107話 よい子の『桃太郎』講座その3 ~隷属と強欲~
「さて、こうして旅に出されたツヒコだったが、最終的には無事に生還しおじいさんとおばあさんの目論見を外すことに成功している。
その過程を見ていくと、どうもツヒコの方もただの穀潰しじゃなかったことが見えてくる」
「これ以上まだ何かあるってのかよ!?」
グロッキー状態のガキどもに構わず説明を続けると、にゃん娘が頭をガシガシとかき乱した。
急にヒスってどうした? カルシウム足りてるか?
「あったり前だろ。こっからが『ツヒコ』の物語が盛り上がるところじゃねぇか。
じゃあここでお前らに質問する。ツヒコは旅の道中、犬人族のタケル、猿人族のモリヒコ、鳥人族のタマオミと出会って仲間にしたよな?
そこで何故、おじいさんから渡された『黍団子』を渡したと思う?」
『え?』
にゃん娘を放置したままガキどもに水を向けると、全員が疑問符を頭の上に浮かべた。
俺の質問の意味がわかんねぇんだろうな。
「なんでって、三人ともおなかが減っていたから、ツヒコが持っているきびだんごをわたしたんだろ?
なかまになったのは、命を助けてもらった恩があるからだし、おかしいところなんてないじゃんか?」
ガキ同士で視線を交わした後、代表してショタ猫が口を開いた。
物語の中では、確かにそのように語られている。
だが、そろそろ学習しろよ。
ここで俺が聞いているのは、表面上の話の『裏側』だっつの。
「おかしいところだらけだ。さっきからこればっかり言ってる気がするが、よく思い出して考えてみろ。
俺はツヒコの旅のシーンはさらっと流したが、『鬼』の本拠地である鬼ヶ島までの旅程が、実際にどれほどの距離があったかはわかんねぇだろ?
少なくとも、『鬼』の情報を得るために一度襲われた村にも立ち寄っただろうし、旅の途中で仲間になる三人と出会ったんなら、それぞれ別の日だったはずだ。一日の内に立て続けで行き倒れと出会うなんて早々ねぇしな。
仮に、旅に出てから鬼ヶ島に到着するまで十日あったとしよう。
その間にツヒコは村の調査をすませ、別々の日に仲間と出会ったとする。だとすると、ツヒコは何故保存食の『黍団子』を『タマオミと出会うまで』残しておいたんだ?」
何度も言うが、おじいさんが渡したとされる旅の道具は『昔の武器』と『黍団子』の二つだけ。
長旅なんてしたことねぇツヒコが、それ以外で必要な道具の知識があったとは考えづらいから、それ以外は着の身着のまま旅に出たことになりそうだ。
加えてツヒコは、ただただ生まれつき恵まれた身体能力に甘え、おじいさんとおばあさんの『教育』を聞き流して生きてきただけ。
狩猟の仕方も、食べられる野草や果物の見分け方も、金の稼ぎ方も、最悪金の使い方すら知っていたとは思えねぇ。
つまり、ツヒコには『黍団子』以外のまともな食糧確保の手段がほぼねぇことになる。
動物を狩ろうにも野生動物は基本的に危険察知能力が高ぇから、身体能力だけで獲物をしとめられるとは限らねぇ。
もし確保できたとしても、血抜きや下処理に必要な解体道具もなけりゃ、火のつけ方や調理の仕方、魔物などの外敵を引き寄せないための工夫など、サバイバル技術と知識が全くねぇツヒコじゃ、動物を捕まえたところで飯にありつけたかどうかさえ怪しい。
プラスして、食える植物を見分ける知識もなけりゃ、毒入りの果物やキノコなんかを知らずに食っちまうこともあり得る。
運良く生き延びたところで、一度そうした失敗をすれば野生の植物全部が危険物に見えて、極限状態でもねぇ限り手を出せたもんじゃねぇ。
そうすると、ツヒコの生命線はおじいさんがくれた『黍団子』しかなくなる。
これだけが唯一、ツヒコが安心して口に出来る食料であり、貴重なエネルギー源だったはずだからな。
なのに、ツヒコはそれに一つも手をつけず、空腹で倒れていたというタケルやモリヒコやタマオミに全部やっちまった。
それはツヒコが、『黍団子』のことを毒入り果物なんかより、よほど危険な食べ物だと認識していたからだとしたら?
