年貢の納め時ってやつですよ。
最後の授業、最後の試験、最後の食堂……。そんな「最後の」が付くことが多くなりました。月日は流れて卒業間近。いや、帰ってきてからそんなに経っていないけれどね。
パーティーのために新しいドレスに袖を通し、髪を整え、化粧も少し。施してくれたアドリネは鏡に映った私をまじまじと見て。
「馬子にも衣裳……」
「褒めてないよね?」
「冗談ですよ。でも……お美しいですよ。戦に赴く戦士のように凛々しくていらっしゃいます」
やっぱり女性に対する褒め言葉じゃなかった。でも彼女の指摘も間違っていません。これから大きな勝負に出ることは間違いないのだから。
このドレスは見た目こそおひさま色でふわふわしていますが、とことん機能性を考え、そぎ落とすところはそぎ落とし、動きやすくかつ、隠し武器なども常備できる特注品です。これで私のポケットマネーも大損害。勝たなきゃ元が取れません。
「フランカ様。応援しております」
「ありがとうね」
アドリネと別れ、会場に向かいます。
噂話が聞こえてきました。
『ギルシュの王子がパーティーに来るらしい』
『花嫁を探しにわざわざ来たんですって』
『とても素敵な方らしいわ。どんな方が射止めるのかしら』
すでに王子様は到着しているらしく、会場の庭園は人でごった返しています。
けれど、その中にあってもやつの野生の気配は消せやしない。
しかも私の到着もすぐに気がつき、黄金の瞳をこちらに向けて、にい、と男が笑いかけます。
「フランカ・ツヴィックナーグル!」
ばっと人目が私に集まりました。まあ、予想していた事態なのであえてゆったりと構えます。
「ごきげんよう。今日はなんとお呼びします? 先生? それともギルシュの王子様?」
「名乗っただろう? ティムル、と。あんたの夫になる男の名前を忘れてもらっては困る。こうして、威儀を正して迎えにきたんだ。諦めて俺の嫁になるように」
ぴゅう、と近くで指笛が鳴りました。うるさいよ、コプランツの王子様!
「お生憎さまですが、ツヴィックナーグルの女は自分の納得しないことには従わない主義ですよ」
「つまり、納得したら従うのだろう? それならば話が早い」
つかつかつか、と軍靴の音が私に近づき、目の前に掌が差し出されました。
「まずは踊ろうか。フランカ」
やつはいつぞやのダンスレッスンの恨みを忘れていなかった。絶対に私が嫌がると思って申し込んできたんだからたちが悪い。
「いいでしょう。特訓の成果をお見せしますよ」
赤毛のルヴィッチ先生とダンスパートナーだったルディガーに鍛えられた腕前を見よ。そんな気持ちで踊るためにホールドをしました。音楽が流れだし、踊りながら男が囁きました。
「ちょっと見ない間にきれいになったな。俺のため?」
「そうですよ」
ふん、と鼻を鳴らします。余分なお肉を取り除いて少しでも勝算を上げるためだ。
「気づいていないだろうが、けっこうあんたに見とれているやつは多いぞ。よかったな。……ま、俺が奪うがな」
「勝手に言ってろ」
やさぐれた私が男のリードでくるりとターン。はあ、と歓声が聞こえた気もしますが気のせい気のせい。
「もうそろそろ一曲終わりそうだが……どうする?」
「ダンスが終わったら? 決まっているでしょ。互いの望みをかけて勝負する」
「あんたの望みは?」
「私への不干渉。あなたの方は?」
「わかるだろう?」
ばちん、と胡散臭いウインク。
「俺が剣を取り落としたらあんたの勝ち。俺の勝ちは……あんたへの口づけだ」
「その勝ち方、すっごい嫌なんだけれど!」
「弟やクレオ―ンはよくて、俺だけダメなのは納得いかんだろ」
「はあ!?」
ふつと音楽が途切れました。これはもうどうしようもない。
いざ、勝負。
「……ヴィル! 剣を!」
「姉さん!」
愛する姉に持ってきた剣を投げる。鞘ごと投げられたそれを、姉はぱしりと片手で受け取り、鞘から抜き放ちながら、一閃。あいつが抜き放った剣と交わり、甲高い金属音が響く。
ここは屋外だ。近くにいた人も全部散り、遠巻きに彼らの戦いを見守ることになった。踊ることも忘れてしまっている。
姉さんは強い。ルール無用の喧嘩、あるいは戦闘においてはほとんど無敵といっていい。姉さん自身はたいしてそんなことを思っておらず、単純に護身術程度の腕前だとか思っていそうだが、熊を倒せる時点でただ者じゃない。
その姉さんは軽やかに剣を振り、ドレスの裾を翻しながら男の剣戟をいなし、隙をついては切り返していく。正直、姉さんの方が押されている。
そう、実力差では姉さんはあいつには叶わない。姉さん以上に異次元の強さがあるから。
ただ、姉さんの剣は行動の大胆さに反して繊細で柔らかい。いなして、相手に合わせて、自分の剣筋を変えていく。相手の技量に追いつこうとする。
そうなると、自然……。
「……ちょうちょが、舞っているみたい。きれい……」
たまたま最前列で同じように観戦していたカティア嬢が呟くのを耳にする。
