サラバ平和な日常。
私が公爵令息に膝蹴りを入れ、可憐な侯爵令嬢とお友達になった次の日。
やはり予期していたとおり、平和な学院生活とはさよならしていました。
私を起こしに来た寮付きの侍女アドリネがきびきびと身支度の手伝いをしながら、今日より一層気を引き締めていってらっしゃいませ、と言った時には、学院中にルディガー様とテオドーラ様を敵に回したことが知れ渡っていたのでしょう。
朝食を食べに寮の食堂に降りたところから、すでに私を遠巻きにしている令嬢たちの姿が。
席についても感じる視線。でも顔を上げるとあからさまに逸らされます。
「あーあ、不細工が嫌なところにいるわぁ。ここって養豚場ではないのにねぇ」
「あら、そんなことを言ったら失礼だわ、バルバラ様。恥ずかしい体型でも一応人間ですのよ?」
出たな、テオドーラ様の取り巻き1と2!
彼女らはテオドーラ様の周りにいれば自分も偉いと勘違いしているような輩です。
そのテーブルには紅茶のカップしか置かれていないということは、私への悪口を言うためにわざわざ食堂まで降りてきたのでしょう。普段は彼女たちだって、テオドーラ様にならって、部屋で朝食をとっていたはずですからね。
相手にするのも面倒なので、さっさと朝食を食べ始めます。
サラダ、パン、卵、スープ。朝食の基本はこんな感じで、味付けなどは毎日変わります。
ちなみに今日のメインはふわふわとろっとろのオムレツです! 美味なり。
「あの方、すごく野蛮なんですってねぇ。ご領地の方でも、暴力沙汰を起こしたとか」
「あぁ、シビール男爵の子息ですわよね。なんでも全治二ヶ月の大怪我だったとか」
「怖いわぁ」
「怖いわねぇ」
……ふむ。まだ外野がうるさいな。美味しい朝食を楽しみたいのを邪魔するとは言語道断。
シビール男爵の子息にしても、全治二ヶ月どころか全治二日のようなものです。鼻血と頬の赤みが取れるまでぐらいなのだから。私だって、騎士団で飼育している軍馬に人参でも草でもない明らかにおかしな物体を食べさせようとしていたら、慌てて馬から離したくもなります。
おおよそ私が気に入らないシビール男爵が大げさに噂を流しただけでしょう。
後ろにいたアドリネがそっと耳打ちをしてきます。
「フランカ様。よろしければ明日からお部屋の方に朝食をお持ちいたしますが」
「そうね、そうさせてもらってもいい?」
せっかくの朝食を美味しくいただける環境だって必要です。
私はアドリネに頷きました。
と、そこへカティア様が入ってこられました。キョロキョロと周囲を見渡し、私と目が合うと嬉しそうな顔で近寄ってこられます。
「フランカ様。……同席してもよろしいかしら? 実はここの食堂はあまり使わなくて」
「構いませんよ、どうぞ」
やがてカティア様にも朝食が並べられます。ぽつぽつと世間話をしながら食べていると、
「今まで朝食をこちらで食べたことがなかったのですが、こういうのもいいですね。これからも同席させていただいてもよろしいですか?」
カティア様がプラチナブロンドの髪をきらきらと輝かせながら嬉しそうにおっしゃったので、私はアドリネに視線を送りました。彼女は心得たように首を振ります。
私はカティア様に視線を戻しました。
「ええ、ぜひ」
「ハイ、それでは次の問題を答えていただきましょう。4の平方根とは……イレーネ様、どうぞ」
「2です」
「5の平方根は2より大きいでしょうか、小さいでしょうか。コルネリア様」
「答えはフランカですわ」
「は……えーと? え、えー。ゴホン。では、エマヌエーラ様」
「答えはフランカですわよ」
「え? えーと、それはどういう………ん、んっ、ゴホン。バ、バルバラ様……」
「フランカですわ」
数学のメルボルト先生がパチパチとしきりに瞬きしています。そりゃそーだ。会話になってないもん。
三回に渡る私推し。しかも呼ぶたびに私の方を見て、にやにやしているわけだよ、これが。
十数人いるクラスの中での反応は様々です。
三人娘に追従するように嘲るような笑みを浮かべる者もいれば、我関せずとばかりに羽ペンをノートに走らせる者、イレーネのように心配そうに私を見つめる者もいます。
あ、とうとう先生が私に助けを求めてきたぞ? 助けてください、フランカ様と言いたげな目で見てるぞ?