「なんでだよ!? おじいさんが作っただんごだろ!? 毒なんて入ってねぇはずじゃねぇか!!」
「それはどうかな? おじいさんとおばあさんはツヒコを疎み、死んでもいいくらいに思っていた可能性があって、『鬼退治』に行かせたんだぞ?
目的が『鬼退治』じゃなく『ツヒコ殺し』がメインだったら、ツヒコに有利になる物を渡すと思うか?」
ショタ猫がさらに反発するが、物語の裏で進んでいたことを考慮すると、むしろ何もしてねぇ方がおかしい。
あくまでおじいさんとおばあさんがやりたかったことは、ツヒコを騙して自滅させること。
ってことは、おじいさんとおばあさんからしたら、食い物を与えずにのたれ死んでくれた方が喜ばしいはずだ。
それなのに『黍団子』を渡したとすれば、ツヒコがそれを食うことでおじいさんとおばあさんに『メリットが生じるから』に他ならない。
「俺の予想だが、おそらく『黍団子』には『隷属』の魔法がかけられていた可能性が高い。
致死性の毒ならタケルたちは全員死んでいただろうし、三人とも命を助けられたからといって、恩返しのために鬼ヶ島まで付き合うとは考えづらい。
つまり、タケルもモリヒコもタマオミも、仲間になりたいとツヒコに『志願』したんじゃなく、従者になれとツヒコに『強制』されて旅に同行したんだ。
だから、にゃん娘が指摘したように全員食い物につられたチョロい奴らに見えるんだよ」
そうでもねぇと、タケルたちのツヒコへの献身さに説明がつかねぇ。
いくら命の恩人だっつっても、感謝の返し方はもっと別にあったはずだ。自分の財産を渡したり、家に招いてごちそうしたりと、恩返しの仕方は他にいくらでもある。
だがタケルもモリヒコもタマオミも、迷わずツヒコの『鬼退治』への参加を表明した。『鬼』に殺されるかもしれないというリスクを承知した上で。
すでに一度死にかけて拾ったはずの命を、今度はツヒコのために捨てようとするなんて、普通あり得るか?
ツヒコがお願いしたとしても、ほぼ初対面の人間に命を預けられるような奴なんていねぇし、タケルたちがそれほどの馬鹿だったとしても都合が良すぎる。
旅の途中に空腹で倒れている人間に出会う確率、同じ状況を短期間の内に三回も経験する確率、そして助けた人間全員が『鬼退治』にまで付き合うお人好しである確率。
それら全部を計算すると、どんだけ低い幸運を引き当てたんだ、っつう話になっちまう。
そんな『運』なんて曖昧な要素を根拠にするより、『黍団子』に細工していたと考える方が、よほど現実的だ。
ここで『黍団子』に盛ったのが毒じゃなく『隷属』魔法だったのは、おじいさんとおばあさんがツヒコの能力を惜しみ、欲を出したからだろうな。
制御不能の『力』は恐ろしいが、もし永久に制御下に置くことが出来たら、逆にこれ以上なく頼もしい存在になる。
それに、もし『鬼』でもツヒコを殺せなかったとしたら、家に帰ってきた時に主導権を握れる保険があるに越したことはない。
そうした打算が働いて、『黍団子』に魔法がかけられたんだろう。
「ツヒコがおじいさんたちへの不信を抱いたのは、村の被害を調査したことが原因だろうな。
ツヒコは破壊の痕跡からおばあさんの特徴を見抜き、おばあさんの話に疑問を覚えた。
それを根拠に、おじいさんに対しても疑心を抱くようになり、『黍団子』を信用しなくなったんだろうぜ」
出発の時点では親の言うことをすべて信用していたとしたら、ツヒコがおじいさんとおばあさんの計画を知れるタイミングはそこしかねぇ。
一つの違和感から芋蔓式に矛盾を暴き出し、おじいさんとおばあさんの暗躍のしっぽを踏むことが出来たってわけだ。
まあ、これに関してはおじいさんとおばあさんの詰めが甘かったとしか言いようがねぇな。
いくらツヒコが怠け者のろくでなしだったとしても、迂闊な発言や現場に証拠を残すような油断をすべきじゃなかった。
