81話 襲来
あれからまた半月が過ぎ、とうとう三月になっちまった。
つまり、俺のレイトノルフ滞在における、事実上のタイムリミット。
だっつうのに、俺はこの期に及んでまだ、答えを出しきれないでいた。
「いらっしゃい!」
今はちょうど昼時。いつものように会計のそばからすぐに満席になり、忙しく店内を走り回る日々が続いている。
ちなみに、襲撃者たちを密かに葬ってからというもの、ゴークからの嫌がらせはピタリとやんだ。
ゴークに金がなくなったのか、手駒がいなくなったのか、それともイガルト王国やチール商会に追いつめられたのか。
いずれにせよ、これ以上こっちにちょっかいをかけないんであれば、ゴークのことなんて心底どうでもいいから、確かめる気もねぇけど。
それはさておき。
接客の最中も、《神術思考》で思考を分割して考えを巡らせてはいたし、今もずっと考え続けてはいる。
なのに、決めきれない。
あの夜、看板娘に言われたように、俺の保身を第一に考えるべきだと訴える理性と。
そんだけお人好しな看板娘たちを、中途半端に残していいのか? と反発する感情。
議論は毎回平行線をたどり、どちらも正しい意見であるからこそ、決めきれない。
……少し、肩入れしすぎたのかもな。
最初は、ただ金が欲しかったから動いていただけだったが、今じゃ『トスエル』のためになれば、なんて考える方が強い。
客観的に見れば、受けた恩はもう返し切れているはずだ。むしろ、全体収支からすれば俺が大きく損をしているのも、わかっている。
それでも、俺がコイツらを見捨てられない、離れられないのは。
初めて、俺に優しくしてくれた他人から離れることが。
レイトノルフを出ていった後で、俺という存在を忘れられることが。
また前みたいに一人ぼっちの状態に戻り、人間の優しさを忘れてしまうことが。
怖い、んだろうか?
…………否定は、できない。
俺は、無意識のうちに、『トスエル』と繋がった縁を断ち切ることを、恐れている。
俺が信頼してもいいと思えた奴らとの出会いを、なかったことにすることが、嫌なんだろう。
独りの時には知らなかった、他人がいてくれる温かさや居心地の良さを知ってしまったからこそ、独りだった時間を思い出すとそれが一層冷たく感じ、戻るのを躊躇ってしまう。
『知る』というのは本来、俺がこの世界で生きるために必要不可欠なことだった。身体能力が低く、魔法も扱えない身だったから、知識や情報を武器にしなければならなかった。
だから、『知る』ことがまさか、俺の足かせになることもあるだなんて、『知る』ことが『弱さ』になるだなんて、思ってもみなかった。
これは俺の完全なミス。
後悔しても遅く、後戻りなんて出来やしねぇ。
俺が『トスエル』という居場所を切り捨てられねぇのは、孤独に戻る怖さを『知ってしまった』からだ。
それだけじゃない。
『トスエル』一家との別離以外に、ここで過ごしてきた時間が、俺にとっては正しく理想だった。
俺から拒絶するような態度を見せて生じたいざこざや、ゴークの妨害みてぇな問題など。ちょっとした刺激はあったものの、レイトノルフで過ごしてきた三ヶ月間は、俺の目標だった『平穏な日常』にかなり近いものだった。
将来へのリスク回避のため、かなり周囲の目を気にする窮屈な思いはしたが、直接的な命の危険が少なく、ほとんどの出来事が俺の手でも対処可能な雑事のみ。
それに目を瞑るだけで、毎日のように客の相手で時間が過ぎていく、どこにでもある日常の中に、俺はいた。
一挙手一投足が死に繋がりかねなかった王城の時とは、全く違う。
平凡で、退屈で、変化がない、理想的な人生の形の一つ。
何よりも欲した物が、目の前にぶら下がっているんだ。
それを、簡単に手放すことなんて、出来ない。
いくら近い将来危険が迫っているとわかっていて、打算を働かせて保身を第一に考えても、すぐさま切り捨てるなんて無理だ。
だって、『理想』と同レベルの環境を、この先また得られるかわからねぇんだぞ?
もしかしたら、これが一生に一度のチャンスなのかもしれねぇんだぞ?
これを逃せば、もう二度と手に入らないかもしれねぇんだぞ?