「申し訳ございませんが、フランカ様。お答えいただけますか? 5の平方根は?」
「√5ですわ。正確には2.23606798なので、2より大きいです」
メルボルト先生は安堵した表情で私を見た。
「正解です。きちんと復習しているようですね、すばらしいです」
「ありがとうございます」
メルボルト先生は気が弱いけれど身分で生徒をえこひいきしない良い先生です。
テオドーラ様の取り巻きたちの行動に挙動不審になりながらもいつも通りに授業してくれています。
ほんと、ありがとうございます先生。
先生が教本に目が向いた隙に、隣のイレーネが机の下から私の制服の袖を引っ張りました。
小声で話しかけられます。
「あなた、ものすごくテオドーラ様に目を付けられてしまったわね。だから前々から目立つようなことをしちゃだめ、と言っておいたのに」
「それはしょうがない。あっちが悪いの」
「それはそうだけれどね? あちらには権力があるでしょう? うちみたいに地方で引きこもってばかりだとまだ社交界で何言われたって平気だけれど、そうでない友達とかは表立ってフランカをかばえなくなってしまうわよ? カティア様みたいに皆離れていってしまうかもしれないわ」
ここでちょっと意外に思ったのは、イレーネの言葉を読み替えれば、彼女が権力に逆らってまで表立って私をかばう、と取れる発言をしたことでした。
華やかな社交界デビューがしたい、とうきうきしながら言っていたのに。
そう指摘すると、彼女はふん、と鼻で笑って顔をそらしました。
「だってそれは……フランカがはじめてできた同性の友達だし。あなたがカティア様を助けようとしたところは純粋にすごいと思うもの。ルディガー様に攻撃をしたところは、見ていてスカッとしたわ。だ、だからね……私はフランカの味方する」
「ありがとう」
私はいい友達を持ったものだ。
と。
「フランカ様。おしゃべりできるとは余裕ですね。ならば、この問題が答えられますか。………√64-√8ー4+2√2-√16=」
おっと、メルボルト先生は見逃してくれなかったようですね。
これぐらい解けるだろう、と言いたげにカーブを描いてセットされた黒い髭を撫で付けております。
もちろんです、先生。期待に応えてみせましょう!
「答えは0になりますわ、先生」
さて。数学を終えたあとは、本日最後の授業になるダンスレッスンです。
ここまでが長かった。授業も休み時間もいつもの倍長く感じました。
どこに行っても視線を集める私はある意味人気者です。
すごいよ、私が歩くと、人が寄り付かなくなるんだー……。
カティア様とヴィルは授業で一緒にならなかったけれど、すれ違った時に心配そうに様子を聞かれました。二人共過剰すぎる。他人より本人のほうがケロっとしているぐらい。
人が避けて、こそこそ悪口言われても何でもないです。直接なにかするわけでもないですし。
問題はこれからのダンスレッスンです。
これにはルディガー様とテオドーラ様も参加しているはず。あの騒ぎからはじめて顔を合わせることになるでしょう。
あの人ら、座学とかはまったく参加しないくせに、ダンスレッスンだけは欠かさずでているんですよねー。学院をナメすぎ。もっと勉学に励め、この私のように!
ちなみにこのダンスレッスンはヴィルも一緒です。うん、練習相手には事欠かないな。
赤毛を高く結い上げたご婦人、ルヴィッチ先生が最初に私たちを呼び集めます。
「では始めさせていただきますわ。皆様、準備はよろしくて?」
「「「はい」」」
生徒たちの目は生き生きしています。当たり前ですよね、社交界で生きるためには国語や数学といったものよりも、実用的なダンスを身につけていたほうがいいですものね。
わかるよーとってもワカル。しかしながらですね、ただの運動ならともかくとして、座学とダンスを選べるのならば、座学を選ぶわけでして。
「それぞれペアを組んでくださいね。このクラスは男性の方が多いですので、すでにダンスが上手い方は、女役をお願いしますね。ゲオルグ様、ヨハン様、申し訳ないのですが、お願いしても?」
「「かしこまりました、マダム」」
紳士らしいもったいぶった仕草をするゲオルグとヨハン。彼らの視線はルヴィッチ先生に釘付け。……わかりやすい奴らだ。年上のお姉さまとやらに憧れる年頃なんだろう。
「姉さんは僕とペアだね」
……うちの弟のように。
私は思う。―――ダンスレッスンとは、つくづく苦行だな、と。
「姉さん、笑顔」
はい。
「足元のステップがおろそかになってる」
はい。
「下を向かない、背筋を伸ばす」
はい。
「先生のカウントちゃんと聞いて」
はい。「笑顔」………ハイ。
これはアカン。絶対、今目が笑ってないや。
くるくるくるくる。私とヴィルは何度も何度も回ります。
これ、回るたびに脳細胞が死んでいるんじゃないかしらね。止まるたびに立ちくらみするんだけれど!
あぁ、私、ダンスホールの中のどの位置にいるんだっけ?