謀略を巡らす自分たちから生まれた『子ども』が、親の狡猾さを引き継いでねぇとは限らねぇんだからな。
「しかし、そうなるとまともな食料を確保する手段がねぇツヒコは旅を続けることが困難になる。
かといって、おじいさんとおばあさんの企みを知っちまった以上、考えなしに家へ帰ることもまた危険だ。
そんな風に今後の行く末を憂いただろうツヒコは、なかなか襲われた村から離れることはできなかったはずだ。
だが、そこでツヒコはある幸運に恵まれる。村の中に生存者がいたんだ。それこそ、タケル、モリヒコ、タマオミの三人だ」
「えぇっ!? なかまは旅のとちゅうで助けたんじゃないのかよ!?」
「それは物語として編纂される時に、都合良く改変された部分だろうな。
その村周辺の生活水準とか、獣人族の扱いと居住人数など不明な点は多々あるが、『獣人族』が『三人』も『行き倒れてた』って考えるより、『襲撃された村に三人の獣人族の生存者がいた』と考える方が妥当だ」
目玉をひん剥いて驚くショタ猫だが、さっきも言ったように旅の中で生きている行き倒れに出会う偶然が、何度も重なることなんて滅多にねぇ。
普通なら、行き倒れを見つけたら身につけている物から金目の物を探して奪い取る。めぼしいもんがなけりゃ、そのまま放置で知らぬ存ぜぬってところか。
ただし、金品を強奪した場合は行き倒れが運良く生き延びて恨まれでもしたら面倒だから、後顧の憂いを断つために口封じは基本だ。
そうなると、ツヒコは物語通りだと三人の行き倒れにたまたま『最初に』遭遇したことになるが、それだとどうにも嘘くさい。
何の知識もねぇツヒコが旅をする場合、ツヒコが使うのは人が頻繁に行き交い、ある程度整地された村の間を繋ぐ街道を利用するはずだ。
バカみてぇに見知らぬ土地の山や森に入れば、生きて出てこられるかわかんねぇんだからな。
そうすると、タケルもモリヒコもタマオミも街道の近くに倒れていたことになる。
が、それならツヒコよりも先に別の人間に出会っているだろう。おばあさんに壊滅させられた村の生き残った住民が、避難のために使った可能性が高ぇからな。
その場合、大した財産も持ち出せずに村を出たはずの住民は、タケルやモリヒコやタマオミを助けるだけの余裕なんざありゃしねぇ。
引き留められたとしても無視するか、さっき言ったように追い剥ぎ後に放置かのどちらかだ。
その後にツヒコが通ったとしても、すでに死んだか死にかけている無一文の行き倒れを助けたところで、何の役に立つと思う?
っつうか、そもそも家でずっとゴロゴロしていたようなツヒコが、行き倒れを助けるだけの博愛精神があったとも思えねぇ。
それよりも、ツヒコが村の調査中に三人の生き残りを発見し、おじいさんとおばあさんの不信を確かめるために『黍団子』を食わせて実験した、と考える方が真実味がある。
それなら、ツヒコが『黍団子』を食べずに残していたことにも説明が付くし、タケルとモリヒコとタマオミが『隷属』魔法の効果で仲間になったことにも頷ける。
同時に、ツヒコが無事に鬼ヶ島まで到着することができたことにも、理屈が通ってくる。
「ついでに、ツヒコにとっちゃタケル・モリヒコ・タマオミを従えることができたのは幸運だっただろう。
犬人族の嗅覚があれば人や動物などの痕跡を探知できるし、猿人族がいれば荷物持ちみてぇな単純な力仕事を押しつけられるし、鳥人族がいれば空から周辺地理を把握できるから道に迷うリスクも少なくなる。
おまけに、世間知らずのツヒコによる一人旅と比べれば、村を訪れ社会生活に馴染んでいただろう三人の方が、よほど旅に慣れているのは明らかだ。
『隷属』があるから絶対に裏切らねぇのもあって、ツヒコの旅のハードルが著しく下がったのは間違いねぇ」
獣人族の特徴を利用すれば、食糧確保や体力の温存や地理把握など、あらゆる面で純粋人種の一人旅よりもアドバンテージが得られる。
