楽園はそこにある。
「お、お嬢!」
さすがに領地に近づいているなと実感するのはこういう時。兵士の誰かと行き合うだけで速攻顔バレするんですな。
領地境の関所で馬車を後ろに連れて、馬上からよっ、と片手を上げてしまえば、兵士二人の顔色が真っ白に変わりまして。
「隊長、隊長ー! お嬢がっ、お嬢が」
「とうとう学院を追い出されて帰ってきましたー!」
「「いつかそうなるだろうと思ってた!!」」
なんだと。失敬な。
今度はものすごい勢いで隊長が飛んできました。兵士二人に「そんな口を利くな馬鹿野郎め!」と唾を吐く勢いで突っ込み、ぼこんぼこんとそれぞれ一発ずつ頭に拳骨を落とします。
「我々はお嬢を女神と崇めねばならん。そのことを忘れるなっ、たとえ本当のことを言っていたとしても!」
「隊長。最後の一言は余計だよ。私、追い出されたわけじゃなくて、自分から出てきたのに」
「はっ、失礼いたしました!」
いや、いいんだけどね。
ふーん、と私はそこに並んだ三人組を見ました。……もっともガタイがいいのは、隊長か。君に決めた。
「……お嬢。なぜ私ののお腹を叩いているんですかね?」
「筋肉補給。ん、以前より腹回りの中が増えてない?」
「酒のせいですかね……」
「今はまだいいけど、そろそろ気をつけたら? 奥さん何も言わないの?」
「家庭内での私は空気そのものです……」
「あー……」
確かこの隊長は恐妻家だったっけ。でも奥さんはきつそうな美人だけどさすがに理不尽に怒り出しはすまい。
大方、他の美人に走ろうとしたんだろうなぁ。だめだよ、そんなことしちゃ。
私の生ぬるい視線に隊長は縮こまった。小声で内緒ですからね! と念押しするのはまだ可愛げがあるから、今度奥さんにあったらそれとなく持ち上げておこう。
それから通行の手続きをし、馬車は関所を通されました。詳しい事情を聞かされていない兵士たちは不思議そうに馬車を覗き込み、中の美男美女の組み合わせに目を剥きます。
「お、お嬢がー!」
「とうとう身売り業に転身だー!」
顔を赤くしながら騒ぎ出す彼ら。元気だね。
奥からジャヌ姉さんが顔を出し、しい、と口元に人差し指を立てました。今度こそ彼らの顔から湯気が出そうです。
「騒がないでくださる? せっかくお忍びで故郷に帰ってきたところなので」
「「け、〈傾国のジャヌ〉!」」
「傾国なんてしてないわよ?」
自分の二つ名にやんわり訂正した姉さん。
二人が唖然としたところで面会タイム終了です。さようなら。
「お気をつけて!」
三人組に見送られながら、とうとう領地内に踏み込みます。
開けた草原をしばらくいくと大きく別れた二つの道が。私は今まで乗っていた馬を降りました。代わりに黒いベールで顔を隠した姉さんが出てきます。もちろん動きやすい乗馬服で。
「ここでお別れね、フランカちゃん」
ぎゅうっと姉さんに抱きしめられました。やっぱりいい匂い。弾力のある極上の身体を何の気兼ねなく楽しめるのは私ぐらいかも。役得ですな。
「おじいさまとおばあさまによろしく伝えておいて」
「もちろんよ」
姉さんがベールの下で極上の笑顔を見せました。
「頑張って」
頰にキスまでいただき、姉さんはひらりと馬に跨ります。手を振ってから颯爽と右手の道に進んでいきます。そちらはツヴィックナーグルの館もある中心地に辿り着きます。
けれどもこれからこの馬車が進むのは左手の道です。
私が馬車に乗り込むと二対の視線が注がれましたが、気にせずに座席に着きます。
「ねえ」
辛うじてこの旅にも慣れてきたテオドーラが不安げに目を揺らしてとなりの私を見てきました。
「どこに行くの」
彼女はようやく現実を直視し始めたようです。それ、聞くの遅すぎるよ。
「僕も気になるね」
偉そうに足を組んだ王子もどきはにやにやしています。なんか腹立つから教える気が萎えるね。
何はともあれ。私はほいほいと二人にそれぞれあるものを渡しました。テオドーラは両手で受け取ったそれに叫んで取り落としました。
「な、何よ、これ!」
「何ってナイフだけど」
「危ないのではなくて!?」
「でも鞘ついてるじゃん」
ほら、めちゃくちゃ安全じゃん。
隣の王子さまなんか大道芸人顔負けに宙で回しているけれど。抜き身で。
道具は危なくないのですよ。使う人間が危ないのです。今だと私の隣の人が。
私は隣でぴょんぴょん飛び跳ねるナイフを空中でキャッチして、鞘に納めてから王子さまに放り投げました。
「特技自慢は結構。大人しくしていてもらえます?」
王子さまは薄笑いで応えました。
私は自分の分のナイフを出して鞘を抜きます。女性でも扱いやすい小ぶりのナイフ。軍でも使われる実用性に富んだ仕様です。
「これで野菜も切れれば肉も切れます。枝を落とすのも余裕で、歯こぼれもしにくいのでまさに初心者向けのものと言えるでしょう。ーーこれから何かと重宝しそうですしね」
馬車は着々と国境近くへ進みます。
人はさらに少なく、道の両側を木々が覆いかぶさり、通せんぼしているかのような、不穏な気配が満ち満ちて。
「五日間ぐらい、頑張りましょう!」
おー!
唐突に馬車から降ろされた森の中。私はうきうきと拳を天に挙げ、課外学習の開始を宣言しました。
荷物は私からの優しさが詰まった水筒と各自渡されたナイフ一本。
馬車は遠ざかり、鳥や獣の声がこだまします。日の光は常に木々で翳りがちで、夜も寒いですが外套は持ち込み可なので何とかなるでしょう。
この森の名はタンガンダの森。
狼と熊の楽園です。
ようこそ、私の庭へ。