いいか。細かいところはヴィルに任せよう。
我が弟はなんでも器用にこなす質なので、こういうとき頼りになりますね。でも心なしが身体が密着しすぎ。
「笑顔!」
ひいぃぃぃぃ!
弟は好意からスパルタ教師をかって出ていることはわかっています。
でもさ! ルヴィッチ先生以上のスパルタってどうだろう! って毎回思うのよ!!
ルヴィッチ先生でさえ叱る声はもっとまろやかよ? ブラマンジェなみのプルプル感で十分なのですが!
なぜ私だけムチ打たれるようにピシャピシャ言われるんですか。
頭の中に持ち主が駄馬をムチで追い立てる図が浮かびます。意外と的を射ていると思うのは私だけですか。
「フランカ様。もっと頑張りましょうね」
ほとんど私たち(主に私)の専属コーチになってしまったルヴィッチ先生はにっこり笑っていますが、私以上に目が笑っていません。むしろ私から一瞬も目を離すまいとぎらぎらとした輝きを放っているように思うのです。いつもは物腰が上品な先生なのに、レッスンの間は「ダンスの獣」となって、か弱いこうさぎという名の下手っぴ生徒(主に私)を捕食しそうな迫力を持っています。
最初のダンスレッスンのときは「すぐに上手くなれますよ~」と、モノホンの笑みを浮かべていたのに。
先生にしてもここまで出来の悪い生徒を受け持ったことがないので、半分意地になっているのでしょう。
ほかの生徒たちはそれぞれ離れたところで自主練に励んでいました。気楽そうです。私もあの仲間たちに入れ……る見込みもないようです。
見ればわかる。あの集団のキラキラ具合に交じれる気がしない!
あの忌まわしいルディガー様とテオドーラ様でさえペアで静かに踊っていれば、今にも虹がかかってどこぞの女神さまが祝福の光を与えてくれそうだなんて。
私のダンスセンスの無さってどこから来たんだろう?
亡き父上か母上か。お祖父様もおばあさまも人並みに踊れるのになー。
「姉さん、ぼおっとしない!!」
「ハイ」
ダンスレッスンの後半にさしかかると、ルヴィッチ先生がペアの交代を指示しました。
「舞踏会ではまったく知らない相手と踊ることもあるのですから、代わり映えしない相手と練習してばかりではいけませんからね」
生徒たちはおのおの別の相手を探し始めて、次々とペアを組み始めました。
私も……と言いたかったところですが。
ふい、とペアからあぶれた男子生徒たちが次々と私から目をそらします。
いちはやく別々のパートナーを見つけたルディガー様とテオドーラ様が見下したような表情を浮かべると、なんとなく察しがつきました。
普段なら、いくら私のステップがダメダメでも一人ぐらいお情けで組んでくれる人もいたのになぁ。
ちょっと困りました。
「だったら僕が」
「ヴィル、もうパートナーを見つけたんだから無理でしょ。ね、ルヴィッチ先生」
「そうですねぇ。私がなってもいいのですが、そうすると全体を見れなくなってしまいますからねぇ。あとやっぱり男性の方がよろしいですし……」
熟考したルヴィッチ先生は、そうだ、と言わんばかりに告げた。彼女が今日一日で一番の笑顔を見せたのは、私の事情を知る上での意地悪をしたせいだとは思いたくありません。私は彼女の善意を全力で肯定したいのです。
「ネリウス様とお組みになればいいでしょう。このクラスで一番上手い方ですし、もしかしたら相性がよいかもしれませんよ?」
ネ、ネリウス様っすか……。
呆然とこちらを凝視しているルディガー・「ネリウス」次期公爵様。
おおぅ、どんどんその顔が険しく……。
「わかりました」
は?
絶対に断るだろうと思ったルディガー様はなにやら化物に己の身体を差し出すような悲壮な決意を固めたご様子で、すでに決まっていたパートナーに詫びると私のところへやってきます。
私を見下ろす目は、いかにも「これからこのブタをどう調理してくれよう……(じゅるり)」と訴えかけているようです。なにか企んでいるに違いない! イヤイヤながらも私の相手をするってことは間違いなくそうだ!
「では、『フランカ様』お手をどうぞ」
正直に言いましょう。――気持ち悪っ。
なんなの、この白々しさはっ!
様付けとかなによ。普段ほかの生徒でさえ敬称つけないくせに、だよ? 先生が見ている前だとこれだ。
コワイワー、貴族コワイワー。
と、私が固まっていると、ルディガー様がひきつりそうな笑顔で強引に私の手をつかみました。
そして私以外には聞こえない小声でぼそっと、
「こっちは仕方がなく相手をしてやってるんだ。俺だってお前みたいなブサイクに触りたくもないがな。間違ってもハムのような身体で俺の足を踏むな。骨が折れる」
非常に不本意ですが、ここから逃げられないようです。