途中で別の村に立ち寄っても、社会的生活を知らねぇツヒコの補助にもなり、よりスムーズに旅が進んだはずだ。
そうして、ツヒコはタケルたちに大いに助けられた結果、『鬼』の縄張りである鬼ヶ島まで旅をすることができたってわけだ。
「ん? でも待てよ? 何でツヒコは鬼ヶ島に行ったんだ?」
すると、頭を抱えていたはずのにゃん娘がいつの間にか復活し、ショタ猫みてぇな疑問を投げかけてきた。
「そうだな。ツヒコはすでに『鬼』の襲撃が狂言であることは理解しているし、自分を騙した両親のために動く動機もなくなった。
それに、今後の生活にしてもタケルやモリヒコやタマオミの補助があれば、ある程度は何とかなるだろう。
そうすると、ツヒコが『鬼』を倒す必要性は全くなくなり、ヤベェ親から逃げられて自由を得たともとれるが、ツヒコは結局『鬼退治』を続行した。何故だかわかるか?」
割といい質問だったので改めてガキどもにも考えさせてみるが、全員低く唸るだけで答えを導き出せなかった。
まあ、ガキに『それ』を思いつけ、ってのが酷か。
「正解は、『『鬼』がため込んでいるっつう財産を奪うため』だ」
『ええっ!?』
案の定、俺が一番信憑性の高ぇと考える理由を伝えると、ガキどもは一斉に口をあんぐり開け放った。
「なんでだよ!? あいてはまものだぞ!? 行く理由もなくなったのに、そんなことのために自分から戦いを挑むなんて、あぶねぇじゃんか!!」
「行く理由が新たに出来たからだ。
ツヒコは旅をしていくさなか、タケルたちが慣れている普通の人間の社会的生活に触れてきたはずだ。そこで知り得た世界の常識が、ツヒコの欲を刺激したんだよ」
ショタ猫はさっき自分たちが魔物に襲われたこともあってか、かなり語気を強めて反論する。
だが、物語の結果からしてツヒコが『鬼退治』に動いたのが事実だとしたら、生命の安全よりも優先すべき何かを『鬼退治』に見出したはずだ。
それこそが、『鬼』が村を襲ってため込んだとされる『財宝』なんだよ。
ツヒコがそんな考えに至るのも無理はねぇ。
完全自給自足の生活から、一気に法令と貨幣経済が支配する世界に身を投じれば、嫌でも気づくはずだ。
自分は資産も後ろ盾も何もねぇ、人間社会じゃ最底辺の人間だってな。
ツヒコが誇れるものがあるとしたら、おじいさんとおばあさんさえ『化け物』と思わせた『驚異的な身体能力』のみ。
それ以外だと、出生届なんか出しちゃいねぇだろうから戸籍もねぇし、財産と言える物なんて服と武器とタケルたちしかねぇ。
だったら金を稼げばいいと思うだろうが、俺がレイトノルフでさんざんたらい回しにされたように、労働に必要な能力はあっても身分不詳だと就ける仕事は限定されてくる。
どこの誰とも知らないならず者でも任せられる仕事なんて、誰もやりたがらない過酷な肉体労働が関の山だ。
しかし、ツヒコは今まで働いたこともなけりゃ労働意欲もクソ以下しかねぇ穀潰し。
自分で働こうなんて殊勝な考えを持つはずがねぇし、面倒でしんどいことは全部タケルたちに押しつけたはずだ。
が、ここで新たな問題として『種族格差』が生じる。
純粋人種が多数を占める共同体において、戸籍がねぇ人間だけじゃなく、いわゆる『亜人種』もまた社会的信用度が低く、雇用してくれるような場所は限定されちまう。
下手すりゃ戸籍のねぇ純粋人種よりも劣悪で低賃金の仕事しか斡旋されず、地獄のような労働環境で雀の涙ほどの報酬しかねぇ、なんてこともよくある話だ。
そうした背景を考えると、いくらタケルたちががんばったところでツヒコの一般社会での暮らしが楽になることはなく、むしろ貧困にどっぷり浸かった困窮生活が続いていたに違いねぇ。
ツヒコが働けばまだマシだっただろうが、成人するまで親に頼り切った甘ったれが改心するのは難しい。
