指す言葉だったそれが、今や『人間に近い獣人』全員へ向けられている。
隠れ里に蔓延する差別の現状を作り出した最大の原因は、リィグノーリアの言う通り、オレにあることは間違いねぇ。
忘れるわけがねぇし、今さら他人にとやかく言われなくても、自分の罪深さは理解している。
だけど、魔物を切り裂く強度を得ていた爪はゆっくりと力を失い、代わりに握り込まれた手のひらへと徐々に力が込められ、肉へと食い込んでいく。
「そもそも、下らぬ言い訳で己の能力の低さを正当化しようとするなど、我ら獣人族の『誇り』を汚しているも同然ではないか。
むしろ、『混ざり物』とはいえまだ獣人族として扱ってやっていることに感謝されてもいいくらいだ。
『誇り』とともに殉じることすらできなかっただけでなく、今も獣人族のためにと求められた己の責務にさえ応えられない『出来損ない』の貴様が、知ったかのように獣人族を――偉大なる祖先ノイルを語るな。恥を知れ」
「……クソがっ!!」
どうしようもない怒りで目の前が真っ赤に染まる。
血がにじむ握り拳を開いて、今すぐにでもコイツを八つ裂きにしたい衝動に駆られた。
が、結局行動に移すことはできず、悪態をついてリィグノーリアに背を向けた。
心底から気に入らねぇ野郎とはいえ、リィグノーリアが里長だってことはすなわち、隠れ里の中で『最強の獣人』だっつう事実は変わらない。
今のオレじゃ、リィグノーリアの隙を一個も見つけられねぇ。感情に身を任せ、考えなしに真正面からぶつかれば確実に殺されるのがオチだ。
それだけの実力差が、オレと里長の間には存在する。
「ふん。『混ざり物』とはいえ、実力差くらいは弁えているか。
だが、隠れ里の資源不足は貴様ら『出来損ない』の怠慢が原因だぞ。実際、貴様以外に外で動いている『混ざり物』の中で、長期間里へ戻ってきていない者もいる。
己の未熟さを自覚しながら、与えられた責務を果たすために奔走する気概は結構だが、目標量にかまけるあまり里への運搬を疎かにするのはいただけんな。
外で働く『混ざり物』を見つけたら伝えておけ。『出来損ない』なりの小さな成果でもないよりはマシだ、これ以上里から逃げるなどという醜態を曝さず戻ってこい、とな」
「ちっ!!」
リィグノーリアの傲岸不遜な物言いに思わず舌打ちが出るが、構うもんか。
まともな返事をする気すら失せ、不愉快なツラを振り切るように集会場を後にした。
(しかし、他のヤツらが帰ってねぇだと? どういうことだ?)
次の出稼ぎへ出る前に一度家で休息をとろうとしばらく里の中を歩いていたが、冷静さを取り戻していくとリィグノーリアの言葉が妙に気にかかった。
冒険者として活動している仲間は顔見知り程度の知り合いでしかなく、人間の町でもそう頻繁に顔を合わせたり連絡を取ったりしてるわけじゃねぇ。
が、見た目のせいで里での風当たりが強いっつっても、アイツらだって同じ獣人族だ。
オレみてぇに集落ごと潰されたならまだしも、一緒に隠れ里へ移住した家族や仲間が大勢いるのに、それを放ってどっかへ行くなんて考えられねぇ。
まさか、アイツらの身に何かあったのか?
(……今回も、そう長居はできそうにねぇ、か)
数日は体力回復に努めるつもりだったが、獣人族がトラブってんなら話は別だ。
隠れ里への出稼ぎも大切だが、外の奴らがどうなってんのかを先に探ってみるか。
そう考え直し、オレは隠れ里ん中でも隅の方にある自宅へと向かっていく。
おおよその日の高さは夕方には早ぇくらいのはずだが、日光を遮る高い木が多い森の中じゃ、すでにかなりの暗さになっている。
だいたいの獣人なら視覚以外の五感が発達してっから大きな問題にならず、明かりなどを灯さなくとも構わねぇから里ん中もかなり暗い。
オレも獅人族だから、そこそこ夜目は利く。歩いていく内に減っていく人影を避けつつ、ほとんど寝床にしか使ってねぇボロ屋に入っていく。
「……またか」
で、布団代わりの魔物の毛皮だけが放置されているオレん家だが、毎回のようにズタボロになってる寝具もどきを見りゃ、もはや呆れるしかない。
驚いたのは最初だけで、隠れ里へ帰る度に新しい毛皮を用意すんのはもう習慣だ。
毎度のごとくボロ布に変えられた毛皮をどかし、個人用の荷物袋から取り出した毛皮をひっかぶる。
優秀だか何だか知らねぇが、こんな下らねぇことに時間費やす暇があんなら狩りにでも出てろっつうの。
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名前:シェンスウェリエ
LV:34
種族:獅人
適正職業:闘士
状態:健常
生命力:2900/2900
魔力:100/100
筋力:240
耐久力:150
知力:35
俊敏:320
運:30
保有スキル
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