「フランカが、本気になったらあんなにきれいになるのですね。……知らなかった」
姉さんのことが好きなカティア嬢は目を赤くしていた。唇を強く噛み、悔しそうにしている。
僕も悔しい。
僕も姉さんと勝負することはあるけれど、姉さんはいつもどこか本気ではなくて。勝ったとしても勝ったつもりにはなれなかった。
殺気のこもった眼をする姉さん。獣のように跳躍する姉さん。充実感に溢れた顔をする姉さん。
姉さんのむき出しの感情を一身に受けるあの男を殺してやりたい。
昔、彼と勝負してこてんぱんにされた時、祖父にリベンジ不可と言われたけれども、それでもいやだ。
姉さんの剣が叩き落とされた。すると、今度は姉さんはドレスに仕舞ってあったたくさんの小さなナイフで応戦する。ナイフが無くなれば近くの石を、石が無くなれば、手足で攻撃する。
一方、男の手にある剣は一向に落ちる気配がない。姉さんの蹴りとパンチは男の体にも当たっているのだが、致命傷にはならないのだ。
じわじわと勝負がつきかけていた。最後、男が姉さんを転ばせ、そこにのしかかる。
終わった。
負けを意味する口づけが落ちて来た時も、私は絶対に負けてなるものかと思います。男の股間を蹴り上げようとも思いましたし、頭突きをしてやろうとも思いました。
けれど、身体がもう動きませんでした。体力には自信があったのに、じわりじわりと戦ううちに消耗させられていたのです。
「フランカ・ツヴィックナーグル。あんたは自由だった。自由であるがために俺を引き寄せたんだよ。諦めろ、大事にするから」
口づけ。負け。
ここ数年来、本気で勝負を挑んだことなんてありませんでした。万全の状態で挑んだのに、負けました。
覆いかぶさられた体がどいたあと、私はしばらく真っ青な空を眺めながら「負けた……?」と呟きます。
すると、どんどんどんどん悲しくなってきて。
「くやしい。くやしいくやしいくやしいくやしいくやしいくやしいくやしいぃー!」
子どものように泣きじゃくりましたとさ。手足をふりあげ、じたばたと暴れます。
あっはっは。勝者は高笑いをしているのがむかついて仕方がありません。
むくっと上半身を起こし、やつを睨みつけます。
「殺す!」
「できるといいなあ?」
私の身体が浮き、男の肩に担がれました。頭を起こして周囲を見れば、茫然とした同級生たちの姿が。ばちんとルディガー様と目が合います。彼は複雑そうな顔をしていましたが、
「フランカ・ツヴィックナーグル。世の中にはこんな言葉がある。『年貢の納め時』だ。おまえは散々学院で好き勝手やってきたんだからな、これも自業自得だと思う。元気でな」
え、今この場で諦めてさらわれろと?
「ちょ、ヴィル。ヴィルくん!?」
「おじい様の言いつけなんだ。……勝負の結果には文句をつけないって。僕を罵ってくれて構わないよ、姉さん……うぅ」
「えー!」
そして、私を持ち上げていた男がぽつり。
「この場で暴れられても困るから、悪いな」
首に衝撃がはしり……くたり。意識を失いました。
こうして、冒頭に戻る。
幌馬車を操るティムルさん。そして逃げられない私。よよよ。
「おい、現実逃避は終わったか? せっかく楽しい婚前旅行に仏頂面してどうする」
「放っておいてください!」
幌馬車が止まり、我が人生最大の理不尽の象徴のような男が前から覗き込んできます。
「ギルシュは狼に乗る文化がある。あんたのミーチャ……あれもギルシュに連れていくんだぞ。俺の国なら怖がられることもなく、乗り放題だぞ?」
そんな甘い言葉には……と思った私ですが。いざやってきたミーチャの顔を見ると、ついつい顔が緩んでしまいました。
諦めと妥協。そんな言葉が頭を過ります。
このティムルという男は逃げ道を塞ぐのが天才的でした。肉と筋肉につられてふらふらっとしていたら不意をつかれて五人。……間に生まれた子供の数です。
愛だなんだは知らないが、子どもは可愛いからやつの存在は許すことにしました。それになんだかんだと騎士団にも重宝されているし、弟のよい訓練相手になっている。たまに本気で血みどろの決闘をしているけれど。
クレオーン王子は王子でなくて一貴族として生きることにしたし、カティアは弟と「姉さんを取り戻す同盟」とやらに参加する形で私の義妹になりました。テオドーラは今は新しい女王の元でばりばりと侍女長としてキャリアウーマンの道を歩んでいます。イレーネはかねての婚約者と結婚し、三人の子持ちになりました。
そんなわけで世の中はこともなし。裏ではどうか知りませんが、表向きには平和に回っています。
「ティムル。今度こそ勝って離婚してやる……」
「じゃあ、俺が勝ったら……六人目かな?」
「なぜそうなるの。そんなに私のことが好きなわけ?」
「……気づくのが遅いだろ。それにたぶんあんたもそこそこ俺のことが好きだと思うぞ」
応援ありがとうございました!