貧しいとはいえ、タケルたちを酷使すれば生活が成り立っていただろう点も、致命的なマイナス要素だな。
実際に死ぬ寸前になるくらいのインパクトでもなきゃ、人間の性根なんざそう簡単に変わらねぇ。
三つ子の魂百まで、なんて言葉があるように、まともな道義的教育も受けずにガキがそのまま育っちまえば、待っている末路はチール商会のどら息子みてぇな立派な大人だ。
英雄譚の主人公になったツヒコも、どれだけすごい偉人だろうが結局は『純粋人種』なんだから、例外じゃねぇ。
「『鬼』が集めた盗品を奪うのもそうだが、人間社会で悪名高い『鬼』を討伐することで武勇を広め、名声を高めることで社会的地位も上げることが出来る。
そして、それがツヒコを含めたった四人で成したとなれば、宣伝効果は抜群だ。条件が厳しい無謀な戦いほど、注目度は飛躍的に上がるからな。
そうしてツヒコは貧困生活からの一発逆転をねらい、『鬼』の縄張りである鬼ヶ島に向かったんだよ。自分の欲を満足させるために」
とはいえ、ツヒコたちの状態はすでに万全とはほど遠い。
どれだけの間かは定かじゃねぇが、長期間人間社会に揉まれて貧しい生活を送ってきたツヒコたちの健康状態は、以前よりも低下しているはずだ。
過酷な労働による心身に蓄積した疲労、満足な食事を得られないことによる栄養欠乏、自分で手入れしたこともねぇ錆び付いた武具。
どんだけよく見積もったところで、これくらいの不利は背負っていたはずだ。
最悪、金に困れば所持品を売って二束三文の身銭を仕入れていたことも考えると、まともな服はおろか武器すら手元になかったかもしれねぇ。
逆に、自立の最初がサバイバル生活だったことを考えりゃ、文字通り身一つで旅だったツヒコたちは、社会生活よりもよほど充実した野生的食生活を送って、鬼ヶ島に到着したんだろうけど。
「……そのまま人間の村なんかにこだわらないで、四人で生活すればいいのに」
「バーカ。ツヒコの頭にあるのは『如何にして働かずに楽に生きるか』の一点だぞ?
サバイバル生活は胃袋的にはマシでも、生活基盤が安定してねぇから確実じゃねぇ。天候や魔物の支配領域なんかで食料調達条件は変わってくるし、あまり資源を乱獲すると犯罪者として認識されるリスクもある。
それに引き替え、人間社会では一定の法律に縛られる部分はあるが、圧倒的な武力と財力と権力を持てば細かいことは『力』で握りつぶせ、生活水準が跳ね上がって『楽』な暮らしが出来る。
ツヒコの頭にゃ、そんな皮算用しかねぇよ。
そうするとツヒコの場合、『武力』はすでにクリアしてっから、残る『財力』と『権力』を一回の『鬼退治』で解決できるかもしれねぇとなれば、喜んで食いつくはずだ。
何せ、『楽』だからな」
この段階になると、ツヒコへの呆れと嫌悪がガキどもに深く刻み込まれてるような気がする。
最初に『桃太郎』の物語を話した後とは比べものにならねぇほど渋い顔がその証拠だな。
そんだけツヒコの印象がクズ寄りに傾いたっつうことだが、残念だな。
ツヒコのクズ具合は、まだまだ残ってるぞ?
====================
名前:ヘイト(平渚)
LV:1(【固定】)
種族:イセア人(異世界人▼)
適正職業:なし
状態:健常(【普通】、【魔力減少・常】)
生命力:2004/2004(【固定】)
魔力:291/1812(【固定】)
筋力:176(【固定】)
耐久力:148(【固定】)
知力:183(【固定】)
俊敏:135(【固定】)
運:1(【固定】)
保有スキル(【固定】)
(【普通】)
(《限界超越LV10》《機構干渉LV2》《奇跡LV10》《明鏡止水LV3》《神術思考LV3》《世理完解LV2》《魂蝕欺瞞LV4》《神経支配LV5》《精神支配LV3》《永久機関LV4》《生体感知LV4》《同調LV5》)
====================