そう思ってしまうと、足が止まってしまう。
『失うもの』なんてなかった俺が、『失いたくないもの』を知り、触れて、恐れた。
俺が抱える葛藤の中身が、これだ。
初めて直面する『知る弱さ』に、俺はどうしたらいいのか、わからねぇ。
「ヘイト、なんか最近、体調悪かったりする?」
思考の袋小路に立たされつつも、仕事は普通にこなしていたはずだったのだが。
不意に、看板娘から気遣う声をかけられた。
「いや? いきなりどうした?」
「……ううん。ヘイトがそういうなら、いいんだけど」
意味が分からない、と声音ににじませてみたものの、看板娘の言葉にかなり動揺していた。
借金問題でイラついていた時の『トスエル』一家とは違い、俺の言動にも態度にも不安や迷いを表に出したことはなかったはずだ。
なのに、看板娘に心配そうな様子で唐突に切り出され、まるで心を見透かされたような錯覚に陥った。
幸い、まだ昼のラッシュが続いてる最中であり、忙しさも装って言葉短く否定すれば、看板娘はすぐに引いてくれた。
去り際の台詞は、俺に関する何かを察知していたように思えて、気にはなったが。
勘、って奴か? 長年培った経験則っつうより、女のそれは自前の洞察力が無意識に読みとる直感だから、こっちはどこを直せばいいのかわからねぇな。
それか、看板娘に気取られるようじゃ、割とわかりやすかったりしたんだろうか? だったら、これからはもっと注意しとかねぇとな。
しかし、最近は相手の心情を推測し、読み解く側だったためか、いざ自分がやられるとここまでドキリとするもんなんだな。
《精神支配》がなかったら、確実にボロが出てたぞ。
「……ん?」
それからも《神術思考》でウダウダ考えていると、ピリッ、っとした感覚がよぎった。
『普通』なら見逃してしまいそうな小さな違和感は、しかし【普通】が汲み取り増幅される。
この感覚は、覚えがある。
いや、馴染み深い、と言った方がより適切か。
「これは……」
小さく、されど確実に、ジリジリと変化していく、空気の質。
大量の火薬に繋がる導火線に火がついたような、不愉快な圧迫感。
他の誰もが気づいてなさそうなそれは、俺の中で一秒ごとに大きくなっていく。
なのに、それは妙にフワフワしていて、俺が知る感覚と比べると弱くて散漫だ。
「ヘイト?」
突然立ち止まって動かなくなったからだろう。
また看板娘に声をかけられたが、それには応えず意識を《神術思考》に没入させた。
レイトノルフに存在するあらゆる『目』、『耳』、『皮膚』を通じ、俺が感じる違和感の正体を探る。
そして、分割された思考領域のいくつかが冒険者協会の人間を捉えた時。
「…………ちっ」
違和感、いや、『敵意』の正体を、知った。
直後。
ガンガンガンガン!!
「えっ? えっ!?」
「何だ、このうるせぇ音は!?」
「この音、まさか緊急事態で鳴らされる鐘の音……?」
町中に響いてるだろうけたたましい警鐘が、何度も打ち鳴らされた。
看板娘は目を白黒させ、頑固オヤジはカウンターから顔を出し、ママさんは瞬時に音の意味に気づいて息をのんだ。
同じく鐘の音を聞いていた客も同じく動きを止め、ほとんどが戸惑いの表情を浮かべて咄嗟の反応が遅れている。
戦闘を生業とする冒険者がそれでいいのかと思わんでもなかったが、んなどうでもいいことに意識を割いている場合じゃねぇ。
「い、いったい何が……」
不安を募らせた看板娘が俺に近づいてきた、まさにそのタイミングで。
「ガアアアアアアアアアアッ!!」
『ひっ……!?!?』
人間の心臓を握りつぶさんばかりの、恐怖と絶望を体現したような咆哮が、レイトノルフにまき散らされた。
「あっ、ヘイト!?」
背筋が凍る声を聞いて即座に走り出し、店の外へ出た。それを追うようにして、看板娘も店から外へ飛び出す。
「…………ひっ!?!?」
久しぶりに顔をしかめ、上空を仰いでいた俺を真似して、看板娘も視線を上へと上げてしまったんだろう。
隣で喉をひきつらせ、悲鳴の出来損ないを上げた看板娘が全身を戦慄かせたのを感じた。
「……最低でも『神人』級、だと?」
俺たちの視線の先。
レイトノルフの上空に現れた、最強の生物の一角である、ドラゴン。
一般人はおろか、最高位の冒険者でさえも出会わないだろう、強者の代名詞。
それが、冒険者協会で飛び交った会話の通り、複数の影を落として天空からこの町を睥睨していた。
しかも、そいつらの存在感は、《生体感知》で読みとる限り。
「どっからどう見ても、吸血鬼以上の奴らばかりじゃねぇか……っ!」
俺が出会った『魔族』よりも、強大かつ凶暴な威圧感を放っていた。
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名前:ヘイト(平渚)
LV:1(【固定】)
種族:イセア人(日本人▼)
適正職業:なし
状態:健常(【普通】)
生命力:1/1(【固定】)
魔力:1/1(0/0【固定】)
筋力:1(【固定】)
耐久力:1(【固定】)
知力:1(【固定】)
俊敏:1(【固定】)
運:1(【固定】)
保有スキル(【固定】)
(【普通】)
(《限界超越LV10》《機構干渉LV2》《奇跡LV10》《明鏡止水LV2》《神術思考LV2》《世理完解LV1》《魂蝕欺瞞LV3》《神経支配LV4》《精神支配LV2》《永久機関LV3》《生体感知LV3》《同調LV4》)
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